こんにちは!ご訪問ありがとうございます!
いやぁ~!昨日に引き続き。
池田晶子さんの「14歳からの哲学」読み終えました!
面白かった~!素晴らしかった。
今まで読んだ本の中で(小説以外で)三本の指に入るぐらい、面白かった。
読んでいる間、どきどきわくわくするような高揚感と、ちょいっと涙が出そうな感動がありました。
読んでる間は幸せで幸せで。
「オイラここにいるぜ!」って言う、リアルな感覚がありました。
「ほんとうのこと」は、リアルでパワフルなんですよね~。
そのぐらい自分にとっては素晴らしい本だったのですが!
コメント欄にisacさんがAmazonの書評について書いてくださったので、見てきました。
そしたら!ホントに真っ二つ。
面白くない、分からない、疲れる、最初のページで読むのをやめた、などなどと、バッサリ。
もしこの本を買おうと迷ってらっしゃるなら、この書評も見るといいかもしれません。両方の意見が見れて面白いですよ!
内容が分からない、と言うのは分からなくもないけれど、面白かったのは意外にも「偉そう」「上から目線で腹が立つ」「他の人たちは分かってないけれど自分は分かっているって態度が嫌」「傲慢すぎる」「自分の考えを押し付けているだけ」と言う評価もありました。
それで読むのをやめた人もいたりして。
これにはちとびっくりしました。
自分はそんなこと、読んでいて全く感じなかったんですね。
語りかけ口調で書かれているので、優しいな~と思ったぐらいで。
そう受け取る人もいるのか!!と。
これこそ、以前の黒斎さんのところで記事にあった「人は自分の思うように受け取る」ことなんだなぁ、と。
特に『やさしさを持て』に書いてあったように
「娯楽用に書かれた本ではなく、まとまった主張や思想を書いた本は性格のきつい人間のようなものだ。
読むとは、そういう人間とつきあうということと同じだ」なんですよね。
もっと押し付けがましい本や、ドギツイ表現の本はいっぱいあるし、そんな本は不快になるから一切読まないとしたら、本当にもったいない。
表現の仕方は人それぞれなので、合う合わないあると思うけれど…大切なのは何が書いてあるか、ですもんね。
あと面白かったのが、池田さんほど「考える」ことをしている人はいないだろうに、「内容が幼稚すぎる」「無知だ」と書いてあったこと。
そう。
内容は一見簡単に思える。
けれども、簡単なものほど、簡単であるがゆえに奥が深いもんなんですよね。
この本には、答えは書かれていません。
なぜなら自分で「考える」ことをススメる本だから。
私達はいつだってどこかに「答え」があると思ってきた。
なので、分からなければすぐに答えを「教えてもらおう」とする。
でも答えなんて、どこにもないんです。
たとえ、別の人が出した「答え」を教えてもらったとしても、それは自分の答えじゃない。
それはただの「情報」に過ぎない。
これは本にもあったけれど「分かる」とは何か、「知る」とは何かってことなんですよね。
これについても面白かったので、ぜひご一読を!
で、ここで問題になるのが「考える」ことですよね。
今まで「考えるな!感じろ!」と再三言われて来たのに、池田さんは「考えろ!」と言う。どっちが本当なの!?って。
ここで注意して欲しいのが、「考える」の意味なんです。
私達が「考えるな!」と言っている「思考」は、いわゆる「無意識、無自覚の思考」のこと。
例えば何かをしていたり、ぼ~っとしていたりすると、頭の中で意図しなくても何かの「思い」が回っていますよね。
「何であの時あぁ言ったのかなぁ~」とか「アノ人嫌な感じだな~」とか「早く仕事終わらないかなぁ~」とか「もうすぐ○○がある。どうしよう~」とか。
いわゆる「考えごと」ですよね。
自分が無意識に、頭のなかで思考をこねくり回している、堂々巡りの思考。
「思考に支配された」状態のことです。
一方、池田さんが言う「考える」は、「意識した、自覚のある思考」を指します。
それは「意識的」でなければ決して考えられないことなんです。
「生きるとは何だろう?」「自分の存在とは何だろう?」「善とは?悪とは?」
この疑問は、無意識でいるときは決して浮かんではきません。
意識的に生きるからこそ、疑問に思う命題なんですね。
それについて「考える」ことは、「気付く」ことを促します。
必ず、「あぁそうか!」と言うヒントに出会える、方向を示す「思考」なんです。
ですので、思考も大切。「考える」ことが出来るのは人間だけ。
ただそれに「支配されるな」「使われるな」ってこと。
無意識に生きていれば、思考に支配されてしまいます。
でも「意識的」に「いま」にいることができれば、そんなことはないんですね。
考える時は考え、考えないときは考えることを「やめる」ことができるから。
ですのでこの「考えるな、感じろ!」と言う言葉一つとっても、それが「知識」ならば、人は「考えちゃだめなんだ」と「言葉通り」に受け取ってしまいます。
そして、考えないように考えないようにしてしまうんですね。
でもその意味が分かれば…「理解」すれば、考えること自体ががダメなんだ、悪いんだと思わないんですね。
なぜなら、そこに到るまでの間、一度は「自分とは何か」「生きるとは何か」「人間とは何か」「命とは何か」「死ぬとはどういうことなのか」と言うことについて死ぬほど考えていると思う。
でも答えは出ない。
けれども、それによって…その問いに「フォーカス」することによって、「気付く」ことが出来るんです。
その気付きをまた、「考える」(思考)によって言葉に翻訳する。
そうして「理解」が深まる。
思考を超えるには「感じる」ことが大切です。
でもその第一歩になってくれるのが「考える」ことなんですよね。
なので、書いてあることが分からなくてもいい。
それらの「根本」の問題について「意識を向ける」ことが大切なんだ。
「なぜなんだろう?」と。それが自分を知る、第一歩だ。
当たり前のことを考えるってことができるようになれば、自分との対話の仕方が分かれば、生きていけるもんね。
誰かのせいにしたり、社会のせいにしたりせずに、自分の人生を「責任」を持って。
最後に抜粋。
自分で考えて知ることだけが「知る」ということの本当の意味で、知識を覚えて知っているだけのことを「知る」とはいわないと言ったね。
まさかこの本を暗記して覚える人はいないと思うけど、一通り読んで、
ハイそういう考え方もあると知りましたというのでは、何を知ったことにもならない。
もし君が、この本に書いてあることを自分で考えて、自分の知識として確実に知ったのならば、
君の生き方考え方は、必ず変わる。変わるはずなんだ。
本当に知る、「わかる」とは、つまりそういうことなんだ。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝
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いやぁ~!昨日に引き続き。
池田晶子さんの「14歳からの哲学」読み終えました!
面白かった~!素晴らしかった。
今まで読んだ本の中で(小説以外で)三本の指に入るぐらい、面白かった。
読んでいる間、どきどきわくわくするような高揚感と、ちょいっと涙が出そうな感動がありました。
読んでる間は幸せで幸せで。
「オイラここにいるぜ!」って言う、リアルな感覚がありました。
「ほんとうのこと」は、リアルでパワフルなんですよね~。
そのぐらい自分にとっては素晴らしい本だったのですが!
コメント欄にisacさんがAmazonの書評について書いてくださったので、見てきました。
そしたら!ホントに真っ二つ。
面白くない、分からない、疲れる、最初のページで読むのをやめた、などなどと、バッサリ。
もしこの本を買おうと迷ってらっしゃるなら、この書評も見るといいかもしれません。両方の意見が見れて面白いですよ!
内容が分からない、と言うのは分からなくもないけれど、面白かったのは意外にも「偉そう」「上から目線で腹が立つ」「他の人たちは分かってないけれど自分は分かっているって態度が嫌」「傲慢すぎる」「自分の考えを押し付けているだけ」と言う評価もありました。
それで読むのをやめた人もいたりして。
これにはちとびっくりしました。
自分はそんなこと、読んでいて全く感じなかったんですね。
語りかけ口調で書かれているので、優しいな~と思ったぐらいで。
そう受け取る人もいるのか!!と。
これこそ、以前の黒斎さんのところで記事にあった「人は自分の思うように受け取る」ことなんだなぁ、と。
特に『やさしさを持て』に書いてあったように
「娯楽用に書かれた本ではなく、まとまった主張や思想を書いた本は性格のきつい人間のようなものだ。
読むとは、そういう人間とつきあうということと同じだ」なんですよね。
もっと押し付けがましい本や、ドギツイ表現の本はいっぱいあるし、そんな本は不快になるから一切読まないとしたら、本当にもったいない。
表現の仕方は人それぞれなので、合う合わないあると思うけれど…大切なのは何が書いてあるか、ですもんね。
あと面白かったのが、池田さんほど「考える」ことをしている人はいないだろうに、「内容が幼稚すぎる」「無知だ」と書いてあったこと。
そう。
内容は一見簡単に思える。
けれども、簡単なものほど、簡単であるがゆえに奥が深いもんなんですよね。
この本には、答えは書かれていません。
なぜなら自分で「考える」ことをススメる本だから。
私達はいつだってどこかに「答え」があると思ってきた。
なので、分からなければすぐに答えを「教えてもらおう」とする。
でも答えなんて、どこにもないんです。
たとえ、別の人が出した「答え」を教えてもらったとしても、それは自分の答えじゃない。
それはただの「情報」に過ぎない。
これは本にもあったけれど「分かる」とは何か、「知る」とは何かってことなんですよね。
これについても面白かったので、ぜひご一読を!
で、ここで問題になるのが「考える」ことですよね。
今まで「考えるな!感じろ!」と再三言われて来たのに、池田さんは「考えろ!」と言う。どっちが本当なの!?って。
ここで注意して欲しいのが、「考える」の意味なんです。
私達が「考えるな!」と言っている「思考」は、いわゆる「無意識、無自覚の思考」のこと。
例えば何かをしていたり、ぼ~っとしていたりすると、頭の中で意図しなくても何かの「思い」が回っていますよね。
「何であの時あぁ言ったのかなぁ~」とか「アノ人嫌な感じだな~」とか「早く仕事終わらないかなぁ~」とか「もうすぐ○○がある。どうしよう~」とか。
いわゆる「考えごと」ですよね。
自分が無意識に、頭のなかで思考をこねくり回している、堂々巡りの思考。
「思考に支配された」状態のことです。
一方、池田さんが言う「考える」は、「意識した、自覚のある思考」を指します。
それは「意識的」でなければ決して考えられないことなんです。
「生きるとは何だろう?」「自分の存在とは何だろう?」「善とは?悪とは?」
この疑問は、無意識でいるときは決して浮かんではきません。
意識的に生きるからこそ、疑問に思う命題なんですね。
それについて「考える」ことは、「気付く」ことを促します。
必ず、「あぁそうか!」と言うヒントに出会える、方向を示す「思考」なんです。
ですので、思考も大切。「考える」ことが出来るのは人間だけ。
ただそれに「支配されるな」「使われるな」ってこと。
無意識に生きていれば、思考に支配されてしまいます。
でも「意識的」に「いま」にいることができれば、そんなことはないんですね。
考える時は考え、考えないときは考えることを「やめる」ことができるから。
ですのでこの「考えるな、感じろ!」と言う言葉一つとっても、それが「知識」ならば、人は「考えちゃだめなんだ」と「言葉通り」に受け取ってしまいます。
そして、考えないように考えないようにしてしまうんですね。
でもその意味が分かれば…「理解」すれば、考えること自体ががダメなんだ、悪いんだと思わないんですね。
なぜなら、そこに到るまでの間、一度は「自分とは何か」「生きるとは何か」「人間とは何か」「命とは何か」「死ぬとはどういうことなのか」と言うことについて死ぬほど考えていると思う。
でも答えは出ない。
けれども、それによって…その問いに「フォーカス」することによって、「気付く」ことが出来るんです。
その気付きをまた、「考える」(思考)によって言葉に翻訳する。
そうして「理解」が深まる。
思考を超えるには「感じる」ことが大切です。
でもその第一歩になってくれるのが「考える」ことなんですよね。
なので、書いてあることが分からなくてもいい。
それらの「根本」の問題について「意識を向ける」ことが大切なんだ。
「なぜなんだろう?」と。それが自分を知る、第一歩だ。
当たり前のことを考えるってことができるようになれば、自分との対話の仕方が分かれば、生きていけるもんね。
誰かのせいにしたり、社会のせいにしたりせずに、自分の人生を「責任」を持って。
最後に抜粋。
自分で考えて知ることだけが「知る」ということの本当の意味で、知識を覚えて知っているだけのことを「知る」とはいわないと言ったね。
まさかこの本を暗記して覚える人はいないと思うけど、一通り読んで、
ハイそういう考え方もあると知りましたというのでは、何を知ったことにもならない。
もし君が、この本に書いてあることを自分で考えて、自分の知識として確実に知ったのならば、
君の生き方考え方は、必ず変わる。変わるはずなんだ。
本当に知る、「わかる」とは、つまりそういうことなんだ。
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