片倉家廟所の次に、喜多の墓と田村家の墓へ。
喜多の墓も113号線沿いに一応案内が立っているので、片倉家廟所の駐車場に設置してある看板で確認して、見落とさないように左側を注意して見てください。
喜多の墓は階段を登って、滝の観音の裏手にありました。
案内板と墓石が囲われているので、これが喜多の墓なんだなって分かりましたが、何も無かったら「この石は何だろう?」って思うだろうな...。
片倉喜多は、殿の乳母(養育係)であり、小十郎の異母姉であり、鬼庭(茂庭)綱元の異母姉でもある、すごい女性です。
喜多に関しての史料が残っていないようなのですが、後に愛姫の従兄弟・田村宗顕の息子の定広が名跡を嗣いだそうなので、功績は大きかったんだろうなと。
喜多の墓の脇の道をさらに進むと、広い道路(行き止まり)に出ます。
その道路を横切り、再度杉木立の中へと進んでいくと、田村家の墓所があります。
ここには愛姫の父・田村清顕と、田村定広の妻の阿菖蒲の父・真田信繁(幸村)の墓があります。
行ったのが夕方で、どれが誰の墓なのか分からず、1箇所の墓石の前に真田六連銭が入ったお菓子が供えられていたので、これが幸村の墓なのかなぁ?と半信半疑ながら、手を合わせてきました。
勿論、愛姫のパパのお墓にもね(これは多分真ん中だろうな、って)。
白石に田村家の墓所があり、さらにそこに真田幸村の墓があるなんて、今回殿にガッツリはまって色々調べるまで、全然知りませんでした。
愛姫の意向で片倉重長が宗顕を白石に呼び寄せるのに、どこまで殿が係わっていたのか、それとも全く愛姫の独断だったのか、その辺も気になったり。
因みに。
田村家墓所の写真は暗くてヤバ気な雰囲気になった為、お蔵入りにしました
11月末の夕方に墓参りなんて行くもんじゃないですね
私達は喜多の墓の入り口近くに路駐しちゃったのですが、
↑この行き止まり部分へ車を停めれば、ちょうど喜多の墓と田村家墓所の中間点になります。
喜多の墓も113号線沿いに一応案内が立っているので、片倉家廟所の駐車場に設置してある看板で確認して、見落とさないように左側を注意して見てください。
喜多の墓は階段を登って、滝の観音の裏手にありました。
案内板と墓石が囲われているので、これが喜多の墓なんだなって分かりましたが、何も無かったら「この石は何だろう?」って思うだろうな...。
片倉喜多は、殿の乳母(養育係)であり、小十郎の異母姉であり、鬼庭(茂庭)綱元の異母姉でもある、すごい女性です。
喜多に関しての史料が残っていないようなのですが、後に愛姫の従兄弟・田村宗顕の息子の定広が名跡を嗣いだそうなので、功績は大きかったんだろうなと。
喜多の墓の脇の道をさらに進むと、広い道路(行き止まり)に出ます。
その道路を横切り、再度杉木立の中へと進んでいくと、田村家の墓所があります。
ここには愛姫の父・田村清顕と、田村定広の妻の阿菖蒲の父・真田信繁(幸村)の墓があります。
行ったのが夕方で、どれが誰の墓なのか分からず、1箇所の墓石の前に真田六連銭が入ったお菓子が供えられていたので、これが幸村の墓なのかなぁ?と半信半疑ながら、手を合わせてきました。
勿論、愛姫のパパのお墓にもね(これは多分真ん中だろうな、って)。
白石に田村家の墓所があり、さらにそこに真田幸村の墓があるなんて、今回殿にガッツリはまって色々調べるまで、全然知りませんでした。
愛姫の意向で片倉重長が宗顕を白石に呼び寄せるのに、どこまで殿が係わっていたのか、それとも全く愛姫の独断だったのか、その辺も気になったり。
因みに。
田村家墓所の写真は暗くてヤバ気な雰囲気になった為、お蔵入りにしました
11月末の夕方に墓参りなんて行くもんじゃないですね
私達は喜多の墓の入り口近くに路駐しちゃったのですが、
↑この行き止まり部分へ車を停めれば、ちょうど喜多の墓と田村家墓所の中間点になります。
少しでもお役に立てれば幸いに思います
ブログへちょっとお邪魔させていただきましたら、プーさんが可愛らしくてドキドキしました
ご主人様♂が 喜多流片倉家を検索していて
ここに辿り着きましたぁ
とても参考になるので リンクさせて頂きますぅ ぷー