なんでもない毎日。

それなりに楽しい日々。

奈良旅2日目(1)

2009年09月26日 | 外出
9月21日、奈良旅2日目は明日香村をサイクリング。

明日香村内では何件ものレンタルサイクル屋さんがあるのですが、今回利用したフリーきっぷでは橿原神宮前駅のレンタルサイクルで割引料金で借りられるので、それを利用したのですが…。
せっかく"調子麻呂号"と名付けようと思ってたのに、とってもボロなのが寄越されたので名付けるのは止めにした。
だって一こぎする度に「カタン」って音するし、スタンドもちょっとした段差でも上下に激しく振れるし、当然ブレーキなんて派手に「キーキー」言うし、勿論サビだらけだった。
割引価格で借りれたからまだ我慢したけど、定価だったらこれはちょっとってレベルの自転車でした

まずは孝元天皇陵と剣池→小墾田宮跡→向原寺(豊浦宮跡・豊浦寺跡)を通って甘樫丘へ。
…なんてあっさり書く程には楽にはたどり着けなかった。
普段の運動不足と年単位で久しぶりの自転車で、甘樫丘の駐車場へ着いた時にはすでに息切れで、こんなんでこの先回れるのかとっても不安になりました。
さらに甘樫丘の豊浦展望台まで登るのがホントしんどかった。
でも展望台から見えた景色に疲れも吹き飛びました。




畝傍山方面。




畝傍山・耳成山・天香具山の大和三山が見渡せた。
ここに日本史上初にして最大の藤原京があったのですね。




天香具山と三輪山方面。




真神原。
これからここを回るんだ~って感慨深く見ていたら、地元の史跡に詳しいおっちゃんにナンパ(笑)されて、一緒に史跡廻りをしてもらう事になりました。

甘樫丘展望台を下りてまず訪れたのは向原寺・難波池(難波の堀江)。
甘樫丘へ行く前に通ったんだけどと思いながらも黙ってました(笑)
欽明天皇の時代に百済の聖明王より献上された仏像を蘇我稲目(蘇我馬子の父)が賜り、向原の家を清めて寺としたのだそうで、日本初のお寺なのだそうです。
その後疫病が流行し「仏教崇拝による日本古来の神の祟り」という理由で、物部尾輿により仏像は 「難波の堀江」に捨てられ寺は焼却されてしまったそう。
その仏像を捨てたのがお寺の脇にある難波池なのだそうで、「難波の堀江」って言うからてっきり難波(大阪)にある堀にわざわざ捨てたのかと思ってた。
この池の底を浚ったら実際に遺物が出てきたとか言ってた。
この時、池に捨てられた仏像が信濃の善光寺の秘仏となっている仏様なんだとか。

蘇我稲目の屋敷→向原寺(日本で最初の寺)→推古天皇の豊浦宮(この地で推古天皇が即位)→豊浦寺(日本で最初の尼寺)

って色々な建物があった場所、だそう。
その後すぐ近くにある甘樫坐神社(あまかしにいますじんじゃ)へ。
ここが教科書で習った「盟神探湯(くがたち)」が行われていた場所、なのだそう。
現在は4月の第1日曜日に神事として盟神探湯が行われているそうです。
甘樫丘で盟神探湯が行われたってガイドブックでは見たけれど、まさかここで!と驚きのあまり、大きな石「立石」もあったのですが写真撮影を忘れた…。




神社の後にすぐ側の民家の敷地内(なんだと思う…)に連れて行かれて案内されたのが



『推古天皇 豊浦宮跡』の石碑。
ここが豊浦宮の南門の跡なのだそうです。
これは普通に観光で訪れたなら、行かない(笑)&分からない場所だろうな。
私が前日、吉野と橿原の博物館を訪れたのがミョウに気に入ったらしいおっちゃんが、普通の人には案内しない場所へ案内してやるって連れて行ってくれたの。
…って事は、私は普通の人ではないと認識されたのか


ここの辺りは“豊浦”って地名で、蘇我毛人(蝦夷)は“豊浦大臣(とゆらのおおおみ)”って呼ばれていたでしょ。
だから“豊浦”って文字を見るだけでウッキウキでしたよ私は!
この辺りに住まっていたのかなぁとか思いながら自転車を必死にこいでました。
いやもう案内役のおっちゃん、ウチのお父さんと同年代くらいなのに、すっげー早いんだもの自転車こぐの
アンタのスピードに合わせてやるって言ってたのに、あっという間に姿が見えなくなるんだ…。

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