遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

たけくらべ

2013-08-28 06:22:08 | 日本の本

はなてぼさんちで  たけくらべのことを読んだ

今朝の頭の体操は

15挙げやめて

たけくらべにする

たけくらべ 改めて原文で読んだ

なるほど当時は今言うさいちゅう(最中)をもなかと言ったのか

もなかの月が 15夜のお月様というのも知らなかった

もう というのを 最う と書いてあるのも私には珍しかった

最早 のことだもんね 昔はこう書いたのか?

あ 私がもの知らずなだけか

樋口一葉が本郷に住んでいた場所は

われわれが本郷に住んでいたところのすぐそばで

史跡になっているので

区民は皆知っている

ファイル:The well of ichiyo higuchi 2009.JPG

そこにある 一葉の井戸ったって共同井戸

里山にある井戸とそっくりね

で東京の井戸はこうやって

水の出る袋をかぶせるの

きっと水に鉄分が多いのだわ

文京区の路地は ちょっと入るとこういう井戸があって

井戸端会議 花咲いたろうなあという空間にぶつかる

文京区は史跡が多く

区の歴史に詳しい方たちが歴史散歩というイベントをよく行ってくださった

(前に清瀬の空襲の記録で活躍された定さんと彼の親友のHさんが

中心人物で

歴史に疎い私はいっぱい教わった)

たけくらべの舞台大門あたりの近くが

96歳遺言の久米さん  のお育ちになった近く

浅草のここら辺は

わたしもいろいろ縁がある がまた今度にしよう

一葉が引っ越していった竜泉のあたりは

近くにドヤ街の山谷もある

って わかった風なことを言っているが

わたしは行ったことはない

わたしはどこへでも一人でほっつき歩く子供だったけれど

父が 浅草と歌舞伎町は行ってはいけない

と厳しく言ったので

それらの地区は女一人でほっつき歩いちゃいけないところという

差別的刷り込みが いまだに消えない

ったってねえ お墓は 浅草だよ だいぶ南の方だけど・・

たけくらべを読んで

今回初めて気がついた

美登利は紀州の生まれで

お姉さんが身売りした時 一家そろって上京した

末は遊女になる定めの女の子だったわけ

それで 訛りが残ってて可愛いと言い

また吉原当たりの粋なおしゃれにはうとくて

田舎者とさげすまれていじめられたり

お姉さんの羽振りがいいので

小遣いばらまいて奢りまくったり

きゃんきゃんとおきゃんな娘に育っていく

まさに 江戸東京の物語だ

今だって東京は人々が日本全国から集まってくるところだから

こう

渡り合う文化ってのが東京文化だな

多分

それで

きつかったり おきゃんだったり ポンポンまくしたてる女が多い

(もともと深窓のお嬢で育ったような人は別です)

花てぼさんこれ朗読なさるのだろうなあ

羨ましいなあ

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2 コメント

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今日、初めての訪問ですが、たけくらべのことを書... (花てぼ)
2013-08-28 17:12:17
うちのブログでは、仲間で時々読んでいる人がいるので明らかにできなかったけど、この「たけくらべ」は近く、三人で部分を朗読することになっているのです。それは朗読の勉強会で今、一葉の「十三夜」をやっていますが、それに因んで、一葉記念館あたりの散策をみんなでするのです。その昼食のあとで、(あの豆腐料理の店で)みんなにはサプライズで、三人でそれを読むように役員さんに依頼されているのです。一人、6分ぐらいの朗読です。それで私は自分の所をせっせと練習しているわけ。
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花てぼ様 (遊工房)
2013-08-28 20:02:59
あ 笹の雪に行くのね?
そっか
文京区も回るかな?
にごりえの舞台は
わたしが文京区で働いていたときのテリトリーに近く
武蔵の働いてたテリトリーでした
そこの坂の上にも五右衛門という豆腐料理屋があります
文京区を回ることがあったら
坂の多さにびっくりすると思うけれど
坂の上と坂の下との人々の暮らしの違い歴史の違いは
ここまでくっきり違うか!と思うほど違う
太陽のない町 も近いです
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