☆Rainbow Light☆

日々の徒然日記。最近は日本の現状を綴っています。

うどんとイライラ

2010-01-31 | 日々のこと

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


いやぁ~。

今日ね、最近よく行く讃岐うどんの店に行ったんです。

店って言うか、そこはよくある「フードコート」で。

うどん屋さんの他にも、たくさんの食べ物やさんがあって、だだっ広いフロアに自由に座れる座席がある、アレです。

今日は日曜日で、時間はちょうどお昼どき。

行ってみたら、案の定、ものすごい人。
うどん屋さんの前にも長蛇の列が出来てます。

人気なんですよね~。

こりゃ座れないかもなぁと思い、旦那に「席取って来て~私は注文しとくから~」と、二手に別ようと提案したんですね。

そしたら旦那は「え~。大丈夫だって。並んでるうちに、席空くから」と言って、席を取りにいかないんです。

ま~旦那はよく言えば楽観的、悪く言えば行き当たりばったりで。

自分からどこそこへ行きたい、と言うので車に乗って出かけたら、「場所が分かんない」ってことはよくある(笑)

「たぶんここら辺」って感じで、事前に調べないんですね。

で、今回もあ~こりゃ面倒くさいんだな、と思い「知らないよ~」と言いつつ、一緒に並んでいました。

やっと自分達の順番が来て、注文し、お盆にうどんを乗せ、座席を振り返ったら…

案の定、席は一杯。

二人でお盆にうどんを乗せたまま、だだっ広いフロアをうろうろと、何週もぐるぐる回るハメに…

お腹が減ってきてイライラするし、おいしいうどんがのびちゃうし…と、旦那を非難がましい目つきで見ると、

あれ、おかしいなぁ~なんてもごもご言い訳しながら目が泳いでる。

こう言う時の旦那はサッパリ頼りにならないので、自分であ、あの人席立ちそうだなって言う気配の人たちの後ろにさっと近寄り、

荷物をまとめ出したら「ここ空きますか?」と聞いて、場所を確保。

ふと旦那を見ると、まだ宛てもなくうろうろ…

空いたよ~と彼を呼んで、やっとうどんにありつけました。

あ~おいしかった!!やっぱ、うどんは讃岐うどんだねっ!!

今日は温かいぶっかけうどんに、大根おろしとたまごを乗っけたのだ。
たまらん~!


…って、何が言いたかったのかと言うと…

以前の自分なら、旦那の非を見つけると、ここぞとばかり、
「ほらぁ、だから言ったのに~!!」「私の言ったとおりでしょ?」「席取っとけばよかったのに」と、鬼の首を取ったかのようにくどくど責めてたんですよね。

自分のイライラを、旦那を責めることで発散して、静めると言う。


今も、何かあれば、やっぱり「イラッ!」とする。これは確か。

でもその後、イライラを引きずらず、「座れたから、ま、いいか」、「あ~うどんがおいしい」ってすぐに「いま」に気持ちがシフトできるんですよね。

こう言うことだなぁって思う。


真理とか真実とか、とても高尚なものとして扱うこともあるかもしれないけど、

私個人的には、実生活(現実)に活かしてナンボ、って思ってる。

アカデミックなアプローチも一つの方法だけど、それだけで終わってしまったらもったいない。

真理はそんな特別で高尚で、一部の人たちにしか理解できないような特別なものではなく、万人が誰でも理解できる、当たり前の、生きるに当たっての基本となるものなんだって思う。

ホント、日常のささいなこと、ちょっとした心の動き。

意識していると、スルーしてしまいがちな変化に、気付くことができます。

まだまだ蔓延している精神的な世界の「特別感」や、現実に当てはまらないって言う「区別?分離?感」が、どんどん実践し、体感することによって、無くなっていけばいいなぁ。

これをやれば、必ずお金が入ってくるようになるのか?とか…
必ず成功するのか?とか…
恋人が出来るのか?結婚できるのか?とか、

そんなことじゃなくて…

そう言った、自分に都合のよいことだけを引き寄せよう、叶えようとする自分の「こだわり」の根本から、見つめようねってことなんですよね。

少しずつ、ね。




※※※※

引き続き、2月13日のいまここ塾新年会に乗っかった第一回「レインボー会」、

参加したい方は前日の記事、「心の平和」のコメント欄にて、参加表明をお願いしまーす。





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心の平和

2010-01-30 | 受け入れる

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!

※※※※※※

イキナリですが、お知らせです!

以前からちらほら話題に上がっていた、「レー会」

「東京いまここ塾」の新年会が2月13日(土)にあるそうで、

今回、静香さんの提案で、その時に一緒に、記念ずべき第一回目レインボー会も開催することになりましたっ!!

乗っかり企画なのが、なんともイリスらしいっス!(笑)

で、場所や時間の詳細は決まってないのですが、

講演会が行われる場所が神田なので、その近くになる模様。

時間は講演会が終わってからなので、夕方5時とか6時になるかなぁ。

いまここ塾新年会に参加される方々がすでに14人いらっしゃるそうで。

大人数になりそう~!

で大変急な話で申し訳ないのですが、いまここ塾新年会の幹事さんの都合もあり、2月の最初までにはおおまかな人数を把握しておきたい、とのこと。

もし参加したいなぁって思われる方は、コメント欄にて参加表明をお願いします~!

いまここ塾メンバーとも飲めるぞ!(阿部さんは来るのかなぁ!?)

よろしくお願いしま~す。

(あっ!でも無理はしないでくださいね!また開催することもあると思いますので~
都合が合えばってことで!)

と言うわけで、告知オワリ~

※※※※※※※※




そうだなぁ。


世界を平和にしようと思っても、

国々や人々の思惑や利害関係や歴史が複雑に絡みあって

どうしても

一筋縄じゃいかないって思ってしまいますよね。


私達はよく、「大丈夫」とか「大した事ないよ」とか「リラックス」とか「ドラマなんだから」と言いますが

それは

「投げやり」になることでも、現実を見ないことでも、軽視している訳でもないんです。

地球の痛みは我が身の痛みですし、人々の痛みもまた我が身の痛み。

けれども、そう言った所にフォーカスし過ぎると

自分の無力さばかりクローズアップされてしまって

どうしてこんなことが起こるのだろう?

どうしてこんな理不尽がまかり通るのだろう?

どうして変わらないんだろう?と嘆いたり

現状の体制に対する怒りや憤りしか沸かなかったりしてしまう。


でもそうじゃなくて

現状がどんなに複雑化していたとしても

その大元となるところは

「一人一人の意識」なんです。


それぞれが自分自身の意識に注意を払い

観察し続け、

「いま」と調和することで心を満たしていれば

現実は変わって行きます。

「変えよう」としても変わらなかったことが、とても自然に。


それは理想主義でも夢物語りでも何でもなく

一番現実的で、「まっとう」な方法なんです。


だって、今のこの現状。

どんなすばらしい方法を取ろうが、

私達の中に「エゴ」があり

自分を守ろう、とする本能が働く限り、

「分離」「敵対」はなくならない。


二元性の世界では

「自分が得をする」ことは、同時に「他人が損をする」ことだと思い込んでいますから。

無明の状態でどちらか、と言われれば、得する方を選ぶのが人間。

いい、悪いではなく。

でも本当の意味で「自分にとって得すること」は同時に「周りにとっても得すること」なんです。

ですので、「知らない」ことが目先の「得」に走らせ、結局自分が「損」をすることになるんです。

本当の意味で「利己的」になるのであれば、究極のハナシ、言ってしまえば「世界が平和になること」ですよね。



今のありとあらゆる歪みは、そう言った

怖れや不安が元になった、自分を守ろうとする働きから生まれているものなんですよね。

その人間の性質を、利用されたり。

いくら厳密にルールを決めても、罰を与えても犯罪がなくならないのが、その証拠で。

上から押さえつけた平和は、平和じゃない。


なので…


まずは、自分自身。

内側から、平和になる。


それは何かって言うと、認める(受け入れる)こと、それだけ、なんですよね。

現状を認める。
自分自身のあらゆる面を認める。

手放そう、と言われて手放せなかったら

手放せない自分を認める。


マイナス感情はいけない、と言われてても

どうしてもイライラしたり、嫌な感情が湧いてくる自分を認める。

今が幸せだと言われても、そうは思えない自分を認める。

アノ人が嫌いな自分を認める。

人と同じことができない自分も認める。



そうやってあらゆる側面に「意識の光」をあてて

認めていくことで

心が平安になっていきます。


エゴを否定したり、排除しようとしたりするんじゃなく、

ただ認めてあげる。

それだけで、静かになっていきます。


そこが、スタート。


そこからは、現実の世界で、何かをしようが、自由。
何もやらなくってもかまわない。

ただ自分の心の奥底から湧き出る「やりたいこと」をやろう。

たとえ何もしないとしても、
満たされた心で存在することだけでも、周りの為になっているんですから。


歩く歩幅は一歩ずつ。

周りの人たちがものすごく先を歩いているように見えて焦っても、

居る場所は、実は同じ。

だから焦らず、足元を見よう。

深呼吸して、出来ないことを無理してやるんじゃなく、喜びをもって自分の出来ることをやろう。

それが、自分の為と同時に周りの為にもなる。

小さいように見えることでも、重要度は同じ。
心を込めてね。

それが、世界を平和にするってこと。

知ること、気付くこと、受け入れる(手放す)こと。

この順番かなぁ…


物事を複雑化して、難しく考えず。

ありのまま、そのままに。


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無明

2010-01-29 | 日々のこと

こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


今日は「現実逃避」について書こうかなぁって思ったら、過去にこんな記事を書いていました。


最近の記事にもちと通じるところがあったので、載せておきます。

「スピリチュアルと現実逃避」


なかなか、思考を使って言葉にするのが、難しい日もありますね~

今日はうまく書けない日のようです…


そうだなぁ。

…やっぱり思い浮かばない(笑)


こないだね、「カメラ」を日本で初めて作った上野彦馬と言う人のテレビ番組を見てたんですね。

写真は今までの「肖像画」と違って、「本物の自分」が紙に写っているわけですから、当時の人たちは、それはそれは驚くわけです。

で、そのうち「写真を撮られると魂を抜かれる」と言う噂まで飛ぶようになってしまうんですね。

ですのでみんな恐ろしくて、写真を撮られることを本気で嫌がる。
知らないってことは、恐ろしいなぁと思ったんですが…


とあるハイカラなお殿様が、そのカメラに興味を示しまして。

上野彦馬に写真を撮ってくれ、と依頼します。
で、自分の家来に「モデルになれ」と命じるわけです。

その家来は、「写真を撮られれば、魂を抜かれる…それは絶対嫌だ。しかし、殿様の言うことに背く訳にもいかない…」と悩みに悩み…

とうとう腹を切って自害してしまうんです。

カメラが作られた江戸時代の後期。当時はそんな事件もあったとか。


今なら、「魂を抜かれるなんて、そんなわけないじゃん!」とか
「魂を抜かれるのが嫌で死ぬなんて…本末転倒じゃないスか!」とか言えますが…

私達も、そんな彼らをバカにはできないんです。

今でも「知らない」ことで引き起こされる強い「思い込み」のせいで、命を絶ってしまう人だっています。

本当は違う道もたくさんあるはずなのに、「これしか方法がない」と思ってしまうんですね。

命を絶たないまでも、そのせいで自分を雁字搦めにして、苦しむ人もいますから…

現代にだって、当てはまることなんです。


無明(何も知らない)の状態だと、運命に振り回されているように感じるし、世の中理不尽なことや不公平なことが起こっているように思ったりもします。

ですのでまずは「智慧」と言う明かりを照らすこと。
「ほんとうのこと」を知ること、ですよね。

「求めよ、さらば与えられん」の言葉通り、知ろうと「意図」すれば、かならずその方向に人生は流れていきます。


でも、外側の知識は、外側の知識。

信じるのは、自分自身の感覚。

他人の言葉を鵜呑みにしない。すでにある「常識」を信じ込んでしまわない。

自分を偽らない、欺かない、取り繕わない。

自分自身は絶対、騙せないですもんネ。


ちっぽけな自分が毎日、現象世界をジタバタ生きていても、同時に全てでもある「大いなる存在」であるので、安心して、思う存分正直に自分と向き合ってくださいね。

本当に、誰が何と言おうと、どんなに実感がなくて信じられなくても、今どんな状況であってもあなた自身が「至福」であり「愛」であり「喜び」であり「安らぎ」であるんですから。

それを自分自身、確かめてみるのもいいんじゃないかなぁ。



今日は切れのない文章でごめんよっ!

え?いつものことだ!?なにおぉう!……ヤッパリ?(笑)



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静けさ

2010-01-28 | 日々のこと

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


今日は短く。

どんなに「ちっちゃな自分」の感情が吹き荒れようと、苦しみで辛くとも、心の奥底に、何が起ころうと変わらない、揺れたりしない透き通った「静けさ」があるんだ。

それだけ、なんだ。

難しいことは抜き。

ちっちゃな自分は「いま」にいられないから、あれやこれや「今の状況」を拒否したり抵抗したりして、問題を作り出す。

問題を作り出して複雑にしては、何とかしなくちゃ、と騒ぎ出す。


だから

たまには

ゆっくり

何も考えないで、自分の中の奥深くにある、その「静けさ」に触れてみよう。

いろんなものに名前をつけないで、分類しないで

「そのもの」を感じてみよう。


そうであるものを、ただそのまま受け入れるだけでいいんだ。

感じるだけでいい。

「形」に捉われないで。


どうしてこんなことが起こるんだろう?とか
どうして自分は同じことばっかりやっちゃうんだろう?とか
この状況はどんな意味があるんだろう?とかも

考えない。

ただ、静けさに触れ、静けさになる。

そこでは何も起こってないから。

「分かる」ことがあるよ。

理由なんてない。ただ「分かる」んだ。


そんな自分自身の感覚と、宇宙の流れを信じようね。

何があっても大丈夫だって。


今日も一日、頑張りました!お疲れさま。

みんな一人一人が素晴らしい存在。

それは「~が出来るから」って条件なんてなく、みんな同じように素晴らしい。

にっこり笑って、すべてこれでよし!なのだ。

そんな自分を労わってくださいね。


愛を込めて。


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苦しみと幸せ

2010-01-26 | 幸せ
こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


いやぁ~。

コメントいただいたまかろんさんにお返事を書いてたら、めちゃめちゃ長くなっちゃったので、記事にしちゃいま~す。

まかろんさん、(ネタ提供)ありがとぅ~!

今、黒斎さんのところでも同じような記事が出てますね。シンクロですかね?

ところで、そこのコメントのところで、「あなたは本当は幸せなんだ、とか自己欺瞞を言ってないで、存在は、生きることは苦なんだ、と認めちゃった方がすっきりするんじゃない?」という意見があったのですが、イリスさんはどうお考えですか?

なんか・・・言われてみるとそうかも、という気がするんですが、身もふたもないなぁ、そう腹くくらなきゃいけないのかなぁ、と納得しきれない(未練とも言うのでしょうか)気持ちもするんです。

幸せを外側の価値に委ねては幸せは得られない、というのは納得できるんです。
で、だから幸せは自分の内部から湧き上がるものだ、と意識シフトを試みている状況だったのですが、そもそも幸せなどこの現世で追求すること自体が自己欺瞞で間違っていたのか。
すごく混乱してます。

気が向いたらで良いので、何かのついでにでもイリスさんのお考えを聞かせて頂けると嬉しいです。




あ~黒斎さんとこの記事、「幸せ」(今日は「前提」)についてでしたね!
全く意識せず書いたんですが、そういえばちと関連してますかね~(笑)

うんうん。コメント欄読んできました!

そうですね。
確かにこの世は「四苦八苦」です。
それを「認めることだ」と言われれば、その通りだと思います。

でもそれは…そうだなぁ。
ちょっと強引ですが、例えば「お化け屋敷」。

私達はお金を払ってわざわざ「恐い思い」をしに行きますよね?
それは「恐い」ことが「楽しい」からで。
(嫌いな人もいるとは思いますが…)

でもそれが実際のこと、リアルだったら絶対嫌ですよね。
毎日毎日恐い思いをしなきゃいけないと思うと、ぞっとします。

それと同じで、「苦しい」「不幸」と言うことが全くどんなものか分からない私達がいたとします。
おや、あそこに「苦しみ(不幸)の館」があるぞ!ちょっと行ってみようぜ!

うん?なになに。
『この館に入る際には、記憶を一時的にこちらで預からせていただきます?そちらの方がより苦しみ、不幸をしっかりと味わうことができます』だって。念が入ってんなぁ~。

ってことで、自ら「苦しみの館」に入ってきたお客さんのようなもんなんです。

ですので「どうして苦しむんだろう?」って思うことが、そもそも間違いなんですよね。
生きることは、苦しむことなんです。

それを知ること、なんですね。

けれども、「苦しみの館に入っている自分」を自覚してしまえば、それを「味わう」ことが出来ます。

「苦しんでいる自分」と「それを観察している自分」ですね。

「苦しみ」と言うのは、「そんなはずはない」と言う「拒否、抵抗」の気持ちから出てくるものですから。

それから逃げよう、逃れようとするから、苦しくなるんです。
でも、あ、そうか。苦しみを体験しに来たんだった、と「どうして苦しむのか」が分かれば、それを受け入れることで「味わう」ことができますよね。

それと「物事を正しく捉えること」ができれば。
(お釈迦様の「八正道」ですネ)

それは「苦しみ」と言う形を取ってやってきている「喜び」でもあるんです。
私達が「苦しみ」と名前をつけているだけで。

病気になって、分かることもある。
お金を全てなくして、分かることもある。

結局、それもコインの表裏で「同じ」ものであるんですよね。


で、幸せについて言うなら、その「観察している自分」は、いつだって「幸福」である、と言うこと。

ちっぽけな自分に何が起ころうが、どんな感情が吹き荒れようが、どんな現象がやってこようが…
それはただの現象で、「やがて過ぎ去る」ことを知っているからです。

「これが幸せだ」と決めてしまえば、その対極にあるものが「不幸せ」になってしまいます。

そう言う、状況や環境や条件によってすぐに裏返ってしまうものを「絶対的な幸福」とは言いません。

私達の存在そのものが「幸福」であるんです。
命であり、叡智であり、愛であり、喜びであり、至福そのものである、純粋な意識なんです。

ですので、二元性の意味での「幸せ」はこの世で追求するものではないんですね。
「幸せになりたい」と言う気持ちが、そもそもズレているってこと。

幸せに「なる」んではなく、「(絶対的に)幸せである」ってことに気付くってことなんです。

(あ、でもこの世にムダはないので、自分の思い描く二元性の幸せを追求していくうちに、「あれ?おかしいぞ?」と言う気付きがありますもんね!)

それが、本当の自分に戻るってことなんです。


なので、何をどうしようが私達がいまこの瞬間も「本当の自分」であるし、「至福」であることは間違いないので、気にせず、「いま」を、目の前の現実を目一杯「意識的に」生きること、ですよね。

目の前の現実(現象)が、自分では気付かなかったいろんなことを教えてくれます。
なんせ、自分の心の映し鏡ですからね!

そうは言っても現実問題、お金がなかったら生きていけない、仕事がないと生きていけないと言う方もいらっしゃると思います。

うんうん。
おいしいものが食べられる、とかそういった二元性の「小さな幸せ」も「一過性のものだ(永遠ではない)」と言う自覚があれば、嬉しいものですよね。

でも、それもまた自然な流れなので、自分自身の中に流れをせき止める「思い込み(ブロック)」がなければ、流れてくるもんなんです。

お金や仕事のトラブルが多い人は、「自分の中にそういった思い込みがありますよ~」と知らせてくれているんですね。「受け取る」ことを拒否していたり。

なので結局、本当の自分に戻ること(気付くこと、認めること、許すこと、受け入れること、手放すこと)なんですね!

思い込みや常識にに捉われなくなればなるほど、せき止めるものがなくなりますので、スムーズに流れがやってくる。


で、生きることは「腹を括ること」です!
何が起ころうが、ちゃんと全部受け入れる、と。

それが自分の人生に責任を持つことですよね。

不平不満を言うってことは、自分の人生に責任を持っていないってこと。
誰かや何かのせいにしている。

それは自分の人生を周りの誰かに委ねているってことでもあります。
自分で責任を持てば、生きることがずっと楽になります。


…最後の方はちと話が逸れてしまった気もしますが…(毎度毎度…)




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立ち止まってみよう

2010-01-25 | 日々のこと

こんにちは!ご訪問ありがとうございます。




外側の世界に振り回されたら、自分の価値を外側に委ねてしまったら、

ちょっと立ち止まってみよう。


自分の頭の中で勝手にあれこれ、物語が創られてしまっていることに気付こう。


こんなに頑張っているのに

あの人が自分を評価してくれない。

あの人が自分を認めてくれない。

あの人が自分を好きになってくれない。


それで落ち込んでしまう。

自分に価値がないと思ってしまう。


うん。

それでもいいんだ。

みんなが好きになってくれなくても

仕事が出来なくても

失敗ばかりしても

周りの人とうまく付き合えなくても

一人でも

それでいい

それがいまの自分。

でもダメじゃない。

価値がないわけじゃない。



いい人になろうとしなければ、

よく見せようとしなければ、

出来る人に見せようとしなければ

うまくいっているフリをしなければ

大丈夫。


どんな自分でも

ありのまま認めることから始めよう。

そこから始めよう。

出来ることからやっていこう。

深呼吸して、それでよし!


人の思いを汲み取ることは大切だけど

必要以上に敏感になって、気にしすぎたりしない!

人の思いに流されてしまわないこと。

自分の「軸」はしっかりね。

無理をしない、偽らない、自然な等身大の自分で。


魅力的なひとは、周りに気を配るけど、ちゃんと「自分」を持っているよね。

とても自然体で、笑顔がすてき。

媚びてない。


「好きになってもらおう」としなくってもいいよ。

その思いが、ドラマを演じてしまったり

「感情の引っかかり」が出来てしまったりするから。


自分がみんなを好きだったら、それでいい。


世の中不公平だって思わないでね。

その思いの元になっているものに気付いてみよう。




今日も一日、頑張りました!お疲れ様です。

じっくり自分を労わってネ!



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つぶやき

2010-01-24 | その他

こんばんは!ご訪問ありがとうございます。



ついさっき、お風呂に入ってて何気にテレビをつけると…

アンジェリーナ・ジョリーの「トゥームレイダー2」をやっていました。

話は分からなかったんだけど、もう最後の場面らしく。

一人の男がアンジェリーナに向かって

「よせよ。お前に愛する男を殺す強さはない」

とか言ってました。

それを聞きながらのぼせた頭で


うーん、それって強さって言わないんじゃないかなぁ。

「殺さない強さ」って言うんじゃないかなぁ。とか思ったり。


以前の記事にも書いたけれど


戦わない強さ

武器を取らない強さ

で、本当の強さは


自分が弱いことを知っていること。


ふぅ。

温まった!ほかほか!

今日も一日、頑張りました。


ではお休みなさい~よい夢を。

いつもありがとう。


あなたの中に全てがある。

あなたが手を伸ばして求めているものすべては

外側にはなく、あなたの中にある。

どうか、あなた自身でもある

尽きることのない

純粋な愛が満ちていることを

感じられますように。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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変化

2010-01-23 | この世の仕組み

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


さてさて。


今、オバマさんの「CHANGE!」に始まり、日本では民主党の政権交代と、「変化」の気運が高まってきていますよね。

長らく、「物さえあれば、お金さえあれば幸せになれる」と信じて頑張ってきたのに、私達の知り得ることのできる歴史上、初めて日本国民が平均的に「裕福」な時代になっても、やっぱり幸せじゃない。

ってことにだんだん気付いて来て、「お金さえあれば…」と言う「物質主義」から、心の満足と言う「精神重視」に、人々の関心がシフトして来ています。

今のままではいけないんじゃないか、変化しなきゃいけないんじゃないか、って思う人が増えてきているってことですよね。

それはとても素晴らしいことです。

でもここで大切なことが一つあります。

それは、この「変化」。
私達もまた「変化」すること、と言っていますが、同じ「変化」でもすこぉし意味が違っているんですね。


より人間として「道徳的」「精神的」にシフトしてきているのはいいんですが、二元性のルールに従ったままであると、今までの常識から新しい「常識」、新しい「~しなければならない」にとって変わるだけなんです。

それは新しい「善」新しい「正義」を決めてしまうことなんです。

そうすると、それに従わない人たち、その通りに行動しない人たちを「おかしい」「間違っている」「悪だ」と裁いたり、非難したりしてしまうんですね。

あの人はまだお金を追いかけているのか、まだ物質主義なのか、まだ利己的なのか、まだ自分を守っているのか、と。

そうすると、それにフォーカスしてしまって「何とかしなくちゃ」をやり始めてしまう。

いわゆる「精神の物質主義」ですよね。
いい事をしている、自分は正しい、と思っていると、それに気づきにくい。

現状をありのままに知ることは大切だけれど、それを嘆いたり、誰が悪い、誰の責任だ、と非難し、変えようとすることは、「反戦運動」と同じことなんです。


うん。

でもこれも、変化の過渡期、誰でも通る道。
悪いことじゃない。

ただ、知っておいて欲しいなぁ、と。

同じ「変化」でも、私達の言う「変化」は、それを「超えた」ものなんです。

新しい「何か」新しい「枠」新しい「~しなければならない」を決めてしまわない。


今、自分を守らなきゃいけない、と武器を握り締めている人に「変わりなさい」「武器を捨てなさい」と言っても無理だし、

今、お金がなきゃ生きていけない、世の中お金だと信じ込んでいる人に「変わりなさい」「お金が全てじゃないから、それを放しなさい」と言っても無理ですよね。

誰かから言われて変われるなら、とっくに変わってるし、
無理矢理変えようとするなら、やっぱり今までのやり方と変わらない。

人間、自分が信じているものが「世界の全て」ですから。

「今のままじゃいけない」「変わらなきゃいけない」は、今の状態を否定して、新しいものを求めることですもんね。

そうじゃなく、内側から自然に、気付いたら「変わっていた」ってことなんです。


それはやっぱり「意識を変える」じゃなく、「意識が目覚める」こと。
目覚めた意識である本当の自分の戻ること。

二元性のルールから、離脱し、超越すること、なんですね。
善も悪も、正義も悪も、正も間違ってるもなく、同じだと理解していること。


究極に言ってしまえば、世界の平和は一人一人が目覚めることで、実現できる。
それは、とても合理的で建設的で、一番被害が少なく、手っ取り早い。

「何かをすること」じゃなく、「何もしないこと」でそれが出来る。
と、思っています。いくら理想論だ、綺麗ごとだって言われようとね!


でも、だからと言って目覚めるために、何もしなくっていいんです。
無理なことでも、難しいことでもない。
目覚めなきゃいけない、と思う必要もない。

もうみんな、本当は目覚めた存在だから、です。

それはベストなタイミングでやってくる。
だから気にせず、ただ、今にフォーカスして生きること、そして心の平安(静寂)を確かめること、なんですね。愛を基準に。

自分をどちらか一方に決めてしまうと、必ずその対極にある一方が残ります。
それを「間違っている」と非難したくなるのが人間。
でも、どちらもないし、どちらも同じ。

いつもニュートラルにね!



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自覚すること

2010-01-22 | 受け入れる

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


やっぱりね、「自覚すること」だと思うんです。


例えばね、自分の大切な子供が、誰かに殺されたとする。
(物騒なハナシでごめんね~!)

当然、親として泣き叫ぶし、犯人を憎み、恨みますよね。

逮捕された犯人を「この子と同じ目に遭わせてやる」と思うかもしれないし、「この子の恨みを晴らしてやる」と思うかもしれないし「敵を討ってやる」と思うかもしれない。

でね。

この精神的な世界でも、腹が立ったら怒ればいい。
自分の感情を抑えずに、素直になること。って言いますよね。

じゃあ、一体何が違うのか?と言うと…

その「感情」を「自覚しているかどうか」なんですね。

最初のパターンでは、「感情と一体化」していて、その行動を取ることに何の疑問も抱いてない…と言うか、疑問の抱きようがないんですよね。

憎しみが当然のように沸き起こる訳です。自分が感情と化しているので。

だけど、「自覚している」パターンでは、自分がそこで「怒る」のか「悲しむ」のか、それとも他の行動を取るのか、「選択」できる余地があるんです。

で、感情を感じていても、そこから離れているので、「ハマりこまない」んですね。
その時は無理かもしれないけれど、後々は犯人を「許す」と言う行動を取ることも出来る。

感情を離れたところで味わい尽くすってことは、「燃えカス」が残らないってこと。
いつまでのその感情に振り回されないんですね。

そして殺された子供にとって、どうすれば一番いいのだろうか、と言うことまで考える「余裕」(スペース)がある。

だって、自分がもし「殺された子供」だとしたら、親がいつまでも自分の死を悲しみ続け、復讐、と言う憎しみに満ちた人生を生きるより…

早々に踏ん切りを着けて、楽しく生きてくれた方が嬉しいですよね。


でも、最初のパターンではそれも気付かず、「仇を取ることが、恨みを晴らすことが子供のためだ」と思ってしまう。

それは「子供のため」じゃなく「自分の感情」であることにも気付けないんですね。


※あ、もちろん、これはデリケートな「例」なので、そう行動することが「悪い」と言っているわけではありません~!
ただ、そうすると苦しむ場合が多いんですよね…


もし、犯人を憎まない道を選んだとしたら…

世間的には、あの親はおかしい、本当に子供を愛していたのか、と囁かれるかもしれないけれど、本当に愛するのがどう言うことなのか、は他人に決められることではないですもんね!

自分が幸せであることが、周りの人にとっても、とても大切ですから。

どんな感情が沸き起こっても、悪くない。ただ、それに気付いていること。
自分が取っている行動にも、気付いていること。

これはいい、これは悪い、の判断を下さずに、常に「自覚していること」が大切なんですね。


で、起こることは全て「中立」ですから、そこで「自分に取って都合のいいこと」「悪いこと」と判断したり、「こんな意味がある」と意味づけをしてしまわずに、そのまま全て受け入れる。

すぐには無理なら、無理でいい。
しばらく置いておいて、余裕が出来てからでもいい。


「憎しみ」などの負の感情にかられた行動は、絶対に、うまくいかない。
私はそれを「感情の引っかかり」と呼んでいるけれど、もし自分の復讐を遂げて相手の人が死んだとしても、その「感情の引っかかり」(憎しみ)は癒えたり、なくなったりはしないんですね。

その感情の燃えカス…「引っかかり」は出っ張ったまま残り続け、事あるごとに、フックのように何かを「引っかけ」ます。

そのたび、その感情が再び燃え上がるんですね。
何でもいいんです。直接関係なくてもいいんです。
火がつけばいいんですね。

それは相手を(自分を)許すことでしか、その「引っかかり」をなくして「丸く」することはできないんです。


…あ、長くなりそうな話題になってきちゃったので、このへんで!(笑)

今日は「自覚すること」をテーマにお送りいたしました~!


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徒然日記

2010-01-21 | 生きる

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!



こだわっているものに気付いたら、それも手放そうね。

「捉われないことにすら、捉われない」気持ちで。


今日はちょっと書きたいことがうまく言葉にならなかったので…過去記事掲載でお茶を濁す(笑)エヘヘ。


「解き放つ」


「君の中に」


「思い出して」



大切なことは、ぜんぶ自分の中にあるんだ。

バランスを崩したなぁと感じたら、一人になれるところで、(自然がいっぱいあるともっといいけど)ふか~い呼吸をしながら、自分の心が何て言っているか、確かめてみよう。

そして、それを信じよう。

誰かが言っているから、みんながそうしているから、じゃなく。

今はじっとしていたいのなら、それを許してあげよう。

それも、前に進むための貴重な一歩。

足早に駆け抜けることだけが、生きることじゃない。

歩く早さは人それぞれ。

焦る必要も、ダメだと思う必要もない。

世界を平和にしたいのなら、自分が平和でなくちゃね!

それは無理して笑うことじゃなく、怒りを抑えることじゃなく、自然体でいること。

感情が揺れたら、それを抑えずに許そう。
そしてその感情と一体化せず、離れて、それをしっかり味わおう。

それが心の平安、平和ってことだと思う。

「スピリチュアル」ってものにもこだわらない。

それは生きること、私達そのもののことだから。何でもアリさ!


今日も一日、心を込めて、丁寧に生きようね。


私も辛いこと、苦しいこと、痛いことがたくさんあります。

ただの普通の人だもん。

泣くし、傷付いたり、ムっとしたりもする。

うまくいかないこともたくさんあるよ。

けど、それも私の人生だもんね。それでいい。ゆっくり行こう。

イロイロあるけど、みんなも生きてる。私も生きてる。うん、それでいい。


いつもありがとう!


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至福

2010-01-20 | 受け入れる
こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


いやぁ。

盛り上がってますね!黒斎さんとこのコメント欄

その前のエントリと言い、私もなるほど~と思いながら読ませていただきました。

大変、勉強になります。

やっぱりどんな意見であれ、たくさんの方々の「ナマの声」を聞くのが一番ですね!
ハッ!っとさせられます。


で、自分も昔、こんな記事を書いていたので、ピックアップ。

「幸福」


今日も乗っかり記事ですみません!

どうしても書いておきたかったんだ~



状況や環境などの「条件」によって、幸せに感じたりするものは、裏返って不幸にもなるので、それは本当の意味での幸せではないんですよね。

幸福であると同時に、不幸でもあるもの。

なので、「満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま。幸福。」の条件を満たさない。

どんな辛い状況でも、その「状況」と「一体化」している自分から離れて、自分は今、満ち足りているか?と問いかけてみれば、

あぁ自分は満ち足りている。不足など何一つない。…と言う「いまここ」にいることが分かる。

どんな人でも、どんなに否定していても、全ての人はこの瞬間にも「いまここ」にいるんですから。

ってか、それ以外にいられないんです。


私達の本質は、「純粋な愛」「至福」「至高の善」そのものであり、その中にどっぷりと漬かっている訳だから、それを覆い隠す「余計なもの」さえ取り払えば、「あっ!なんだ!ずっと最高に幸せだったんだ」って気付くんですよね。

幸せじゃなかったときなんてなかったし、これからもない。
だって自分が「それ」なんだもの。


面白いですよね。

幸せになりたいって思っているにも関わらず、「幸せになってもいいんだよ」って言うと、
「いや、違う」とやっぱり「幸せにならない理由」を探し出すんですもんね。

今も最高に幸せなんだよ、と言われたら素直に、「そうか」でいいのにね。


こんな話を思い出します。

ある占い師の話。

占いを当てることは、簡単だ。
「不幸な占い」をすればいい。

人は「いい事が起こる」と言っても、嬉しいな、本当にあったらいいな、で終わるが、
「悪いことが起こる」と言うと、すぐに信じる。

そして日々、不安と怖れに捉われ、自分で「悪いこと」を作り上げる。(引き寄せる)
そして、「占いが当たった」と思う。


ね。


この世でどんなに苦しもうが、辛い目に遭おうが、自分である本質の「至福」は変わらない。

本質の「至福」が、そうでないものを、ここで体験しているに過ぎないんです。

苦しみも、痛みも、悲しみも、辛さも、ここでしか味わえない。
どんなものであろうが、それを体験して、分かることがある。
それをとことんまで、味わっているんです。

だけど、どんな状況であろうと、本質は「至福」であることには変わりない。

そりゃ、大切な人が死んだら悲しいし、怪我をしたら痛いし、苦しい。
無一文になったら辛いし、着るものが無かったら寒い、
食べるものがなかったらひもじい。

でも、それは単なる「状況」であって、それによって引き起こされる「感情」なんですね。
それは「不幸」ではない。

そのさなかでも、本質は「至福」であり続けています。


どなたかもおっしゃられてたように、この世をどのように生きるのかは自分の自由なんですよね。

いやいや、せっかく来たんだからどっぷり不幸を味わいたいって言うなら、それもよし。
いやいや、不幸はもう充分感じたから、そろそろ本当の自分に戻りたいって言うならそれもよし。

どちらにしろ、幸せは「状況」や「環境」が決めることではなく、自分自身が決めることなんです。なにしろ、今も私達は「至福」なんですから。

どんなに疑っても、否定しても、その事実は変わりません。
「いまここ」しかないし、今も「至福」であること。

あ~だこ~だ言う前に、確かめてみるのもいいかもね!
どうすればいいかって?

全部、手放しちゃえばいい。
こうしなきゃいけない、こう生きなきゃいけない、こうすべきだ、こうあるべきだ、って言うもの全部。
自分の「これが自分だ」って言うもの(アイデンティティー)も全部。

「神」は「全て」であり、そして「全て」であるがゆえに「何者でもない」
と言うことは、神でもある自分は「何者でもない」んだものね。

何かになろう、何かを得ようとするから、ややこしくなるんですよね。
最初っから何も持ってなかったし、何者でもなかったんだから、何かになる必要もない。

それを踏まえた上で、この世をどう生きるかは、自由。
社長になるのもよし、芸術家になるのもよし、いいお母さんになるのもよし。

「そうならなきゃいけない」から解放され、ただ純粋に「こう生きたい」「こうしたい」って生きられる。
何もかも、起こることを楽しめる。

誰かの真似でもなく、今の自分にぴったりな生き方が見つかる。
より現実的に、より充実した毎日を生きることができる。



…あ、やっぱり話題が逸れた…!「幸せ」について書いてたのに…いつもこんなですみません!


とにかくもう降参しちゃって、幸せってことを認めちゃいましょ!ってことが言いたかったのでした。



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常昼の星

2010-01-18 | 日々のこと


こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


以前書いた、眠れなくなる宇宙のはなし、と言う本に載っていたんですが、

アメリカのSF作家アシモフが書いた小説、『夜来たる』と言う作品があるそうです。


そのあらすじは、

6つの太陽に囲まれた惑星「ラガッシュ」が舞台。

このラガッシュは、太陽が6つもあるので、常に「昼」の星なんだそうです。
夜と言うものが存在しない。

そのため、ラガッシュでは天文学がほとんど発達せず、人々はラガッシュと、6つの太陽が宇宙にある天体の全てだと信じて独自の文明を築いていた。

しかし、2000年に1度、日食による「夜」が訪れたときに、悲劇は起こります。

闇夜に浮かぶ無数の星々の出現に、天文学者たちは驚き、自分たちのちっぽけな世界観が崩壊したことに絶望します。

民衆は初めて体験する真の暗闇に恐れおののき、光をもとめて街に火を放つ―

こうして惑星ラガッシュの文明は、一夜にして崩壊する、と言うおはなし。


ちょっと興味深い内容ですよね。

私達の星、地球は幸い夜があるので、宇宙の存在に気付くことができたけれど、確かに昼の世界だけなら、広大な宇宙が広がっていることすら気付かず、興味すら湧かなかったかもしれない。


私達がいつも「見えている」ものの奥に、真実があります。

隠されているように見えるのは、私達が思考のカーテンに覆われているから。

でも本当は、その姿をちゃんと現してくれているんですよね。


それを言葉で説明して、分かったつもりになるのと、実際に自分で感じて理解するのではやっぱり違います。

この精神的な世界、様々なアプローチ方法がありますが、結局は「自分で体験する、感じる」ことに行き着きます。

頭で理解してからって方向もあるけれど、そうすると「先入観」や「固定概念」が邪魔をして、感じられないことが多いんですね。

人は自分が信じているものしか見られないし、感じられないものですから…

自分の中で「こうである」と言う形がハッキリしたものを持っていると、それ以外は見ることができないんです。


自分の頭の中で、考えることは過去の記憶か、未来の予測。


自分がいま5感(もしくは6感)をフルに使って感じることは「いまここ」。


その違いを確かめてみるのもいいかもしれないですね。



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ありがとうございました~!

2010-01-17 | 日々のこと

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


なんだかお久しぶりな気が…ご無沙汰しております。

いやぁ~

ここ2日、人間こんなに寝られるのっ!?っちゅうぐらいがっつり寝まして…

すっかり回復しました~~

おかげでスッキリ。クリア~!!

みなさま、心のこもったコメントありがとうございましたっ!!

感謝、感謝でございます!!元気百倍!

最近、体調のアップダウンが激しくて、体が追いついてない感じなので…

もうちっと体を意識するデス…ハイ。反省。

コメントレスもぼちぼちしていきますねっ!


で…思ったのですが…

サワラー会、と言うのは確かにこぱっずかシイ感じがありますし…

(にゃんじ~さん、鉛筆削りさん、お気遣いありがとうございます~!)

主役はみなさまですので、意見交流会みたいな感じで「レインボー会」ってのはどうでしょう!?

ってか、土日限定、東京近郊(新宿あたり希望)になりますが、冗談とかノリとかじゃなく、本当にやります!?

午後のお茶会。(あ、なんかイイ響き…)

はたして何人ぐらいの方が来られるのかなぁ…と思いまして。

もし来られるじょ!と言う方がいらっしゃいましたら、コメント欄にお書きください~!

みんなでワイワイ、飲んだり食べたりしながら、気楽におしゃべりできたら楽しそうですよね~♪

建前ナシで、本音でトーク!!難しいことも一切ナシで!

もちろん、参加者はもれなく、全員とハグしていただきますっ!
それが参加条件ですっ!(笑)

思いっきり麦湯~~☆しちゃってください。

日程の調整とかもあるし、すぐにはできないと思いますが、みなさまの意見を聞きながら、決めていこうかなぁ…

何かアイデアがあったら、遠慮なく書いてくださいね!


ではでは!みなさまもお体には気をつけて!

今日も素晴らしい一日です!と、ニッコリ笑って。

どんなことがあっても、どんな状況でも、いまが最高最善。

それを許せば、ゆるゆる~っと心が広がっていくよ。

ふぅ~っと体の力が抜けて、深い息ができる。

そうすると、あらゆる可能性の扉が開く。

ちっぽけな自分が「何とかしなきゃ」って状況をコントロールしようとしてジタバタしているよりも、ずっと簡単に、自然にね。

それがサレンダー。委ねること、信じること、任せること!

自分の心に嘘はつかない。正直に!

同じ事をくりかえしてばかりで申し訳ないですが…自分もつい忘れがちになっちゃうので~

そこに愛はあるのか!?
いま心は平安か!?

と、気付いたときに、自分の内側に向かって問いかけてみよう。

人生何でもアリ!!でネ。


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からだ

2010-01-14 | 日々のこと


こんにちは!ご訪問有難うゴザイマス!


いやぁ~~~!!

久々にがっつり体調を崩してしまいました!

体が重いし(体重が増えたせいかと思ってた~)、間接が痛いし…(運動不足のせいかとおもってた~)←おバカ


で、

いつもこうなってハッ!っと気付くわけです。

あぁ~自分ってなんて傲慢なんだ~っ!と…

自由に動くことが当たり前で、ちょっとぐらいダイジョブダイジョブ!と「自分の体」を酷使していたことを~~~!

オォ~ノォ~!ごめんちゃい…



そう言えばね、それで思い出したけど、ずいぶん前に大きな病気をしたとき…

「自分の体なのに、自分の意志でどうにもできないなんて!!」と、その事実に愕然としたことがあります。

その頃はまだ、自分のことは、全部自分で何とかできるもんだ!と、思っていたんですね~。

なのに、「これは私の体です」なんて言いながら、体の内部がどのようになって、現在どんな状態で、何が原因でこうなったのか、自分でさっぱり分かってない。

それに初めて気付いた訳です。

学生の頃習った、人体解剖図がうっすらと記憶にあるぐらいで…
知識も何もないのにも関わらず、今まで自分の体はちゃんと機能していたんだ、と。


自分が自分の意志で心臓を動かしている訳じゃない。

自分自身が呼吸をさせている訳じゃない。

自分自身が血液を生み出している訳じゃない。

自分自身が細胞の消滅と再生を繰り返している訳じゃない。

もちろん、自分が歩こうと思えば歩けるし、自由に動かせる。

でもそうじゃなくて…

自分の意志ではない「何か」が自分の体を動かし、この命を生きている。

と、その時初めて「漠然と」(なんとなく)、そのことを感じた気がします。



あ~それなのに。

「自分の体(自分自身)だから、いいんだ」って、なんて不遜に扱って来たかぁ~!

失くして初めて気付く痛さは、嫌ってぐらい味わって来たのにねぇ…

同じ事を繰り返してしまうアタシ…学習能力がないわぁ…

もっと労わらねば~!感謝を忘れちゃいけませんね。


こんなに身近に、宇宙にも匹敵する神秘があるのに気が付かないで、外側に外側に向かってしまうんですよね。

体(インナースペース)を感じることは、宇宙を感じること。


ってことで寝ます~

ミナサマもお気をつけて~!


(コメントレス遅くなってごめんね~!でも気にせず好きなこと書いてくらさい~!)


愛と感謝を込めて。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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ナビ

2010-01-13 | この世の仕組み

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


さてさて。


そう言えば昨日、阿部さんの記事を読んだんですが、

その中で「目覚めを求めたら、目覚められないんじゃないか」って質問がありましたよね!

確かにその通りですし、求めちゃいけないのに、求めることだと言われたら混乱するのも、とてもよく分かります。

言葉って難しいので…

ですので、それについてちょっと、書きたいなぁと思います。



確かに、この世は求めると逃げるという法則があります。

けれども一番最初に「意図する」(求める)ことが必要なんですね。

例えて言えば、ナビシステムに「目的地を設定する」ってこと。

で、設定(意図)してしまえば、あとは自動的に道が検索されますよね。
それと同じなんです。

私達が「意図」すれば、その方向へ到る道が目の前に立ち現れてきます。
そのプロセスを一つ一つ踏んで行く。

「ちゃんと目的地に着くだろうか」と心配したりせずに、いまの目の前のことに、全力を尽くすんですね。

ナビに入力すれば、私達は必ずそこにたどり着くことを知っていますもんね!
快適なドライブを楽しめます。

目的地に着くことに固執せず、「いま」を楽しむ、と言うこと。

それと同じ。

けれども、目的地を設定してなければ、どこに行っていいのかどこに向かっているのか分からない。だから不安になる。

「目的地の設定」(意図)は、誰か他の人がやってくれるものではありません。
自分自身が決めることですよね。

なので、「目的地を設定(意図)」したら、その後は「求め続けない」で、リラックスして、宇宙のナビにお任せすることなんです。

もし途中で「あれ?自分は別な所に行きたかったのに…」と目的地を変更したいと思えば、また設定(意図)しなおせばいいだけですから。


本当の世界は自分が意図した途端、物事が成りますが、この世はなんせ現象(物質)世界。

「タイムラグ」と「プロセス」があります。
けれども、「システム」は同じです。

今の私達は、「知らない」せいで、今自分がどこにいるのか、目的地さえも分からない場合が多いですよね。

なので、世間一般で「常識」と言われる道を進んでしまったり。
意図してなければ、その時その時の不安や怖れや疑いが、すぐに反映されてしまいます。

それで私達はあっち行ったり、こっち行ったりと迷っているように感じるんですね。

人間が作ったナビを信用できるのなら、宇宙の「完璧」なナビゲーションシステムはなおさらです。

途中、様々な問題が起こったり、遠ざかっているように感じたとしても、私達が疑わない限り、「必ずそうなる」んですから。

それを「知っている」ってこと。(疑いのない状態です)
願いを叶えるって言うシステムと同じですね。
「もうそうである」ことですね。

何をするにしても、最初にちゃんと意図することが大切です!

「目覚めたいなぁ」、じゃなく、「目覚めます(目覚めています)」ですネ。
(事実、そうですから。そのプロセスを楽しみましょう!)



マイナス10℃ではないけれど…

最近の東京は寒いです~~!ブルブル 今日は風がすごくて体感温度がさらに寒く感じる!

でも冬は寒いほうがいいですねっ!引き締まるぅ~「ザ・冬!」って感じで好きです。

今日の大風がいろいろキレイにしてくれているような気がしますね~


今日も一日!にっこり笑っていきまっしょい~!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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