雑感の記事の中で
セザンヌについてコメントがあって気が付いたんだが
人って
いろいろわかっているのだろうか
分かっていないのは私だけだろうか?
と思うことがいろいろある
セザンヌもそう
セザンヌと言う絵描きを尊敬し
近代絵画に父として やはりすごいや
と言うのはよく聞いて
分かったような顔をしてフンフン聞いてきたけれど
実は実にわからないんだ
キュビズムもそう
カラマゾフの大審問官もそうだ
だいたい大審問官がカラマゾフの中で最も大事な部分だって
常識みたいな雰囲気だけど
ええ!? そんなの聞いたことないよ
私は高校生の時はドミトリー目線で読んでいた
この偏執狂ぶり 情欲のとりこ 父親との葛藤
高校生にはわかりやすい入り口だったのだろうが
意を決してこの謎解いてやると言う意気込みがないと分からない
で
そういう分からないことは どっさり放り投げて暮らしているのが現実だ
人はどうなんだろう?
でも
大審問官の問題はD・H・ロレンスも投げたらしい
で くだらねえと 捨てたらしい
何も同じ土俵でぐちゃぐちゃ考えることはないし
ドストエフスキーは 西洋的ではないし
どこが正教会の考え方とぴったりなのか知らないけれど
ゾシマ師(アリョーシャの師匠)の考え方は日本人にはわかりやすい気がする
大地の愛と救済ってロシア独特なんだろうか
そうみたいだけれど
本来この話
アリョーシャが主人公で
後編の予定ではテロリストになって
断頭台に消えるんだ
19世紀後半は そういう時代だったのねえ