やっと読み終えたよ
この著者は福島県相馬郡の出身
安田銀行浅草支店長として赴任してきた
その二年後に関東大震災に遭って
書いた記録
震災後
ともかく知者は歩き回ったらしい
それで せっせと書きまくっていたらしい
その様子を
御嬢さんが書いている
家のことは奥さんに任せ
当人は あちこち 鎌倉までも友人の安否を尋ね
東京中を歩き回り目にしたものを書きまくっていたのだ
印象深い言葉がいくつもあった
官民一体となって事に当たったことを
感激して書いている
救済のために東京にコメは集まって
余るほどだったそうだ
福島からも どうやってきたかと思う状況で
駆けつけてきたそうだ
一方どさくさに紛れて
暴利をむさぼるものもいたらしい
私たちもよく知る
朝鮮人 や 共産主義者を不逞の輩としてデマが飛ばされたことも書いてある
(デマとは書いてない)
不逞の輩なんか怖くない
憎むべきは 極端な個人主義者 我利我利亡者だと書いている
また
中国から多大の道場と金品の寄贈があったという
復興については 灰燼に帰した東京を理想の都市に
作り上げようと 取り組まれた ともある
近隣の被災状況についても描かれてあり
横浜は全滅辛くものがれた中に 海に逃れたもののこともあったが
その人たちは ひどい飢えに苦しんだそうだ
15歳の少年だった 父は 上に苦しんだのか?
もっとも
父は恐ろしい小食で
戦地でも 小食なため飢えの苦しみは味わっていないと言っていた
母は 壊滅的だった 深川にいたんだが
どうしたんだ?
「赤ん坊だったから知らない」と
よく言っていた
おばさんは生まれていない
お姑さんは 東京のほうが赤く見えたんだよと言っていた
東京を 震度7が襲ったら 恐ろしい
もう大変だったのですね
都会を襲うと
密度が高いから被害も大変
津波も根こそぎ というのが恐ろしかったです
あれだけ大きいと
今生きている府とが生きている限り余震は続くみたいですね
微震にはなっていくでしょうけれど