はなてぼさんちで たけくらべのことを読んだ
今朝の頭の体操は
15挙げやめて
たけくらべにする
たけくらべ 改めて原文で読んだ
なるほど当時は今言うさいちゅう(最中)をもなかと言ったのか
もなかの月が 15夜のお月様というのも知らなかった
もう というのを 最う と書いてあるのも私には珍しかった
最早 のことだもんね 昔はこう書いたのか?
あ 私がもの知らずなだけか
樋口一葉が本郷に住んでいた場所は
われわれが本郷に住んでいたところのすぐそばで
史跡になっているので
区民は皆知っている
そこにある 一葉の井戸ったって共同井戸
里山にある井戸とそっくりね
で東京の井戸はこうやって
水の出る袋をかぶせるの
きっと水に鉄分が多いのだわ
文京区の路地は ちょっと入るとこういう井戸があって
井戸端会議 花咲いたろうなあという空間にぶつかる
文京区は史跡が多く
区の歴史に詳しい方たちが歴史散歩というイベントをよく行ってくださった
(前に清瀬の空襲の記録で活躍された定さんと彼の親友のHさんが
中心人物で
歴史に疎い私はいっぱい教わった)
たけくらべの舞台大門あたりの近くが
96歳遺言の久米さん のお育ちになった近く
浅草のここら辺は
わたしもいろいろ縁がある がまた今度にしよう
一葉が引っ越していった竜泉のあたりは
近くにドヤ街の山谷もある
って わかった風なことを言っているが
わたしは行ったことはない
わたしはどこへでも一人でほっつき歩く子供だったけれど
父が 浅草と歌舞伎町は行ってはいけない
と厳しく言ったので
それらの地区は女一人でほっつき歩いちゃいけないところという
差別的刷り込みが いまだに消えない
ったってねえ お墓は 浅草だよ だいぶ南の方だけど・・
たけくらべを読んで
今回初めて気がついた
美登利は紀州の生まれで
お姉さんが身売りした時 一家そろって上京した
末は遊女になる定めの女の子だったわけ
それで 訛りが残ってて可愛いと言い
また吉原当たりの粋なおしゃれにはうとくて
田舎者とさげすまれていじめられたり
お姉さんの羽振りがいいので
小遣いばらまいて奢りまくったり
きゃんきゃんとおきゃんな娘に育っていく
まさに 江戸東京の物語だ
今だって東京は人々が日本全国から集まってくるところだから
こう
渡り合う文化ってのが東京文化だな
多分
それで
きつかったり おきゃんだったり ポンポンまくしたてる女が多い
(もともと深窓のお嬢で育ったような人は別です)
花てぼさんこれ朗読なさるのだろうなあ
羨ましいなあ
そっか
文京区も回るかな?
にごりえの舞台は
わたしが文京区で働いていたときのテリトリーに近く
武蔵の働いてたテリトリーでした
そこの坂の上にも五右衛門という豆腐料理屋があります
文京区を回ることがあったら
坂の多さにびっくりすると思うけれど
坂の上と坂の下との人々の暮らしの違い歴史の違いは
ここまでくっきり違うか!と思うほど違う
太陽のない町 も近いです