☆Rainbow Light☆

日々の徒然日記。最近は日本の現状を綴っています。

考える

2009-11-30 | 池田晶子(哲学)
こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


いやぁ~!昨日に引き続き。

池田晶子さんの「14歳からの哲学」読み終えました!

面白かった~!素晴らしかった。

今まで読んだ本の中で(小説以外で)三本の指に入るぐらい、面白かった。

読んでいる間、どきどきわくわくするような高揚感と、ちょいっと涙が出そうな感動がありました。

読んでる間は幸せで幸せで。
「オイラここにいるぜ!」って言う、リアルな感覚がありました。

「ほんとうのこと」は、リアルでパワフルなんですよね~。


そのぐらい自分にとっては素晴らしい本だったのですが!

コメント欄にisacさんがAmazonの書評について書いてくださったので、見てきました。

そしたら!ホントに真っ二つ。

面白くない、分からない、疲れる、最初のページで読むのをやめた、などなどと、バッサリ。

もしこの本を買おうと迷ってらっしゃるなら、この書評も見るといいかもしれません。両方の意見が見れて面白いですよ!

内容が分からない、と言うのは分からなくもないけれど、面白かったのは意外にも「偉そう」「上から目線で腹が立つ」「他の人たちは分かってないけれど自分は分かっているって態度が嫌」「傲慢すぎる」「自分の考えを押し付けているだけ」と言う評価もありました。
それで読むのをやめた人もいたりして。

これにはちとびっくりしました。

自分はそんなこと、読んでいて全く感じなかったんですね。
語りかけ口調で書かれているので、優しいな~と思ったぐらいで。
そう受け取る人もいるのか!!と。

これこそ、以前の黒斎さんのところで記事にあった「人は自分の思うように受け取る」ことなんだなぁ、と。

特に『やさしさを持て』に書いてあったように

「娯楽用に書かれた本ではなく、まとまった主張や思想を書いた本は性格のきつい人間のようなものだ。

読むとは、そういう人間とつきあうということと同じだ」なんですよね。

もっと押し付けがましい本や、ドギツイ表現の本はいっぱいあるし、そんな本は不快になるから一切読まないとしたら、本当にもったいない。

表現の仕方は人それぞれなので、合う合わないあると思うけれど…大切なのは何が書いてあるか、ですもんね。


あと面白かったのが、池田さんほど「考える」ことをしている人はいないだろうに、「内容が幼稚すぎる」「無知だ」と書いてあったこと。

そう。

内容は一見簡単に思える。

けれども、簡単なものほど、簡単であるがゆえに奥が深いもんなんですよね。



この本には、答えは書かれていません。

なぜなら自分で「考える」ことをススメる本だから。

私達はいつだってどこかに「答え」があると思ってきた。

なので、分からなければすぐに答えを「教えてもらおう」とする。

でも答えなんて、どこにもないんです。

たとえ、別の人が出した「答え」を教えてもらったとしても、それは自分の答えじゃない。

それはただの「情報」に過ぎない。

これは本にもあったけれど「分かる」とは何か、「知る」とは何かってことなんですよね。

これについても面白かったので、ぜひご一読を!


で、ここで問題になるのが「考える」ことですよね。

今まで「考えるな!感じろ!」と再三言われて来たのに、池田さんは「考えろ!」と言う。どっちが本当なの!?って。

ここで注意して欲しいのが、「考える」の意味なんです。

私達が「考えるな!」と言っている「思考」は、いわゆる「無意識、無自覚の思考」のこと。

例えば何かをしていたり、ぼ~っとしていたりすると、頭の中で意図しなくても何かの「思い」が回っていますよね。

「何であの時あぁ言ったのかなぁ~」とか「アノ人嫌な感じだな~」とか「早く仕事終わらないかなぁ~」とか「もうすぐ○○がある。どうしよう~」とか。

いわゆる「考えごと」ですよね。

自分が無意識に、頭のなかで思考をこねくり回している、堂々巡りの思考。
「思考に支配された」状態のことです。

一方、池田さんが言う「考える」は、「意識した、自覚のある思考」を指します。

それは「意識的」でなければ決して考えられないことなんです。

「生きるとは何だろう?」「自分の存在とは何だろう?」「善とは?悪とは?」
この疑問は、無意識でいるときは決して浮かんではきません。

意識的に生きるからこそ、疑問に思う命題なんですね。

それについて「考える」ことは、「気付く」ことを促します。

必ず、「あぁそうか!」と言うヒントに出会える、方向を示す「思考」なんです。

ですので、思考も大切。「考える」ことが出来るのは人間だけ。

ただそれに「支配されるな」「使われるな」ってこと。
無意識に生きていれば、思考に支配されてしまいます。

でも「意識的」に「いま」にいることができれば、そんなことはないんですね。
考える時は考え、考えないときは考えることを「やめる」ことができるから。

ですのでこの「考えるな、感じろ!」と言う言葉一つとっても、それが「知識」ならば、人は「考えちゃだめなんだ」と「言葉通り」に受け取ってしまいます。

そして、考えないように考えないようにしてしまうんですね。

でもその意味が分かれば…「理解」すれば、考えること自体ががダメなんだ、悪いんだと思わないんですね。

なぜなら、そこに到るまでの間、一度は「自分とは何か」「生きるとは何か」「人間とは何か」「命とは何か」「死ぬとはどういうことなのか」と言うことについて死ぬほど考えていると思う。

でも答えは出ない。
けれども、それによって…その問いに「フォーカス」することによって、「気付く」ことが出来るんです。

その気付きをまた、「考える」(思考)によって言葉に翻訳する。
そうして「理解」が深まる。

思考を超えるには「感じる」ことが大切です。
でもその第一歩になってくれるのが「考える」ことなんですよね。


なので、書いてあることが分からなくてもいい。
それらの「根本」の問題について「意識を向ける」ことが大切なんだ。

「なぜなんだろう?」と。それが自分を知る、第一歩だ。


当たり前のことを考えるってことができるようになれば、自分との対話の仕方が分かれば、生きていけるもんね。

誰かのせいにしたり、社会のせいにしたりせずに、自分の人生を「責任」を持って。


最後に抜粋。

自分で考えて知ることだけが「知る」ということの本当の意味で、知識を覚えて知っているだけのことを「知る」とはいわないと言ったね。

まさかこの本を暗記して覚える人はいないと思うけど、一通り読んで、
ハイそういう考え方もあると知りましたというのでは、何を知ったことにもならない。

もし君が、この本に書いてあることを自分で考えて、自分の知識として確実に知ったのならば、
君の生き方考え方は、必ず変わる。変わるはずなんだ。

本当に知る、「わかる」とは、つまりそういうことなんだ。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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自分とは何か!?

2009-11-29 | 池田晶子(哲学)
こんつわ!ご訪問ありがとうございます!


いやぁ~!今ですね、鉛筆削りさんからご紹介いただいた、池田晶子さんの「14歳からの哲学」を読んでいるんですけれども!

めっさ面白い~!これは面白い。

まだ途中にも関わらず、あまりの面白さにブログに書いちゃいます。

これはホント、みんな読んだらいいんじゃないかな~って思う。

中学生はもちろん、「思い込みでガチガチになった」大人も!

今まで思いもしなかった「当たり前」のことを考えてみよう、焦点をあててみようってもの。

そうすると「あれ?あれれ?」って戸惑う事に気付く。

常識だと思っていたことが、実は「そういえば、どうしてそうなんだろう…」と分かってなかったりするんですよね!

まだ途中なんですが、印象深かった内容をちと抜粋。


「自分とは誰か」


子供は、世界に存在するものには名前があると知り、「ワンワン」「ブーブー」と教えられて覚える。
大人の言葉を真似るんだ。

そしてある時、「○○ちゃん」と言い出す。
大人が自分のことを指して「○○ちゃん」と言っているのを真似て
自分には「○○」という名前があると知るわけだ。

自分とは「○○」のことである、自分と「○○」は同じものであると、ここで思ってしまうんだ。
よく注意してほしい。

その名前を教えられる前、君はただ自分は自分であると思っていた。
いや、正確にはただ自分だったんだ。

その「自分である」ということは、名前より先にあるもの、名前ではない別のもの、また何ものでもない何ものかだったはずなんだ。

(中略)

自分は自分であって自分以外のものではない、名前でも「私」という代名詞でもない、何ものでもないものなんだ。

だけど、その何ものでもないものが、まぎれもなく自分であると、君には分かる。どうして分かるのだろうか?
自分が自分であると、どうして分かるのだろうか。

いろいろ教え込まれる前の小さな子供は、この不思議な感じを理解していることが多いようだ。
残念ながら君たちは、もう十数年も生きちゃって、いろいろ教えられて、いろいろ覚えちゃったから、思い出すのはちょっと難しいかもしれない。

だからって全然遅くなんかないんだ。
まわりの大人たちを見てごらん。

気の毒に、間違った思い込みでガチガチに固まって、こんなの何を言っているのかさっぱりわからないって顔をするはずだから。

間違った思い込みは、自分を名前と思うところから、次第に広がっていくことになる。

世界に存在するものには名前があるから、犬や自動車が存在するのと同じ仕方で、自分と言うものも存在していると思ってしまうんだ。

でもこれは違う。

だって自分はその名前のことじゃないんだから。




と言うふうに、自分自身とは何か、と突き詰めて考えると、ちょっと混乱しますよね。
自分とは体か?脳か?心を指すのか?と。
(ここら辺も、本にはちゃんと書いてあります)

…と言うことは「他人とは何か」と言うことも、同時に分からなくなる、と言うこと。

なぜなら他人とは「自分以外の人間」なんだから、自分の存在が「ここからここまで」と明確に定義できないとしたら、他人の存在もあやふやになってしまう。

で、ここでも一つ抜粋。

「他人とは何か」


自分が絶対的である、というのは、考えているのは自分だし、見ているのも自分である、自分でないものが考えたり、みたりしているということはありえない、そういう意味で絶対的だということだ。

この自分は「大きいほうの自分」と呼ぶことにしよう。
中学三年生の君は、「小さい方の自分」だ。
これ以後の「自分」はすべて「大きいほうの自分」の意味だ。

君は驚くと思うけど、この意味で、「世界」つまり全てのことは、この大きい自分の存在に依ってっている。
自分が存在しなければ、世界は存在しないんだ。

自分が存在するということが、世界が存在するということなんだ。
世界が存在するから、自分が存在するんじゃない。

世界は、それを見て、それを考えている自分において存在しているんだ。
つまり、自分が、世界なんだ。

続きを考えてゆこう。

自分が世界であり、世界は自分において存在しているのだから、当然、他人というものの存在もそうだということになる。

世界にはたくさんの他人が存在していて、それぞれに生きているけれども、それらは全て自分が見ているその光景だ。
自分がもし存在してなくて、自分がみているのでなければ、それらは一切存在しない。

世界も他人も存在しない。、

なぜなら、それらを見ている自分が存在しないからだ。

でも「自分が存在しない」ということは、「ない」、ということも、先に気づいた事だったね。

だからやっぱり、すべては存在するんだ。
存在しないということはなくて、世界も他人も存在するんだ。

全てが自分として存在するんだ。
なぜなら、自分でないものが存在するということはないからだ。
「他人」なんてものは存在しないと最初にいったのは、この意味だ。

他人の存在を認めないとか、世界には自分しか存在しないとか、そんな子供のわがままみたいな話をしているんじゃない。

これは本当に深くて、本当に難しい話なんだ。

世界の謎そのものだと言っていい。



うぉ~気持ちイイ!

自分が存在しなければ、宇宙すら存在しないと言う、説明が困難なことを、理路整然と分かりやすく説明できるなんて~

(この抜粋だけだと分かりにくいかもですが、本では一つ一つの章でかなり詳しく説明されています。特に「死をどう考えるか」を読むと繫がります。)

池田さんってスゴイ人ですね!

哲学書なんて読んだことなかったけど、もっと早く読んどきゃよかった~って思ったけど、これもまたタイミング…

もう一冊、「人生のほんとう」も買ったので楽しみっス!

池田さんの本はめちゃめちゃたくさん出ているので、またぼちぼち読んでみたいと思います!「残酷人生論」もね!

「自分とは何か」って疑問は誰しも一度は考えたことがあると思いますが、ほんと「スタート」なんですよね!

「スピリチュアル」に偏らずに、真っ向から当たり前のことを…「生きる」こと「死ぬ」こと「自分」「他人」「言葉」「言葉の意味」…などを「考える」こと、その先に見える「真実」について語っているこの一冊は紛れもなく良書です。

大抵の人は「自分とは?」と問うと、この皮膚に覆われた体のことだ、と答えると思う。そしてその答えに何の疑問も感じないと思う。
だって、当たり前(と思っている)だから。

が、そこに「本当にそうなのだろうか?」と問いを投げかけること…「生まれたときからそうであった」常識(観念)に、「なぜ?」を問うことに意味がある。

それが真実への一歩だからだ。


あ、最後にもう一つ抜粋。長くなってごめんよっ!

自分は自分でしかないことによって「すべて」である。

(「すべて」というのは文字通り、すべてのこと。
他人も、他人の体も他人の心も、全世界、全生物、全宇宙、つまり森羅万象だ)

矛盾しているように聞こえるけれども、これも自分というものの存在の仕方の真実だ。

矛盾というのはそれ自体が真実であるということも、ちょっと覚えておくと役に立つでしょう。



抜粋を読んで興味が出た人はぜひ!ご一読ください!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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あなたのままで

2009-11-28 | メッセージ


わたしたちはつい

他人のことをうらやんだりして

あ~あの人みたいになりたい

でも

あの人みたいになれない

あの人みたいにできないって


落ち込んだりするかもしれないけれど


この世に生まれて来て

自分が心からやりたい!って思うことは

自分しかできないんだ

あの人にも

誰にもできない

あなたしかできないんだよ


自分にないものを求めるんじゃなくて

自分にあるものを認めて

それを活かそう

最大限にね!


あなたはあなたのままでいい

他の誰にもならなくていいよ


あなたはあなたのままで

できることがあるから



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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正義の味方!?

2009-11-27 | この世の仕組み

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


いやぁ~!たくさんのコメントありがとうございました!!

改めてお礼を言わせてください。


みなさんもいろいろ、落ち込んだり自己嫌悪したりするかもしれません。

自分には何の力もないって思うかもしれません。

けれども、

みなさんが書いてくださった「ありがとう」「おめでとう」のコメントが

どんなに私を励まし、癒し、勇気付けてくれたことか~!!

あなたの投げかけた「ありがとう」の一言が、相手に取ってかけがえの無い一言になるんです。

自信を持ってくださいね!

ほんとうに、ありがとう。

それがまた、周り回ってみなさまの所へ還って行きますように…


さてさて。


正義のヒーローは、実は正義の味方じゃない。

正義のヒーローさえいなくなれば、悪は滅びる、と言うロジック。


「正義」を定義するから、その対極の「悪」が現れる。

最初から「正義」を定義しなければ、「悪」はないのだ。


え?人を殺すのは悪じゃないのかって?

この手の話を出すと、必ずそう来るのよね~(どんなノリだ)

ハイ。悪ではありません。

ただその人が選択した「行為」に過ぎません。

それをやるか、やらないかは本人の選択。

例えば法律で「人を殺してよし!」と定められたら

アナタは「ヤッタネ!」と人を殺しますでしょうか?

そうですよね、殺さないですよね。

それは「殺したくないから」。

ですよね。

(…何だか物騒な文面になってきたなぁ…)


「法律で定められているからしない」とか「悪いことだからしない」んじゃなく「やりたくないからやらない」と言うのが、自然なんですネ。

なぜなら、する必要ないから。

それを「知ること」が大切。


まず、自分の為を考える。

そのとき、「何が自分の為になるのか」ってことを明確に分かってないといけませんよね。

で、本当に自分の為になることは、人の為にもなること、なんです。
これが宇宙の法則。

もし自分の為を考えて、自分だけが得をして人が犠牲になるようなことなら、それは本当の意味で「自分の為にはならない」ってこと。

と言うことは、自分の為にも人の為にもならないってことなんです。

人の為になるけれど、自分が犠牲になってしまうことも同じ。


自分の行ったものは、自分に還ってくる。
これも宇宙の法則。

自分の蒔いた種は、自分で刈り取らねばならないんですから。

それが分かっていれば、誰もあえて自分を苦しめるようなことはしない。

そんな方法を取らずとも、豊かで幸せになる道があるんです。

多くの人がそれに気付き、その選択をして欲しいなぁ、と思う。


…と言うことで

桃太郎侍さんねずみ小僧さん必殺仕事人さん!
すみません。

廃業です!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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一年!!

2009-11-26 | 日々のこと


こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


うぉ~!今日はいい天気だぜぃ!!

気持ちいいねぃ~!


そういえば…

このブログの編集画面をふと見ると…

ブログ開設してから372日、とあるじゃあ~りませんか!

2008年11月19日に開設していたのだ。

いつの間にか一年経ってた…すご!

三日坊主のワタクシが、一年も続けられるなんてねぇ…感無量。

これも読んでくださるミナサマのおかげです!ありがとう!


このブログを書こうと思ったきっかけは、自分が分かったことや知ったことを

ここで書くことで、自分と同じように苦しんでいる人たちの、何でもいい何か役に立たないだろうか、

と思ったのが始まりでした。


でも一年経ち、少しずつこのブログに対する気持ちも変わってきました。

これはみんなに伝えるのと同時に、自分に対してのメッセージでもあるんだなぁってつくづく思います。

自分の為に、書いてたんだなぁ…って。

書きながら気付くことがたくさんあるし…

もういっそ、赤裸々ロールプレイングブログにしちゃう!?

なんつて。バクリになっちゃう(笑)


しかしホントうまくできているなぁ~!!と痛感。

この一年、たくさんのことがあり、その分たくさんのことを教えてもらいました。



スピリチュアルって言うと現実離れしたように感じる人もまだまだ多いけれど

本当は理解すればするほど、「現実的」になるんですよね。

私達がいるのは「いま」「ここ」ですから。

他人がどうしているか、じゃなく

自分がどうしたいのか、ってことが大切。


宇宙の叡智や智慧を知り(自分自身を知り)理解し、(←私は思い出す、のがしくりくるけれど)
そしてそれを最大限に活用して、この一度しかない人生を思うように、好きなように生き切ることだと。

こないだ紹介した佐藤淳教授や、ネイチャーテックの石田教授とか、その他にも

宇宙の叡智や法則を現実に活かしている人はたくさんいるんですよね。

そのような本人が気付いてようがいまいが、悟ってようがいまいが関係なく、現実を生き生きと生きている、素晴らしい人はたくさんいる。

だから、考えすぎないこと!

「いま自分は何ができるのか」ですよね。


この世が夢だ、ドラマだって言うのは決して「だからいい加減に生きていいよ」「どうでもいいよ」って意味じゃないんです。

視点の次元を上げようよ、ってこと。

それに気付けば、気付かなかったときよりももっと自由に、リアルにアグレッシブに生きられるもんね。

それを知ることで、今まで恐くて出来なかったことが、恐れずに一歩を踏み出せる。

ね!


さぁ~!また一年を目標にぼちぼち頑張りたいと思います~!

一年の感謝を込めて。ありがとう~~!!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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ある会話

2009-11-25 | 生きる

おや、お嬢さん
こんなところでどうしたんだい?


…わからないの。

悲しいの。寒いの。孤独なの。


みんな、私を見てくれないの。

透明人間になったみたいなの。

だれも私を必要としてくれないの。

それで分かったの。

あぁそうか、自分は必要ない人間なんだって。

そしたら、こんな所に来てしまったの。

ここから出られないの。

でもいいの。

誰も私を必要としてくれないんだもの。

誰も私を愛してくれないんだもの。

いなくってもいいでしょ?

胸が痛いんだもの。

悲しいんだもの。


ふぅん、そうかい

だったら聞くけれど、君は誰かを必要としていたのかい?

誰かをちゃんと見ていたのかい?

誰かを愛していたのかい?



…分からない。



きちんと考えてごらん



…いいえ。誰も見ていなかった気がする…



そうだろう?

君は誰も愛してなかったし

誰も認めてなかったし

誰も尊敬してなかったし

誰も必要としていなかったし

誰も見ようとはしなかったし

誰にも心を開いてはいなかったんだよ

どう思われているのか

他人の目ばかり気にをして

誰にも何も与えてないのに

好かれたい、だって?



君はいつだって愛されている

けれど

愛と依存を混同しちゃあいけない

愛は優しくて君を温めてくれるけど

甘やかしちゃくれないよ



人は孤独さ

誰しも一人だ

自分を受け入れるってことは

孤独を受け入れるってことだ


さぁ

一人で立ちなさい

孤独と向き合いなさい

引き受けなさい

逃げたり

ごまかしたり

誰かにせいにしないで


自分の人生を

一人で歩きなさい

転んだら

一人で起き上がりなさい


そうすれば

きっと気付くことがあるよ

今まで見えてなかったものが

分かるはずさ



誰も君を必要としてくれない

だったら君が君を必要とすればいい

誰も君をみてくれない

だったら君が君を見ればいい

誰も君を認めてくれない

だったら君が君を認めればいい

誰も愛してくれない

だったら君が君を愛せばいい


差し伸べられる手を待つんじゃなくて

自分から一歩を踏み出すんだ

君の足で

その勇気が

君にはあるはずだ



…あなたも、孤独なの?



そうさ

けれど、満たされているよ

一人ぼっちだけれど

一人じゃないからね

君がここにいるじゃないか

それがどんなに

すばらしいことなのか

君にわかるだろうか?

君と共に在れるこの喜びが

君には分かるだろうか?

僕は(君は)一人じゃないんだよ

孤独を受け入れたものだけが

それに気付くことが出来るんだ

分かるかい?



…分かんない。



そのうち君にも分かるさ!

さぁ

そこから出る気になったかい?



…やってみる。



君の人生は君だけのものだ

代わりに歩いてくれる人は

誰もいない


だから

痛んだその胸も

流したその涙も

届かなかった叫びも

きっと

優しく君を包んでくれるよ

君は弱い

けれど

それを知っている君は強い



うまく歩けなくってもいい

転んでもいい

立ち止まってもいい

それでも

また一歩を踏み出すんだ


それがかけがえのない

君の人生なんだから


人生、受け入れた分だけの…

腹を括った分だけの『流れ』がやってくる


大きいことをしているように見える人は

それだけの覚悟をしているってこと



誰に何と言われようと

思いを胸に

自分の歩きたい道を行け

それがたった一人でも




今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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人生うまくできてる

2009-11-24 | この世の仕組み

こんにちは!ご訪問ありがとうございます。



人を裁くってことは当然、自分も裁かれているってこと。

人を排除するってことは当然、自分も排除されているってこと。

人を否定するってことは当然、自分も否定されているってこと。

人を騙すってことは当然、自分も騙されているってこと。

人に優越感を感じるってことは当然、劣等感を感じているってこと。

誰に?

自分に。


人は自分が正しいと思う世界でしか生きられないんですよね。

よって何をしようが、自分が正しい。

何を言われようが、自分が正しい。

それしか信じていないし、見えてないんですから。

「正しい」「間違っている」と言う二元性のルールの元で生きている限り、自動的に「相手が間違っている」ってことになっちゃうんですネ。


でもこの世の中、誰がそんなことを決められるんだろうか?って思う。


みんな正しいし、

みんな間違っている。


結局「正しい」も「間違っている」も同じで、そんなもの最初からないんだから。


「こうじゃなきゃダメだ」って考えから解放されたら、もっと楽ちんになれるよ。

真実は一つだけど、解釈は人の数だけあっていいんだ。

自分の足で、経験で、見つけていけばいいと思う。


許そうね。

いまのありのままの自分自身を。

そうすれば、他人の違いも許せる。


フォーカスすべきは他人じゃなくて、自分の心。

心や感情が「平安」な方を選ぼう。

いつだって選択できるんだから。



どうしても「感情が波立つこと」や「引っかかること」「不快なこと」があるとすれば、大切なことが潜んでいたりする。

それを見てみぬフリをせず、しっかり見つめよう。
感情を抑えたりせず、しっかり味わおう。

醜い感情だって大丈夫。
それが人間なんだから。

ありのままの、自分の感情をしっかり受け止めよう。


そうすればたくさんの「思い込み」が見つかると思う。

ちっぽけな自分が、自分を守ろうとしてジタバタしてたり
状況をコントロールしようとして悪戦苦闘してたり。

ワォ!

そしたら、そう言う機会を与えてくれた貴重な「相手」に感謝しようね。

「ありがとう!あなたのおかげよ!」って。


ほんと人生、うまくできてる。

無駄なことなんて、何一つないですよね!



今日は徒然なるままに。お付き合い頂いてありがとうございます。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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面白い人

2009-11-23 | 生きる

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


ちょっとね~面白い人を発見したので、ちとご紹介~!したいと思います。

東京大学准教授で、海洋生物学者の佐藤克文さん。

HPはコチラ。


データロガーを使ったバイオロギング研究をやっている人で、世界的にもかなり有名らしい。

学者界での「世界の10人」にも選ばれ、何とかって言う(ゴメン忘れた)賞ももらっているそうで。

肩書きだけ聞いてれば、すごい人なんだな~って思うけれど、本人は子供をそのまま大人にしたみたいな人。


「科学者たるもの異端であれ!」と言わんばかりに、数々の謎を解明してきたそうなんです。

変温動物と思われていた亀の体温は、実は一定だったり。

恐竜で有名な翼竜は、実は空を飛ばないことを証明したり。などなど…


学者たちが主に使うような、世界の生物の詳細を網羅した百科事典のようなものっそい分厚い本をめくりながら、
「研究が進めば、ここに書かれてある三分の一は書き換えられる。僕の付け入る隙がここにあるんだ」

とにやりと笑いながら言っていました。


今現在、結論が出て「常識」とされているものを、常識と受け取らない。

彼は言います。

頭のいい学者は、不確定要素のある実験はやらないんだそう。

こうやれば結果が出るだろうと、予めある程度分かっているものだけを研究する。

だけど、佐藤教授は関係ないと言う。

結果が出るかなんて分からないけど、やりたいからやる。

自分がわくわくするようなことをやる。ただがむしゃらにやる。
そうすると結果が出るんだって。不思議だね(笑)


昔から少し変わった子供だったそうで…

常に「人と違ったことをやる」と思ってきたそう。

そうやって、常識はずれで他の人たちがバカにしたり、見向きもしなかったことをやって、成果を上げてきたんですね。

今現在やっている「データロガー」もそうなんだって。

データロガーと言うのは、アザラシや亀の背中に小さなカメラを取り付け、そのまま元の場所に放す。

しばらくして自動的にカメラが放され、海に浮かぶカメラを回収し、その映像からデータを取る、と言うもの。

人間がカメラを持って極寒の海を潜るより、はるかに長時間、そして自然な生物の生態が分かるんだそうです。

それによって、新たな動物の生態が明らかになっているんだ、と。



佐藤教授たちは、世界中の海洋生物がいる海に調査に行きます。

けれどもどんなに入念に準備をしても、時には何週間かけても、収穫がゼロの時もある。

でも彼は言います。

現在の研究は段取り、効率、論理重視。

その場合は、不測の事態が起こりにくい。

けれども、真実と言うものは、その不測の事態に潜んでいる。

だからいかにそれに迫れるか、と言うことだ、と。


一見、意味のないことをやっているように見えるかもしれない。
無駄なことをやっているように見えるかもしれない。

けれど、それも大切なんだ。

その無駄が次にに繫がる一歩になるかもしれない。
アクシデントが思わぬ発見に繫がることだってある。

先のことなんて、やってみなきゃ分からない。


自分は世界の常識を覆したいんだ、と少年のように笑いながら言いました。

今までと同じ視点で、同じことをやっても新しい発見をすることは難しい。

でも、たとえ同じものであっても違う視点で見るだけで、それだけで新たな発見がある。

でも既存の常識に捉われていると、そういったものの見方が出来なかったりする。

どれだけ現在まかり通っている通説や常識から外れて考えれるか、行動できるのかってことだろうなぁ。


世の中には面白い人がたくさんいますね!

今までのやり方を踏襲し論理的思考をしつつ、謎があれば体を張って目の前の生物を徹底的に調査する。
そして謎を解明し、新たな「真実」を発見してきたんですね~。

教授はこの地球には、まだまだ未知の分野がある、と言います。
それにチャレンジし続けている人たちがいるんですね。


誰も通ったことのない新たな道を拓こうとすれば、困難が立ちはだかる。
石のつぶてを投げられることもあるだろう。
謂れのないそしりを受けることもあるだろう。
理解されずに背を向けられることもあるだろう。
だが道を拓くということは、そう言うことだ。
自分の逃げ道を作るということではない。

(↑これねー誰かが言ってた言葉なんだけど、忘れちゃった…この言葉だけが記憶に残ってた。しかもうろ覚えなため勝手に付け加えてみたり)

何のためにそれをやるのか。

それは自分のエゴを満足させるためではないことだけは、確か。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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100%

2009-11-22 | この世の仕組み

こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


そうだなぁ。

コメント欄でもちょこっと書いたんですけど


「在り方」を変えようとすると、難しいように思いますよね。


「変わらなきゃ」って思いがすでに、「今の自分じゃダメだ」ってことだから。



そうじゃなくて「本来の在り方」に戻るってこと。


「今の自分でいいんだ」と気付いたとき、「今の自分じゃダメだ」と思い込んでいた眼鏡が外せる。


だから、目覚めなきゃって思うのも、眼鏡を外さなきゃって思うのも、「思わなくていいよ」ってことなんだ。

今の自分でいいんだよ、って100%受け入れること。


あぁ~それが出来ればいいね。みんなが。(私も!)


心が複雑なんじゃなくて、思考が複雑なんですよね。

心はシンプル。愛があるだけだもんね。


未知なこと、宇宙のことを知りたいって思うことは、自然なことだと思う。


でもそれが、全ての謎を全部知りたい、今すぐ知りたい、ってなると、

それは「エゴ」のものなんだろうなぁと思います。

「知識を集めることで、満足したい」或いは「知っている自分」をアイデンティティーにしたい、と言う。

↑これは以前自分がそうだったから!(笑)


謎は謎のままでいいって言うのは、「今知る必要のないものは、そのままでいい」ってことだと思う。

知る必要のあるものは、タイミングがくれば自然と目の前に現れてくるものですもんね。

私達は本当は「全てを知っている」んだし。


「答え」は「問い」を発すれば、形になって現れる。

それは私達人間が「意識の光」を当てることによって、「形」を為す、と言うもので…それをしなければ全てがある「0」(空くう)の状態なんですよね。

答えも問いもなく、ただ在る。


あ、そうそう。

以前過去記事にも書いた「シュレーディンガーの猫」の思考実験。これも、その事を表していると思います。

鉄の箱の中に猫を入れ、フタを閉める。
そしてある特殊な装置によってその箱の中に毒ガスを発生させるが、その確率は50%。

その猫は死んでいるか?生きているか?と言う実験。(ちょっと説明はしょりすぎたけど)

箱を開ければどちらかが「決定」するけど、箱を開ける前の猫はどうなっているのかってことです。

通常に考えれば、生きているか死んでいるかどちらか一方のはず。

けれども、この実験では「生きているし、死んでいる」重ね合わせの状態だ、と言うんですね。

これは「生きている猫」「死んでいる猫」の確率が50%、50%ではなく、

どちらも100%、100%、なんです。

私達が「意識の光」を当てるまで、猫は生きているし、死んでいる、その両方の状態である、ってことなんですね。


その「全て」である「0」のどの部分に意識の光をあてて、現実化(形に)するかは、私達の選択次第ってことなんだと。



私達は日々変化しているし、今日分からないことが明日ふと理解できるかもしれない。結論を出すのはまだ早い!

それを楽しみながら、味わいながら、生きたいと思う今日この頃。

あなたはあなたで丁度いい。

私は私で丁度いい。



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ダウン症の書道家

2009-11-21 | 受け入れる

こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


こないだ…と言っても水曜日なんですけど、ベストハウス123を見てたら、ある親子の話が紹介されていて…感動した~!

ご覧になった方もいらっしゃると思いますが、ちと紹介を。


年齢的に、ちょっと遅くに子供を授かったお母さん。

高齢出産になると、それだけお産が危険になったり、障害を持った子供が生まれるリスクも高くなるそうなんですが、まさか自分に限ってそんなことが起こるわけがないとタカを括り…

夫婦二人で子供が生まれたら、あれをさせよう、これをさせようと夢を膨らましていたんです。

が…待望の生まれて来た女の子が、ダウン症だと判明。

お母さんは絶望しました。
その時の日記が残っているんですが、彼女の苦悩がずっとつづられていました。

なぜ、自分の子供なんだろう。
なぜ、普通の子供じゃないんだろう。

幸せな家族が羨ましい。
この子は絶対、幸せになれない。
自分も、これから先救われることはないだろう、と。

どうしても、自分の子供がダウン症である、と言うことを
認められなかったんですね。

お母さんは、自分がこの世に出してしまったんだから、
自分の手で始末しよう。と決心します。

地震が来たら、ベランダから落とそう。
手を滑らせてしまった、と言って落としてしまおう…

そうこうしている内に、本当に地震が起こります。
その時、お母さんは「翔子」と、とっさに娘の名前を呼び、
身を呈して、子供を守ったのです。

その時始めて、子供への愛情に気づきました。
こんなかわいい子を殺すなんてできない。
一生懸命生きているじゃないか。

その時起こった地震は、「恵みの地震」だった、と彼女は後に語ります。
あれがなければ、ずっと絶望したままだっただろう、と。

それから翔子ちゃんを普通の子供と同じように育てようとします。
けれども、やはり何をしても集中できない、続かない…

どうしてだろう、どうやって育てよう…
途方に暮れるお母さん。

けれどある夜のこと。
二人で夜道を歩いていると、翔子ちゃんが涙を流しています。

どうしたの、とお母さんが尋ねると、翔子ちゃんが
「お月様がきれいなの…」
と答えます。

月の美しさに涙しているんですね。
それを見たお母さんは、なんて心のきれいな子なんだろう、と驚きます。

私は月など見上げたことがあっただろうか?
その美しさに涙したことがあっただろうか…

そしてその後、幼稚園の運動会での出来事。
走るのが得意ではない翔子ちゃんがかけっこに出ます。

一生懸命走っても、普通のお友達にどんどん抜かれてしまう。
お母さんは何とか頑張って欲しい、勝って欲しい、と応援にも力が入ります。

けれど、翔子ちゃんは立ち止まって、後ろを振り向きます。
走るのをやめてしゃがみこんだお友達の所にかけより、だいじょうぶ?と声をかけたんですね。

手を引いて立ち上がらせたんですが、そのお友達は手を振り払って、先に走って行ってしまいました。そのせいで翔子ちゃんはビリ。

でもお母さんは、あぁこの子は優しい子なんだ…と心を打たれます。
自分は今まで翔子の何を見ていたんだろう?

普通の子供と比べて、あれが出来ない、これが出来ない。
同じように出来るように、必死だった。

でも翔子はこれでいいんだ。
こんなに素晴らしい、心のキレイな子なんだもの。
これからは、翔子のいいところをもっと見てあげよう。

書道の先生をしていたお母さんは、翔子ちゃんに書道をやらせてみます。
そうすると、今までにないものすごい集中ぶり。

普通の人と全く違った感性で、字を書くんですね。
これにはお母さんも驚いたそう。

メキメキ上達する翔子ちゃんと、二人三脚で頑張って…

…で、今翔子さんは「ダウン症の書道家」として、活躍しています。
あえて「ダウン症」と言う所にこだわっているそう。

それは数多くいる、他のダウン症の人にも希望を持って欲しい、とお母さんは言います。

小さい頃、ずっと否定してきたダウン症であることを、一つの個性として、認められたんですね。


翔子さんの個展に訪れて作品に触れた人、実際に彼女に会った人は、涙を流していました。
直接、心に届くものがあるんですね。

彼女も、作品も「素っ裸」だから、美しい。


あ~感動した!
お母さんも子供からたくさんのことを学んで成長するんですね…

普通の子供じゃなきゃダメだ、と言う眼鏡を外したからこそ、
その子そのものを見ることができ、「個性」として受け入れることができたんですね。

みんな違う。それでいい。

一人一人違った役割があって、それに優劣はなく、みんな素晴らしい。


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Be!

2009-11-20 | この世の仕組み


あのネ。


なんで「Do」よりも「Be」なのか…


もうみなさんもご存知だと思うんだけど。


私達の「意識」が現実を創るからなんだ。


いくらオリンピック選手並みの練習方法を取り入れたとしても、「自分には無理だ」と思っていれば、やっぱり無理。

でも「自分は早く走れるんだ」と言うことに疑いがなければ、どんな練習方法でも、早く走れる。


現実は、意識の現象化で、鏡なんです。


なので初めに、意識ありき。


それから意識を伴った行動、なんですネ。


瞑想は「Be」。


瞑想をするんじゃなくて、その「状態になる」んですよね。



日本人の忘れ物かぁ~(今テレビでやってる)


私達もたくさん忘れてきちゃったね~


思い出そうね。


と言うか…


思い出せるよ~!!



今日は短く。


いつも読んでくれてありがとう。


自分に正直に生きるじょ!


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シンプル

2009-11-19 | この世の仕組み


こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


そうだなぁ。

真理が「複雑だ」「複雑なはずだ」と決めてしまえば、それが思い込みとなって脳の回路が繫がり、「シンプルだ」と言う回路が絶たれてしまうんですね。

中々気付けなくなってしまう。


真理や真実は決して平面ではありません。

様々な側面を持っています。

しかも不変でありながら、固定されてはおらず、

私達が見る視点によって、様々に形を変えます。

そう言う意味では、複雑です。


複雑だ、と思っている人の前には、その通りの複雑さで現れます。

シンプルだ、と思っている人の前には、その通りのシンプルさで現れます。

シンプルの中に、複雑が含まれている。

それが「0」ってことだと思う。

全てがあるがゆえに、無いように見える「0」。



解釈は人それぞれです。

これが正しくて、これが間違っているってのはないんです。

だけど、「こうなはずだ」「これ以外ない」と言う思い込みは、可能性を摘み取ってしまうので、もったいないなぁと思います。


確かに、真理は「法則」と言う一側面もありますから、ある程度は言葉で理解でき、お互い共通の認識を持てる場合もあると思います。

けれども、あとは「自分」と言う主観を通して、生きて行くうちに「実感して」理解していくものだと思うんです。

そしてそれがその人の真実であり、真理である、と。

人の数だけあっていいと思う。

それをお互い、認め合うことだと思うんだ~。

結局、たどり着く場所は同じなんだから。


そう言う私も、真理が何たるかを語れるほど知っている訳ではなく…
そう思う、そう感じる。

それだけなんですよね。

でもそれでいいんです。



と、最近思ったことでした~(こんなんばっか!ゴメンよぅ)


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大死一番

2009-11-18 | 生きる

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


さてさて。イキナリですが、今日もちと抜粋をば!




禅では「大死一番(だいしいちばん)」「大死大活」のように、「死」と言う言葉をよく使います。

「大死一番」とは、「まず死んで来い」と言う意味で
「大死大活」とは、「死んで生きよ」と言う意味です。

まず、死ぬこと。

本当に生きるためには、一度死ぬことが必要だというのです。

もちろん、ここで言う「死」とは肉体的な死を指すわけではありません。

「肉体も精神も一度死ぬ。
つまり、身も心も生死ぎりぎりのところまで追い詰めてみよ。

本当のギリギリの瀬戸際に立ったとき、それまでの自分を繕っていたものがす~っと抜け落ちていく。

生きた気分でいると、何事も心はとりつく。
坐禅して死んだ気分(無一)になれば、執着はない」

これが禅の教えなのです。


曹洞宗を開いた道元はこの境地に至ることを「心身脱落」と言っています。

「心身脱落」をしたとき、人は本当の真実に導かれるというのです。


(「こころ休まる禅の言葉」松原哲明より)


一度死ぬこと。

今までの考え方、生き方、こだわり、執着、そして自分自身さえも全て捨て去って、0になる。

両手を離して、宇宙に降参する。

ちっぽけな自分から、本当の自分に委ねる。

そのとき、「真実」が分かります。

人は何度でも生まれ変われる。


でも、今までの自分、偽りのアイデンティティーにしがみ付いていると、真実は決して見えない。


とは言え…心身ともに生死のギリギリまで追い詰められるのはイヤですもんね(笑)

絶望の淵に立ったとき、やっと「ちっぽけな自分」を手放すことができるものだけど、今はそんなことをしなくても大丈夫。

今の自分をそのまま、100%「それでよし」と認められれば、それでよし!

人間ってホント、「否定」するのが好きなんですもんね。

強制されてもいないのに、「自分のここがダメ、あそこがダメ」と毎日無意識に、自分を責めたり、否定したりしてる。

自分を否定するから、相手を否定するんですね。
それが「当たり前」だから。

自分を受け入れられれば、相手も受け入れられる。

まずはそこから!ですよネ。


世界中の人を幸せにしろ、なんて無理だけど…

たった一人。「自分自身」だけ、幸せにすればいいんです。
これならできそうでしょ?

色んな人がいて、色んな考え方があって当然。

どなたかも書いてらっしゃったと思うのだけれど…

真実に対する「正しい」とか「間違っている」の判断なんて、人間にできやしないんですよね。

ものの見方によってはどれも正しいし、どれも間違っている。

正しい、間違っていると言う観点から外れないと、その向こう側にある真実は見えてこないんです。


最近思ったこと、でした。


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流れ

2009-11-17 | 受け入れる


こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


アウチ!投稿したと思っていたら、「草稿」(下書き)のままだった~!
おっちょこちょい…スミマセン…



ではでは早速続きをば。



昨日流れについてちょこっと書きましたが、正円の流れるプールを想像してみてください。

本来ならば、そのプールの水はきれいで澄んでいて、ぐるぐると循環し続けています。プール自体に自浄作用があるんですネ。まぁ便利。

で、このプールの時計で言うと12時の地点から赤いインクを流しいれます。

そうすると、あっという間にプール全体が赤く染まりますよね。汚れてしまう。
それが固まって、ところどころせき止められ、流れが滞っている箇所もある。
これが今の状態なんです。(社会であれ、自身であれ)

で、社会の歪みを発見した人は、6時の地点で「これをどうにかしなければ」とプールの水をキレイにしようとします。

一時はキレイになるかもしれませんが、またすぐ、赤いインクが流れてきて、もとの汚れた水になるんですね。

そんなこんなで、今の社会は「対処療法」なんですよね。

うちの旦那がアトピーなんですが、どの医者へ言っても「ステロイド」の薬しか出されません。

もちろんそれを塗れば、真っ赤だった体も、たちどころにスベスベです。
でも、「よくなった」訳ではないんですよね。

薬が切れれば、また体中真っ赤になります。
「症状を抑えているだけ」なんです。

なので、プールの水をキレイにしようとして掃除しても一時的なもので、その一方で赤いインクが流され続けていれば、意味ないですよね。

解決策は一つ。「赤いインクを流すのをやめる」ことだけなんです。

それをやめさえすれば、自然にプールに水はきれいになっていきます。

その赤いインクにあたるものが、私達の「意識」なんですね。
私達の意識が、いろんな眼鏡をかけたり、ガラクタで覆われていたりして曇っていること、なんです。

私達の意識が本来の状態に戻れば、水は透明で流れは滞らず、正常に循環していきます。

なのでまずは「気付くこと」。
赤いインクを流している(自己否定や思い込みによる、マイナスな思考や感情を抱いている)な、と気付けばそれでいい。

気づき続けることが、「やめること」になります。

私達は「何とかしなきゃ」と言う今までのやり方で慣れてしまっているので、「何もしない」ことが出来ないんですよね。

何かしていると、安心する。よくなっている気がする。

でもこの場合、元に戻ろうとして「何かする」ことは即ち、逆に流れに逆らうことになるんです。
何もしないことが流れに乗ること、自然なことなんですよね。

(↑けれども、今までのやり方に慣れていると、「何もしない」ことが苦痛だったりします。しがみついていたものから、手を放すことが恐かったりします)

あ、この場合「元の自分に戻ること」に関して、「何もしない」ってことですからネ!現実レベルで、何もせずにゴロゴロしてなさいってことではありませんから!




人の出会いも、流れの一つ。

阿部さんの言葉を借りれば、一瞬早からず、一瞬遅からず。

ベストなタイミングで、自分にとって必要な人に出会えるんですね。

ほんと、中田さんのように本音で本当のことを言ってくれる人って、ものすごく貴重!


でね。

過去記事にも書いたんですが、「真理」や「真実」は、今まで隠されていたことはなく、ずっと目の前に在り続けた。

だけど、私達がそれを見ることができなかった。

答えは疑問を発しないと、出すことができない。
正しい問い立てをしないと、答えを導き出すことが出来ないんですね。

例えば、目の前にダイヤモンドがあるとします。

でもそこにいる人だれも、その「ダイアモンド」と言うものを知らない。
彼らが求めているものが「木の実」であれば、そのダイアモンドは石ころと変わらず、誰一人それがあるすら気に留めないと思う。

眼鏡を探しているときに、誰がハサミを手に取るだろうか?


あとは、求めるのをやめること。
そうすれば、「いま」目の前にあること全てに意識がいきますからネ。

気が付きやすくなります。

全て分からなくってもいいんだ。
自分には分からないことがある。それでよし、以上!(笑)

必要があれば分かるだろうし、必要がなければ分からないだろうし。
謎は謎のままでもいい。

それを自分に許すこと、ですよね。

自分で自己を否定すると、恐れや不安が生まれて、自分をオープンに出来なくなる。本来の自分から離れてしまう。

私達はどんな自分であれ「これでいい」と自己を肯定することなんです。

その過程で成長があります。気付きがあります。
四の五の理屈を言わずに(笑)やってみることです。

何かおかしいな、うまくいかないな、違和感があるな、と思ったら、自分を責めてないか、否定していないか確かめてください。

それが見つかったら、「あ、否定していたんだな」と、否定していた自分に気付いて、それでよし。

ね。

少しずつ。

で、現実では、やりたいなと思ったらどんどんチャレンジ!

私達はどのぐらい自分と宇宙を信じているか。委ねられているか。オープンか。
それに応じた現実がやって来ますからネ。分かりやすい。


と、言うことで今回のシリーズは終わりまっす!
長らくお付き合いいただいて、有難うございました!

私にとっても、今回のことはとてもたくさんの学びがありました。
いかに自分のことが分かっていなかったかも!!

これからも一歩一歩、いまにいて自分のペースで歩んで生きたいと思います!

愛を込めて!ありがっちょ!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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眼鏡

2009-11-16 | 受け入れる


こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


ではでは続きを早速~!


えと、この一件を黒斎さんの「眼鏡」の例を使って説明したいなぁと思います。
とても分かりやすいので…


11歳の頃に遭ったイジメが原因で、ある「思い込み」をしてしまった。

それが

「人と接するとき、ありのままの自分の気持ちを言うと嫌われる」

と言うもの。

この回路が自分の中で繫がってしまったので、それから人と接するときは「自分を抑えて、人の気分を害さないようにしゃべる」ようになってしまった。

それは「人間関係を円滑にしなければならない」と言う「社会常識」が前提となり、自分が傷つきたくないという「自己防衛」が働いて、脳がはじき出した回答だったんですね。

そのときに「無視されてもいい」とか、「本人に原因を聞く」などと言う、別の回路(考え方)があれば、その「選択」をすることもなかったと思う。

が、「クラスの女子全員」そうなんだから、きっと自分が嫌われる性格をしているんだろう、と思った。理不尽だ、と感じていながらも。

また、「悪いところがあれば、直す」と言う「常識」もありましたし。
(ここでは「悪いところ」は、「自分の性格、言動」だと思ったんですね)

「思い込み」ですよね。
自分がどう考えるか、どう思うかに従うよりも、「大多数の人がそう思っているんだから、きっと正しい」と言う常識に従ってしまった。

これがいわゆる「眼鏡」ですよね。

でもそのとき、自分で眼鏡をかけた、という自覚がない。

脳のシステムが少ない過去のデータベースから分析し、「正しい」と判断したので、とても自然に行われる。

で、その状態が自分にとって「普通」になってしまっていたってことなんですね。

その後人間関係がうまくいかなくても、それが「普通」。
みんな多かれ少なかれ、人の間に摩擦はあるだろう。

表層的にうまく行けばいい、と。

自分にとってはそれが「普通」であったわけですが、他の人は違ったと思う。

けれども、それを確かめる事もできないし、比べることもできないですからね。


生きて行く中で、そのような思い込みをする人は多いと思う。
「間違っている」と思っていないので、自覚がない。

そうやってほんとうの自分からどんどん離れていく訳ですよね。


そんな、「自分は普通だ」と思い込んでいる人々が、「眼鏡」をかけていることに気付かない状態で形成された共通の「常識」は、それ自体が歪んでいる、と言うことは分かると思います。

現在の社会の常識を「常識」として…疑問もなく当たり前のこととして受け入れているのなら、少なからず洗脳されている(眼鏡をかけている)と言うこと。

自分がどう思うか、どう感じているのか、と言うことをとことんまで突き詰めず、ただ「社会の常識だから」と言うだけで、疑問を持たずに受け入れていること自体、おかしいんですね。


で、自分探求を始めて、本を読んだり他の人が書いたブログを読んだりして気付く「眼鏡」もある。

一方で、すぐには気付けない眼鏡もある。


けれども、宇宙の流れはあるべきものはあるべき場所へ戻る「流れ」になっています。

その流れに任せれば、いずれ必ず自然に「眼鏡」に気付き、自然に外れるようになっているってことなんです。

外せない、と言うことは、自分が「眼鏡にしがみ付いている」と言うこと。
或いは、流れに逆らって「何とかしよう」としているってこと。
或いは、今はそのタイミングではないってこと。


だから眼鏡を外すには「何もしなくていい」と言うんです。
ただ、宇宙を信頼し、委ね、流れに乗ることなんです。


流れに抵抗している限り、その流れは決してやってこない仕組みなんですね。

一人一人が「神」でもあるその「自由意志」(選択)が尊重され、それが現実に反映されますから。


でも、宇宙を信頼して自分を投げ出すのは、結構難しい。

なので毎日、一つ一つの「意識」が大切になってくる。

五感をフルに使って「感じる」こと、意識的に過ごすこと、自分を認めること、許すこと…

自分の人生自分で責任を持つ、と腹を括って前を向いた人間には、必ず宇宙が味方してくれます。



あ、また長くなって来たなぁ~…
続きは明日にします~!



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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