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☆Rainbow Light☆

日々の徒然日記。最近は日本の現状を綴っています。

いのちの食べかた 2

2009-06-15 | いのちの食べかた
こんにちは! ご訪問ありがとうございます!

えと、昨日の「いのちの食べかた」の記事に関してなんですが…
ちょっと付け足したいことが出来たので、続きを書きたいなぁ、と思います。


私がそのドキュメンタリーの一部を見る前、大体の「覚悟」をしていたんです。
動物を殺すんだから、きっと悲惨なんだろう、残酷なんだろうって。

昔学校の授業か何かで「」について習ったとき、とても残酷だった記憶があったんです。

でも衝撃を受けたのは、残酷さでも悲惨さでもなく…あまりにもシステマティックに物事が進んでいくところ、でした。

そこにはあるはずの「感情」が何も感じられず、美しさすら感じる静けさで、手際よくただ淡々と生き物が食べ物に変わって行く。

いや、最初から「生き物」じゃなかったんですね。
生まれた時から「食品」として認識され、扱われていたんだと思う。

そのことについて、自分が何も知らなかったことにも愕然としたんです。


で…

はなさんがコメントに書いてくださった「食肉には動物が命を絶たれる時のすさまじい恐怖が気として残っている」と言う情報は、私も聞いた事があります。だから肉食はあんまりよくない、と。

(あ!これは上記の情報に対しての私の個人的に感じること、でありますので、はなさんに対しての意見ではありませんので!ご了承いただければ幸いです☆)

それを聞く度、何かこう違和感があって。

なんでだろうなぁ?と思って考えてみたんですが…

やっぱりそこには「自分さえよければ」と言う思いがあるからなんだ、と感じるんです。
「食肉は人体によくない。だから食べない」と。

そう言う気持ちでの菜食ならば、当たり前のように肉を食べる人と変わらないと思うんです。

命を頂くことに関しては、私個人では動物も植物も同じだと思っています。
ですので、菜食が偉いとは思えない。

だって、自分が菜食にしたとしても、毎日同じ数の動物たちが食肉にされているんですから。

だったら感謝して、残さず食べようと思う。

でもこれはホント、個人の受け取り方なんですよね。

栄養の問題から言っても、肉を食べないとダメな人もいるだろうし。
逆にどうしても、肉を食べられない人もいるだろうし。

あれがよくて、これが悪いとか、こうしなきゃいけない、とか、こう考えないといけない、と言うことではなく。
大切なのは「食べ物」に対する、個人の意識なんだなぁ、と。


でもこうやって「考える」ことが必要なんだと思う。

なんだか「考える」ことはあまりよくないと捉えられがちだけど、そんなことはない。

まず最初にちゃんと「自分はどう思うのか、どう感じるのか」と言うことを考えることは必要だと思います。

でもその思考に捉われないってこと。
あくまで「考える」ことと「感じる」ことの「バランス」が大切なんです。

真実は思考を超えたところにあるので、考えて考えてやっぱり分からない、答えが出ないことにぶち当たると思います。

その時は、もう考えないってことで、最初っから「何も考えない」のがいいことではないんです。

誰かの意見に乗っかるとか、誰かが言っていたから、ではなく…自分はどうしたいのか、が最優先だと思う。

私個人の意見としては、自分が菜食だろうが肉食だろうが、全ての命に感謝して頂きたいなぁと思っています。

動物も植物も水も空気も。

日本は水がキレイですよね。
当たり前のように日常、水を使っているけれど…

これはホント、すごいことなんです。
水は命の生命線だと思う。水が汚てからでは遅いんだ、と思う。


だから人間が出来ること。

まずは思いっきり、生き切ること。自分の納得行くように、生きること。
どんな人生でもいい。何も成せなくてもいい。

たくさん感じ、心を動かしながら、楽しんで自由に精一杯行き尽くすこと。
それが一番だと思う。

で、あとは地球の素晴らしい環境を、人間がちゃんと管理することなんじゃないかなぁ。

家庭で出来る事から、やってみる。それだけでいいと思う。
「意識」することが大切だから。

動物や植物たちが豊かに生きられるように。
空気がキレイで清浄な大地と水を保てるように。


思うんです。

今の状況を非難し、嘆くよりも、お互いを批判し合うよりも、やることがあるって。

悪いことなんて何一つない。必要なことが起こっているだけなんです。
だったらそれをちゃんと受け取り、活かすことだと思う。

自分ならどうする?どうしたい?どんな地球にしたい?
自分が食べられる側ならどう思う?

そうやってみんな、一人ひとりがこの問題に、そしてそれ以外にも、起こっていることに対して意識の光を当てることなんだなぁって。

世界を変えるのは、自分自身の意識です。どの意識を選択するか、なんです。

お子さんがいらっしゃる方は、一度この「命」の食べ方についてみんなで考えて、話し合っていただきたいなぁ。

そうすると慣例化している「いただきます」と言う言葉に、ちゃんと「純粋な気持ち」が入り、自分から手を合わせたくなると思う。

そして私達がいま生きている、と言うことがどれほどスゴイことなのか。
自分を含めた全ての「命」に対して自然と感謝の気持ちが湧いてくるんじゃないかなぁと思います。

毎日、ありがたいね、ありがたいね、と言い合えることがたくさんある。
動物も植物も水も空気も大地もぜんぶ、自分だから。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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いのちの食べかた

2009-06-14 | いのちの食べかた
こんにちは!今日もご訪問ありがとうございます!


そう言えば、ずいぶん前になるんですけれど、「肉や魚などの食材が、私達の見慣れている形でスーパーに並ぶまで」を撮影したドキュメンタリーの一部を見たことがあります。

突然思い出したので、書いちゃいます!

何のナレーションも入れず、音楽も入れず…ただ淡々と、その作業を一通り映しているだけ、なんですが…

家畜…いわゆる食料になるために飼育されている動物たちが、まるで「物」のように扱われていることに、衝撃を受けました。

「命」の扱いじゃなかったんです。
生まれたばかりのヒヨコたちが、製品のようにベルトコンベアの上に流され、仕分けされ…窓の無い鶏小屋で鶏達がひしめき合っている。

食べごろになると、掃除機のような機械で吸い込まれ、あっと言う間に羽をもがれ「食べ物」になっていく。

私が見たのはそれだけだったんですが、豚や牛や魚や…他の「食材」も同じように撮影されているそうです。

そのドキュメンタリーを撮った監督は、「この映像をショッキングだと感じたなら、わたしたちの今の暮らしこそが、ショッキングなのだ。」と言っていました。

肉食が悪い、とは言いません。
同時に、菜食だから偉い、とも思いません。

大切なのは、どのような意識で食べ物を頂いているか、と言うことだと思う。

けれども、どんな人でも…自分が口にする食べ物がどのようにして目の前にやって来たのか、知ることはとても重要だと思います。

今の世の中、知らない人が殆どだし、そのことについて何の疑問も抱かない人が殆どだと思うから。

小さいときから「食べ物」はスーパーで売っていて、それを買って食べる。
それが当たり前なんですよね。だから疑問も抱かない。

そう言えば、魚は「切り身」のままで泳いでいると思っていた子供がいた、と言う話を聞いた事があります。
愕然としましたが!それもまた事実…

まずは「事実」を知ること、だと思う。
知った上でどのような判断をするのか、と言うのは個人の問題ですから。

現代、私達が「知ろう」としなければ、一生知らないまま終わることがとても多いと思う。都合の悪い情報は隠されがち。

(ちょっと話がずれるけれど…「チベット問題」にしてもそうだった。
私は「北京オリンピック」のあの事件がなければ、ずっと知らないままだったと思う。)



生きる、と言うことは同時に「命を頂く」ことだと思う。

ここからでも私達は「一つの命」を感じられるのではないかなぁ、と思う。

私達は、命を共有している。
決して奪い合っているのではない。

だったら、他の命を頂いて生きる人間が出来ることって何だろう?
人間だからこそ、いま出来ることがたくさんあると思う。



PS.調べました!「いのちの食べかた」と言うドキュメンタリーでした。 
 興味のある方はゼヒ。DVDも発売されてマシタ。HPはコチラ

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