☆Rainbow Light☆

日々の徒然日記。最近は日本の現状を綴っています。

メリークリスマス!

2009-12-25 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


今日はクリスマスですね!メリークリスマス!

俺は仏教徒だ!クリスマスなんて関係ないぜ!って人もいるかもですが(笑)

この際なんでもよし!

イベントにかこつけて、日頃はなかなか言えない「愛してるよ」って言葉を思い切って言っちゃいましょう~!

せっかくなので、楽しんじゃおう☆


あ、そうだ。

コラボ講演昼の部の質問タイム書くの忘れてました~!

…もう覚えてない…ので、覚えているところだけちょこっと書きマ~ス!


まず、「小さいころ、突然めちゃくちゃ早く走れたことがあったんですが、それが「一体になってた」ことなんでしょうか」と言う女性の質問。

黒斎さんが、「まさにそうです」と。

私達は通常、体の限界を守るために脳にリミッターをかけているそう。
いわゆる「観念」「思い込み」「思考」ですよね。

それが外れると、桁外れの力が出せたりする。火事場のクソ力とかがそうですよね。

その時はガムシャラで何も考えてないでしょう?と。

確かにスポーツ選手はそう言う経験をしている人が多いんじゃないかなぁ。

シンクロの小谷選手もそう言えば、そんな不思議な体験をしていたと言っているのを聞いたことがあります。

その時は、勝つとか負けるとかもうどうでもよくて、水と一体化していてとにかく気持ちよかったって。

それを「ゾーン」と言ったりするそうです。(←あ、ここら辺は私の意見です)

で、その女性は「なるほど」と。「確かにその後、肉離れしました…」イタタタタ…


あとは「怒りの感情」を枕で表現するとき、「憎いあいつの名前を呼んでもいい」と阿部さんが言っていたのを聞いて気になって…と言う女性から。

「その名前を呼ぶことで、その相手にマイナスの波動が行かないのだろうか」と心配なさっていたようです。

阿部さんは「名前を呼ぶってのはは例えで…」とにかく自分の中の「怒り」を出すのが大切、と。
わぁぁぁ~!!と出している途中で、誰かの名前が出ればそのまま出すし、出なければそれでよし、と。

「あいつの名前を呼んでやろう」と思考を働かせるのではなく、とにかく感情を放出するんですね。

「でね」と黒斎さん。
「私達はね、対象があって「怒る」のではなく、怒りがあってその「対象」を探すんですよ。怒りをぶつけられる相手がいれば、何でもいい。どんな些細な事でもいいんです。」と。

うん、納得!

次は「愛」についてかな?質問者の方も、質問しているうちに何が質問したかったか混乱してしまったようでした。分かります…

ここ、何て答えてたのか忘れちゃったので(笑)そのとき思ったことを書きます~!

えとね、思ったのが…私達は今人間ですが、もともとは「愛」そのものなんです。

ですから、誰かを「愛する」のはとても自然なことなんですよね。

今は「結婚」と言うシステムがありますから、どうしても「一人の人」と言う「括り」(常識、思い込み)がありますが…

それ以外にも、同じようにすべての人を同等に愛せるんです。ホントはネ。
夫だけでなく、子供だけでなく、家族だけでなく。

すべての人間、全ての存在を。
その愛はもちろん、「無償の愛」「純粋な愛」です。見返りの無い愛ですよね。


あ!そういえば阿部さんが言ってました。思い出した。

私達は自分の足りない部分を、相手で補おうとしてしまうんだそうです。
それで、好きになってしまう。

でもそう言った「条件付」の愛は、本当の愛ではないんですよね。
必ず、尽きてしまいます。

欲望から来る愛や、渇望を満たすだけの愛、奪うだけの愛ではなく…

見返りの無い愛で、その人を支えるのなら、旦那以外にも愛する人ができたっていいと思うなぁ。私個人の意見はね!

憎みあって傷つけあうよりもずっといい。


あとは主婦の方から。

「今主婦をやっているんですが、掃除、洗濯、炊事、家族の世話…これがずっと続くと思うとぞっとする。このままじゃダメだって思うんですけど、どうすればいいか分からない」って感じの質問だったと思うんですが…

私も主婦なので、めちゃめちゃ共感しました!!!

結婚当初は同じことを思ってうんざりしていました。

そして「今の自分じゃダメだ、何かやろう」としてしまうんですよね。

それは、「今の自分を認めてないから、何者かになろうとすること」なんです。

主婦である今の自分には価値がない。だから価値ある人間にならねばって。

でもね、目が覚めてから分かったことがあるんです。

それはね、「何をするか」じゃないってこと。

もし自分が寝たきりの老人で、介護なしに生きていられないとしても、
病気や障害で、看病なしに動けなかったとしても、

「その人はそこに存在しているだけで、生きているだけで価値があるんだ」ってことなんです。

それを自分が認められるか、受け入れられるか、なんですね。

「いま」にいること。
それがわかってからは、家事が嫌にならなくなりました。
(苦手ではありますがね~!)

主婦であるいまの自分を「否定」して、何かになろうとすることは決して「できない」ことだからなんです。

で、逆にいまの自分、「主婦」であることを認めて、毎日の家事を心を込めてやっていると、「進むべき道」が自然に立ち現れてきます。

不思議なことに。

今、焦っている人もいると思います。

やらなきゃいけないことがあるような気がするのに、何がやりたいか分からない、とか。

これがやりたいのに、状況がそれを許してくれない、とか。

先をみないでね。「いま」の自分と調和すること。それが「流れに乗る」ことだから。

ちっぽけな自分が状況をコントロールしようとして、ジタバタしていると、焦ってしまうんですよね。

「意図」だけしっかりしていれば、あとはただ「いま」と調和することだと思う。
目の前のことを一生懸命やっていくこと。

それが「サレンダー」、委ねることだもんね。

阿部さんも「主婦は素晴らしい」と言っていましたよ!
自分にはとても出来ないって。

家族の命を預かる仕事ですもんね。とても尊い。

主婦であることを卑下するんじゃなく、誇りと自信をもって、心を込めてやっていきたいですよね!

あと黒斎さんが「自分を探している、あなたがそれなんですよ」と言っていました。

私達は自分に自信がなかったり、誰かになろうとして、外側に自分を探そうとします。

答えを求めて。

でも外側には何もなく、あなたの内側に全ては広がっている。

それを感じるだけでいい。
こたえは内側からやってくる。

命そのものであるあなた自身を感じてくださいね。
そこに全てがあるんですから。


メリークリスマス!
私も今日という日にかこつけて(笑)

全ての人(存在)にありったけの愛と光と祝福と感謝を!送ります。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝らぶ!


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆

        人気ブログランキングへ     

コラボ講演(夜の部)7

2009-12-24 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート


こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


さてさて!今日も方位鑑定士さんによるコラボ講演、夜の部の続きになりまっす!

ありがとう~!

行った方も行かなかった方も…ゆっくり読んで楽しんでくださいね!


※※※※※※※


阿部さんが「存在に対するサレンダー(身を任せる)の能力は(男性より)女性が高い。
(阿部さんの)ブログで、女性は阿部さんが信用できる人だからと言って、信用から入ってくる。

男性は少しずつ理解できてきたから信用するという感じで、思考が強い。
インドのマハリーラという、ジャイナ教を作った人がいます。

その人のお弟子さんは、8対2で女性だそうです。
阿部さんの講演会も8対2で女性が多い。

先日行った山川夫妻の講演会も8対2で女性だった。
私が可愛いから女性が多かった訳じゃないのね。(笑)

これからの時代、目覚めの時代ですが、女性の時代ですよ。
男性もいますが、男性マインドだけではこの場に来ません。」

すると黒斎さんが、「男は頭でっかちです。女性が私の感情を受け取って欲しいと言っても、男性は表情から分析するだけで、その感情を受け取れません。」

阿部さんが男性と女性の悟りの違いについてお話しします。
「ともこさん(阿部さんの奥様)が男性の悟りと一緒でした。

女性が男性かしているので、インパクトのある悟りなのかな?
悟ったマスターは男性が非常に多い。

もしくは女性でも二番手の男性が前面に出てきます。
男も女性性をはぐくむことが必要かな。」

黒斎さんは、「やさしさ、母性が芽生えている。少しずつ優しくなっていく。」
阿部さんが「愛の道、本質が愛。」

すると、黒斎さんが「愛と取引と混同している。ギブ&テイクを求める。愛してくれれば愛するみたいな。ただ愛するということに取引はない。

阿部さんが「普遍的な愛。愛は普遍的だよ。男女間では結婚というシステムがあって、愛をわかりずらくしちゃっている面もある。

結婚が悪い事ではないんだけれども、愛は普遍的ということ。
だけど、条件の無い愛がしばりになっちゃうこともある。」

続いて、「真理に近づく道は西洋では「愛」であり、東洋では「瞑想」の道がある。
瞑想は、思考から離れて本質を知ることです。

深い愛に包まれると静かになります。だからそれも瞑想になる。
そして愛を見る。愛と瞑想には同じキーワードがあります。

「壁がある」ということです。愛は人との壁です。
瞑想は自我の壁です。壁があると壁の向こうが見えません。

人との壁が無くなると世界が見えます。」

黒斎さんが「ブログをまとめた本を書いています。ゴムボール
のお話しです。

自分を包むゴムボールがあって、あたたかな熱だと愛の熱でオールが広がっていくし、どんどん柔らかく大きくなります。
ゴムは薄くなって、透明に近くなっていきます。

しかし、自我は時運を守ります。ゴムを硬く厚くなります。
愛の熱で大きくなるゴムボールは、風船のように広がっていって割れます。

これが愛からの悟りです。ボールの厚みは幻想で、自分が考えたものです。
本当は無いものに気づける。自我は本当には無いものです。自我とは、怖れです。

信頼感の欠如です。怖れをもって自分を守ったと信じています。
何かから自分を守る必要は無いのです。私は私(壁)を作っています。

国境は概念で、本当は無いものです。どこまで開けるか?正直になれるか?」

阿部さんが「ハグっていいね。外見の違いばかり見てしまう。同じ所のほうが多いのにね。」
そして、阿部さんが「人を見ると、相手の目の中から自分が自分を見ている。一つの大きな命がのぞき合っているんですよ。」

「そうそう。」と黒斎さん。二人でハグしてみるって言い出して、ハグし合う阿部さんと黒斎さん。会場は拍手。(でも、二人はそっちの道へ走っちゃうのか?)

精神世界のブログの話題。ブログ間で非難しあうと言うのは、今までの宗教と一緒。平和、警戒しなくて良い安心感。

「誰もみんなと仲良くしたい。」と阿部さん。
「あの人から先にやってよと思っちゃう。」と黒斎さん。

成長の刺激を与えてもらっていて、異なる意見は気づくためにあると。
さて、ここまで、1時間50分近く二人の話が続いてきました。

時間に気が付いて、質問コーナーということで、数人が質問しました。まず初めの人の質問です。質問者は男性でした。

阿部さんが「水は答えを知っている」批判の記事を書いていますが、どうなんですか?いまここについても言っているみたいだし。

質問者は当日本を読んできたそうです。阿部さんのお答えです。

「水の結晶について小学校で教えだした。水の結晶は色々な状態を作ってあげないと結晶にならない。ありがとうや愛という字に反応して綺麗な結晶になる。

ばかやろうには、汚い結晶になる。一番危ないのは、95%の真実に含まれる5%の嘘ですよ。科学的データは、再現性が必要です。

再検証は1回しかしていないと本人が言っている。あらゆる言語でも同じ結果が出ると言っている。水の結晶は精度が上がらない。

現在(阿部さんは)そう思う。鵜呑みにしている社会風潮に一石を投じたんです。」

そのお答えを聞いて男性が「検証を重ねて正しい事もある?既に結論が出ている?」と再度質問。

今度は黒斎さんが答えました。「それに関する批判本が出ていますが、見ましたか?エセ科学と言っています。方便としてやったのかもしれませんが、科学としては違うんじゃないの?」

阿部さんが「俺は正しい。彼は正しくない。そう思ったら、正しいと思ったことを言うことも必要です。

江原さんの事に対する批判も、社会の風潮に対する一石です。間違っていたら、その時謝りますよ。」

次の質問です。また男性からの質問です。「二人の話で全ての人が、怖れから壁を作っている。なで怖れを作るの?怖れを持つの?」

阿部さんが「自分が全体から分離していると思っているから。個として宇宙から放り出されていると思っていると誤解していることです。

人間は完璧なのになぜ生まれたの?僕たちは満たされたものであり、存在している。一つになる再確認をするゲームをしているってことですよ。」

続いて黒斎さんは、「太陽が炎ということを自覚したいと思った。そのために蝋燭という幻想を作った。太陽の近くだと燃えちゃうので、蝋燭を暗闇に入れた。

蝋燭はなぜ暗闇に入れたの?と思っています。でも、蝋燭が燃えたら、太陽だけ残った。」

さて、次の質問も男性で、「昔からあった概念。悟りは今までなぜ広がっていかなかったの?」というものでした。

これだけはメモを取り忘れていたので、阿部さんと黒斎さんの答えは想像して下さい。←あはは!(笑)

その次も男性の質問。「認知症の父がいるのですが、どういう状態なのか?どういう気持ちで対処すると良いのでしょうか?」と黒斎さんに聞きました。

黒斎さんは、「認知症は勉強していないし、因果もわかりません。」
阿部さんは、「魂は傷ついていないもので、変わらないものですよ。」

初めて女性からの質問がありました。「スピ系の本で引き寄せの法則とはどんなものですか?読むとネガティブな面が出そうで心配です。」

黒斎さんは、「解釈はいくつもあるですが、引き寄せたいと思っていることは今に不満を持っていることです。物に意味はないのに、意味づけは自分でしています。

不幸な人は不幸でいいと思っています。引き寄せの法則と呼ばれているものは、「いまここ」を忘れて、メソッドとして取り入れようとしています。

成功法則として扱われています。法則とは、運行しているということです。
私(黒斎さん)は札幌から東京を引き寄せました。

自分が札幌から東京に行ったと普通は考えます。しかし、自分がいるところが「いまここ」です。ですから、自分が動かずに向こうがやってきました。

引き寄せたわけです。自分の軸はいつも「いまここ」です。自分はいまここにしか存在していません。自分がいくことは引き寄せていることです。
ものごとの運行がみえてきます。

阿部さんは「潜在意識で思うと現実になります。自分は神です。僕たちは神です。だから、思うと現実になっちゃいます。戦争中の話です。

捕虜になった一団の隊長が、男ばかりでむさ苦しい。女性がいると思えば、身だしなみも綺麗にするだろうという事で、みんなに女性がいると思って生活するように言いました。

すると、みんな身だしなみを綺麗にするようになりました。その中で何人かは、本当に女性がいたと言っています。思いは物質化させてしまうのかもしれませんよ。

思考では無く、思考を越えた意識が具現化してしまいます。
1月28日にダイヤモンド社から(阿部さんの)本が出ます。具現化しちゃいます。

またその本が売れるという事も私は知っています。(笑)」

こんな感じでお二人のコラボ講演会は2時間半の後半戦も終了しました。


※※※※※※※


と言うことで、夜の部はこれで終了です~!

方位鑑定士さん、長いレポートありがとうございました!
お疲れ様でした~!

あ~二人のハグ見たかった(笑)

(方位鑑定士さんのブログはコチラ!ポッチリ強化月間、続いてまっす!ゼヒ!笑)

また3月に東京でコラボ講演の予定があるそうですヨ!楽しみですね!



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆

      人気ブログランキングへ   

コラボ講演(夜の部)6

2009-12-23 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート


こんにちは!ご訪問ありがとうございます!

夜の部、まだまだ続きますよっ!

昼の部だけの参加の方も楽しんでくださいねぃ~!

今回も方位鑑定士さん渾身のレポートでお送りしマ~ス(アタシ楽でいいわぁ笑)

ありがとぅ~!


※※※※※※※※


黒斎さんが次に知的理解の事を話します。

「理詰めで、禅ではありえないことを考える。先入観があると、悟りとは、目覚めとは、こういうことと考えてしまっている。

自分に起きた時に何が起きているのかが分からなかった。
元に戻ると分からない。そして、忘れていく。

忘れるので、記憶をたどる。元の状態になろうとしないで、記憶をたどってしまう。だから、その後時間がかかってしまった。

いまここ塾を知っていたら、もっと理解が早かったのに。
目覚めにインパクトがあった。」

すると、阿部さんが「天地がひっくり返るほど。ドカーンが無くても、気づいていれば知っている。人は権威にあこがれる。

だからお坊さんや聖者じゃない人がこういう話をしているから良い。

彼ら(阿部さんや黒斎さん)が経験しているなら、自分にも可能性があると思うでしょう。自我は特別をあこがれている。

特別になると悟れると思ってしまう。
禅宗の一休さん、漫画で有名ですが、悟りを見ている変わり者でした。

仏教徒としてありえない事をしちゃう。人は権威を見ているんです。

しかし、一休さんは酒は飲む。女は抱く。肉は食べる。仏教の戒律を破る人です。ある時、お寺で蒔が無くなった。

すると、一休さんは仏像を燃やそうとするんです。でも、これが悟りなんです。
仏像は木です。そして燃料です。その柔軟性。決めつけをしないことです。」

「自我、思考はマニュアルです。知性は立体的に見られる。
思考(残りの思考)が自我の思考と一緒にされてしまうので、わかりにくい。

黒斎さんは瞑想によって、知性から感性に移ったんです。」と阿部さんの話が続きました。

「昼の部の人には申し訳ありません。言ったことをどんどん忘れていったんです。」と黒斎さん。

すぐに阿部さんが、「知性から感性へは、大事なキーワードです。子供の頃から知力を使うようなシステムです。しかし、思考は制限があります。

大いなる知性とは大差があります。」甘いという味を例にとって、知っているのと感じているのは違うという話を説明していました。

黒斎さんが「Don’t think. feel!(ブルース・リー)も一緒の事を言っているんです。技をつかんだと思っても、それが使えるかどうかです。

おみそ汁の味は毎日違うはずです。しかし、同じ味として毎日飲んでいます。
昼食だって、献立や内容を見ずに自動反応で食べています。

違う物を見た時、真実ではないと気づきます。」

瞬間、沈黙が続きました。すると、阿部さんが、「これから黒斎さんがソロで講演する機会が増えます。しゃべらない時、彼方を見ていたんですか?と私(阿部さん)も聞かれます。

大名クラスの集まりに有名な老子が呼ばれました。しかし、老子は何もしゃべりません。しばらくして老子が一言。

『今日着てきた下着がチクチクする。』だけだった。」(笑)

黒斎さんが、「沈黙の事を天使が通るって言うんですよね?」と。

会場の一人が、「男女の間の沈黙の事を天使が通る。」と阿部さんに説明してました。阿部さんは良くわからなかったようです。

さて、うさぶろうさんが北海道に行く時、阿部さんから黒斎さんに電話がありました。黒斎さんはうさぶろうさんと千歳空港で会ったそうです。

なぜ、うさぶろうさんが黒斎さんに会いたかったのかと言うと、「日本に誰か面白い人はいませんか?」とうさぶろうさんが阿部さんに聞いたそうです。

阿部さんの答えは、「雲黒斎さんですよ。」それで、黒斎さんとうさぶろうさんが会うことになったのです。

うさぶろうさんの例です。「うさぶろうさんの場合は、いきなり神様が現れたそうです。『欲しい物を10秒以内に3つ言え。』そう言われた、うさぶろうさんは答えたそうです。

『ここに行きたい。』そう言うとすぐに行ったそうです。
『ここに行きたい。』そう言うと、行ったそうです。
『あー、パートナーと一緒に行きたい。』と言ったら、ぜいたく言うなと神様が消えてしまったそうです。

理屈では説明出来ない力が働いていて、仕組みの中で生かされている事に気が付いたそうです。

うさぶろうさんは、ロンドンで「ハイ」になってしまいました。
その時、精神病院へ連れて行かれました。

イギリスは精神世界の歴史が100年以上あって、アカデミックな研究がされています。いっぱいインタビューに来たそうです。

うさぶろうさんは、『ア~、ア~、…。』とずっとやれるので、病院に入れて良かったそうです。

知名度やお金を求めることをしなくなったそうです。そして、衣食住の中で衣は一番大切だと思って、人間にとって一番良い素材で作ることをしています。

ブログの力はあなどれないよ。僕(阿部さん)のブログで紹介したら、京都本店の男ものがその日一日で売り切れちゃったんです。お礼の連絡は無かったけどね。」(笑)

「ここ1、2年で目覚めの人が多い。目覚めた人のコメントは柔らかい表現で、謙虚で奥ゆかしい。」と黒斎さん。

阿部さんは「私は謙虚でも奥ゆかしくも無い。」(笑)

「黒斎さんが本名をあかさない理由は?」と阿部さんが振ると、黒斎さんがその説明。「家族がいます。そして現在会社員であること。しかもCMプランナーという仕事です。」

阿部さんが「必要でない物でも必要だと騙して嘘をつく仕事。」とチャチャを入れる。黒斎さんは「そうなんです。情報操作をしている側です。

雲さんは、情報操作に騙されないようにしましょうと警鐘を鳴らす側なんです。」「それまで違っていたけど、パチンコ屋の担当になったんです。マインドコントロールする仕事にわざわざつかされたんです。

パチンコ屋さんって紙と金属しか無いのに、お金があることに価値があると思わせることなんです。

お金が無ければ困るという思いこみ。お金がない=不幸と思う。お金は、幸せでは無い。商品=幸せ、というのがCMなんです。

そうやって消費者は騙され続けているんです。競争して便利を追求し、それは人間にとって良いことだ、と。

しかし、便利=幸せ、なの?高度成長の豊かさを現す三種の神器は?カラーテレビ、洗濯機、冷蔵庫。」阿部さんは冷蔵庫を掃除機と、本気ボケしてました。(笑)

「三種の神器によって、主婦のみなさんに時間が出来る。自由な時間が出来ました。しかし実際は、時間を持て余しているだけです。テレビを見て、ぽてちを食べて太ります。さて、(その商品は)本当に必要なの?」

「広告業界でもコンピューターが導入されました。今まで外注に出していたものが自分で出来るようになります。コストダウンが出来たと言いますが、実際は仕事が増えたということです。」

黒斎さんは現在、お仕事に関して悩んでいます。そんな話がありました。

黒斎さんの奥さんは、「育てて貰った土壌を傷つけるよ。」と言っています。

阿部さんは「洗濯機が悪いわけではないよ。売り方に問題があるんじゃない?」
黒斎さんは、「最近の売り方で、ちょっとだけ悪い点を言う。すると、誠意があると思われる。けれども、もと隠さなければいけない悪い事がある。そういう売り方にも注意が必要ですよ。」

「ブランドって何?」と黒斎さんが話しかけた時に、ちょっと待ったの声が。

そうそう、あの黒木さんです。「ずれているからいまここに帰ろうよ。」とのお言葉。

阿部さんが「黒斎さんは名前を出して無いけど、その内名乗れるようになるよ。」と。

黒斎さんは「やっぱり不安があるんですよねぇ。」

すると、阿部さんが、「悟りの経験があるけど、全て解決していない。時間が無いと言っていても、未来のことを考えている。そういう事を正直に言うことも大事なことだと思うよ。

あの向禅師も言っていたよ。最近葬式をあげない人が増えている。
だから、お寺も大変だって。」

黒斎さんが、「ふらふらしていても、(悟った後は)人生が楽になっている。」
阿部さんが「救済はそこだけなんです。」

黒斎さんが、「目覚めるまでは苦しんだ。あらゆる苦しみは、思いこみの強さで、思考が作っているものです。思考から離れられるように考えないことの実体を伝えたい。」

阿部さんが、「通勤途中のいつもの道で、街路樹があったら立ち止まってジッと見ること。知っていると思ったものをジッと見てみると、色んなことを言っています。

決めつけて、名前を全部つけています。名前をつけてわかったように思っているだけです。全てのものは現在進行形です。動詞なんです。

名詞が無くて、動詞しか使わない国もあります。私たちは役割を演じているだけです。」

黒斎さんが「全部がつながっています。血液は人です。血液が無いと人は困る。
酸素が無いと人が困るなら、酸素もつながっている。

自分「の」命ではなくて、自分「が」命です。分裂していません。一つの命が動いて変化しているだけです。

固定されていないものです。しかし、自我は固定している。だからそれは存在していない。髪の毛と爪は同じ命と一緒です。

髪の毛を1本抜いても命はなくなっていません。」この時、黒斎さんは髪の毛を抜こうとするが抜けずに、阿部さんが黒斎さんの髪を束で引っ張る。(笑)

「小腸は1秒間に60個くらいの細胞が死んでいます。細胞が死んでも命は死んでいません。」

ここから得意(?)の下ネタになります。唾液やSEXを例にお話ししてくれます。黒斎節が炸裂か。(笑)

「自分が何者か?どこまでが自分なの?という事を考えるツールとしては最高。

心の動きを見てみると、エクスタシーとは考えるな、感じろ。さっき言ったDon’t think.Feel!そのものです。

考えずに感じたから逝けた。これが「いまここ」です。脳のしくみで、右脳はfeelで、左脳はthinkです。

感じると考えるは同時には出来ません。感じるが起こって、考えます。

しかし、私たちは考えるしか感じられません。感じるから考えるまでの時間が早く反応しているからです。逝くことで男女の違いがあります。

男は思考が強い。女性は身を預ける。同じ人間ですが、男女は処理の違いや、感じ方の違いがある。

男性は悟ったことが派手ですが、女性は命と接触している機会が多く、例えば子供を産むことなどで、悟りは普段からあるので当たり前みたいな違いがあるようです。」


※※※※※※


男女の違いのハナシはまだまだ続きますが、長くなったので一旦切りま~す

待て次号!(笑)

仕事に支障をきたしてまで(笑)レポートを書いてくれた方位鑑定士さんの

ブログはコチラ!

12月はポッチリ強化月間だそうです!

お礼の気持ちをゼヒポッチリで!

(↓あ、こちらも忘れずに!なんつて笑)

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆

人気ブログランキングへ       

コラボ講演(夜の部)5

2009-12-23 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート


こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


さてさて。昼の部のレポートが終わりましたので、今回からは方位鑑定士さんによる夜の部のレポートでっす!

これがまた渾身の力作で!私も堪能させて頂きました~!

方位鑑定士さん、ありがとうございました!


※※※※


さて、阿雲(あ・うん)の呼吸、昼の部テーマは、「あっ! 気づきの章」で、イリスさんが報告してくれました。
よくここまで覚えていられますね。

すっごく記憶力が良いイリスさんに脱帽です。
そして、なぜか夜の部の報告を私がする事になっているようです。

単にイリスさんが夜の部は出られない事を聞いたので、簡単な内容ならメールで送りますよと伝えただけなんですが…。

私がこう聞いたという事ですので、違っている表現方法だったり、阿部さんとが言っていると思っていたのが黒斎さんが言っていたり、その逆もあり得ます。

「私はこう聞いたよ。」って感じです。(『いまここ塾』(阿部敏郎著)P12のままです)その点をご了解頂いた上でお読み下さい。

夜の部のテーマは、「う~ん(伸び) 目覚めの章」です。
さあ、いよいよ開演です。

18時ちょうどに阿部さんと雲さんのお二人が登場です。

「僕が阿部敏郎です。」「僕が雲黒斎です。」とボケもない自己紹介です。

昼の部では、ボケボケのご様子の黒斎さんでした。
しかし、夜の部は違っていましたよ。

「う~んって事で目覚めの章ですね。」と黒斎さんの言葉から夜の部が始まりました。

まずは、年令が20歳以上違い、人生も世代も違う2人が出会った。
それは同じ時期にブログを開設したからです。

阿部さんと黒斎さんのリンクは同じ時期にブログを開設しただけでは無いそうです。2004年の11月に阿部さんが「いまここ塾」を始めた時に、黒斎さんの娘さんが誕生したそうです。

その他にも黒斎さん曰く、「大事な事が起こる時って阿部さんと共通しているんですよ。」と。

目覚めの章として阿部さんが、「この世に偶然はない。
遅からず、早からずに起こるものだと気づきの時に深く思った。

こうやって皆さんにお話ししているのも、皆さんの魂の成長に役立てば良い。

けれども、魂は完璧だから、成長はしないんですよ。

ですから、みなさん、この瞬間にゴールにたどりついています。
本来の自分の魂を知ることが気づきであり、目覚めなんです。」

成長って方便だそうです。


阿部さんが黒斎さんに、「ブログを3年ちょっとやっていて1番伝えたい事は何かな?」と振りました。
すると黒斎さんは、「驚いたことを伝えたい。気づきを経験してもらいたい。」

これはメッセージでは無いとの事でした。
すると、阿部さんがすかさず、「メッセージはみんな持っているものなんですねぇ。」
黒斎さんが、「大事なキーワードがあります。時間が幻想で今しかない。心の構造を理解すること。心の仕組みと存在のしくみは違う。自他の区別と存在のしくみがわかっていない。存在の仕組みを知ると心のしくみが洩れなくわかるようになる。」

こういった事を説明していた黒斎さんが、阿部さんに「わかってもらえます?この説明でいいですか?」と聞きました。

すると、阿部さんは「わかりません。」(笑)

阿部さんが「体感するタイミングがある。」と奥さんの話題に。

奥さんは今年タイで目覚めたんですね。ブログいまここ塾でも載っていましたね。

目覚める前までは奥さんが阿部さんに「講演などで、あなたはなんでみんなに大丈夫なんて言えるの?」と言っていたそうです。

ところが、奥さんが目覚めると、「あなたが言っていたのはその通りなのね。みんな大丈夫なのね。」と気休めじゃない事に気が付いたそうです。

阿部さんが続けます。
「気づくには、気づけない理由を排除する事です。その理由とは、思考です。」

禅のマスターの例を出してお話しします。「賢者が老子のところに、悟りだけがわからないので教えて欲しいとやってきた。

老子は仏像への祈りの仕方を賢者に教えた。
その祈りの仕方は非常に難しいものであった。

しかし、賢者は頭が良いので、何一つ間違わずにやっていた。
すると、老子は賢者の後ろに廻りそのお尻めがけて蹴りを入れた。

男の股間は非常に痛いんですねぇ。でも、それでその賢者は悟った。
なぜか?不意打ちで思考が消えたからです。

思考が消えたので、あるがままを見た。」

阿部さんが解説します。「仏像は大事な物ではなく、単なる彫刻です。
老子は偉い人ではなく、単なるおじいちゃんです。

自分が見ていたのは知識であり、自分の価値観です。それをあるがままを見た。

このキーワードは、不意をつかれる、命の危険、知識が役に立たない。
例えば、ピストルをつきつけられた時には、命が危険で、知識が役立ちません。

直感で悟る。普遍的な悟り方はないんです。
単に驚くのではなくて、気づきのきっかけとなるもので、気質的な違いがあります。

マスターの素養とは、先にひらいていること。だから、安心してひらける。
その人の気質を見抜いて悟りに近づくまとを得た方法を指導できることです。

総ての人にいきわたるキーワードはありません。だから、自分にとっての方向性やキーワードを1つでもみつけて下さい。」


※※※※※


長いのでここでいったん切ります~!


あ、方位鑑定士さんのブログはコチラです!

ねぎらいの意味も込めて、ランキングバナーをポチっと!(笑)
(12月はポチっと月間らしいです笑)


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


人気ブログランキングへ

コラボ講演4

2009-12-22 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート


こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


コラボ講演でお会いした方位鑑定士さんが、夜の部のレポートを書いてくださいました~~~!!ドンドンパフパフ♪

ワタクシが気軽に「お願いね♪」なんて言ってしまったばっかりに…本当に丁寧に、公演中メモまで取って書いてくださったんです!

ありががたや~~~!!

昼の部のレポートが終わったら、方位鑑定士さん筆の夜の部に突入しますので、ミナサマご期待を!



では、昼の部続きです!


今までの事例から鑑みても「苦しみ」「絶望」と言う「負荷」が最も目覚めやすい状況であることは確かである。

(阿部さんが、だからと言って、みなさん故意に苦しまないでくださいね~!って言ってました笑)

陰極まって陽になる、ですネ。



で、「禅」というものは、その「負荷」を人為的に作り出すものなんだそうです。

それが「公案」と言うもの。

例えば、師が弟子の目の前で両手をパンっ!と打ち鳴らす。

そして「片手だけならどんな音がするのか」と問います。

これは「隻手音聲(せきしゅのおんじょう)」と言う、とても有名な公案だそうですね。

弟子は何日も考えて、再び師のまえに詣で「シュッツ!」と言う音だ、と答えます。

そこに無情にも「チリンチリン…」と言う鈴の音が鳴り…(帰りなさいと言う意味らしい)すごすごと引き下がる。

その何日も何日も考えて考えて…と言うのが「苦しみ」と言う「負荷」なんだそうです。

そしてある時、パーン!とそれが弾ける。
考えることを手放したとき、答えが出てくるんだ、と。

(あ、ちょっと話はそれますが…

私達はもともと、「答え」を持っているんです。

なので「外側」に向かって探しても、決してみつからない。
見つかるときは「自分の中から」それが分かるんです。

それを超えると、答えすらない。なぜなら「問い」がないからです。

それは「そのもの」として認識され、ただ在るからなんですね。)


そんなこんなで…禅って言うものは、凄い。世界でも(こんな言葉は使いたくないけど)「悟り」「見性」のための、これほど体系だったシステムが完成されている宗教はないんだ、と。

黒斎「…禅のルーツって何ですか?」

阿部「元をたどればやっぱり釈迦なんです」

禅は「言葉に出来ないものを伝える」と言うことに長けているんですね。

例えば「拈華微笑(ねんげみしょう)」と言う逸話がある。

ある日、釈迦が説法をするというので、たくさんの弟子達が集まっていました。

ところがこの日、釈迦は一言も発しません。
手には金波羅花という連の花をもち、その花を弟子達にひねって差し出しました。

が、弟子達は何のことやらさっぱり分からず、あーでもないこーでもない、とその差し出された花の意味を考えます。

そんな中で弟子の一人「迦葉(かよう)」だけが釈迦に向かってにっこりと微笑みを返したのです。

釈迦は一言、「この中で迦葉だけがこの花の意味を理解した」と言い、彼に自分の教えを伝授した、と言われているんですね。

もう一つ。

みさなんご存知の達磨、といわれるインドの高僧のお話。

ある国の王様が、インドから立派なお坊さんが来る、と言うので、家臣を引き連れて出迎えに行ったんですね。

そこに現れたのは、なんと。ぞうりを片足だけ履き、もう片方は額にくくりつけてある達磨の姿でした。

その奇怪な姿に、王様一同みな落ち着きません。
「ようこそいらっしゃいました」と挨拶するものの、額のぞうりに視線がくぎづけ。

そんな視線も意に介さず、達磨はけろり。

とうとう我慢ができず、一人の家臣が達磨に「なにゆえ草履を額につけてらっしゃるのか」と訊ねます

達磨は「私は草履を額にくくりつけています」と答えるんですね。

またもや、一同は動揺し、ざわめきます。
まぁ確かに、「問い」に対する「答え」になってないですからね!

それを見た達磨は「私はインドから重要な経典を携えて来た。しかしこのぐらいのことで動揺するようでは、とてもではないが、この教えを伝えるわけにはいかない」と、そのまま洞窟に入って出てこなくなってしまった。

ダルマさんの手足がないのは、この座禅によって手足が腐ってしまったという言い伝えからだそうです。

それから誰が訪れても、達磨は洞窟の壁に向かったまま、振り向きさえしなかった。

が、ある一人の僧侶が自分の腕を切り落とし、達磨に向かって投げつけ、「振り向いてくださらないと、次は首を切り落とします」と言って、

刀を自分の首に突きつけたそう。

それで達磨は初めて振り返り、「やっとこの教えを授ける人物が現れた」と言ったそうなんです。

なので、禅は、「真理は言葉では表せないものだ」と言うことを理解しており、それを伝えるのは「言葉」や「文字」ではなく、人から人へ、だったそうです。

黒斎「なるほど!真理は言葉では伝えられないってことですよね。だったらこの本は何なんでしょうね…?」

と、そっと手に取ったのは、会場後ろで売られていた阿部さんの本(笑)

沖縄で行われたい「いまここ塾」の第1回から6回までを収録した本なんですね。

阿部「いいとこに触れてくれた!」

と喜ぶ阿部さん。

実は皆さんもご存知の「ジ・アルティメット」。

この本を沖縄で自費で出す予定だったのが、有名出版社から出してもらえることになったようで。

なので急遽、もう一冊本を出さねばならない状況になったそうなんですね。

黒斎「で、阿部さんが僕にいまここ塾のブログから、もう一冊の本を出してもらえないかって言うんですよ。でももう、究極の一冊を作ってますからね!もう何も出ませんって言ったんです」

で、講演の方の「いまここ塾」から本を作ることになったそう。

けれども、阿部さんはちょこっと心配だったんですね。
なぜならもう、ブログに訪れるみなさんは、とても目が肥えている。

今更こんな簡単な内容の本を出して、満足してくれるのだろうか、と。

黒斎「いや、めちゃめちゃ分かりやすいです!うちの娘が5歳なんですけどね、今2歳児用の本を読んでいるんですよ!その時読めなかった本が、今読める、分かるのが楽しいんですね」

阿部「なるほどね!黒斎くんがそう言ってくれるから、そう言うもんか~って思って出す事にしたんです」

黒斎「これは素晴らしいです!今読み返してもなるほどって思いますもん。ぜひミナサマにも読んで欲しい!」


とのことです!1月に発売になるそうですから、ゼヒ!

私もまだ途中なんですが、読んでます。
分かりやすいです!語り口調ですしね。

難しくなく、「聞く」ような感じでストン!って腑に落ちていきますよ!

やっぱりね、みんな情報が大好きなんですよね。

「それはもう知ってるから」って、どんどん新しい情報を欲しがる。

けど大事なのはいつだって足元。

「知っている」と「理解している」は別ですもんね。

それが出来ていないのに、新しい情報をいくら集めても、自分自身は何も変化ないんです。

「いま(自分)を受け入れる」(愛する、手放す、委ねる)ことが基本だと思う。


この講演会もそうです。

これはただの情報。「道しるべ」です。

依存しないでくださいね。四角四面に、言葉を持ち歩かない。

大切なのは自分がどう思うか、どう感じるか、どうしたいか、なんですから。

分からなければ、無理矢理分かろうとしないで、そのまま置いておくのも一つの手です。

いつか必ず「そうか!」って分かりますから。


それよりも会場の雰囲気を味わって欲しいなぁって思います。

そこに「ほんとう」があるのが、体で感じるんじゃないかなぁって。

阿部さんと黒斎さんの話を聞いていて、涙が流れたりしますよね?

それは「ほんとうのこと」を心が感じて、震えているからなんです。

泣けるってことも素晴らしいこと。
どんどん泣いて、涙を流してください。

もちろん、会場ではお腹がよじれるぐらい大爆笑もできますよ!
絶妙(笑)

何度でも言いますが、目覚めている人も目覚めていない人も、みんな「目覚めた純粋な意識」であるんです。

最初から「そうである」存在なんです。

ですので、焦らず、「いま」の旅を楽しんで。

生きていれば、何かが起こる。でも何が起こっても大丈夫。

ブレても、また戻ってくればいい。

何が「ほんとう」か分からなくなったら、自分に訊ねて。

何が正しいか間違っているかじゃなく、損をするか得をするかじゃなく…
自分は何をしたいの?どうしたいの?って。

それがあなたの生きる道。みんな同じでなくていい。
一人一人が素晴らしい!


…と言うことで、昼の部のレポートを終わらせていただきまっす!
長らくお付き合い頂きまして、ありがとうございました!

明日からは方位鑑定士さんの夜の部レポートで~す!楽しみに~!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆

人気ブログランキングへ     

コラボ講演3

2009-12-21 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート


こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


さてさて早速!続きをば~


でね。「目覚め」ってことで…

阿部さんも黒斎さんも「苦しむ」ことで、気付いたわけなんですね。

阿部さんはそれを「柿」に例えて。

柿の木になった柿は、放っておくと熟れて腐って重くなって自然に落ちますよね。

それと同じで、自我も大きくなればなるほど苦しんで苦しんで苦しんで…で、自我が降参する。頑張ることを諦めるんですね。

そのときにがさっと「自我」が剥がれ落ちる。
それが大いなる気付き(目覚め)なんだ、と。

ですので、阿部さん黒斎さんがこうやって真実を伝えることは、苦しまなくてもいいんだよ、と苦しみを軽減することに他ならない。

それは果たしていいことなのだろうか、と言う迷いがあるそう。

「でもね」と阿部さん。
きっと苦しみだけじゃないんだよ。目覚めに必要なのは。
答えはわからないから次回ね、と言ってました(笑)

これはね~私もそう思ったんです。

最後にハイって手を上げて言いたかったぐらいなんですが…


目覚めるのにはやはり、その時代の「特性」ってものがあるんですよね。

阿部さんや黒斎さんや、その他のもうすでに目覚めた人たちは、「絶望」がキーワードになっている場合が多い。

自我(思考)が沈黙することで、「大いなる存在」が現れるんですね。

でも今は、そうやって目覚めた人たちが多くなっていて…

その人たちが「真理を伝える」と言うことも、天の計画に織り込み済み。

で、目覚める方法も「苦しみ」「絶望」だけではないんです。

こうやって精神世界やスピリチュアルに触れている人たちは、「苦しみ」や「絶望」を経験せずとも、目覚めると思う。

いまのようにだんだん「愛」にフォーカスする世の中の「流れ」になってくると、普通に、ごく当たり前に目覚めていくんだと思う。

がつ~~ん!って言う目覚めの衝撃や体験もなく。

「喜び」や「愛」にフォーカスすることで、目覚めることが出来るんだと思う。

それが、これからの時代の目覚め方だと思う。
今の子供たちはもう、私達が苦労して「気付いた」こともとっくに、知っている子供たちも多いですもんね。

もう、「怖れ」をちらつかせなくても、それが出来るんですね。


だから気にせず、やりたいことをやってくださいね~!と言いたかったデス…


私達は「苦しみ」や「絶望」をとことんまで感じないと「自我」が剥がれ落ちてくれないぐらい、強固だったんですよね。一昔前は。

それぐらい一体化していたので、荒療治が必要だったんでしょうね。

でも今は、気付いている人たちが多いし、その人たちがいいエネルギーを作ってくれている。
それに後押しされる形での目覚めになるんだろうなぁ。

自分達がそうだったから、他の人たちもそうであるってことはないですしね。

とにかく、その人の目覚めは予め決められていて、ベストなタイミングで起こるから、ご心配なく!

どの道をチョイスするのかは、本人の選択ですもんね。


と言うことで今日はここまでにしま~す。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


コラボ講演2

2009-12-21 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート

こんにちは!ご訪問ありがとうございます~!


ではでは早速、続きです。


で、二人が自分の「目覚め」体験を語ったわけですが…


阿部「ここで気に入らないことが一つあります」

黒斎「…何ですか?」

阿部「僕が話したときはなくて、黒斎くんにあったもの!!それは拍手です!」

阿部さんいじけモード(笑)

二人のソロパートのうち、黒斎さんが話し終わったときにだけ、拍手があったんですね。

いやぁ。それはね、内容がどうこうよりも、「本当に21分でハナシがピッタリ終わった!スゴイ!」って拍手だったんですよね…

阿部さんったら負けず嫌い(笑)



で、続き。

ここにいる目覚めた人もまだ目覚めてないひとも、いい人も悪いひとも、みんな一人残らず「それ」であることは間違いないんです。

どんなに「違う」と拒否しようと、「信じられない」と疑おうと、最初から全てを与えられている、全てであり宇宙であり命であり愛であり光であり、目覚めた純粋な意識である「そのもの」なんです。

だからただ「その存在であること」を思い出すだけ、なんです。

私達が幸せや快楽を求めるのも、ここにある。

私達は「怖れ」が根底にあるんですね。だから安心したいんですね。

もともとの存在であったこと、そこで感じていた絶大な「安心感」「幸福」の「代替」を何かで埋めよう、得ようとしてしまう。


で「快楽」について。

この三次元は「二元性」の世界ですから、必ず幸、不幸、快楽、苦しみはセットなんですよね。

ですので一時的快楽を得たとしても、その後待っているのは、快楽を「失った」ことによる倍の苦しみ。

阿部さん「まぁそうだよね。考えてみれば、セックスのあの快感もず~っと死ぬまで続いているとか思うと、苦しみだよね~!」だって(笑)

黒斎さんは「快楽」は、いずれは尽きるもの。
存在であることの「幸せ」は、対極のないものであるから、永遠のもの。

それは「快楽」に対して…「悦び」「至福」と使い分けているそうなんですね。
同じではないから。


二元性関連で…

よく精神世界で言われるのが「怖れ」を煽って「こうしなきゃいけないよ」
「じゃなきゃこんな恐いことが起こるよ」ってやつ。
よく聞きますよね。

それはもうありえない。

なぜならその「全て」の所では、コインの裏表じゃなく…それすらない「内側外側がひっくり返った」世界なんです。

だから「怖れ」はそこでは「存在しない」。

阿部さんも「そうそう」と。

よく光と闇、と言われるけれど、それも「光」ありきなんです。
闇と言うのは「光のない所」に名前を付けたに過ぎない。

私達も「電気(光)を点ける」と言うけれど、「闇を点ける」とは言わないですよね?

「電気(光)を消す」ことで、初めて闇が出来る。
なので光のあるところには、闇は存在できないんだ、と。

二元性って言うのはその光と闇の間には「壁」がありますよね。
分離している。
その壁が、二つを隔てている。

目が覚めるってのは、その壁が消え去った状態なんですね。
と言うことは、全ての次元が分かる…その「しくみ」が理解できる。

私達はもともと全てを知っている。それを阻んでいるのが「思考」なんだ、と。
目覚めた人はみんな「思考」が邪魔をしてたってことが分かる。
「思考」「観念」「思い込み」ですね。

なのでどれだけそれらを静めるかが鍵になる。
だから阿部さんは「瞑想をしましょうね」って言うんですね。
思考を静めるのに最も効果的だから。

阿部さんが目覚めて思わず笑ってしまったのは、今までずっと苦しんできたり
あいつが敵だ、と憎んだりしてきたのは、全部自分の「思考」の中での出来事だったんだ、と。

自分が自分の頭の中でストーリーを作りだして、そのせいで苦しんで、そしてそれを見ていた観客も自分だった、と言う完全なる自分の「一人相撲」だった。
それに気が付いた時には、もう、おかしかったそうです。

思考ってのは「記憶」なんです。
データベースがないと考えられない。

ここで黒斎さんが

「思考は…だから…なんです」って言うような、阿部さんが「お!いいこと言うね!シャープだね!」って絶賛したなにかを言ってたんですが、聞こえなかったンデスよね…

覚えている方、補足お願いします~!

※わかりました!「思考を超えることを、思考によってすることはできないんです」でした~!
(黒斎さんのブログのコメント欄で「みかん」さんが書いてくださっていました!参考にさせて頂きました!ありがとうございました~!)



そうそう。あと、笑うのもいい!

笑っているときって何も考えてないでしょ?
笑いながらあ~だこ~だ考えて笑えないよね?

とにかく面白くなくてもあっはっはっは!って声を出して笑ってたら、ばかばかしくなってその内本当におかしくなるから!ですって。

ほらあ~はっはっは~!と大声で笑い出す阿部さん。

黒斎「…そう言えばこないだテレビで見たんですけど、ラフターヨガって言うのがあってですね…」

阿部「…」

阿部「…黒斎くん、なに。なんでそんなにクールなの。こっちはこんなに命がけで笑ってんのに、バカみたいじゃない。いいどこどり?」(ここで大爆笑)

いやぁ。ヨガにも「ラフターヨガ」ってのがあるらしく。

やっぱり「うつ」だと「笑えない」人もいるんですよね。

で、どうやって笑うかって言うのを、より「笑いやすく」する状況を作り出すらしいんですね。

で、黒斎さんがやってみせてくれたのは、手動のエンジン回すやつ。
取っ手をグイーっと引っ張って、エンジン回す動作、ありますよね?

そのエンジン音を「笑い」に置き換えて、その動作をしながら「あ~~~~はっはっはっは!」「あ~っはっはっは!」ってやるんだって!

その実演をした黒斎さんに、会場が爆笑の渦に!
阿部さんも顔を真っ赤にして笑ってました!「それいい!!」って。

「みんなでそのラフターヨガに入会しましょう!」だって。

笑いが思考を静めるから、講演会なんかするより、ここでみんあでわっはっはって笑ってりゃいいんですよ!そしたらみんなで別次元にイケますよ~!って(笑)

黒斎「ほら、今笑ったことで会場の雰囲気が変わったの分かりました?」

一同「うんうん」(頷く)

阿部「そうだよ!もっと笑わなきゃ!こないだの大阪講演はこの倍ぐらいウケて、笑ってくれたんだけどなぁ…」だって(笑)

なので、朝起きたらとにかく大声で笑う!やってみてください!と言う阿部さんに、内心え~朝から笑うなんてできないよ~って思っていたら、

「できませんから!」(笑)

朝はこう胸に何かのしかかったみたいに重い感じがするでしょ?
朝からハイテンションに笑うってできないんですよ。

だからこそ笑う!そしたらその重い感じがぱあっと払拭されますから!
いい一日になりますよ!と。


黒斎さんも、笑うっておかしいから笑うってのもあるんですけど、もし笑えないなら割り箸を口に突っ込んで、口角を上げるようにすればいい、と。

そしたら脳は「口角が上がった」ことによる筋肉の動きで「笑っている」と判断する。そうすると、「楽しい」物質が分泌されてよりおかしく楽しく笑えてくるんですって。


笑いもそうだけど、「怒り」を出すのも大切。

とかく日本人は感情を抑えがち。
でも抑えるのは、本当によくない。

でもその場で相手に向かって怒りをぶちまけたら、関係を壊してしまうので、ここで登場、やっぱり「枕」(笑)

阿部さんお気に入りですね!
丈夫な枕を一つ用意します。
で、その枕に向かって怒りをぶつける!!!ぶつける!!ぶつける~~~~!!
ハァハァ。

で、スッキリさせる。

黒斎「…そういえばこないだテレビで見たんですけど…」

阿部「…黒斎くん、テレビよく見てるんだね」

黒斎「…ハイ、よく見ます」

「…」

東京で、ストレス発散させるビジネスがあるらしいんですね。
おっきなトレーラーでやって来て。

で、そこで売ってある陶器を自分で買う。
その陶器を、トレーラーの中で気にせず、思いっきりがっしゃ~~~ん!!とぶつける。

そいでストレス発散!!するんですって。

おお!気持ちよさそう~~~!!やってみたい~~~!

阿部「…それ、イマイチだね。さっきのラフターヨガのがおもしろかった」

黒斎「…あ、そうですか…」

「…」


感情を溜めると、それがやがて心と体を蝕んできますからね!
発散は大切デス。

ではまたもや長くなってのでここでいったん切りマ~ス!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆

人気ブログランキングへ   






コラボ講演(昼の部)1

2009-12-21 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


ではでは早速、書ける(覚えている)ところまでコラボ講演昼の部レポートを~!

来られなかった方達も楽しみにされているかと思うので、出来る限り頑張りマス~!


まず始め。

今回はいつもと違い、最初に、一人ずつが自分の「目覚め体験」を語る、と言うものでした。

阿部さん曰く「黒斎くん一人でしゃべっちゃうからね!自分のしゃべる時間は自分で確保しますよ!」だって(笑)

厳正で神聖なる「ジャンケン」の結果、阿部さんが先にしゃべることに。

そしたら「あ、黒斎くん、僕がしゃべっている間はあっちにいてね」って指差したところ…そこは壇をおりた隅っこに一つ椅子がぽつんと…

黒斎さんは「あ、あの椅子はそう言うことね…」と壇上から降りて椅子に座ると、途端に阿部さんがイキイキと輝くではありませんか!(笑)

会場の視線を阿部さん独り占め(笑)
満足そうな満面の笑みで、自分の目覚め体験を語ってくれました。

阿部さんが芸能人だったってことはもう、皆さんご存知だと思います。
その時フォーク全盛だった吉田卓郎や泉谷しげるにあこがれて、芸能界に入った。

いわゆる「形」から入ったんですね。才能があったわけでもなかった。
それがまず違ってたんだ、と。

もともとの動機が「形」からで、求めているものも、有名になりたい、お金持ちになりたい、と言うものだった。
自分に自信がなかったんですね。

有名になれば、お金持ちになれば、自信がつくのだろう。
業界には、常に自分の前を歩いている人がいるし、その人たちはみんあ、自信があるように見えたんですね。

あそこまでいけば、きっと自信がつくんだろう、と。
でもがんばってその場所へいくのだけど、どこまで言っても自信はつかない。

今まで居た場所となんら変わりなく、周りは雑草が生えていて、乾いた風が吹いている。

おかしいな、変だな、と思っているうちに、もう10年も経っていた。

ふっと後ろを振り返ると、後から入ってきた、どう逆立ちしても勝てない若くて才能のある人たちにどんどん追い越されてしまっている。

とにかくプライドが高かった阿部さんは、それが屈辱だった。
失敗した、と思った。

ちゃんと学校へ行って、普通の人生を歩んでいけばよかった、と。でも今更やり直せない。
人はとかく自分にないものを求めて、別の生き方がよく見えるものなんですね。

で、もう自分はだめだ、と苦しみ絶望し、「死のう」とまで思ったんですって。

だけど死ねなかった。

何でかって言うと「僕、痛いの嫌なんですよね」だって。(ここで爆笑)
いやぁ、この性格に救われましたよ~って(笑)

そんなある日、ある人が貸してくれた本があったんだけど、呼んでなかった。
なんでかって言うと、その人を見下していたから。

彼が読むような本をが読むには値しない、と思っていた。

で、自分は彼だけではなく、今思えば周りの人間みんなに見下していたんですね。
根拠もなく。

心の中では自信がないんですが、その反動ですね。
で、自分が一番すごい、一番偉いんだってなる。

その貸してくれた本を初めて読んで、真実に出会うわけですね。

貸してくれた本人は、すでにその本の真実を応用していた。
アパレルメーカーの創始者で、青山にビルを2~3個建てているような、いわゆる「成功者」。

彼はこの真実を知って成功していたのか、と。
僕は何を根拠に彼を見下していたのか。

その時に、自分本位の、全く形の無いプライド、自分が都合よく解釈し、都合よく組み立てていた世界観が、根底からがらがらと崩れたんですね。

それは小さな気付き。

今までずっと「特別にならなきゃ」って思って苦しんでいたけど、
「普通でいいんだ」取るに足らない、当たり前でいい存在だったんだってことが分かった。

たったそれだけで、ものすごい解放が起こったんですね。気が楽になった。
だったら、釈迦やキリストの境地まで行けばいったいどんなことが起こるんだろうか?と思ったそうなんです。

次の日にプロダクションへ行って、その日に仕事をやめて、そこから阿部さんの精神活動が始まるわけなんですね。

阿部さんのほかにも、精神活動をしている人たちがいて、その人たちと集まっていたそうです。

僕達は進んでいる、見ろ一般の人々を。
まだ成功だ、失敗だ、昇進だ、で毎日あくせくしているよ、とその集まりで言っていたそうなんです。

で、そこでも阿部さんはハッと気付くことになります。

なぜならそこでも、自分がいかに精神的かってことを一生懸命アピールしているんですね。
周りの人間も、負けじといや自分のほうがより精神的だ、とアピールしてくる。

そういった競争や比較が嫌でこの世界に来たのに、ここでも同じようなことをやっている。ここで「特別」になろうとしている。

いわゆる「精神の物質主義」ってやですネ。
その自分の欺瞞…「偽物性」が許せなかったし、その「会」の偽物性も許せなかった。

突然、何もかもぶち壊したい衝動に駆られたんですね。

で、その時みんなで車座になって座っていたんだけれど、阿部さんはすっくと立ち上がって、ズカズカと輪の中心に行き…どすん、と大の字に寝転がった。

何をしたかと言うと…「うわぁぁぁぁぁぁ~!!」と絶叫しながら手足をジタバタジタバタさせて暴れたんですって。

そうしたら場が白けてねぇ(笑)
もちろん、周りはみんな固まります。
自分の「観念」を超えた出来事だから、どう対処していいのか分からないんですね。

阿部さんは、と言えば、鼻水は出るわ涙やよだれまで出るわでぐちゃぐちゃになりながら叫んでいても、どこか冷静なもう一人の自分がいて、それをじっと見ているのが分かったそうなんです。

そしてその時、忘れもしない一番のリーダー格の人が、場を取り持とうとしたのか一言…
「阿部の前世のカルマが出たな…」と言ったんですって(笑)

阿部さんはそれを聞きながら、前世でもカルマでもなんでもいいや、って思いながら暴れてたって(笑)

叫び尽くし、暴れ尽くした阿部さんは、ぴた、と動きをとめます。
もう「出し尽くした」らしいんですね。

その時に静寂が訪れます。
人生の中で最も美しい静寂。

静寂と言うものは、追い求めるものじゃなく、とことん能動的に、アクティブに動き、全てを出し切ったあとに、彼方から訪れるものなんだ、と。

で、阿部さんは立ち上がり、つかつかと自分のいた場所に戻ります。
そのとき誰一人として、目を合わせてくれなかった。

阿部さん曰く「冷たいよねぇ。命がけで暴れたんだから、一人ぐらい『お疲れ様』って言ってくれてもいいのにねぇ」だって(笑)←ここでも大爆笑!

しらけた雰囲気の場の中で、阿部さんのナナメ向いに座っていた女の子と目があったそうなんです。
阿部さんは口をついて「ねぇ、僕達は本当に一つなのかな?」って質問が飛び出したそう。

いままで本を読んでりして得た真理とおぼしき情報、「全ては一つだ」ってことを言ってたんだけど、いまひとつ実感が湧かなかった。

けれども…その女の子がにこっと笑って「そうよ」と言った。

その途端、全てが消えた。

自分が消えて、自分以外のものも消えた。
今はそれが難なのか分かります。

本当は、全ては一つなんですね。
その全ての所に自分と言う自意識が、ちょうどカーテンのように立ちはだかって、それが自分と世界を分けている。

なので、自分が消えると、世界も消える。そして大いなる一つのものになる。

それは物質ではなく、純粋な目覚めた意識。
今も私達は意識を持っているけれど、それをもっと強烈に、もっとクリアにした意識なんです。

けれども、私もあなたもこの意識で出来ている。
この部分は一度も失ったことがないし、これからも失いようが無い。

と言うものに、ダイレクトに自分が帰った瞬間だった。

それはあまりにこの物理世界を超えていて、言葉で表す事もできず、でも全ての真理を含んでいて、そしてそれが明らかに真実だということが、一片の疑いもなく、超リアルに理解することがでる訳です。

そのことを昔から、人は「目覚め」や禅の世界では「見性」「悟り」と言ってきた。
なんて当たり前の事を、人は探してきたんだろうか。

それが、自分の目覚めの経験です、と。


あ、そうそう。今回「目覚め」「気付き」ってことで、昼の部夜の部とテーマが分かれてたんですが、打ち合わせのとき、

「…よく考えれば目覚めも気づきも同じことだよね?」となったそうです(笑)


で、次は黒斎さんの番。

阿部さんがしゃべり終わった時間が21分だったので、「きっちり21分でまとめてね」と言う阿部さんの念押しが(笑)


黒斎「あ、その前に一つお聞きしたいことがあるんですが…」

何かと思えば、黒斎さんと阿部さんが始めて会ったとき、ほんの2~3時間話しただけなのに、何で自分をその後すぐに沖縄に呼んでくれたのかってことだったんですね。

阿部さんは、「時間じゃないよ」って。

話を少し聞いただけで、「あぁこの子は自分と全く同じ体験をし、同じものを見ている」って分かったんですって。

目覚めた人と何人か会ってきたけれど、そこまで自分と同じって人は初めてだったそうなんです。それでなんですね。


黒斎さん曰く、「目覚めは今までの人生全てです」と言っていました。

目覚めてから分かると思うんですけど、今までの人生全て「その為にあった」ことが分かる。

物心つく前から、生まれたときから…それは始まっているってこと。

黒斎さんはとてもヒネクレていたそうで。
それは両親との関係が深く影響していたそう。

最初は「親の愛情が欲しい」から始まり、成長するにつれ「認められたい」に変わっていった。
そのために努力もしたし、いい会社にも就職することもできた。

けれども、満たされない。いくら頑張っても満足できない。
ここから先はもう、みなさんご存知のいきさつで。

うつになり、脳が壊れ、体がボロボロになり…
それでも「俺は正常だ、病人扱いするな」と心配する奥様を突っぱねてた。

が、奥様のお腹に子供がいることが発覚。
それでもう観念して、心療内科に行く事に。

うつの原因は「セロトニン欠乏」。
これは様々な病気の原因になるもので、そのぐらい「セロトニン」は重要なんですね。

抗うつ剤を出されるわけですが、通常の量ではきかないため、大量に服用しなきゃいけなかった。

その副作用が酷くて頭は痛いし、吐き気はするし。

が、突然…「雲さん」と話が出来るようになってしまった。

ここで阿部さんが「誤解のないように言っとくけど、黒斎くんの中に二つの人格があるわけじゃないからね!雲さんも黒斎くんなんだからね」との注釈が(笑)

「僕には雲子さんがいるんですけどね!」(ここでも大爆笑)

雲さんと話す、と言うと御幣がある。言葉でもなく「思考」「思い」が降りてくるんだ、と。

で、雲さんと黒斎さんのやり取りは、皆さんご存知の展開に(笑)

雲さん曰く「どうだ?これからはお前のようなヤツがたくさん出てくるぞ。さぁどうする?自分の経験を活かして助けてやりたくはないか?」
黒斎「え~どうやって…」
雲「…ブログ書いてみろよ」


そんなこんなで「あの世に聞いたこの世の仕組み」が誕生。
まぁよく思考が現実化するって言うけど、僕はこんな思考一度もしたことも思い描いたこともないんですけどね~だって。

で、ある春の日の朝。
自転車で会社へ通勤していたとき、それが訪れたそうなんです。

自分は自転車をこいでいる。
なのに、自分じゃなくなって…「エネルギーの流れ」そのものになったんですって。

季節があるんじゃない。「自分が春だ」
自分の命があるんじゃない。「自分が命だ」

そこで「全て」が自分だ、と言う体験をしたそうなんですね。

阿部さんと黒斎さん二人が同じことを言っていたのが、もうそれが真実だと「分かる」んだ、と。
信じる、信じないを超えた疑いの無い状態。
「そのもの」に触れると、それが分かるんですね。


で、も~雲さんはものっそいスパルタらしい。
とにかく「自業自得」だと。

黒斎さんのブログのヘッダー画像、ありますよね?
黄色いTシャツがおしゃれな雲さんが、黒斎さんにトイレットペーパー手渡しているやつ。

あれは「自分のケツは自分で拭け」なんだそうで。
(雲さんはかなり口が悪いらしい)

阿部さんは「まぁ厳しさも愛だよね~。だって雲さんが黒斎くんに気に入られる必要もない訳じゃない?本当に黒斎くんのことを思ってこその厳しさだよね」って。

確かにネ~!愛って優しいだけじゃないんだよね。

あ~~~…まだ初めの部分なのに…案の定、長くなっちゃった…

ので、いったんここで切りまっす~つつきは次の記事で~!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆

    人気ブログランキングへ   

帰ってきましたぁ~

2009-12-20 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート


こんばんみ~!

帰って参りましたぁ!コラボ講演、楽しかったデス!

ちょっと早めに行って、会場ビル1Fの喫茶店で苺さんと待ち合わせしてたんですね。ご飯一緒に食べようって。

そしたら、そこになんと!!苺さんと一緒に阿部さん登場!

苺さんと阿部さんは仲良いいのだ。

で、流れで一緒にお昼ご飯食べちゃいました~やったネ!

…と言っても、阿部さんは準備があるからってすぐに帰っちゃったんですけど!(笑)

でも貴重な時間でした。


苺さんは会ってすぐにハグ~!ってハグしてもらった(笑)

も~あったかくて、笑顔がカワイイ素敵な人でしたよ~!

もちろん、こっちが勝手に抱いていたイメージとは違ったけど、でもやっぱり本人のがイイ!!

めちゃめちゃ包容力のある、細やかな気配りが出来る、コメントどおりの女性らしい人でした!母性ですネ!

私は中身が「男」なので(笑)うぉ~さすがだなぁ~って思いました。

ちなみに私も「イメージと違う!!」と会ったみんなに言われてしまった…

どうやらなんだから「シュっ!」っとした、サッパリ大人っぽい(ちゃきちゃきな?)イメージだったらしいです…

がっかりした方、申し訳ない~(泣)

黒斎さんも、初めて会うまでは「男だと思ってました…」と言ってましたしね…

ええ、ええ、もう漢(おとこ)魂でイキますよ!うおりゃ~~~!!


途中、ぴのさんと合流して、またもや盛り上がり(笑)
久しぶりに会うぴのさん、前会ったときよりも随分スッキリしてました~!

で、気の利く苺さんが、ちょっと前にみんなに声をかけて阿部さんと黒斎さんにクリスマスプレゼントを渡そう!って企画してくれてたのね。(スゴイでしょ!?)

で、うさとの服を買いに行ってくれて、用意してくれてたんです。

私は乗っただけなんですが!(笑)


講演が始まる前に、控え室に渡しに行きました。

二人ともとても喜んでました!有志のミナサマ、ありがとうございました~!!

そんなこんなで、始まる前から満足しちゃって、もう帰ってもいっか~な気分になっちゃった(笑)

コメントを書いてくださっている静香さんや、ごすけさん、方位鑑定士さんにも会えて満足~!(あ!みんな幸せになりましょ~!の黒木さんにも!)

お会いできて嬉しかったです!
みんな素敵な方達でした!ありがとうございました~!


他にも、ものぐささんやまかろんさんやイブさんや…きっと昼の部に参加しているだろうなぁ~と思われる方々を探したけど、やっぱり分かりませんでした…残念~!

イブさんすみません…以前、黒斎さんとこのコメント欄でお会いしたいですねって書いてくれてたのに…(ノД`)・゜・。

ちょいっとそれが心残り…

今度はゼヒ!声をかけてくださいネ!

ほんと、ぴのさんも言ってたんですが、HNの名札を胸につけておきたいですよネ!分かりやすいから(笑)

知られたくない人は、名札しないとか!



…と言うことで…今日はここまでにします~!

コラボ講演レポートは明日にしますね~!

今回は覚えてないので…(笑)覚えてるとこだけ書きます!

夜の部は方位鑑定士さんが責任を持って聞いてきてくれるハズですので(笑)乞うご期待!


ではみなさま、よい夢を~おやすみなさい!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆

     人気ブログランキングへ        

沖縄

2009-09-24 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート
こんにちは!ご訪問ありがとうございます。

ではでは早速!

これも最後の質疑応答ででた質問だったのですが、丁度その時トイレで席を立ってまして…(←こんなんばっかでごめんよっ!)

質問と、最初の方の答えが聞けなかったので、沖縄についての興味深かった内容だけお伝えしまっす!


(たぶん)阿部さんが直感的に沖縄へ行こう!と思った理由は何だったのか、と言う質問だったんだと思います。

阿部さん曰く、沖縄は住んでみないとやっぱり分からない所がたくさんあるそう。

私たち本州の人間は、沖縄、と言えば「癒しの島」「リゾート」と言う印象がありますが、実際はそんなことはない。

なぜなら沖縄は、第二次世界大戦で唯一、「内戦」が行われた場所。

本州の空襲とはまた違う「悲惨さ」だったのだそうです。

何日も何日も外で、終わりの無いドンパチが続いている。
それを「鉄の雨が降る」と表現するぐらい、酷いものだったそう。

で、その弾に当たったりして死ぬのは普通の農民や漁師。
戦争と何の関係のない人が、どんどん亡くなっていく。

逃げ場所を探して彷徨い、洞窟の中でわが子を絞め殺さなければならなかった、想像を絶する状況…

そして戦争が終わった後、アメリカが沖縄を占領するわけですが、その憎しみがアメリカに向く事を避けるため、アメリカの徹底した「教育」と言う名の刷り込みが始まるわけです。

「この戦争は、日本が間違っていた。アメリカは正義の為に戦った。悪いのは日本軍だ」と。

なので未だ沖縄の人たちは、「日本の人」「大和の人」に対して根底に憎しみがあり、心を開かないのだそうです。
傷跡は、思ったより深い。
私たちはそれを知らなければならない。

阿部さんは運よく受け入れられたが、奥さんや子供さんはやはり、少し疎外されていたこともあったそう。

PTAの集まりで、奥さんが教室に入ると今までしゃべっていた奥様方がピタ、としゃべるのをやめたりとか。
なぜか、と言うと彼らは「日本」の悪口を言ってたんだそうです。

もちろん、個人的にどうこうと言うのではなく、「内地から来た人」と言うのが、「隔たり」になっていたのだろうと。

私もそれを聞いて、ものすごく意外でした。
知らなかった。

優しい人たちばかりで、長寿の島で、穏やかで、のんびりとした印象しかありませんでした。
戦争に関してはよく映画になったりはするけれど…「昔のことだ」と勝手に思っていたんですね。

もし沖縄に行くことがあったら、その土地と、そこに住む人々と神様たちの思いを踏みにじらないように、常に感謝の気持ちと敬意は持っていたいなぁと思いました。



一方で、沖縄のいいところはたくさんある、と。


まず、お年寄りをとても大切にする、と言うこと。
これは阿部さんのお母さんも入院されたとき、あんまり看護士さんが優しいので、「他の病院とぜんぜん違う!」とびっくりされたそうです。

これは同情でもなんでもない。
ただお年寄りを尊敬し、大事にするという習慣があるから、看護士さんが特別じゃなく、みんなそうなんだ、と。

どこへ行ってもお年寄りは大切にされる。

で、あとは「神様」と普通に共存している。
日本の人たちが忘れてしまったような生活がここにはあり、「不思議な事」も普通の感覚で受け入れられているんだそうです。

土地自体もパワフルだし、阿部さんが沖縄に行こうと直感的に思ったのもそこらへんにあるんじゃないかと。

確かに沖縄は神秘の島って感じもするしなぁ。
日本なのに、日本じゃないみたいな。(しゃべり方もね!)

やっぱり外側からだけじゃ、分からないことがたくさんあるんですね。
その土地で人々と共に過ごし、共に生きなければ、垣間見れないことがある。

戦争を知らない世代の私たちだからこそ、知っておかなければならないんだなぁ、と痛感しました。



さてさて!

ここいらで、「東京いまここ塾」のレポートは終わらせていただきます!
お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

私にとって、初めての「いまここ塾」でしたが、勉強になることがたくさんありました。
阿部さんは思いつきでしゃべっているのにも関わらず、その時、その場、そのメンバーにぴったりの「話題」になるんですよね。

質疑応答の時に特に感じましたが、自分の中の「アカシックレコード」にアクセスしながらしゃべってるんだな~と。


で、今回の講演で特に興味が出てきたのが「禅」に関してです。
向和尚関連のハナシの時、禅寺のことや禅に関しての話題がでまして…
それが面白かったんですよね!

なんせ、ホントその辺りは無知でありますので、ちょっとイロイロ勉強してみようかなぁと思いました!

人間、最初は外側に意識が向かいますが、あるポイントを超えると反転して「内側」に向かいますもんね。

「禅」はとことん、「内側」に向かうものなんだなぁ、と。
とにかく自分を見つめる。ずっと観察し続けることによって、余計なものをそぎ落としていく。

ひたすら坐禅を組んで、「三昧」(自分で体感)する。
そうこうしているうちに、外側も内側も一緒なんだなぁ~境界なんてなかったんだなぁ~ってことが分かるんですよね。


あ、そうそう。思い出した。つけたしです。


「真理」と言うものは、成長したり変化したりはしない。
ずっと「究極」の形であり続ける。
(↑新しい本の題名も「究極」ですもんネ。)

よって、ブッダが悟りを開いてから一番初めに発した言葉と、入滅する前に発した言葉が示す内容の重要性はまったく同じである、と言うこと。

彼が「これが一番重要」と前置きしたりするのは、ただ強調したいから用いた表現であって、その他の教えが「価値なし」と言う意味ではない。

そこ、勘違いしないでね~ってことでした。

ここらへん、後世の人たちが誤解してしまって、伝わっていることがたくさんあるそうです。「一神教」といわれるものは、全てそうですよね。

みんな同じ「神」を指しているのに、「自分の神が本物であとは偽物だ」と思ってしまう。

「言葉」や「形」に捉われないってことですよね!



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


東京いまここ塾 4

2009-09-23 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート
こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


さてさて!昨日の記事で、やっぱり「親とのわだかまり」がある人が多いんじゃないかなぁ、と思いました。

私もその一人でしたし…

今すぐ許すのは無理かもしれませんが、自分のためにも「内観」と言う作業は必要だと思います。

ワークショップに行く暇がない方や、お金がかかってしまうので躊躇される方もおられるかもしれません。

自分で出来ればいいなぁと思っていたところ、たまたまこのHPを見つけまして…
ご存知の方もいらっしゃると思いますが「鏡の法則」と言うものです。

ベストセラーになった本ですネ。
この本の中にも、自分の父親との関係が、そのまま旦那に投影されていたケースが載っています。

そう言うパターンも多いですよね。
パートナーだけではなく、様々なところでその関係が投影されたりします。

同じパターンを繰り返す、と言うものがカルマでありますので、今回それがクリアできるのであれば、(本人の選択次第ですが)クリアしたほうがいいと…

何より心の解放感が違いますし…自分の為にも、相手の為にも。


で、わだかまっている気持ちや感情の手放し方が記載されていましたので、ひとつの例として、一度読んでみてください。で、もし出来るようなら、やってみるのもいいかもしれません。


※ここに載っている事例は、ひとつの「ケース」ですので、全員に当てはまるとは言えません。それぞれがそれぞれのたった一つの「ケース」を体験していますから…参考程度、と言うことでよろしくです。


私も「書き出す」派です。
その時の気持ちを、ぐぁ~~~っと書くと意外にスッキリするんですよね~!
「形から」と言うのも、ひとつの手かもしれないですネ。
(個人的には、「書き出したもの」は火で燃やすのがいいと思います!)


ではでは、質問コーナーの続きです!

※この方は前の方に座ってらして、私は一番後ろの席だったため、声が聞こえなかった箇所が多々ありました。
ので、質問内容が非常に曖昧です。
参加されていた方で、質問の内容が違っていたり、もっとこうだったと言うご意見があれば、ゼヒ補完をよろしくお願いします!!


えと、たぶん何か事故を起こされた方のようで…
相手の方に怪我をさせてしまったようなんですね。

で、その「被害者」の方との関係について悩んでおられるようでした。



阿部さんはまずその方に「あなたからものすごい罪悪感と、悲壮感を感じます」と言いました。
で、自分から今の関係を望んでいることになってしまっています、と。

どうやら、相手に怪我をさせてしまったと言う罪悪感から、「相手の為なら何でもしよう、何でも言うことを聞こう」と思っていたらしいのですね。

で、それはいい。全力で、相手の方の為になることをしてあげてください、と。

でもその「罪悪感」を持ったまま、相手の人に接すると、相手がその「罪悪感」を感知してしまう。

相手は苦しんでいる。その苦しみから逃れるために何をするか、と言うと、(罪悪間を感知して)その苦しみを「加害者」でもある質問者さんにぶつけるんだ、と。

質問者さんのせいだ、と逃げ道を作ってしまう。
で、それを質問者さんもあえて「受けて」しまっている。

だからその関係が「成立」してしまって、続いているんだ、と。
それは自分の為にも、相手の為にもならない。


なので本当に相手のためを思うのなら、決して「罪悪感」を持って、接してはいけない。

今回の件は、質問者さん(と、被害者さん両方)の「成長」のために起こったことで、それを「罪悪感」や「悲壮感」を持たずに、受け入れることができれば、あなたはものすごく成長しますよ、と。

大丈夫。
誰も人を傷つけることなんて出来ないんですから。
そして自分も、誰かから傷つけられることはない。
(表面上の傷ではなく)

だから罪悪感は持たなくていい。
ですが、今回の件で相手が成長するかどうかは分からない。
(相手の問題なので、心配しなくていいですよってことですネ)

辛いことや苦しいことは気付きのサインであるし、成長のチャンスでもある。
自分にとって必要なことが起こる。
あなたは成長しますよ!とのことでした。


質問者さんも、少し元気が出た(ような感じがした)ので、何か腑に落ちたんじゃないかなぁ…と思います。私も陰ながら応援させていただきます!

相手の幸せを思うなら、まず自分が「幸せであること」ですもんね!


うーん。
日にちが経ってしまったので…だんだん記憶が薄れてきてしまいました(笑)
手落ちがあれば、遠慮なくコメントしてくださいね!

あとは「沖縄」について知らなかったことを教えてもらったので、それだけは書きたいなぁと思います。


阿部さんの質問の答え方は、「一般論」ではなく、その時の、その人だけのための「答え」なんですね。
ですので、万人には当てはまらないんだ、と言ってました。

それぞれ原因となっているものや、抱えているものが異なりますもんね。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


東京いまここ塾 3

2009-09-22 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート
こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


あ!そうそう。
いまここ塾に参加して思ったこと、なんですけれど、メモを取っていた方がけっこういらっしゃったなぁってこと。

せっかくなのでメモは取らないほうがいいと、個人的には思うんです。
(本人の自由なんですが!!)

メモを取る、と言うことは、「耳」を通して「脳」で聞き、それをまた「書く」と言う作業をしなきゃいけないので、「左脳」フル回転なんですよね。
結構忙しい。

そうすると、この一瞬でしか感じ取れない「何か」を逃してしまうことになるんですネ。

「対面式」の講演会は、「文字」や「言葉」だけでは伝えきれないその奥の
「本質(エネルギー)」に触れ、感じることができるものだと思います。

それを全身で感じて欲しいなぁ、と。
耳で聞くより「心で聞く」って感じで!

それに「メモを取っているから」って安心しちゃって、逆効果になることもあるんですよね。(学校の授業がそうだったなぁ)

その場で理解できなくても、忘れてしまってもいいんです。
必要ならば、ベストなタイミングでまたその言葉に出会えます。

「自分の中」からふとした拍子に出てくることもあります。
一度聞いているので、「あぁ!そうか!」と腑に落ちるんですネ。


さてさて!では早速!「質問コーナー」にまいりま~す。


えとまず、介護をやっている女性の方からの質問で、他人のご老人だとお世話させていただいているのが嬉しいし、少しでも長く生きて欲しいと思う。

けれども、もしご老人たちが「植物状態」になってしまったとしたら、その人たちは意識がなくなっても生きていたいと思うのだろうか?

もし自分の家族がそうなったら、生きていてほしいと思うのだろうか?
治療費を払い続けられるのだろうか?

阿部さんのお母様もこのあいだ入院された、と聞きました。
もしお母様がそうなったとしたら、阿部さんはどう思いますか?と言う質問だったんですね。

阿部さんは、今、お母さんは元気なので、考えられないなぁ…とのこと。
(そうなったら、その時考えるってことですね)
うーん、と言う感じで、その質問された方の「真意」を量りかねているようでした。

そうすると、また質問された方が、自分の父親に対する気持ちを少しおっしゃったんですね。他人のご老人には優しく接することが出来るけれど、自分の父親だとそれができないかもしれない、と。

それでああ!と阿部さんはやっと得心がいったようでした。なるほど、それがあなたの根底にあるんですね!と。

悟ったかどうかの目安として、「家族に対する気持ち」があげられるそうです。
たとえ自分の親だとしても、「一人の人間」として…他のご老人と「同じ」ように接することが出来るかどうか。

親だからこそ、許せないことがありますよね。
親への複雑な思いを、今も手放せない方も多くいらっしゃるかと思います。

「親への思い」や、「親との関係」は私たちの、貴重な「レッスン」なんだそうです。

それと「向き合う」方法のひとつとして「内観」があげられるそうです。
阿部さんも行ったことがあるそうですが、そう言う専用の施設、と言うかワークショップがあるそうです。

そこで阿部さんは、一人一人「仕切られた」小さなスペースで、生まれた時から今までの1年1年を思い返し、
「自分が親に何をしたか」
「親が自分に何をしたか」
「自分がどのように反応したか、どう思ったか」

と言うのを一つ一つ確認していく作業なんだそうです。

まずは母親から、次は父親の順番で。

で、講師の方が一人一人を2時間ごとに周って、「どうでしたか?」とインタビューするそうなんです。

で、阿部さんのはす向いにいらっしゃった方(その時は仕切られているので顔は分からなかったのですが、後から自分と同じぐらいの年の方だということが判明したそうなんです)

が、狂ったように大声を上げて、泣き出したそうなんです。
阿部さんもびっくりして、何事か、とその方のおっしゃることに耳を傾けて聞いた。

その内容が、彼は子供の頃、とてもいい子で聞き分けもよく、ワガママなんて言ったことがなかったそう。

で、13歳になって新しい中学がとても遠いところになってしまった。
それで生まれた初めて、自転車を買ってくれとおねだりをしたそうなんです。

自転車は通学に必要なものですが、その時お願いしたのが、当時流行っていた「ギア」付きの、カッコイイスポーツタイプのもの。

でもお父さんが買ってきたのは、八百屋さんが乗るような普通の、実用的な自転車だったんです。
あれだけお願いしたのに!生まれて初めてのお願いだったのに!と、彼はお父さんに初めて文句を言ったそうなんです。

するとお父さんは「わがまま言うな!」と彼を殴ったそうなんですね。
それからその人は、お父さんと一言も口をきかなかったそうです。

ワークショップに参加していた当時は40ぐらいの年で、小さいながらも会社を経営していたそうです。

その原動力となっていたのが、父親。
お父さんを見返してやる、お父さんより自分のほうが優れているってことを見せ付けてやる。その思いだけだったんですね。

でもそのお父さんも5年前に亡くなったそうで…
結局、口をきかないまま、和解しないままだったそうです。

で、その内観の作業で何があったかと言うと、ちょうどその13歳の頃の自分と父親を思い出していたそうなんです。

そこで気付いた(思い出した)のが、「お父さんの自転車」でした。
それはもういつ壊れてもおかしくないぐらいボロボロの、見るも無残な自転車だったんですね。

それに気付いた彼は「あぁ…うちには自転車を買えるお金なんてなかったんだ…あの自転車を買うので、精一杯だったんだ…」と言うことが一瞬にして理解したそうなんです。

もちろん、お父さんの自転車は当時もありました。
けれども子供だった彼には…「自分のことだけ」「自分の思いでいっぱい」になっていた彼には見えてなかったんですね。

その時見えてなかったことが「いま」見え、その時分からなかったお父さんの気持ちを「いま」気付くことができた。

それに気付いて、彼はごめんなさい、お父さんごめんなさい、と大号泣したんです。

「許し」の瞬間です。
13歳の時から20数年間ずっと抱えていた思いも、「理解」(気付き)によって、一瞬で溶かされたんですね。

涙と一緒に20数年間蓄積されてきた様々な「感情」も、流れ出たんだろうなぁと思いました。

「許し」。それは「許そう」と思っても、できないことですよね。
心からの「許し」は努力してもできない、どうしようもないものなんです。

その時何が起こったのか、どうしてそれが起こったのか、相手の気持ちがどうだったのか。
自分の「気持ち」や「感情」に縛られずに、それを「知る(理解する)」ことによって、自然と引き起こされるものなんですね。

何日かかけてそう言うプログラムを行っているところがあるので、探してみてはいかがでしょうか、と言うことでした。


両親や家族とは、人生の大半を共に過ごしますよね。
どのような関係であろうとその分、学ぶことも多い。

親は親ではあるけれど、親もまた「一人の人間」として、悩みながら、苦しみながら、自分の人生を生きているってことですよね。


では続きはまた明日っ!(引っ張るな~笑)

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


東京いまここ塾 2

2009-09-21 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート
こんつわっす!ご訪問ありがとっす!


さぁ~!!忘れない内に続きを書くぞぅ~!
またまたいつもの事ながら、長くなりそうなので、覚悟して読んでね~!


で、向和尚のハナシ。

いつも阿部さんは向さんのハナシをするんですよね!講演会の時。
黒斎さんのハナシも出たけど、ホント、このお二人のこと、すごく信頼しているんだなぁって思いました。

あ!友達いないとか言ってたのに!(笑)
こりゃもう「友達」の枠を超えてるのかもね!「兄弟」みたいな(笑)

阿部さんにとって、これからどうなっていくのか、大体イメージみたいなのができているんだそう。

それが「直感」であり、「彼方から」来ている「流れ」なんだと。
あっちから、こっちにやって来るもの、ですよね。

自己欺瞞がそぎ落とされていればいるほど、「恐れ」や「不安」がないので、タイミングを逃さず、流れと一体になることができる。

ここで迷ってしまうと、また違った展開になるんだろうなぁ。
どれだけ宇宙を信頼しているか、ですよね。


あ、「信頼」つながりでちょっと思ったんだけど(ここからイリスの余談で~す)
随分昔、友達を作るとき必ず「私はこの人に必ず裏切られるだろう」と言う覚悟をして友達になっていた記憶があります。

それぐらい、人を信用していなかったんですね。
日常でも「アイツを信用していたのに、裏切られた!って言葉を聞くことがあります。

けれども、よぅく考えると「裏切られる」って言葉は存在しないんですよね。
↑上の言葉も「俺はアイツを最後まで信用しきれなかった」と言う方が正しい。

信用するってことは、何があろうと最後までその人の「本質」を信用するってことであって、その人の上辺の「行動」などによって変わるものじゃないんですよね。

なので裏切るって言葉を使うなら、「自分が(その人に対する)自分の信用を裏切った」ってことになるんだなぁ、と。


余談終わり~。さて、ハナシを元に戻します。

で、向さん。
彼は大学生の時、目の前で父親が亡くなったそうなんです。

それがずっと彼の心を占めていて、人の命のなんと儚いことなんだろうか、人が生きると言うこと、死ぬと言うことは何だろうか、と思い続けていた。

それで、「臘八大攝心(ろうはつおおぜっしん)」という、釈迦が臘月(ろうげつ)12月8日に悟りを開いたのを記念して、7日前の1日より修行に入り、8日の未明に終わる、一番厳しい「修行」を行ったのだそう。

これは7日間横になって眠ることができない、ものすごく過酷な修行だそうです。

でも向さんは、「ここで何かを得るまで、一歩たりとも動かない」と言う決意があったんですって。

それで、たった一回の、「臘八大攝心(ろうはつおおぜっしん)」で大悟したんだそう。

何十年も雲水(禅僧)をやっていても、何度もこの臘八大攝心(ろうはつおおぜっしん)」をやっていても、悟れない人は悟れないのだそう。

で、その後、向さんは禅僧になった。
これはものすごい「違い」なんだ、と阿部さんは言っていました。

禅僧で、禅の中で悟った人と、悟ってから禅僧になった人と。
禅の中で悟った人は、禅しか知らず、禅によって悟ったと思う。

一方、向さんは、禅でなくても悟れることを知っているから、禅僧でありながら禅にこだわらない。

で、阿部さんはフルフィルメント瞑想が、今のところ「三昧」(体感する)を得るには最高の瞑想だと思っている。

(けどもし、これ以上のものが出れば、すぐに乗り換えるよっ!だって笑)

けれども、この瞑想にも弱点はある。
それは、創設者の「ボブ」の思想や解釈が元になっているから。

やはり、「智慧」や「真理」の理解が、向さんと比べると甘いところがあるんだそう。それが気になる。

で、ボブさんが向さんに智慧や真理を学べばいい。
そこで阿部さんは思いついた。

『そうだ!向さんにこの瞑想をやってもらえばいいんじゃないか!』だって(笑)

そいで、40年も座禅を組み続けた向さんに向かって、「この瞑想やってみて」って紹介したんだって!スゴイね。

で、向さんも素直に自腹で4万円も払って(笑)この瞑想を習いにいったそう!これもスゴイね。

だってね、向さんは座禅を組めば5分もかからない内に、天地一体の境地に入れるほどの、瞑想(座禅)の達人なのに、新しい瞑想法を素直に学びにいくなんてね!

でね。その瞑想についての感想を、昨日大阪講演の時、一通の手紙に書いて渡してくれたそう。
それを「向さんからラブレターもらったんだ」ってものすごく嬉しそうに言ってました(笑)

結論から言えば、「特に何もなく普通だった」んですって(笑)
でも、座禅は「下腹部」(丹田、第二チャクラ)から宇宙に入るのに、この瞑想は「胸から」入っていく感じがしたのだそう。

その時の色が「オレンジ色」をしていた、それにより、いっそう自分の智慧に対する理解が深まった、と書いてあったんだって。

これは阿部さんも驚いていたんだけど、そのことについて一言も向さんには言わなかった。

確かにフルフィルメント瞑想は「ハート」に意識を置いて入っていくもので、それで色はピンクかオレンジなんだって。さすが向和尚だネ。

で、『「禅僧に言わせりゃ、何をごちゃごちゃ抜かしとる!顔でも洗ってこんか!」ってことですよ。と言う訳で、顔を洗ってきます』

お~!面白いね~!向さん。会ったことないけど、会ってみたくなりました。

向さんは大悟してから、当たり前のことを当たり前に、平凡に生きることをしてきたんだって。

徹底的に自己欺瞞をそぎおとし、「いまこの瞬間」に意識をおくこと。
自然体で、今を生きるってことですね。



で、昨日の大阪講演でのハナシになって「自受用三昧」って言葉を説明してくれました。これは苺さんのブログで書かれてますので、読んでみてくださいネ。

で、「お布施」についてになって…

「布施」って言うと(布施明じゃないよ?犬の「フセ」でもないよ?ってボケをしっかりかましてました)

「お坊さんに金品を与えること」って理解している人が多いけれど、本当はそうじゃない。で、調べてみました。

布施…(1)他人に施し与えること。金品を与えることに限らず、教えを説き示すこと、恐れ・不安を除いてやること、また広く社会福祉的活動を行うことをいう。仏教の基本的実践徳目。施。檀那(だんな)。

おお!確かに。

阿部さん曰く、「他人に与えること」「利他的」ってことなんだ、と言ってました。

で、まずは!「慈顔施(じがんぜ)」を心がけること。
これはどういう意味だろう?と思って、これまた調べてみました。


お金を使わなくても人に対する施しは出来ます。無財の七施といって、次のようなものです。

まず第一が「和顔施」。やわらかな笑顔。
第二が「慈顔施」、やさしいまなざし。
第三に「愛語施」、やさしく温かな言葉をかけること。
第四が「心慮施」、こまやかな心くばり。
第五に「捨身施」、自分はさておき人のためにしてあげようという気持。
六番目は「房舎施」、一夜の宿りを施すこと。
最後に「床座施」。老人や体の悪い人へ席を譲ること。
この七つです。


(出典:荘厳寺だより

まずは柔らかな笑顔で、やさしいまなざしを心がけるってことですね。
これは結構大切で…

ベトナムのある僧がこれを提唱しているのだそうで、「自分が笑顔でいるときは気づいている時だ。笑顔でないときは気付いてないときだ」と言ったのだそう。

人間、いつでも笑ってはいられない。すぐイライラしたり、むっとしたりしてしまいますよね。

でも「笑顔」を心がけていると、「無意識」になっていたことが「意識」できる。
今、自分は笑顔じゃなかったぞ、と気づくことが出来るんですね。

で、家に帰ったら早速実践してみなさい。奥様が多いみたいなので、旦那さまにニッコリ笑ってみなさいって。
そうすると思いっきり「何があった?あ!アレがバレた!?」って恐がられますよ!だって(笑)

人と接するときは、意識して心がけてみてくださいね!

で、質問タイム。これはちょっといくつか「大切だなぁ」と感じたものがあったので、できるだけ詳しく書きたいと思います。




ん!?長い?長いよね!?

…じゃぁ次回ってことで!忘れたらごめんよっ!!(笑)


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


東京いまここ塾

2009-09-21 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート
こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


さてさて!東京いまここ塾のレポートで~す。

阿部さんの「いまここ塾」は初めての参加でした。

で、終わった後の感想は…「うーん、言葉にできないなぁ」って感じ…
言葉にするのがもったいない…違うな…

言葉じゃ伝わらないな~言葉にしたくないな~と言う感じです。
言葉にしちゃったら、やっぱりちょっと違ってしまうから…

うーん。まだ浸ってます(笑)
やっぱり嬉しいんですネ。

心の底から、湧き上がる喜びです。
幸せなひとときでした。

で、阿部さんの中にあるものと、私の中にあるものは同じだなぁって思った。
思ったんだけど、やっぱり理解度が違う!

何と言うか、「意識の透明度」が違うんですよね。


ま、当たり前か!!(笑)あっはっは!
(一緒にしたら怒られちゃうね!ゴメンナサイ)



ではでは、内容に行きたいと思いまっす。


最初に、私たち人間は一人一人の夢とは別に、「共通の夢」も見ているってこと。

例えば、「仕事」。
総理大臣が「偉くて」、窓ガラス拭きの仕事は「可哀想」だと思う。

(↑これは電車の中吊り広告を見て、鳩山総理のゴシップが載ってたんだって笑
でね、異母兄弟がいるそうなんだけど、その人は窓拭きの仕事をしてるんだって

これって「こう書けば売れるから」書くんですよね。
「集団的無意識」ってヤツです。

夢から覚めれば、バカらしいね~で笑って済ませられるけど、夢の中にいると
「何て可哀想!」とか「何てヒドイ!」って反応になっちゃう。)

そう言う「共通の意識」があるから、人はより「偉い仕事」に就こうとする。
それが「目的」になってしまう。

けれども人間の内なる目的はひとつ。

それは、「心の平安」なんだってこと。


総理が偉くて窓ガラス拭きの仕事が可哀想ってことはなく、「働く」ってことには変わりない。その意味では、平等なんですね。

どれだけその仕事に誇りを持って、心を込めて出来ているかってこと。
たとえ総理大臣だとしても、嫌々やっていたら、心の平安はないですからね。


で、「心の平安」ってことは何か、と言うと「いまを受け入れる」ってことなんですね。


例えば、阿部さんの息子さんの話を例に挙げて、(大学に進学するかどうかのハナシで)

もし大学に落ちたとしても「大学に合格する」ことが目的ではないので、心の平安がある。

(ちなみに、息子さんには「命の大切さ」と「いまを生きる」ことだけを教えて育てたんですって。後は「自分で学ぶことだ」って。

でね、ある日息子さんが将来について心配していたことがあったんですって。
そいで阿部さんが、「今を生きる」ことを教えてあげたんですね。
今10年後のことを心配しているけれど、10年経ったらまたその先の10年後のことを心配してるよ、って。

そしたら息子さんは「分かった!」と言って何か得たらしい。
「お父さんが自分のパパだってことは、宝くじを当てるよりスゴイことだね!」って言ったんですって。
子供にそう言ってもらえるなんて、親冥利に尽きますよね~)


「成功すること」や「何か」を目的にしてしまうと(それを「外側の目的」と言いますが)、それが叶うか叶わないかで、私たちは一喜一憂してしまうんですよね。

そうではなく、あくまで焦点は「心の平安」である、と言うこと。

それは「対極がない」ものです。
通常、私たちが求める「幸せ」は、その対極に「不幸」があります。

それは何かの「条件」や「環境」に拠るため、それが失われると、途端に不幸になってしまうからです。

そういった外側の状況に左右されないため、「心の平安」には対極がないんですね。(それはとりもなおさず、「今にある」と言うことですが)

と言うことは、それに焦点を当てている限り、何が起ころうが平安でいられるってことなんです。




昨日の大阪講演で、向和尚に阿部さんが聞いたんですって。

人生において最も大切なものは何ですか、と。

向和尚は「南無阿弥陀仏」だと答えだそうです。

「南無」と言うのは、「帰依する」と言う意味。「サレンダー」ですね。

「阿弥陀仏」と言うのは、宇宙そのものを表す仏の名前。

宇宙そのものに帰依する、と言うことなんですね。



その「帰依の対象」は何だっていい。
目の前の石ころでも、葉っぱでもなんでもいい。

とにかく、「自分を捨てて」降参すること、全面降伏すること。
その「姿勢」が大切なのだ、と言うこと。

「諦める」とも言いますが、それは「どうでもいいや」と投げやりになるってことではなく…

諦めるの語源は「明らかにする」ことなんですネ。

「自分は人間には思い及ばない宇宙の流れに委ねる」と言うことを明らかにするってことだそうなんです。

全ては「流れ」なんですね。

その神聖なる、人間には関知できない壮大な流れと一体になることを「受け入れる」と言う。

それを「受け入れない」と拒否しているってことは、「宇宙(の流れ)」を拒否しているってことになるんです。

宇宙に「NO!」を突きつけて、「俺が正しい!俺のやり方でやる!」と言っているようなものなんですね。なので「苦しく」なるんです。


で、「自由」と「責任」は同義語。


責任を取れば取るほど、自由になる。

今自分に起こっていることの責任を自分が取れば…「自分が起こしたことだ」と言う自覚があれば、その後「どうするか」って言う「選択」ができる。

現実を変えることが出来るってことですよね。

けれどもそれを、自分が「被害者だ」と思うことは、自分の人生に「責任を取っていない」ってこと。

と言うことは、今の現状を変えようにも、「自分が起こしたことではなく」「自分は被害者なんだから」「自分じゃどうにもできない」と言うことになるんですね。

なので、その「現実」から抜け出さないまま(抜け出せないのではなく、抜け出さない)誰かのせいにしながら、生きていくことになる。



ヒラメキや直感は、思考でどうこうできるものではない。
悟りと一緒で、自分で起こすものではないんですね。

「彼方」から「やってくるもの」なんです。

阿部さんが「沖縄にいこう」と思ったのも、直感なんだって。
で、家族のうちの誰か一人でも反対したら、やめようと思った。

けれども、そのとき阿部家で流行っていたのがNHK連続ドラマ「ちゅらさん」(笑)。

そのおかげで、誰一人反対せず、大賛成の中、沖縄に移住することになったそうです。

それも全て「流れ」であり、「タイミング」。
自分が宇宙に帰依すれば、起こることが起こるようになる。
それに乗ればいい。

それが「手放す」ことであり「受け入れる」こと。
決して「自分から何もしない」ってことではないんですね。

たとえば、田んぼ道を歩いていると、昔はよく「肥溜め」に落ちたんだそうです(笑)

どぼん!っとネ。

で、「あ~肥溜めに落ちた、ありがたや~」って言うよりまず、そこから「出よう」とする。それが大切。

(起こったことを「受け入れていない」場合は、まず怒る。行き場のない怒りを「誰か」に向かって「なんだ、こんな所に肥溜め作りやがって!」とか「立て札ぐらい立てておけよ!」と当り散らすんですネ)

もし今、自分にとってそぐわないと思う現状ならば、受け入れた上で、(誰のせいにもしないで)そこから「出よう」と「決める」ことが大切なのだと。

その「意志」も含めて、流れとなり、また自分に「起こってくること」となる。
それが「選択」なんですね。

「受け入れる」と言うことは「選択しない」ことではないってこと。
今の現状に「甘んじる」ことではないってこと。
↑これは、「責任を取っていない」、「逃げている」ってことになるからね。

だからね、「儀式」って大切。
それは「宣言する」ことだから。

仏教では「得度」と言う儀式があるけれど、それは自分と周りに「宣言」することでもある。自覚を促すってことですね。

「結婚式」もひとつの儀式で、あれがなかったらきっと離婚率はもっと高かったはずだよって(笑)確かに!

あれだけたくさんの人を呼んで、みんなの前で誓い合って、お金もかけたんだからって思いとどまることもあるでしょ?って。
なるほどね!(笑)

でね。この人生を生きるに当たって、大切なものが三つある。
三本柱。

ひとつが「智慧」。
ひとつが「三昧」。
ひとつが「戒律」。

智慧は、そのまま「真理」や「知識」にあたるもので、言葉によって伝えられるものですよね。

でも智慧は智慧であり、「知っている」に留まるもの。
いくら知っていたとしても、それを「現実」に反映しなければ、意味のないものですよね。

で、次に「三昧」。これが自分で「体感すること」なんですね。
上に書いた「智慧」を、自分の人生に反映して実感していくこと。
それが「瞑想」である、と。

で、三番目。これが阿部さんが、「智慧と三昧のほかにもうひとつある」と思っていたけれど分からなかったことで、昨日の大阪講演で向さんに聞いたんですって。

そしたら「戒律」である、と教えてもらったそう。
これは仏教(禅宗?)の三本柱なんですって。阿部さんはそれを知らずに、自分で到達したんですネ。

戒律って言うと「え!?」って思っちゃいますよね(笑)
イロイロ先入観があるから。

でも、ここでの戒律は、既存のものとは違って…

例えば、幻の自己から本当の自分へと戻るまで、この間を行ったり来たりして、苦しんだ経験がある人も多いんじゃないでしょうか。

途中で嫌になったり(笑)やっぱりこんなこと嘘っぱちなんだ、と思ったり(笑)

エゴ先生のおかげで、こうやって私たちはすぐ「思考」のとりこになってしまうんですね。

ですので、ある程度「戒律」…「やっちゃいけないこと」があると、ここを通過しやすい、と言うこと。

例えば、肉を食べないだとか、
お酒は「ほどほどに」だとか〈笑)
↑コレ、阿部さんが飲む人なので「飲むな」とは言えないんだよな~だって(笑)


20世紀の「宗教」と違い、「組織」ではなく、これは「個人」で行われていくものだ、と。

入るのも自由。出るのも自由。やるのも自由。やらないのも自由。
ね!



で、ハナシは向和尚についてになる訳ですが…

え~と…
どれが「ここだけのハナシ」だったっけ…(笑)

思い出しつつ…
今日は長くなってしまったので、また明日!!!


おっとその前に…

悟りって、そんな大層なもんじゃない。
(みんな最初っから「そうである」んだから)

ただ「当たり前のことを当たり前だ」と認識する…気付くこと、それだけなんですネ。

それだけ。なぁ~んにも難しいことはない。

それは全て「目の前」にある。
ただありのままを、あるがままに受け取る。それだけ!


さぁ~てじゃあもう寝ますネ~幸せな気分で(笑)


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


alarm clock

2009-04-07 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート
こんにちは!!今日もまったり、いい天気ですね~!


やっと!阿部さんと黒斎さんのコラボトークショー第一弾「Alarm clock」聞きました!

(ジャケットの絵の由来とかも説明してくれたんですが…ここで言うと面白くないので

我慢します!!)

どなたかが黒斎さんのコメント欄で「寝てしまった」って書いてらっしゃったけども…

分かるぜ!その気持ち!お、おいらも寝ちゃったぜ!うぅ。

黒斎さんの声からはきっと、睡眠物質が放出されているに違いない!ってぐらい

心地よいトーンでございました。

しかしですね…黒斎さん…文字で書くと「雲黒斎」ですよね…

でもね…耳で聞くと「うんこ くさい」なんですよ!!どうしても!!

そいでですね…キレイなお姉さん風のナレーターが

「うんこくさいさんが…」とお澄まし声でナレーションを入れている訳ですよ!

…な、何だか落ち着きませんデシタ…


内容なんですが、東京公演の時とはまた違って、どうして黒斎さんが目覚めたのか、

とか、それはどんな体験だったのか、とか…死とは、命とは、苦しみとは、と言う

第一弾にふさわしい内容でした!聞き応えがありましたよ~!

その中で黒斎さんが「裏返る」と言う表現を使っていたんです。

「目覚め」を体験した後、価値観が引っくり返った、と言う意味で。

それを聞いた時「うぁ!!すげ!!」と思ってしまいました。

何と言う絶妙な表現!ぴったり!

今まで「外側」に宇宙があると思っていたのが、実は自分の内側にあって、

それがくるり、と引っくり返るんですよね。そいで自分自身が宇宙になる感じ。

「外」はないんです。全部「内側」にある。

(まぁ例によって私の勝手な解釈ですが!!)

うーん。さすが表現力キングですねぇ…


あそうだ!大事なことを忘れていました。

公演中、阿部さんがとにかく私達は愛されているんだよ、とおっしゃっていました。

私達が思うよりはるかに、絶大な愛で愛されている。

どんなに今孤独でも寂しくても、愛されていなかった瞬間なんてなかったし、

全ての存在からこの瞬間も愛されているんだって。

私達が愛されていないって感じる時は、自分からその絶大で純粋な「愛」から離れて

しまっているんですよね。

辛い事や苦しい事が起こったりすると、自分は愛されてないって思ってしまいます。

でも、自分に起こること全ては「愛」なんです。

とてもそんな風に思えないようなことでも、根底には必ず「愛」があります。

この「愛」は今世の中にはびこっている上っ面の「愛」じゃないですよ!

本当の愛です。ですので、一見分かりにくい場合もあるかもしれません。

私達は「表面」しか見られないことが多いですから。

その奥の本質に気づく事ができれば、「現象」に振り回されることも少なくなります。

「愛は地球を救う!」と言う言葉も、もう耳タコですよね。

誰もその言葉を聞いても、「感動した!」って立ち止まらないと思う。

でもその「本当の意味」を考えたら、ものすごいことなんです。

「愛」と言う言葉ほど、使い古されて、それぞれの「イメージ」で固定されてしまって

いるものはありませんよね。

けれども、その新鮮味のない世の中に溢れかえり、人々の手垢にまみれた「愛」と言う言葉の

本当の意味、「本質」を知れば、誰もが愕然とすると思うんです。

私達自身が「愛」ですから!


さて、長らくトークショー関連の記事にお付き合いいただきまして、ありがとうございました!

稚拙な記事にも関わらず、たくさんの方にご訪問いただきまして、感謝しています。

改めて、阿部さん黒斎さんの影響力をひしと感じました!

明日からは通常の、独断と偏見によるまったり徒然日記に戻りますので!よろぴこ☆



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆