Heart Forest

日常生活の中でちいさな楽しみを探して行きます。

四年間

2015-03-11 15:21:53 | 日記
こんにちは。エルです。

311から今日で4年が過ぎました。
今日のように寒い日でした。
私は仙台のアパートに居て、それまでもあの日の前には震度5位の地震が何回も来ていたのでまたかと思いました。最初は。

TVを押さえていたら電子レンジがジャンプで落下して、あわててドアを少し開けました。
いきなり電気が消えて、流石になんだこれは!?となりましたが、ラジオの存在を押し入れのなかに忘れていて...。

きっとまた仙台だけが酷いのだろうと、多賀城の父が迎えに来てくれると思っていました。

電気がないと部屋は寒いし、そのうちガスも使えなくなり水も止まって。携帯も繋がらない。

まさか海沿いでもない実家がその頃津波に襲われて居るなんて考えもしませんでした。

我が家は幸いお嬢共々二階に避難して無事でした。実家の近所は高齢者だらけですが皆無事。

当時東京にいた姉から電話がきて津波の事を知りました。

正直、彼女が何を言っているのか理解出来ませんでした。

宮城県沖地震の時も津波はなかったので。

翌日漸く父の携帯が繋がって二階で生活していると言われてビックリしました。

一晩中雪の降る外で木や店の屋根の上にしがみついておられた方々もいたのですね。

今日はお仕事を委託されている会社の店長さんが「2:46だ。」と仰有って皆で黙祷しました。

無事だった自分が、寒かっただの食べるものがなかっただのと振り返る事は滅多にないです。

電気が点くとTVで大きな大きな犠牲をみることになりましたから。

病院と家の往復だけの日々からデイケアを探し、仕事を探し、色々あって実家に今いる自分は、自分としては変化の多い四年間だったと思います。

でも復興ってなんだろう?と思うほど改善されていないことも多いのです。

自分もどうしたら良いのかはわからないのですが、
ええっとまとまらなくてご免なさいね。


今日の良いこと⚫寒い~と言ってたらハハが温かい珈琲でも飲んできなさいと小銭をくれました。そこはオマエが母にあげるトコだろ!ですが。
カフェ&ダイニングじゅげむさんのコーヒーチケットが残っていたのでチーズケーキと共に。
こちらのお店も地元が311で被災したことにより多賀城でカフェを開いたそうです。


皆様に幸運を!
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コメント (4)
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