なんでもない毎日。

それなりに楽しい日々。

奈良旅2日目(4)

2009年09月30日 | 外出
香具山よりしばらく走ると、ようやく右手に藤原宮跡が見えてきました!
と思ったら、おっちゃんは藤原京跡とは反対側へ向かって行った。
ここまで来てどこへ?と思ったら、そこには“藤原京朱雀大路跡”の案内板が。
地図にも掲載されていたけれど、実際に現地へ赴くと藤原宮跡の方に目がいっちゃって、結構気付き難いかも。
そこから見える木が生い茂った小高い丘に、藤原宮の瓦を焼いた“日高瓦窯跡”があるのだそう。




そしていよいよ藤原宮跡へ。
私達がいた道路から藤原宮跡までは田んぼがあったのですが、その田んぼの一部が橿原市の所有地になってました。
少しずつ田んぼを買い上げて、藤原京跡まで朱雀大路を整備するのかな?



朝堂院の南門跡より香具山を望む。
藤原宮跡は平城宮跡のように朱雀門や大極殿の建物が復元されてはおりません。
この南門跡と東と西に礎石と柱を復元している程度で、後はばーんと一面の草っ原!
ここに立つと大和三山のちょうど中心に藤原宮があるのが良く分かります。
明日香の板蓋宮跡は山が近くて、何ていうかお母さんのお腹の中とでも言えばいいのかな?
ほっこり守られているような温かいイメージがあったのですが、この藤原宮はその守られてきた場所から一人立ちをしたかのような印象を持ちました。
でもまだちょっと不安だから、大和三山に囲まれたこの地に、みたいな。
上手に表現できないんだけど…。
板蓋宮跡から比べると、ものすごい開放的な場所でした。

まだまだ発掘中で、この先、新たな発見とかもあるのでしょうね。



大極殿跡。

ここに16年だけだけど日本の都がありました。
これだけの広さの都を作るのは大変な労力だったでしょうに、なぜたった16年で平城京へ遷都したのでしょうか?

ここでおっちゃんの案内は終わり…と言われたんだけど、藤原宮跡の次に本薬師寺跡へ。



これは金堂の礎石。



これは東塔の跡。
西塔の土壇も残ってました。
薬師寺はここから現在の西ノ京へ移ったそうです。
この本薬師寺跡の周辺にホテイアオイがたっくさん咲いてました!



このホテイアオイを撮影に来ている人も大勢いました。

ここから橿原神宮前駅を目指したのですが、最後におっちゃんが連れて行ってくれた場所があります。
それは橿原考古学研究所の建物の玄関。
そこにオブジェのようにデカイ石が鎮座しているのですが、この石は明日香村で連れて行ってもらった“飛鳥宮跡苑池遺構”から出土したものだそう。
前日、博物館と間違えてこの建物へ行ったんだけど、その際この石は何だろう?って思ったんだけど、謎が解けました。

ここで甘樫丘より一緒に史跡廻りをしてくれたおっちゃんと別れました。
おっちゃんのお陰で楽しいひと時を過ごす事が出来ました。
ありがとう!
でも、お願いだから交通法規は守ってね?
車道の真ん中を走るおっちゃんを避けた車に、私は何度「スミマセン 」と頭を下げた事だろう…。


最初はものすごく久しぶりの自転車で果たして走りきる事が出来るだろうか?とか色々と不安に思っていたのですが、無事に完走することが出来ました!
約5時間のサイクリング。
時間内に自転車を返却できてホッとした…

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