こんにちは! ご訪問ありがとうございます!
えと、昨日の「いのちの食べかた」の記事に関してなんですが…
ちょっと付け足したいことが出来たので、続きを書きたいなぁ、と思います。
私がそのドキュメンタリーの一部を見る前、大体の「覚悟」をしていたんです。
動物を殺すんだから、きっと悲惨なんだろう、残酷なんだろうって。
昔学校の授業か何かで「」について習ったとき、とても残酷だった記憶があったんです。
でも衝撃を受けたのは、残酷さでも悲惨さでもなく…あまりにもシステマティックに物事が進んでいくところ、でした。
そこにはあるはずの「感情」が何も感じられず、美しさすら感じる静けさで、手際よくただ淡々と生き物が食べ物に変わって行く。
いや、最初から「生き物」じゃなかったんですね。
生まれた時から「食品」として認識され、扱われていたんだと思う。
そのことについて、自分が何も知らなかったことにも愕然としたんです。
で…
はなさんがコメントに書いてくださった「食肉には動物が命を絶たれる時のすさまじい恐怖が気として残っている」と言う情報は、私も聞いた事があります。だから肉食はあんまりよくない、と。
(あ!これは上記の情報に対しての私の個人的に感じること、でありますので、はなさんに対しての意見ではありませんので!ご了承いただければ幸いです☆)
それを聞く度、何かこう違和感があって。
なんでだろうなぁ?と思って考えてみたんですが…
やっぱりそこには「自分さえよければ」と言う思いがあるからなんだ、と感じるんです。
「食肉は人体によくない。だから食べない」と。
そう言う気持ちでの菜食ならば、当たり前のように肉を食べる人と変わらないと思うんです。
命を頂くことに関しては、私個人では動物も植物も同じだと思っています。
ですので、菜食が偉いとは思えない。
だって、自分が菜食にしたとしても、毎日同じ数の動物たちが食肉にされているんですから。
だったら感謝して、残さず食べようと思う。
でもこれはホント、個人の受け取り方なんですよね。
栄養の問題から言っても、肉を食べないとダメな人もいるだろうし。
逆にどうしても、肉を食べられない人もいるだろうし。
あれがよくて、これが悪いとか、こうしなきゃいけない、とか、こう考えないといけない、と言うことではなく。
大切なのは「食べ物」に対する、個人の意識なんだなぁ、と。
でもこうやって「考える」ことが必要なんだと思う。
なんだか「考える」ことはあまりよくないと捉えられがちだけど、そんなことはない。
まず最初にちゃんと「自分はどう思うのか、どう感じるのか」と言うことを考えることは必要だと思います。
でもその思考に捉われないってこと。
あくまで「考える」ことと「感じる」ことの「バランス」が大切なんです。
真実は思考を超えたところにあるので、考えて考えてやっぱり分からない、答えが出ないことにぶち当たると思います。
その時は、もう考えないってことで、最初っから「何も考えない」のがいいことではないんです。
誰かの意見に乗っかるとか、誰かが言っていたから、ではなく…自分はどうしたいのか、が最優先だと思う。
私個人の意見としては、自分が菜食だろうが肉食だろうが、全ての命に感謝して頂きたいなぁと思っています。
動物も植物も水も空気も。
日本は水がキレイですよね。
当たり前のように日常、水を使っているけれど…
これはホント、すごいことなんです。
水は命の生命線だと思う。水が汚てからでは遅いんだ、と思う。
だから人間が出来ること。
まずは思いっきり、生き切ること。自分の納得行くように、生きること。
どんな人生でもいい。何も成せなくてもいい。
たくさん感じ、心を動かしながら、楽しんで自由に精一杯行き尽くすこと。
それが一番だと思う。
で、あとは地球の素晴らしい環境を、人間がちゃんと管理することなんじゃないかなぁ。
家庭で出来る事から、やってみる。それだけでいいと思う。
「意識」することが大切だから。
動物や植物たちが豊かに生きられるように。
空気がキレイで清浄な大地と水を保てるように。
思うんです。
今の状況を非難し、嘆くよりも、お互いを批判し合うよりも、やることがあるって。
悪いことなんて何一つない。必要なことが起こっているだけなんです。
だったらそれをちゃんと受け取り、活かすことだと思う。
自分ならどうする?どうしたい?どんな地球にしたい?
自分が食べられる側ならどう思う?
そうやってみんな、一人ひとりがこの問題に、そしてそれ以外にも、起こっていることに対して意識の光を当てることなんだなぁって。
世界を変えるのは、自分自身の意識です。どの意識を選択するか、なんです。
お子さんがいらっしゃる方は、一度この「命」の食べ方についてみんなで考えて、話し合っていただきたいなぁ。
そうすると慣例化している「いただきます」と言う言葉に、ちゃんと「純粋な気持ち」が入り、自分から手を合わせたくなると思う。
そして私達がいま生きている、と言うことがどれほどスゴイことなのか。
自分を含めた全ての「命」に対して自然と感謝の気持ちが湧いてくるんじゃないかなぁと思います。
毎日、ありがたいね、ありがたいね、と言い合えることがたくさんある。
動物も植物も水も空気も大地もぜんぶ、自分だから。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!
感謝
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えと、昨日の「いのちの食べかた」の記事に関してなんですが…
ちょっと付け足したいことが出来たので、続きを書きたいなぁ、と思います。
私がそのドキュメンタリーの一部を見る前、大体の「覚悟」をしていたんです。
動物を殺すんだから、きっと悲惨なんだろう、残酷なんだろうって。
昔学校の授業か何かで「」について習ったとき、とても残酷だった記憶があったんです。
でも衝撃を受けたのは、残酷さでも悲惨さでもなく…あまりにもシステマティックに物事が進んでいくところ、でした。
そこにはあるはずの「感情」が何も感じられず、美しさすら感じる静けさで、手際よくただ淡々と生き物が食べ物に変わって行く。
いや、最初から「生き物」じゃなかったんですね。
生まれた時から「食品」として認識され、扱われていたんだと思う。
そのことについて、自分が何も知らなかったことにも愕然としたんです。
で…
はなさんがコメントに書いてくださった「食肉には動物が命を絶たれる時のすさまじい恐怖が気として残っている」と言う情報は、私も聞いた事があります。だから肉食はあんまりよくない、と。
(あ!これは上記の情報に対しての私の個人的に感じること、でありますので、はなさんに対しての意見ではありませんので!ご了承いただければ幸いです☆)
それを聞く度、何かこう違和感があって。
なんでだろうなぁ?と思って考えてみたんですが…
やっぱりそこには「自分さえよければ」と言う思いがあるからなんだ、と感じるんです。
「食肉は人体によくない。だから食べない」と。
そう言う気持ちでの菜食ならば、当たり前のように肉を食べる人と変わらないと思うんです。
命を頂くことに関しては、私個人では動物も植物も同じだと思っています。
ですので、菜食が偉いとは思えない。
だって、自分が菜食にしたとしても、毎日同じ数の動物たちが食肉にされているんですから。
だったら感謝して、残さず食べようと思う。
でもこれはホント、個人の受け取り方なんですよね。
栄養の問題から言っても、肉を食べないとダメな人もいるだろうし。
逆にどうしても、肉を食べられない人もいるだろうし。
あれがよくて、これが悪いとか、こうしなきゃいけない、とか、こう考えないといけない、と言うことではなく。
大切なのは「食べ物」に対する、個人の意識なんだなぁ、と。
でもこうやって「考える」ことが必要なんだと思う。
なんだか「考える」ことはあまりよくないと捉えられがちだけど、そんなことはない。
まず最初にちゃんと「自分はどう思うのか、どう感じるのか」と言うことを考えることは必要だと思います。
でもその思考に捉われないってこと。
あくまで「考える」ことと「感じる」ことの「バランス」が大切なんです。
真実は思考を超えたところにあるので、考えて考えてやっぱり分からない、答えが出ないことにぶち当たると思います。
その時は、もう考えないってことで、最初っから「何も考えない」のがいいことではないんです。
誰かの意見に乗っかるとか、誰かが言っていたから、ではなく…自分はどうしたいのか、が最優先だと思う。
私個人の意見としては、自分が菜食だろうが肉食だろうが、全ての命に感謝して頂きたいなぁと思っています。
動物も植物も水も空気も。
日本は水がキレイですよね。
当たり前のように日常、水を使っているけれど…
これはホント、すごいことなんです。
水は命の生命線だと思う。水が汚てからでは遅いんだ、と思う。
だから人間が出来ること。
まずは思いっきり、生き切ること。自分の納得行くように、生きること。
どんな人生でもいい。何も成せなくてもいい。
たくさん感じ、心を動かしながら、楽しんで自由に精一杯行き尽くすこと。
それが一番だと思う。
で、あとは地球の素晴らしい環境を、人間がちゃんと管理することなんじゃないかなぁ。
家庭で出来る事から、やってみる。それだけでいいと思う。
「意識」することが大切だから。
動物や植物たちが豊かに生きられるように。
空気がキレイで清浄な大地と水を保てるように。
思うんです。
今の状況を非難し、嘆くよりも、お互いを批判し合うよりも、やることがあるって。
悪いことなんて何一つない。必要なことが起こっているだけなんです。
だったらそれをちゃんと受け取り、活かすことだと思う。
自分ならどうする?どうしたい?どんな地球にしたい?
自分が食べられる側ならどう思う?
そうやってみんな、一人ひとりがこの問題に、そしてそれ以外にも、起こっていることに対して意識の光を当てることなんだなぁって。
世界を変えるのは、自分自身の意識です。どの意識を選択するか、なんです。
お子さんがいらっしゃる方は、一度この「命」の食べ方についてみんなで考えて、話し合っていただきたいなぁ。
そうすると慣例化している「いただきます」と言う言葉に、ちゃんと「純粋な気持ち」が入り、自分から手を合わせたくなると思う。
そして私達がいま生きている、と言うことがどれほどスゴイことなのか。
自分を含めた全ての「命」に対して自然と感謝の気持ちが湧いてくるんじゃないかなぁと思います。
毎日、ありがたいね、ありがたいね、と言い合えることがたくさんある。
動物も植物も水も空気も大地もぜんぶ、自分だから。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!



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