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☆Rainbow Light☆

日々の徒然日記。最近は日本の現状を綴っています。

付け足し!2

2009-04-06 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート

こんにちは!

今日もまた、「イク時は一緒!」ライブ関連で書きたいなぁ、と思います。

それぐらい、印象に残ったと言うか…まだ興奮醒めやらぬ、と言うか…



本当に、言葉ってもどかしい!と思います。

ブログで「書く」と言う行為はどうしても「文字」を使わないといけないし、

受け取る側はその文字を「読む」と言う行為をしなきゃいけない。

そうするとどうしても「思考」で読んでしまうんですよね。

それに、阿部さんが言っていたように「一側面」からの平面的な表現しかできないから

受け取る側によっては混乱したり、矛盾を感じたりしてしまう。

江原さんの批判の記事だって、そのまま受け取ったからこそ「反発」が起きたんですよね。

でも方や「その通りだ!江原さんはおかしい。くだらないと思っていた!」と言う

受け取り方もできる訳です。

そうすると、「うーん…本当にそうだろうか?」とも思ってしまう。

確かにどちらもそう言う一面があると思うけれど…何かしっくりこない…みたいな。

阿部さんも全く別方向からの記事も書ける、ともおっしゃっていましたから、

もしその記事を書いていたら、また違った反応が返って来ていたんだろうなぁ、と思うと

ちょっと面白いですよね!

と、言う風にブログだと意図が分かりにくい場合があるんですが、それがライブだと…

話を聞いている「耳」から得た情報だけではなく…私達は五感やその他の感覚をフルに使って

「感じる」ことで話をしている人の言わんとしている事を、汲み取ることができるんですよね。

ですので使っている言葉は「同じ」かもしれませんが、やってくる「情報量」が全く違う。

私達には「視点」と言うものがありますよね。それが次元と呼応していて…

普通は三次元の「視点」で生きている訳ですので、「白か黒どちらか」と言う

平面的な理解になるんですが、

けれども、次元を上げた「視点」で見ると、「白も黒も同じ」と言う立体的な理解

が可能になる。

それを「全て」である「究極の視点」から見ると「問題なんて何一つない」ってことになるんですね。

それがナマのお二人の話を聞くと同時に「感じる」ことで、

より立体的に理解する助けになっていたなあってことと、

たくさんの人たちがいたあの会場だから、と言うのもあると思いました。

話すほうも受け取る方も、同じ方向に意識が向いていて、何と言うか…

「集団の力」と言うのでしょうか。

ナマのライブはそう言うメリットがあるんだなぁ、と改めて感じました。



阿部さんと黒斎さんが何度も言っていた「目覚め」の話を聞いて

「ああ~目覚めたいなぁ~」と思った方も多いと思うんです。

けどもう、そう思うことが「今ここ」から離れてしまっているんですよね!

阿部さんが「今のあなたで完璧」と言っていたんですから。

…と、言うことは…今目覚めていない自分で完璧ってことで…

…と、言うことは…もう、すでに目覚めているってことなんですよ!「今」!

いつか、でもどこか、でもなく「今」なんです。あとはそれに「気付く」だけ、なんですよね。

「あ、そうか!」って。



でもやっぱり…「目覚め」って…どうなんだろう?と思うかもしれません。

それはどこかで「目覚めとか悟りとかアセンションとか…本当にあるんだろうか?

その情報は本当に信用できるんだろうか」と疑っていたり、

目覚めることが「今までの自分と変わってしまうかもしれない」と言う恐れが

あるのかもしれません。

「失うことの恐れ」ですよね。或いは「変化することの恐れ」。

「エゴ」さんが「傷つきたくない!」って頑張っているんですよね。

でも黒斎さんも言っていたように、目覚めたからと言って失うものは何一つない。

今までの生活を捨てる訳でもなく、感情や情熱を失ってしまう訳でもなく…

ただ本当の自分に戻ることで、よりリアルに生きられる、と言うこと。

なので、目覚めた後、「社長になりたい」「歌手になりたい」と言って

この三次元で目標を持って目指すのもぜんぜんアリなんです。

みんなが「仙人」みたいに浮世を捨てる訳でもないですし、

「仏陀」みたいに教えを布教しなきゃいけないってこともない。

自分のやりたい事を、諦めたりしないで思う存分チャレンジできるんです。

今は「無理だ」と思い込んでいたり「失敗するのが怖い」から出来なかったりしている

ことでも、失敗を恐れず一歩を踏み出すことができる。

だって「失敗」って何だろう?言い換えれば「成功する為に必要な経験」

でもあるんですもんね。

しかも自分が分離していない「ぴったり」来ている状態ですので、

より夢が叶いやすくなる。意識と行動が伴っていますし。

それを宇宙の流れに乗っている、と言ったり、調和している、と言ったりします。

もちろん、何も問題が起こらなくなるってことはないですが!

「質問コーナー」でお二人が言っていたように、自我がなくなることはありませんから、

普段は「自我」も活躍して生きている訳です。

苦しいことだってやって来ますし、辛い事だって起こります。

それを「嫌な事」「不幸な事」と言うラベルを貼らないで、事実は事実として

そのまま受け入れることができるようになるんですよね。

落ち込んだり悲しんだりしても、それにどっぷりハマりこんでしまわない、と。

それに本当の自分、本当の世界を分かった上での行動ですので、

何があってもより楽しめる、と言うことなんです。


私達は一人残らず、本当は全て分かった上で、この世の苦しみを演じているんですよね。

それをこんなに思い出すのが苦労するほど、忘れてしまっているなんて!(笑)

バイオハザードだって、リアルだと思えばプレイするのも嫌だ!と思いますが、

(なんせ、ゾンビがぞろぞろ!ですよ!く、喰われる…)

ゲームだからこそ、より難易度の高いので楽しみたい、と思いますよね。

(私はゲームでも無理ですが…最近のバイオハザードはもう…リアル過ぎて…)


なので…

私達は最初から全てを知っているし、答えも内側からやって来る。

例えて言えば…初めて聞くようなことでも、「あ、そうそう!」って言うことってありますよね?

例えば「あの芸能人誰だっけ…」とすっかり忘れてしまっていたところ、偶然誰かに

「○○だよ!」と教えてもらったみたいな感じ。

「あ~それそれ!!」って、スッキリする。そこには疑いがないですよね。

最初から「この人は○○って名前の芸能人だ」って知っているから。

知らなければ「本当にその名前なの…?」と疑いが入ってしまう。

或いは、自分自身を信じきれていない場合、○○だと思うんだけど…本当かな?

とか思ってしまう。


…おっと!脱線してました!お二人のトークショーのことだった!失敬、失敬!(ウヘ)

えと、阿部さんは「目覚め」については「早い遅いは関係ない」って言っていました。

時間なんてないんだから、早いほうがいい、遅い方が悪いってことはないって。

その人にとって必要なことが起こるんですよね。

ですので、遅いからって焦る必要はまったくない。

こう言う「意識の目覚め」と言うのは、本当に超個人的なことで…

一人ひとりの「中」で花が咲いていくんだ、と言っていました。

決して「外側」から来るものでもないし、「誰か」によって起こされるものでもない。

静かに、内側からやって来る。完全なタイミングで。

阿部さんは瞑想を習慣化されている方なので、瞑想はいいよ!と勧めていました。

このストレス社会。「リラックス」するのがこんなに難しいとは!

心と体がガチガチでは、やっぱりリラックスできないですもんね。

「より良い睡眠」を取るための「準備」として、まずは心身ともに「リラックス」

することを意識的にやるのもいいなぁ、と思いました。

本当の意味でのリラックス、と言うのは、あらゆる制限から解き放たれて

「自由」になることなんだと思います。自分が自分であるための「枠」が一つもない状態。

一日5分だけでもいいので、「思考」から解き放たれる時間を作れば、心身ともに

リフレッシュできるんじゃないかなぁ。

私はちゃんとした「瞑想」は苦手なんですが…でもちゃんと時間を取ってやると

片手間瞑想と違ってやっぱりスッキリするんですよね…意識がよりクリアになる。

自分の健康の為にも、毎日を楽しく過ごすためにも、心や体の声に耳を傾けたいですね!


阿部さんと黒斎さんのトークショー、本当によい経験でした!

お二人に感謝します。特に黒斎さんは普通のサラリーマンですし…大変だっただろうなぁ。

負担のかからない程度で、またやって欲しいなぁと思いました。

ほんと、お二人とも優しいですよね…愛が深いなぁ。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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付け足し!

2009-04-05 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート
あ!付けたしです!本日二度目のアップです!

質問タイムの時、

「段階的な目覚めはあるのか」と言う質問があったんでした!忘れていました。

多分、自分が目覚めつつあるのかどうか知りたかったのではないかと思うのですが、

黒斎さんと阿部さんの答えは、それはない、と言うことでした。

目覚めるときは一瞬だ、と。

それを「睡眠」に例えて、私達は「より良い睡眠」を取るための「準備」はできますが、

「寝る瞬間」と言うのはコントロールできないですよね?

それと一緒です。「あ、寝ているぞ、今寝かかっているぞ…」と言うのは

本当の「深い睡眠」じゃなく、「半分起きて半分寝ている状態」なのだそう。

「目覚め」は「深い睡眠」なので、その瞬間、意識はなくなっている。

なのでもし、自分が目覚めているかどうか分からないのであれば、それは目覚めていない

と言うこと。目覚めれば嫌でもハッキリと「分かる」と。

「深い睡眠」と言うのは脳波で言うとシータ派にあたる。

それが思考が働いていない状態、「リラックス」することなんだ、と。

しかし…「目覚め」を逆の「睡眠」に例えるって面白いですよね!


昼の部だけだったんですけど、

二人ともこの長いトークショーの前、ぜんぜん打ち合わせしてないんですって!

なのにあの息の合いよう。

二人が違った表現で説明してくれるおかげで、補い合い、より立体的に理解することが

できました。ブログではやはりこうは行かないですものね。

思ったのが、阿部さんのこと。

阿部さんはブログで「目覚め」を強調していたので、あまりにそれが「素晴らしい」

と言うことになってしまって、目覚めに対して「目覚めなきゃいけない」と言う義務が

生まれてしまっているのではないか、と思っていました。

コメント欄を見ても「目覚めている人」と「目覚めていない人」と別れてしまって…

「目覚めたいのに目覚められない!」と言うような焦りが見えたり、

目覚めている人がすごい人、自分は未熟だからまだ目覚められない、と言うような

感想が見えたりしていたので、阿部さんほどの影響力がある人が、あんまり

目覚め至上主義のようなことを書かないほうがいいんじゃないかなぁ、とも感じて

いたんです。

あとは自分を「教祖」でもいいですよ、と言ったり、江原さんを批判したり。

意図が掴めず、少し困惑していました。

でも、会って分かりました。

ああこの人は、「覚悟」をしている人なんだって。

全部呑み込んで受け入れることが出来る人なんだって。

究極の体験をしている人だから言えることで…それさえ知れば、何かに頼ったり

すがったり、苦しんだりする必要はないから、結局それが一番の近道なんだ、

と言うことを伝えたいんだなぁ。

「教祖」のことにしたって、祭り上げられる気は毛頭ない訳です。

ただ、苦しんで「死」を選ぶぐらいなら、私の所においで、

誰かにすがりたくなった時、誰も頼る人がいなくなった時、迷ってしまった時、

私の所にいらっしゃい。そう言うことなんだなぁ…

私達の存在そのものを受け入れてくれる、どんな人であれ受け止める「覚悟」があるんだって思いました。

私達を「目覚めさせる」為の助力なら、なんだってする。

もちろん、「目覚め」は人が勝手にどうこうできる訳ではないけれど、

そこに行くまで私達は傷ついたり迷ったりする訳ですよね。

でもきっと隣で「大丈夫だよ、傷ついたりしてないんだよ、君はそのままでいいんだよ

そのままで完全なんだよ」って言い続けてくれるんだろうなぁ、と。

「自分をまるごと信じる人は幸せだ」と言うのも、結局は…

阿部さんが体験したこと、中にあることって言うのは、私達と同じな訳なんですよね。

だから阿部さんを丸ごと信じたとしても、結局は自分を信じるのと同じことだってことを

言いたかったんだなぁ、と思いました。

何と言うか…お茶目でいたずらっ子みたいな阿部さんの、深い深い愛が感じられて

思わずホロリ、となりそうになりました。

公演中、4時ごろでしたか…間にちょっと10分間の休憩が入ったんですけど、

その時も二人は何の打ち合わせもしなかったそうです(笑)

黒木さんが差し入れてくれた「高級!」なお弁当をもぐもぐ食べてたそう!

やっぱり「究極の体験」をした二人だから、語らなくても「伝えたい根底は同じ」

だからなんですよね!

二人とも「ぶれない」。話にしっかりと「芯」が通っている。

話の「方向性」が一貫しているんですよね。話の根底の支えている柱が。

これが、究極の体験をしていない人との違いなんだなぁ、と思いました。



黒斎さんは本当に優しそうな雰囲気で、「良い人だなぁ」オーラを醸し出していたんですけど

一旦口を開けば、すごい表現力!やっぱりインテリなんですよ。頭の回転がすごく速い。

阿部さんとはまた違った切り口、しゃべり方、伝え方で…

黒斎さんのブログも面白くて好きなんですが、ナマの黒斎さんも相手の反応を見ながら

表現を変えて説明してくれるので、すごく分かりやすいんです。

黒斎さんも意外にこっち向きなのかもなぁ、とも思いました。

彼も「まだ話したりない!!」と言う感じでしたし!

これからマンスリーで「今ここ塾」東京教室を阿部さんが開いてくれるそうで!!

黒斎さんも「時々参加してもいいですか!?」と!!ウホ☆

いやぁ。これから頻繁にお二人に会えるかと思うと、嬉しいですね!

黒斎さんも「預流果」の所でおっしゃっていたかと思うんですが、

ある程度はブログを読んだり、お二人のお話を聞いたりして、「知識」と「思考」

だけでも「そうか!」と気付けるんですよね!



トークショーが終わった後、ぴのさんとコーヒー屋さんで、すっかり話し込んで

しまいました!私に取っては、ぴのさんに会えたことも、とても嬉しかったんです。

とても○歳とは思えないぐらい(←伏せておきましたよ!)若くて、明るくて

キュートな方でした!


また思い出すことがあったら書きま~す!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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続 イクときは一緒!

2009-04-05 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート
こんにちは!さて、早速…忘れない内に昨日の続きです!


昨日の「目覚め」について、書き忘れていたので追加します!

阿部さんがおっしゃっていたことなんですが、

「目覚め」は必ず「今」起こる。「今」起こらないと言うことは永遠に起こらない、と。

全て「今」しか存在していないんですよね。それ以外はない。

ですので…「今」と言うのは、私達「本来の自分」の存在そのもの。

私達の意識が、未来へ行ったり過去へ行ったりしている時は決して目覚められない。

「今」に戻って…「本来の自分」に戻れた時「目覚め」は起こる、と言うことです。

本来の自分の存在…それは宇宙と言ったり神と言ったり命と言ったり宇宙意識と言ったりしますが

そこには「時間」も「空間」も存在しないんです。あるのは存在そのもの。

物質などの「形」もないですので、「無」と表現してもいいかもしれません。

が、「虚無」ではない。境界のない、無限の存在です。

ですので、「いつ」「どこで」と言うことは、言えない。

目覚める、と言うことは圧倒的な宇宙の素晴らしさ、存在の素晴らしさが分かる、と言うこと。

完全、完璧な宇宙の存在、それが自分自身であると言うことが一瞬で理解できる。

「今」の私達です。いつか、ではなく!

今、私達は何も足さない、何も引かない完璧な存在なんですね。

それを般若心経では「不増不減」と書かれている。その事を言っているんですね。

般若心境は目覚めていない時読むと、さっぱり意味が分からないから読んでも仕方がない。

目覚めた後では「その通りだ」と腑に落ちるから必要なくなっちゃうって(笑)

ですので自分だけではなく、みんな同じ存在なんだ、一つの存在なんだと言うことが分かる。

黒斎さんのブログで「自我と真我」と言うテーマの時、自我の中に真我がある、と

言う図がありましたよね。

あれは「真我」と言うものが「自我」のように人の数だけあるのではなく、

「真我」は一つなんだ、と。ですのでそれぞれが自分の「真我」と言う時…それは

同じものを指しているんですね。それを「空…からっぽ」と表現した。

内と外が同じ…と言うことは結局みんなが「宇宙」であり「全て」であること。

とにかく阿部さんは、そこを何度もおっしゃってました。

究極の所、伝えたいのは「そこ」なんだ、と。

今出回っている「精神世界」と呼ばれている情報は、様々ありますよね。

確かに、どれも本当のことではあります。

けれども…この「究極の所」を分かってもらえば…結局「目覚めれば」ってことですよね。

小手先の「テクニック」は必要ないんだ、と。

宇宙意識の「叡智」が自分そのものなんですから!

ですので、何度も何度も「目覚め」について語って来たんだなぁと思いました。

目覚めには「瞑想」が良い、と二人は言っていますが、

その意味するところは「リラックス」すること、なんです。

決して「瞑想をする」ことではない。それは「行為」になってしまう。

リラックスすること、と言うのは本来の自分に戻ることであり、「思考」を超える

ことにあるんだ、と。ですのでその「状態」になれれば、瞑想にこだわる必要もない。

重要なのは「状態」であって「行為」ではない。

私達はどうしても「どうやったら目覚められるのか」と「考えて」「行為」してしまう。

「行為」では決して目覚めることはできないんですね。



あとは、「過去世」について。

黒斎さんは「過去世」の痛みや傷は、確かにあるでしょう、とおっしゃってました。

それは「インナーチャイルド」や「ペインボディ」や…言い方は違いますが

そう言う「痛み」や「傷」はある。

けれど…大切なのはその痛みや傷がある、と知ること。そして知った後は

さよなら、と手放すこと。それだけなんだ、と。

痛みや傷の「原因」をほじくり返すことでは決してないんだ、と。

でもそうすると「どうやって手放したらいいんですか」と、聞かれる。

それはその本人が、その「痛み」や「傷」にしがみ付いているから。

手放したいといいながら、実際は「手放したくない!」と握り締めているんです。

例えば…その「痛み」を「ゴキブリ」と例えます。

もし手のひらの中に「ゴキブリ」を握り締めていたと知ったら…

考える暇もなく「うわぁ!!」って手を離しますよね?それです!と。

(なんちゅう例え…そ、想像しちゃって…て、手にゴキ君の感触がぁ!!あわわ)

なぜそうやって握り締めているかと言うと、その人自身がその「痛み」や「傷」によって

誰かに優しくされたり、注目されたり、或いは「被害者」でいられるから。

だから手放せないんだ、と。もしくは「復讐心」のせいで。

手放すのは手を開くだけで、行為ですらない。考えずに手放すことなんです!と。

阿部さんは、本当の癒やしとは、源の深い愛を知ることだとおっしゃっていました。

それを知れば、どんな傷だろうが過去世だろうが、たちどころに消えてなくなる。

無数にある過去をほじくり返して、原因がなんだ、どうしてそれが起こったんだ、

とまた傷口を抉り出すようなことはしなくっていい、と。

あと、やっと科学が追いついてきている。

物質、と言うものは「光」であり「波」あり、結局は「物質はない」と言う方向に

進んでいる、と。

えと…あとはサブリミナルで、「詳しい説明はCDに入っていますから!」と

Alarm Clockの宣伝を入れていました!(笑)みなさまもぜひ!



最後に質問コーナー!

1自我を手放しながら、真我で社長になれるのだろうか。自我も必要ではないだろうか。

答:自我を手放すことはできない。そうではなく、今まで自我に「支配」されていた状態から抜け出し、その「自我」を超えて逆に「支配」する側に回る、と言うこと。自我を「愛」で包み、愛すべき「道具」としてうまく使うこと。
どうしてもニュアンス的に「自我は悪者」と言う風に取られてしまうけれど、
自我そのものが悪いのではない。
自我と一体化して「自分」=「自我」となってしまっているところに問題がある。
決して自我に使われず、決定権は「自分」が持つ事!

2雲さんは今日来ているのでしょうか?霊とはなんでしょうか?

雲さんと言うのは…酔っ払いの例にあったように、酔いが覚めた状態の時を雲さんと呼んでいて、それ以外を黒斎と呼んで「会話形式」にしているだけ。
結局は同じ自分自身。
霊に関してはいるともいえるし、いないとも言える。
魂とか意識とか、そう言うものが一人歩きして「霊」と言うサブカルチャーを確立してしまったように思う。阿部さんは、完全否定ではないけれど…
そこで止まってほしくないのでない、と言うスタンスを取りたい、とのこと。

3チャネラー、ヒーラーについてどう思うか

チャネラー、ヒーラーはいい線は行っているが、結局はそこどまりだ、と思う。
自分よりも「高次」の存在を受け入れている時点で。
結局自分が「全て」であり「叡智」であるから、自分から情報を取り出せるはず。
ヒーラーは分かってやっているのならいいが、結局は一時的な癒やしに過ぎない。
他人を癒やしてあげることは決してできない。
自分で自分を癒やすことしかできない。

肉食についてどう思うか。

阿部さんは、ただ美学的に、「かわいそうだから」食べないというだけ。
全部一つの命だから。菜食主義者な訳ではない。
エスキモーみたく、全てを感謝していただくという気持ちであるならばいいと思う。
人間、食べるために動物を飼育している限り、目覚めは遠い気がする。
黒斎さんは、他人がいいから食べないと言う訳ではない。
一人ひとり、合う合わないがある。豚肉牛肉は食べられないけれど、鶏肉は食べられる人、
肉はまったく受け付けない人、肉を食べないと身体の健康が保てないひといろいろいる。
他人の意見を鵜呑みにするのではなく、自分にあった「食」と言うのを見つけるべき。


…と言う内容でした!!覚えている限りのことを書かせていただきましたが…!

また思い出したりしたら、追加しますね。しかし…分かりにくい文章でゴメンナサイ…

もうホント…自分のポンコツハードディスクにうんざりですよ!

あ!この表現いい!あ!これ分かりやすい!覚えて帰ろう!と思ったのに…

次々新しい話を聞くと、どんどん忘れちゃって…ぐす。

あぁ~でも楽しかったぁ!やっぱりブログで読むのと、ライブで話を聴くのは

ぜんぜん違います!理解度も違いますし、やっぱり「場」の雰囲気が!

みんなと一体になった、心地よい空間が構築されていました。

幸せだったなぁ…

何が嬉しかったってやっぱり、自分がそうだなぁ、と日ごろ思っていることを

黒斎さんや阿部さんが言ってくれてるってこと!

しかも分かりやすく!表現力はさすがだなぁ、と感服。

ブログで読むより、がぜん、ライブの方が分かりやすい!

昼の部だけの参加だったんですが、夜の部も聞きたい!と思っちゃいました。

黒斎さんと阿部さんのサインが欲しいがために(←ミーハー!)CDを購入し…

サイン待ちの列に並んで、サインもらっちゃいましたぁ!やったぁ!

その時「○○です!」ってHN言ってしまって…

ホントは「いつもご迷惑かけてスミマセン」って謝ろう!と思っていたのですが

テンパってしまってすっかり忘れていました!

しかも昨日は花粉症と微熱でマスクをして行ったんですが、それも忘れてて…

帽子とマスク、と言う超アヤシイ人に!!ぁあ~外せばよかった!

でもちゃっかり握手してもらいました☆ウヘヘ

たぶん、いつもコメント書いてらっしゃる方もたくさん来られてたんだろうなぁ…

ちょっと会ってみたかった…でもちょっと恥ずかしい…(笑)

本当に楽しい時間でした!

あ、そうそう!この会場にいらしている皆さんは必ず3年の間に目覚めます!

とも言っていました!もし目覚めたらブログで報告してください!って。

もしかしたら今日にでも「イキました!」報告がどっと寄せられるかもしれないですよね!

楽しみ!

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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イクときは一緒!!

2009-04-04 | コラボ・いまここ塾・その他講演会レポート
行って来ました!阿部さんと雲黒斎さんのトークショー!「イク時は一緒!」

入口エスカレーター前の案内版に堂々とこのチラシが貼ってあって…

一般人が見たらどう思うのだろうか!?と思ってしまいました(笑)

いつもコメントを書いてくださっているぴのさんと二人で、わくわくしながらお二人の

登場を待っていましたが…もうスゴイ人!まだ2時10分ぐらいだと言うのに、

前の方の席はすでに埋まっている状態!!びっくりしました。



さぁ!待ちに待った開演です!登場した黒斎さんは…

なんと!まっ黄色のTシャツを着ているではありませんか!胸には堂々と「24」の数字が!

そうです!トップ画面で「雲さん」が着ているTシャツです!

黒斎さんはこの日の為に、Tシャツを自前で作ってきたんだそうです!

なんと言う気合の入れよう!

「24」と言う数字にも意味があって…もちろん、「愛は地球を救う」と言う

24時間テレビのコピーの意味のほかに…最初「あの世に聞いたこの世の仕組み」と

言うブログを立ち上げようと考えていたとき…HNを「あまのジャック(天邪鬼)」

にしようと思っていたんですって。なぜなら!あの長寿アメリカTVドラマ「24」の

ジャック・バウアーに掛けて(笑)、だそう。

その他に、平成24年と言う意味もあるんですよ、ほら、今回のバージョンにあわせて

「ユニバーサルなんとか(←ごめんなさい!忘れちゃいました:)」

とか、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」って言うロゴが入ってるんですよ!!

とさりげにセールストークを繰り広げていました(笑)

もちろん、グッズ売り場で、トークCDの隣に「黄色いTシャツ」コーナーを確保して

ちゃっかり売っていましたよ!よっ!商売上手!!



さて、初めて見た黒斎さん。

イメージどおりでした!ホント、何のヒネリもないぐらいイメージどおり。

爽やかさんな、イケメン!あの顔であの下ネタが繰り出されているのかぁ~と

しみじみ。いやぁ。イケメンって得よネ~!

阿部さんも爽やかなイケメンで、親子…イヤイヤイヤ兄弟って言われたって言うのも頷けます!!

意外だったのが、阿部さんの面白いこと!

ブログの印象から柔らかい、真面目な方を想像していたんですが、なんのなんの!

しゃべりのプロだな~って言うぐらい、絶妙な間、絶妙なボケ、絶妙な突っ込みで

黒斎さんと二人で「笑い」を巻き起こしていました。ホントたくさん笑いましたよ!

でも一転、真面目な話になると「伝えたいんだ!」と言う情熱がひしひしと伝わってきて、

ああ~この人は本気だ、本気で伝えようとしているな~と感じ、聞く方も思わず

居住まいを正してしまうひたむきさを持っていました。

さて、前置きはこのくらいにして…本題に入りたいと思います。

なんせ、2時間のトークショーでしたので、どこまで覚えているかは分かりませんが…

またCDにはなると思いますが、来られなかった方達の為に、出来るだけ忠実に書きたいと思います。



まず、お二人が口にしたテーマは「今ここ」と言うこと。

これをどうやって伝えるのか、と言うことでした。

言葉で伝えてしまうと「今」は時間「ここ」は場所だと解釈されてしまう。

けれども「今ここ」は時間でも場所でもないんだ、と。

私達は常に「体外離脱」状態で生きている。

体は「今」にいるのに、「意識」だけが過去に戻ったり、未来に行ったりして分離してしまっている。

でもこの世(と言うか、全て)で「今ここ」でなかったことはないんだ、と。

私達が勝手に、「今」ではない「いつか」、「ここ」ではない「どこか」を作り出して

しまっているってこと。

例えば黒斎さんが北海道から東京へ「行く」。文章上ではそうなるが、実は、東京が

黒斎さんの所へ「来る」と言うことなんです。

昔のゲーム「バンゲリングベイ」を知っている方は分かりやすいと思いますが、

あのゲーム、「自分の機体」は画面中央から動いてはいないですよね。固定している。

周りの風景が動いているんだけど、それが私達には「自分」が動いているように見える

それと一緒だ、と言っていました。

私達が生まれたと思っている時から、死んだと思う時も、ずっと、私達は同じ場所にいる。

(場所、と書くと御幣があるんですが。。。ホントは場所すらもないんですよね)

「今ここ」から動いたことはない…「今ここ」しか存在しないから。

だから「今ここ」がどこかにあるのではなく、自分の存在そのものなんだ、と言うことなんですよね。

言葉の表現って難しいもので…立体的なものを平面の言葉にしようとすると

必ず片手落ちになってしまう。

なぜなら、ロジックで言うと、右手と左手があると言う場合…

右手は左手では決してないし、左手は右手ではない。

けれど真理から言うと、右手であると同時に左手である、と言うことなんだ。

それを言葉にすると矛盾していますよね。

ですので片方だけから説明すると、全く真逆のことも成り立ってしまうんです。

ブログはそう言う限界がある。

その性質上、テレビと違ってラジオやブログはどうしても一対一の関係になってしまう。

不特定多数に向けて発信されたものでも、受け取る側は「自分」に向けて発信された、と思う。

例えば、「ありのままに、やりたいことをやりなさい」と書いたとして…

受け取る側がそのまま受け取り、殺人を犯してしまう場合だってある。

結局は、受け取る側の「受け取り方」で…どんな言葉もどんな真実でさえも、解釈が変わってしまうんだ、と。

けれども生のライブだと、その行間を伝えることが出来るんだそう。

江原さんのことも、阿部さんは「批判」と言うスタンスを取ったけれど、

全てを否定している訳ではなく…真実の部分はある。

けれど「それで終わりにして欲しくない」と言う意図があってのことだと。

その奥の「真実」を言わない事には、やはり真実だと言えない、と言うこと。

彼は究極体験をしていないので、その先が「手探り」になってしまう。

それが危ういし、「違う」と言うことをハッキリ言わないと、ダメなんだ、と。

(それが自分の役目だと勝手に思ってるんです!損な役回り!と言っていました笑)

阿部さんが25年前体験した「悟り」は、自分が宇宙に「溶け込む」のではなく…

宇宙が自分の中に入り込んでくる、と言う言葉が適切なのだそう。

だから今、私達はその「宇宙そのもの」なんだ、と言うことをゼヒ知って欲しい。

自分がいて、宇宙がある、と言う「分離」ではなく、自分が宇宙そのものであると言うこと。

今の私達は、例えば「人間」を「宇宙」だと置き換えるとします。

その中で「一本の髪の毛」が私達だとします。

「自分は髪の毛だ」と私達は思い込んでいる訳ですよね。

けれども同時に、人間でもありますよね。全体で一つの「命」を共有しているってこと。

でもそれに気付いていなく、私達はただの髪の毛だと思い込んでいる。

なので髪の毛が抜けた時、私達は「死ぬ」と思う。けれども全体である「人間」(宇宙)は

髪の毛一本抜けたくらいでは死にませんよね?髪の毛が抜けて、また生えて…

それを繰り返していても、人間(宇宙)は変わらず命であり続ける。

そして私達は、「隣の毛は黒々してていいなぁ!私なんか真っ白よ」と隣と比べて

落ち込んだり、自分よりもっとスゴイ、例えば「爪」を見て「あの人『爪』だよ!いいなぁ!

スゴイなぁ!」と思って、爪になろうと努力したり。

そう言うことではなく、私達が一つの「人間」(宇宙)であることに気づく事なんだ、と。

私達は「分離」ゲームの中で、様々なものに「ラベル」を貼って、どんどん

物事を分離してしまっている。コレは花、これは木、コレは草、コレは動物、

人間、と見た目で。

でも命に境界線はなく、今はこうやって「ラベル」のせいでバラバラに「見えて」いるけれど

結局、大元は「一つ」なんだ、と言うこと。

それを「パワーオブナウ」と言ったり「ワンネス」と言ったりする。

もうね、それしかないんです。

この世に存在するのは、「一つの命」だけなんですよね。それ以外何もない。

それが、私達なんだ、と。私であり、あなたである。

そう。「あなた」が宇宙そのものなんです。

いつか立派な自分になったら、ではなく、「今のあなた」が宇宙そのものなんです!

だから「今のあるがままのあなたでいい」って言うんです。

今、あなたはここにいる、完全な存在だから。どんな人であろうとも。

けれども私達は「うん、そうだね。いつかそうなるよ」と、やっぱり「今の未熟な

自分じゃダメだ」と思い込んでいる。その「思い込み」さえ手放せばいいってこと。

そう思っているのは「自我」で…マトリックスで言う、「エージェントスミス」

けれども私達の自我は一つではなく、センチネルであったり、白いドレッド双子(名前忘れた;)

であったりする。自分を否定したり、けなしたり、裁いたり…

阿部さんはそれを「裁判官」と言っていました。

そうやって私達は自分をいくつも「分離」してしまっているんですよね。

なので、まずそれに気づく事。自分で自分を分離してしまっていること。

それは「分離している」と思い込んでいるだけで、いつだって私達は「一つ」なんです。


あと、阿部さんが「禅」の話をして…

ある一人の僧が瞑想に励んでいて、瞑想中、彼の前に「釈迦」が現れたそうです。

彼は嬉しくて、自分の師に「私にもとうとう、釈迦が現れてくれました!」と

報告したそう。そうすると師は「よく頑張った!とうとうお前も極めたな!」

と言うと思いきや…「それを切って捨てて、先へ進め」と言ったそうです。

その意味は、「自分より偉い人を作るな」と言うこと。

その自分の前に現れた釈迦も勝手に作り出した幻想である、と言うことなんですよね。

自分自身が「宇宙」であり「命」であり「全て」である。

なのに、その自分よりも「高次の存在」「偉い人」を作ってしまうということは

その「一つ」から「分離」してしまうことなんですよね。彼と、自分、と言う風に。

結局は「一つ」なんだから、どちらが偉いとかはないんだ、と。

だから阿部さんは、批判を恐れず「釈迦と同じ境地」とブログで書いているんですよね。

なぜなら存在に優劣はないから。同じだから。「釈迦が上」と言ってしまうと

分離を生んでしまうから、なんですよね。

ですので…阿部さんはこう言う話も偉いお坊さんが言ったりすると、また違う風に

受け取られてしまう、とも言っていました。

「ああ~いい話だったなぁ~ありがたいなぁ」で終わってしまう。

結局「自分より偉い人のお言葉」として受け取られてしまうから、なんですよね。

あの人は自分とは違うんだ、と言う分離を生んでしまう。

だからこう言うただのお兄さん(黒斎さん)とお兄さん(←※注:阿部さん笑)がこう言う話をすることに

意味があるんだ、と言っていました。

なので…「目覚める」と言うことは自分が「全て」であり「宇宙」であり

「存在そのもの」であることを知るってこと。

それは「思考」を超えたところにあるので、考えても答えは出ない。

私達も「イク」時は考えてませんよね?(←出た!下ネタ!)

(外国では「イク」ことを「I'm coming!」と言うそうです…豆知識。でもその通りで、

私達が「行く」のではなく、「悟り」の方が「来る」んだ、と。)

「考えるな!感じろ!」言うのはまさしくS○Xと相通ずるものがある。

なるほどなぁ~!ウマイこと言うなぁ!と感心。

「イク」瞬間を、自分でコントロールすることは出来ませんよね。

それと同じで、「悟り」の瞬間はあっちからやって来る。

けれども、準備は出来る。思考とのバランスですよね。



あ!そうだ!大切なこと、忘れてました。

黒斎さんはそれを「ナローバンド」と「フレッツ光」に例えてました!

えと、普段の状態が「ナローバンド」。

ものっそ、遅いし、ダウンロードできる情報も限界がある。

でも「目覚めた」状態、と言うのは「フレッツ光」の状態なんだそう。

ものスゴイ情報量、それこそ百科事典並みの「叡智」がどーんと降りてくるんだ、と。

それと、これも言っていたなぁ。

人間をコンピュータに例えて…ハードディスクがぱんぱんな人は…

これは様々な本を読み、「知識」だけを蓄えている場合、ですね。

せっかくの情報がダウンロードできないんだそうです。それを一旦、手放すことをしないと。

けれども「精神世界の物質主義」と言われるように、

「知っている」ことが「エゴ」の強化に使われてしまっている。

そこが危険だ、と。

私はこれだけ修行した、これだけ瞑想している、と言うことが、

或いは前述した、私はこれだけ知識をもっている、知っている、と言うことが

「目覚め」を遅らせている。

コップの水を捨てないと、新たな水を入れることはできない、と言うことですよね。

ですので、「目覚め」は何をしたから、やって来る、と言うものでもない。

イキナリ、何の準備をしていなくても、どーんとやってくることだってある。

それに関しては因果関係はないんだそうです。

しかも、そう言う「先入観」がない方が、意識のシフトがしやすい、と。

「目覚めとはこう言うものだ、悟りとはこうなハズだ」と言う固定概念があると

せっかく情報がやって来ていても、「違う」と排除してしまうんですよね。


うーん。忘れないうちに!!と頑張って書いたんですが…

黒斎さんたちのお話をちっとも再現できない!うわ~ん!(ノД`)・゜・。

すっげ分かりやすくて、なるほど!!って感じだったのにぃ~!

文章にすると何…この分かりにくさ…スミマセン…


長くなりそうですので、ここまでにします!続きは「続」をお読みください!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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