遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

高句麗のこと

2012-08-17 07:07:00 | 日本の本

広開土王と「倭の五王」―讃・珍・済・興・武の驚くべき正体

この本かなり不思議ことが書いてある

広開土王は413年に死んだことになっているけれど

その年に

倭にわたって 王の讃になった

つまり仁徳天皇だという

出自は後燕の慕容氏だというのだわ

で慕容氏の起源はパルチア国だというので

?????

私は広開土王と後燕と闘ってばかりいたと思っていたので

仲が良かったというの??

高句麗は高氏の国で

後の高麗は王氏の国だけれど

どっちも高句麗というか 高麗というものらしい

私は 田舎に来る前は埼玉県の高麗(こま)というところに住んでいて

そこは

高句麗がほろんだあと

亡命してきた高句麗人たちの集落があったところなのだわ

こういう 曼珠沙華の群落があるところ

日本にはここ以外にも

朝鮮由来の地名がいっぱい残っている

 

古代の日本は

かなり朝鮮半島との行き来やら影響の与えあいが

あっただろうなあ

と思うけれど

日本列島が 相対的に 文化的に遅れていたのか

意外と独自に発達した文化が育っていたのか

よくわからない

 

ただ

韓国のドラマを見ると

高句麗は本来中原の主だったというようなことを盛んにいうし

中華思想ってのもかなり手前味噌だし

本来 国を巡ると

みな手前味噌

俺様意識で わーわー という感じ

この広開土王を 讃だという説

この人のはなしはどうもすべて慕容氏に結び付けていくので

この人先祖が慕容氏なのかしら?

と思ってしまった

七支刀の謎を解く―四世紀後半の百済と倭

こっちの本は難しくてまだ読み終えられないが

七支刀も慕容氏に結び付けているんだもの

七支刀の謎にも興味津々なんだけれど・・・・

私には日本史の素養がなく

(前も書いたけれど高校で日本史を取ってなかった)

古代の日本美術のことを考えると

訳が分からないんだ

↓の 法隆寺の釈迦三尊像

 

これを作ったのは

鞍作りの止利だと言われているけれど

蘇我氏を取り巻く 百済系の技術者集団なのかなあと思ったり

止利のお父さんは 司馬達等というのだそうだけれど

司馬氏って名前 中国なんじゃないと思ったり

この釈迦三尊像の服装は 北魏の様式だと習ったんだけれど

北魏のものがどうやって 日本に伝わったんだろうと

イメージできなかったんだけれど

5世紀ごろの北魏や高句麗や燕の国の関係がわからないと

分かんないなあ

色々検索すると 広開土王は高氏ではなく安氏だというはなしはいろいろヒットする

安氏はルーツがパルチアなんだな

安禄山の乱の安氏もだ

↓ 画像を見ても 私には訳が分からないけれど

読める人には読めるんだろうなあ

なんか 文盲の気分

http://archives.cf.ocha.ac.jp/shiryo_takuhon.html

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お盆終了! | トップ | メールダメだね »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
読書家だな~勉強家だな~ (hisakoーbaaba)
2012-08-17 11:13:33
私にはさっぱり解らないけど、うちの町も帰化人達が住んだところよ。
半島から逃れてきた陶工たちが、奈良時代に、土地をもらって定住し窯場を作ったそうです。

お母様の暮らした家を、リフォームして息子さんが住んでる---いいなあ。
お母様も喜んでおられますね。
hisakoーbaaba様 (遊工房)
2012-08-17 13:21:50
韓国ドラマって ものすごく史実無視なところがあって
でもそれでイメージが出来てしまって???
となるけれど
日本のお話もそうなんでしょうね
昔のことはわからないことだらけ
でも面白いのよね

家はリフォームなどというほど手をかけるおかなもないので
ともかく踏み抜きそうな床を直し
トイレと風呂を付け
落っこちて崩壊しそうな窓を直して
それだけでも
もう大変なんだわ
でも
気兼ねなく絵をかけるから
御の字

コメントを投稿

日本の本」カテゴリの最新記事