古いスケッチブックの表紙を使って
コラージュノートを作ろうと思った
はまるねえ
こういうの
と思ったが
これは オートマティックな作業だ
で
どう考えてもこれは 私的だ
これは 箱庭みたいに 分析したら
心理的に 何かばれる代物だ
Yさん 抽象画と言う課題でコラージュをやっているが
どう作っても Yさんの作品になる
作っているとき な~~んも考えないで
と言うのが口癖だけれど
紙を切ったり選んだり 場所を決めたり
意味もなく決めているように見えて
実は それを決定しているわけだものな
他の選択はあり得ないのよね
それは意味深でもなく
若いころ 平面構成など 課題をやっていると
その形でなければいけない
その色でなければいけない
決定的なことをやらなければいけない
と言う風に指導され
訳分かんない そんな意味深なこと考えない
と 反発したり こうですと言うようなものがない時分には
欠陥がある
と思ったりした
例えば 黄金分割みたいに
こういうわけでここ! と言うような必然性があって
それを自分がつかめないのだという劣等感がった
今分かった
オートマティックに自分はそこに反映しているんだわよ
それだけの話だ
で
この作業は 結構はまる と言うのは
その自分 というのも ゆらゆら動いて
変身していくということだからだ
これは
かなり面白い