全体像を
考えるのに
年を追って
絵を見ると分かりやすいと思う
絵描きは皆
最初頃は
印象派風だったり
ナビ派風だったり
少し前の様式で描く
ま
生涯学習系はずっと同じところにいたりもする
マレーヴィチのキュビズムは
こいう金属的なグラデーション
レジェの影響?
と思ったが
ソ連の革命後農民が機械化を推し進められた
それについての戸惑いの表現とか
そんな解説もある
行きつくところ
右のようになった
平面構成?
シュプレマティズムというんだそうだ
日本にもこういう風な
抽象画描く人いたっけ
絵の前で
????
なんだけれど
格好いいのもあれば
それだけで納得でいいやと思うが
私はこういう絵を描きたい気持ちはわからない
右上の
黒い正方形というのは
その後の絵の
サインに使われるくらい
マレーヴィチその人の象徴らしい
右のみたいな絵なら
描いてもいいかな
次のKINY洋画会の課題はこういうことか?
でも私は
デザインの勉強の平面構成?
と思ったり
セーターのデザインにどうよ
とか思っちゃう
やがて
人物はこうなるんだがこれは1928年から
30年ころ
↓の記事で紹介したのが1909年のもので
BUNNKAMURAに来たもの
画集には1912年ころの
同じような鎌をがある持つ農夫の絵がある
人物はますます
顔がタマゴ
シュプレマティズムっぽくなる
こんなの
マグカップのデザインに
いいとか
思ってしまう
こんな風景
絵本にどう?
とか
私の考えは不純かも
で
晩年
顔が
ルネサンス風に克明に描かれるようになり
服装とかは
シュプレマティズム風
右の絵は
最後の自画像なのだけれど
(一番上の絵も自画像)
この衣装だって
そう言えなくもない
こういうふうに全体を見ると
画家は色々考えるんだなあ
と思った
本には革命との関連が書かれ
1922,3年以降の芸術家にとって厳しい時代 まるで
魂を売って 時の権力に迎合したように書いている解説もあるが
そんなことはありえない
俗物が自分と同じ穴のむじなにしたいだけだろう
黒の正方形に行っちゃったら
もう
描写するような絵を描いたら堕落のように言うのはおかしい
いつだって自然も人間も 描いてみたいものに違いないし
かりによ
自分のなかにないモチーフを描けと言われたら
???
そこには何があるだろうと
探求したくなるものだ
本当に嫌なことをやらされるなら
死んでしまいたい
そういう絵になるだろうな
あああ
戦争に駆り出されて
人殺しをさせられた人はそういう目にあったんだわ