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☆Rainbow Light☆

日々の徒然日記。最近は日本の現状を綴っています。

不思議の解明

2008-12-14 | 物理学の不思議
ああ~!!昨日書いた記事、改めて読み返してみたんですけど…

わ、分かりにく!!!って感じですよね…自分で書いていながら。うはぁ~

説明が下手でスミマセン…



「量子論」まで引っ張り出して何が言いたかったのかと言いますとですね、


①ミクロの世界の物質は私達が知っていた物理法則とは全く違うルールに支配
されている、と言う事。(一般的な物理学の法則が通用しない)

②物質や自然がただ一つの状態に決まらずに、非常に曖昧であること、
そしてその曖昧さこそが、自然の本質であること。

③自然界のあらゆる事物は人間とは無関係に存在していて私達はその様子を客観的
に観測できるものだと考えているが…実は自然は「観測」によって初めて
状態が決まるものであり、誰も観測していない時は全て決まっていない、
確定した事実は何一つ存在しない、と言うこと。なんです。



ですので、ミクロの世界の自然の姿、「観測前の姿」は決して私達は見る事ができないんですね。

観測した途端、「波」が一点に収縮して「粒」になる電子のように、別の形を取るから。

そう言う意味で、「物質」は私達が思っているような「固体」じゃないんじゃないのかと思うんです。

そうすると、今までの矛盾、理由は分からないけれどもそう言う結果が出る、

と言う不思議が全て解明できるんじゃないかなぁ、と。



四次元の世界の所でも書いたように、この世は全て「意識」で出来ている、と考えれば

全て辻褄が合うと思うんです。

三次元との違いは、その「意識」が「物質」と言う形を取っているか取っていないか、だけ。

たとえば四次元でハンバーグが食べたいと思い、そう「意図」する。

そうすると目の前にハンバーグが現れる。(こないだからハンバーグばっかでスミマセン…

イヤ、決して、決してイヤシイ子じゃありませんよっ


でも三次元だと「意図する」所までは同じだけれど、材料を買って、自分で作る、

もしくはレストランに行く、と言うプロセスが必要になる。

東京から大阪に移動するのも、四次元だと一瞬だけど、

三次元だと車、飛行機、新幹線に乗るなどなど、それもプロセス、行動が必要になる。

その違いだけなんですね。物質と言う形を取っている、と言うのも

「これを物質とする」と言うルールに皆が従っているだけで、

結局は物質も物質ではないってこと。

(意識の世界っていうと分かりにくいかもしれませんが、

私達が頭の中でイメージを使って想像するもの、と考えれば分かりやすいかも。

頭の中のイメージだと、好き勝手できますよね。10歳の自分を次の瞬間に20歳にしたり、

沖縄から北海道、アメリカやイギリスに一瞬で移動させられたり。

そして頭の中で想像した物質、例えば机だったり、椅子だったり、ドアだったり、

それらはもちろん固いし、形がありますよね。

でも「頭の中の想像」であるかぎり、実際その物質があるのか、と言われると、

実際にはないですよね。やろうと思えば「壁抜け」だってできる。

でも想像上のルールでそんなことはしない、と決めていれば、頭の中の登場人物たちは、

物質として扱う。そん感じです。)

例えば、心臓移植をした女性が、手術後急にコーラやピザが好きになり、若者の

友達が増えた。どうしてなのか、と不思議に思いドナーの情報を調べた所、

そのドナーは20歳前後の若者で、生前コーラとピザが好きだった事が判明した、

と言う事例があります。

通常、記憶は「脳」でしていると思われている訳ですから、脳移植ならまだしも

ただの臓器である心臓に、なぜ生前の若者の記憶があるのか、と言う謎があります。

それも、「物質は固体ではなく、意識で出来ている為、情報を記憶することができる」

と考えれば辻褄が合いますよね。もちろん、心臓だけではなく、他の臓器も例外で
はないと思います。

そう考えると、超能力や奇跡、と言われる不思議な現象も全て説明ができるんじゃないかなぁ、と。


ちょっと、本筋を離れてかなりエキサイトな脱線をしてしまいました…

とにかく必要なのは「柔軟な発想、柔軟な視点」ですよね!

固定概念は自分自身と世界を狭めるだけで、何も生み出せないですもんね。

科学がもっと発展して、不思議の世界を解明してくれることを期待します!



今日も最後まで読んでくれてありがとうございました!(特に今回は…

次からは普通な話に戻ると思います…お付き合い感謝☆です



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物理学の不思議2

2008-12-13 | 物理学の不思議
先程の続きです!

私達が目にする物質や自然と言うものは、理路整然としていて確実に存在し、

固定しているように見えますよね。

私達は疑うことなく「客観的な事実」と言うものが存在することを信じています。

古典物理学でも、自然界のあらゆる事物は人間とは無関係に存在していて

私達はその様子を客観的に観測できるものだと考えていました。

しかし、量子論はそうした客観的事実を否定しました。

自然は「観測」によって初めて状態が決まるものであり、誰も観測していない時は

全て決まっていない、確定した事実は何一つ存在しない、と言うのです。

極端な例ですが、生前アインシュタインが量子論に納得できずこう言ったそうです。

「量子論の言い分が正しいのであれば、月は我々が「見た」からそこにあり、

我々が見ていない時にはそこにないことになる。それは絶対に間違っていて、

我々が見ていない時も月はそこにあるはずだ」と。

しかし、量子論を突き詰めて考えると、上記に述べたように、そうであるらしいのです。

全ては「人間が見る事によって、確定する」と。

何とも不思議ですよね。私達の常識を覆す事実です。

前回述べた電子の特徴である、「波」であり同時に「粒」である、と言う

互いに相反するものが同時に存在する事…つまり

「相容れないはずの二つの事物が、互いに補い合って一つの事物や世界を

形成している考え方」、これをボーアは「相補性」と呼びました。

それは東洋思想の特徴でもある「一元論」と相通ずる部分があるのです。

「四次元の世界」で書いたように、光と闇、愛と憎しみはこの二元論の地球では

別々のものとされていますが、「一元性」の四次元ではその相反する二つのものは

結局同じもので「一つ」なんです。

この量子論の考え方は、精神世界の「一元論」を証明するものなんですね。



さて、次はかの有名な「シュレーディンガーの猫」の思考実験。

これは前回書いた電子の一つを箱に入れて二つに分けると、波の状態の電子は左右

どちらにもある「重ね合わせ」の状態を、詳しく説明したものです。

説明すると、例えば鉄の箱を一つ用意します。その中に、「放射性物質」と

「放射線の検出装置」、検出装置に連動した「毒ガス発生装置」を置きます。

放射性物質が原子核崩壊を起こすと、放射線を出します。

放射線を検出した検出装置は信号を毒ガス発生装置に送り、毒ガスを発生させる

仕組みになっています。(…お、恐ろしい装置ですよね…)

この箱の中に、(なんと)生きた猫を入れたとします。

もし放射性物質が崩壊して放射線を出せば毒ガスが発生して、猫は…死んでしまいます(うぅ)。

しかし放射性物質が崩壊しなければ、毒ガスは発生せず、猫は生きたままです。

さて、箱の中に猫を入れて、蓋を閉じます。

外からは消して鉄の箱の中の様子を知る事は出来ません。

そうして、一時間経ちました。果たしてこのとき、猫の運命はどうなっていると思いますか?

もちろん、猫の生死は箱を開ければ、すぐに分かります。

しかしここでの問題は「箱の蓋を開ける前の状態をどう考えるか」です。

放射性物質が崩壊を起こすかどうかは、ミクロの世界の現象で、確率は50%とします。

このとき量子論では「放射性物質が崩壊を起こした状態」と「崩壊を起こしていない状態」

の両方が重ね合わせの状態だと考えます。前回と同じように。

しかし。猫はどうなっているのでしょうか?

量子論の理論上、猫の状態も重ねあわせになっているとすれば…

「原子崩壊が起きて死んだ状態」と「原子崩壊が起きずに生きている状態」

が半分ずつ重ね合わせになっている、と考えられますよね。

しかし、ミクロの物質の状態ならまだしも、マクロである猫にそんな状態が本当に当てはまるのでしょうか?

常識で考えれば、観測前の猫の生死を「実は一方に決まっているが、私達はそれを知らない」

だけだと思ってしまいますが、決してそうではなく…

「生と死の状態が重ね合わせになっていて、生死のどちらか一方だけには決まっていない状態」

と考える訳ですから…混乱しますよね。

説明もつきません。半死半生の状態、生と死が同時に存在している状態、なんて…

ここで、この矛盾を解決するとっておきの方法が一つあります。

それが「多世界解釈」です。

これによると、世界は可能性の分だけ複数に分かれて行く、と言うものです。

「猫が生きている世界」と「猫が死んでいる世界」の二つの世界が平行して存在する、と。

いわゆる「パラレルワールド(並行宇宙)」ですよね。皆さんもご存知の!

SF世界ではよく使われる題材ですが、実はこの量子論から始まったものなんです。

シュレーティンガーの方程式では、電子の「波」の収縮(注:波が収縮して「粒」になること)

が導き出せないと言うのです。

しかし実際、私達が観測すると電子の「波」は収縮して一点にいる「粒子」の電子

を発見します。これはどういう事でしょうか?

そこでフォン・ノイマンと言う人は「波の収縮は人間の意識の中だけで起こる」

と結論したのです。物質が振舞う上では決して波は収縮しない。

人間が見ない限り、電子は波の状態を保っている、と言うことですよね。

しかし人間が観測した途端、波は収縮し「粒子」となるなら、

それが起こる場所は「人間の意識の中にしかない」としたのです。

驚きですよね。

この世が全て「意識である」ことの一端を、証明する事実です。

しかし、現在ではこの理論はほぼ否定されています。(トホホイ)

でもそうすると、人間が観測しない限り「波の収縮は起きない」ことは事実ですので、

この説明が出来ません。

と言うことで、もういっそのこと「波は決して収縮せず、広がったままだ」と考えたのです。

それが「多世界解釈」の元となった考え方でした。

波が収縮しない(粒子にならない)とすれば、広がった波の中のどの部分に

一粒の電子があるか、分かりません。

それを、Aの地点にある場合、Bの地点にある場合…とその可能性だけ、

世界が枝分かれし、それぞれの世界が同時に存在し、同時に進行している、と考えるのです。

ですので平たく言えば、「右に曲がった自分」の世界と「左に曲がった自分」

の世界が枝分かれし、またの世界それぞれが可能性の分だけ枝分かれし…

どんどん増えて行き、それぞれが同時に進行していると言うのです。面白いですよね。

この説も、全ての学者に受け入れられている訳ではありません。なんせ、否定もできないけれども

肯定できる証拠もない、と言うのが理由だそうです。

しかし、アカシックレコードが読めるゲリー・ボーネルによると、

ここには12の宇宙が存在し、その一つ一つに33の並行宇宙があるとしています。

興味深いですよね!

このように、まだまだ量子の世界でも説明の出来ない理論や現象が数多く

残っています。量子論は物質や自然がただ一つの状態に決まらずに非常に曖昧であることを、

そしてその曖昧さこそが自然の本質である事を私達に示しました。

ニュートン以来の物理学の、自然現象を表す物理学は「決定論」でなければならない、

と言う大前提を覆した「確率解釈」と言う、私達が「波」である電子を

発見する場所はサイコロを振って決められるかのように、確率的に決定されるというルール

(アインシュタインが「神はサイコロ遊びを好まない」と言って批判したルール)

など、ミクロの世界の物質は私達が知っていた物理法則とは全く違うルールに支配

されていた事が明らかになっています。

どうでしょうか?「量子論」の世界では、私達が固定してある、と信じて疑っていない

物質、自然と言うものが実は曖昧で、確定していないものなんですね。

しかし…説明が下手でゴメンナサイでした…

分かりにくかったかもしれませんので、

今回「量子論」を書くにあたって参考にした…と言うか、殆ど引用させて頂いた本を

最後に載せておきますね!

興味のある方は、読んでみてはいかがでしょうか!

「量子論」を楽しむ本―ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる! (PHP文庫)
佐藤 勝彦
PHP研究所

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アカシック地球リーディング 5次元世界はこうなる (5次元文庫 (Zホ1-1)) (5次元文庫)
ゲリー・ボーネル 高橋 克彦
徳間書店

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今日も最後まで読んでくださってありがとうございました


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物理学の不思議

2008-12-13 | 物理学の不思議
私達の殆どは、科学や物理学を信じていますよね。

その内容を全て理解、把握してはいないし、実際この目で見たわけではないけれど

、それを専門に研究している学者が実験して証明したんだから、

きっとそうなんだろう、と言う感じですよね。

もちろん、科学で解明できないものの中には、「現在の科学力では証明できない」

と言うものもあると思います。

それもきちんと分かった上で、「存在していない」とも言えないが、

証明できないのであれば「存在している」と言えない、分からない、

と言うような「保留」型の考えの人も多くいらっしゃると思います。

とかく、科学を盲信している方たちの中には、「精神世界」や「スピリチュアル」

にカテゴリされるようなものは、「オカルト」と同等の扱いで

デタラメだ、信じるに値しないと、敵対する方たちが多いのも事実です。

ですが、私個人の考えを述べさせて頂くと、科学と見えない世界の類のものは、

同じ方向を向いていて、「互いに補い合うもの」と解釈しています。

そのうち科学がもっと発達すれば、きっと色々証明されるでしょうね!期待します。

さて、今回はちょっと小休止の意味も込めて、「物理学」のお話をしようかと思います。

物理学の中でも、よりミクロな分野を扱う「量子論」です。

これはとても興味深い分野です。もちろん、私はバリバリの文系で、理数系は

大の苦手なんですが、「物理学」に関してはとても興味があったんです。

この世の中の「謎」を解明してくれる、一つの「鍵」でもありますからね!

と、言う訳で、バリバリの文系のワタクシが、小学生でも分かる物理学のような

本を読んで得た「簡単」な知識を、ここで紹介したいと思います。面白いですよ!

(量子論に詳しい方は、もし間違った箇所など発見しましたら、お知らせくださいね!お願いします)



一昔前の物理学、ニュートン力学の時代では、「時間」は絶対でした。

その「絶対時間」とは、宇宙のどの場所においても、またどのような物理的状況

にも左右されず、絶対的に一様に流れ続けるもの、だったのです。

1700年代においては「絶対時間」が常識であり、科学や哲学の分野のみならず、

他の様々な分野でも不動のものとして扱われ、誰一人として疑いもしなかったのです。

しかし、1905年にアインシュタインの「相対性理論」が発表されたことで、

その常識は見事に覆されます。

「相対性理論」(特殊の方)を簡単に説明すると、「時間は伸び縮みする」と言うものです。

例えば、光の速度の90パーセントで進むロケットがあったとします。

(ありえない速さですが、例えばです)

ロケットが宇宙遊泳をして、一年経って地球に戻って来た時、

地球では約二年四ヶ月ほどの時間が経っている、と言うもの。

「動いているものは、止まっているものより時間の進み方が遅い」と言う法則です。

その他、「動くものは質量が重くなる、長さが縮む」と言う法則もあります。

このように、私達が今「絶対だ」と思っているものも、様々な分野の発展により

明日には全く違うものが「常識」になる可能性を秘めている、と言うことも

念頭に置いておきたいものですよね。



さて、前置きが長くなりましたが…

「量子論」と言うのは「ミクロの世界における物質」に関する理論です。

今私達の生活に欠かせないものとなった、コンピュータや、「ハイテク」と

呼ばれる分野の製品は、全て量子論の産物と言えます。

量子論が導き出す自然の姿は、私達が考えているよりもはるかに奇妙で

常識はずれです。量子論をもっともよく理解している物理学者でさえ

「量子論を利用できる奴はたくさんいても、量子論を本当に理解している人は

一人もいない」と言ったそうです。

何がそんなに常識外れなのか、と言うと…

皆さんも、「電子」と言うものをご存知だと思います。理科の授業で習いましたよね。

宇宙を構成する素粒子のうちのレプトンの1つで、原子を構成しているものの一つです。

どういうイメージが出てきましたか?

だいたい、小さな「粒」を思い出した方が多いのではないでしょうか。

確かに「電子」は粒なんですが、それは私達が観測したとき「だけ」、点状の「粒子」

と言う形を取り、観測していない時は「波」の状態なんだそうです。

難しい表現は避けますが、かの有名な「ダブルスリットの実験」で証明されるように

電子は実験すると、その結果はどう考えても「波」の性質を持ち、それを確かめようと

実際に観測すると「粒」になる。

波、と言うとたくさんの電子の粒が集まって波になるイメージがありますが、

そうではなく、電子一つでも、波の性質を持つんです。

ですので、電子の一粒は、観測しない時は波のように大きく広がっている訳ですから、

どこに位置しているか、観測するまで全く分からない、と言う事態が起こります。

それを「重ね合わせの状態」と言うそうです。

例えば、箱の中に一個の電子を閉じ込めたとします。見る前に蓋をしてしまったので、

それは今「波」の状態ですよね。その箱の真ん中を仕切り、二つに分けます。

私達がまだ二つの箱を開けていない時、この「一個の電子」は左右どちらの箱に

あると思いますか?…



「左右それぞれの箱にある状態が重なっている」と言うのが答えです。

そして箱を開けた途端、電子は「粒」の形を取り、左右どちらかの箱から発見される

かが決まる、と言うもの。もう、頭で理解はできませんよね。

本当にそんな事がありうるの?って思ってしまいます。

このあいまいさに納得できなかったアインシュタインは、先程の二つの箱を

見る前に一つは地球、一つは一億光年はるか彼方に持って行った場合を考えました。

そして地球に残った一方の箱を開けると電子は「ある」か「ない」かのどちらかですよね。

私達が「見た」ことによって、電子は「粒」の状態になる訳ですから、その結果が確定します。

そうすると、もう一方の箱、一億光年彼方の箱の結果も同時に確定する訳ですが、

「物質の状態は観測されるまで確定しない」と考えることを思い出すと、

この箱は「見る事ができない」訳ですから理論上、ありえないですよね。

量子論はこれを「地球に残った箱を開けたという情報が、一億光年彼方の箱に

瞬時に伝わり、向こうの箱の中の状態も確定させた」としました。

それは時間ゼロで、ある影響が瞬時に離れた場所に伝わる、と言うこと。

アインシュタインたちはこの答えに猛反発しました。

なぜなら彼が唱えた相対性理論の中に「光速度を超えて物体が移動したり情報が

伝わる事はなできない」と言う大原則があったからです。

結局、この不気味な「遠隔作用」は本当にあったと実験で確認されたそうですが、

「同時に」と言う言葉の曖昧さを残したものとなりました。

結局、「同時に、時間ゼロで情報が伝わった」と確認できない為、

アインシュタインの相対性理論の「破綻」は免れたのです。



と言うことで「電子は粒子でもあり、波でもある」と言う矛盾する二面性がある

ことを認めざるを得なくなりました。

理由は分からない。けれども理論上はそうなるから仕方がない、と言う考え方です。

量子論は電子に限らず、あらゆる物質が物質でありながら「波としての性質を持っている」

と言うことを明らかにしたんです。



ちょっと長くなってしまいそうなので、ここいらで一旦切りますね!

どうでしょうか?ミクロの世界って、結構興味深くないですか?

ミクロの世界で起こることは、マクロの世界でもある、と言うことです。

四次元の世界で書いたように、本当は「光の速さ」が基準ではなく、

意識の、「想念の速さ」が基準になるんですよね。

そして「物質は本当は物質ではない」と考える方が、矛盾なくしっくりする。

これも「固定概念に捉われない」ってことですよね。



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