(日経ビジネスより転載 記事:福島 香織)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20121112/239324/?P=1
1カ月以上前の話なのだが、大型書店の雑誌フロアで、ひときわ美しい写真装丁のチベット特集ムック本がかなりの棚を占めて飾られているのを見かけた。「美しいチベットの未来」とサブタイトルがついた旅行誌だ。
この特集は一見、何の罪もないチベット旅行本に見えるのだが、実は一部のチベット研究者や在日チベット人、あるいはチャイナウォッチャーからたいそう評判が悪い。
というのも「まるで中国共産党の機関誌」と陰口がたたかれるほど、言う必要のないフリーチベット運動の批判が至るところにちりばめられているからだ。
いわく「フリーチベットと叫ぶ演歌にも似た哀愁は絵空事のよう」「チベット支援団体はCIAの支援を受けている」…。
チベット圏で外国メディアが写真を撮ったり取材したりするのは、中国共産党当局の許可と監視、指導を受けなければならず、どうしてもチベット特集番組や特集記事は中国共産党側の立場で情報を発信せざるを得ない。
それでも多少の良心があれば、政治的な話題をはずして、美しい風景や興味深い文化、グルメのみの紹介にとどめておいたり、微妙な表現で現実の迫害状況をなんとなくにおわせたりする努力ぐらいはするものだ。
だが、この雑誌は明らかに中国側の政治的立場に偏りすぎている。
もちろん、著名なチベット史研究者の石濱裕美子氏のインタビューもあり、バランスを取ろうとしているところも見られるのだが、編集が下手なせいか、プロパガンダ臭が強烈すぎて、他の興味深い企画や寄稿、インタビュー記事などの良さも消し飛んでしまっている。
その石濱氏が自身のブログで、よほど腹立たしかったのだろう、この雑誌に描かれている美しいチベットは「本当のチベットではない」と批判している。
相次ぐチベットの悲惨なニュース
この雑誌のことを今改めて思い出したのは、ダライ・ラマ14世がちょうど訪日中で、13日には国会議員会館にお迎えして特別講演を行ってもらったからだ。
140人近い国会議員が出席し、「チベット問題を考える議連」が「チベット支援議連」と名を新たにして立ち上げられた。
中国側が強い圧力をかけてくる中、これだけの国会議員が集まったのは、それだけ今、チベットで起きている弾圧状況を見過ごせないと思う人が増えたということだろう。
チベット地域で僧侶や尼僧、信者らの中国共産の宗教弾圧、人権弾圧への抗議の焼身自殺が続いていることは、この連載コラムを読んでくれている人はすでにご存じだろう。2009年以降、すでに累計70人以上が焼身自殺を図り、60人近くが犠牲になっている。
中国共産党の次期中央指導者が選出される第18回党大会開幕日の8日をはさむ4日の間に7人が焼身自殺を図った。
このうち15歳の少年を含め4人が死亡した模様だ。
9日には青海省のレプゴン(黄南チベット族自治州同仁県)で学生を中心に1万人規模のデモが発生し、学生らは学校で掲揚されている中国国旗が引きずりおろし、政府市庁舎前で「フリーチベット」「ダライ・ラマ14世の帰還」を訴えたという。自由アジア放送などが伝えた。
とりあえず治安部隊との衝突は避けられたようだが、焼身抗議があるたびに、その犠牲者の故郷で抗議デモが起きる状況が繰り返されており、いつそれが暴発するか、再び2008年3.14事件(ラサのチベット僧侶らのデモ弾圧から始まった騒乱および全チベット地域に広がった抗議運動とその鎮圧事件)のような悲惨な事態が起きるか、その緊迫状況は想像を超えるものがあるようだ。
また、ダラムサラからチベット関連ニュースを日本語で発信しているブログ「チベットNOW@ルンタ」によれば、青海省のゴロクチベット族自治州のマチェン県の村で、「軍事訓練」と称して村の住民全員を無差別に殴ったり、髪を強制的に剃ったりの暴力が行われ、チベット語擁護者は見せしめのように公衆の面前で暴行され入院者まで出ているとも(チベット語紙・チベット・タイムス10日付け)。文革時代さながらの暴力と緊張がチベット地域の村々で起きているもようだ。
いずれも「のようだ」としか言えないが、日本にいて漏れ聞くチベットは「美しいチベット」に程遠い。
少なくとも焼身抗議が70人以上という事実を傍らにおいて、美しいチベット賛美だけの旅行本というのも不謹慎と感じる。
その上にフリーチベットと叫ぶことが演歌に似た哀愁であるなどと批判してしまうと、これはもはや無知や情報不足ではなくて、悪意ではないかと疑ってしまう。
チベット女流作家オーセルさんが伝えるチベット
もちろん、フリーチベット運動を批判する立場があってもいい。
私の中でも、チベット独立のためなら流血も辞さないという独立派の人たちの言葉を聞くと、外国人から見えないチベット域内に住んでいる普通の人々との考えや思いとどれほどの落差があるか、あるいはないのか、想像がつかない。
チベットの焼身抗議の連鎖をどう受け止めるか、についても、チベットの人々のどれくらいが、この抗議方法を致し方なし、と肯定しているのか、考え始めると、わからなくなってくる。
少なくとも母親は「君死にたまうなかれ」というのが本心ではないか。
15歳の少年僧が自らに火をつける激しさに、どうして、そこをこらえて、チベット文化をできるだけ長く守り伝えるために、その寿命をまっとうしないのか、その方がチベットの未来のためにならないか、という気持ちがぬぐえない。
そういう自問自答をしている時に、チベット女流作家のツェリン・オーセルさんとその夫の王力雄さんによるエッセイ集「チベットの秘密」(劉燕子編訳・集広舎刊)を版元から戴いた。
翻訳を手掛けた大阪在住の翻訳家・劉燕子さんは私と同世代の友人である。
オーセルさんの詩とエッセイ、そして王さんの「チベット独立へのロードマップ」と題した論文、劉さんのオーセル論「雪の花蕊」を一冊にまとめた変わった構成の本だが、これは私のように、「本当のチベットの姿はどこにある」と迷路のように考えている人に、良い手引きとなるだろう。
エッセイは2008年の3.14事件以降、オーセルさんが見聞きしたこと、感じたことを綴っている。
最近の域内の様子をここまで伝えた本をほかに知らない。
彼女は結構過激な民族主義者なので、その視点は当然考慮しなければならないが、それでも彼女の眼を通して知るラサやその他チベット地域の様子、そこからの考察は、中国共産党当局が用意したガイドや通訳を通して外国人の雑誌編集者が見たチベットよりは本当の姿に近いだろう。
生命を軽んじて焼身自殺をするのではない
3.14事件がどんなふうに起こったかを証言するチベット青年との会話ににじむ憤怒と恐怖。
チベット仏教の伝統から言えば侵してはならない神聖な土地とされるギャマ(チベット自治区メルド・グンカル県)が、漢族資本により鉱山資源開発で掘りつくされ、廃液で重大な環境汚染を引き起こされ、さらに、掘削のために村に送りこまれた一万以上の漢族労働者と数千人のチベット村民が飲み水をめぐって流血事件が起きたこと。
ダム開発に伴う強制移住が与える後遺症の深刻さ。
中国語の書類を読めないチベット庶民に、「生活保護」に関する書類だと嘘をついて、ダライ・ラマ帰還拒否文書に署名させる地元当局幹部の悪辣さ。
開発や建設といった言葉を借りて行われる搾取と環境破壊は、もちろん漢族社会でも大きな問題だが、チベット地域ではこれは植民地主義的行為、民族のジェノサイドという側面が加わるということ。
とどまることを知らない焼身抗議の裏に、数えきれない焼身以外の自殺者が存在すること。
こういう今チベットで起きていることを伝えたうえで、オーセルさんは、チベットに同情する口ぶりで「焼身抗議という極端な方法に国際社会は賛同しない。生命を大切にすべきだ」という人に対して、
「これほどの偽善的な言葉はありません!チベット人はあまりに愚かで、理性がなく、生命を軽んじているので、焼身自殺を用いて脅迫するゲームをしていると言うのでしょうか!」
「“賢明”なお方の高踏的な発言は暴政とお相通じていて、まさに火に油を注いでいるようなもの」と激しく反論している。
さらに「他に方法がないのです。是非とも国際社会は中国政府に圧力をかけて、チベット人への圧政を止めさせてください。…21世紀になってもチベットがこのように残酷に扱われているという悲劇的状況に対して、緊急の行動が取られてもいいのではないでしょうか?」と訴えている。
文化が侵され、断末魔を上げている
読んでいるうちに涙が止まらなくなってきた。これが今の本当のチベットの姿ならば、痛ましすぎる。
一つの完成された文化が侵され、断末魔を上げているのだ。彼女の過激な言葉にも納得がいく。
社会の近代化とともに宗教や伝統というのはすたれていくものだよ、チベットはそのプロセスにあるだけだ、ともっともらしくいう人もいるかもしれない。
だが望ましい近代化というのはチベット人の手で推し進め、伝統や文化の呼吸を止めずに変容させることであり、仮に他者の手で行われるならば、その文化に対するよほどの敬意と憧れがないと不可能だろう。
中国共産党が進めているのは、チベット社会の近代化ではなく、チベット文化の息の根をとめて、その遺骸を使って美しい剥製をつくろうとしているだけではないか。
今の日本人は、旅行に行って、そういう剥製を見て喜ぶレベルの文化程度ではないと思いたい。
私はチベット独立派ではないが、過去、優れた民族文化が植民地的行為でつぶされてきた歴史を思うと、今再びその繰り返しを見過ごすことは罪だと思っている。
断末魔を上げている文化を救う最初の一歩は、その文化の本当の姿、現状を知ろうとする努力だろう。
チベットは外国人が自由に旅行できる場所ではなく、平和な日本の出版物でさえ暗黙の制約やプロパガンダが混じるなかで、何が本当の姿かわかりにくく、私自身、迷いつつ手探りで考える始末だ。
だからなお、縁あってオーセルさんと出会い、チベットの文化というものに惹かれた私は言いたいのだ。
「本当のチベットについて、考えてみてください」と。
(以上、転載終わり)