きのうは、ピーの「ひととき」というイベントで、アプリコに行ってきました。
25日は京都でもありますので、ネタバレ防止のため、ここから下に送ります。
最初は
あわて者のサンタ
にのせてピーがさっそうと登場
まあ、あいかわらずおしゃれ~。
白い上着に、赤と黒のコンビのマフラー、黒(濃いグレー?)のズボン。
「この曲はタイガースのときに沢田研二が歌いましたが、きょうは僕が歌います」
スクリーンで歌詞がでていたのですが、これ、ピー作詞、タロー作曲なんだ~。初めて知りました。
曲が終わって、ピーが左側に来たので、わたしにはすごく近くなりました
「この年になってファンクラブができるなんて、とてもうれしいです」
そして、北野中学の同窓会(?)の冊子を出して、
「サリーとタローとは同級生で、確か16クラスあって、そんななかで出会えたのはすごいです」
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ほんとにそうだね、その出会いがなかったら、タイガースはなかったかも。
司会は、ピーの同級生の坂田さん、ということで、坂田さんが登場。
「60過ぎて個人のファンクラブを立ち上げたのはギネスもんらしいです」
「きょうは盛りだくさんの内容で、五目チャーハンのような感じです」
「ピーとは、関西の学習院と言われてる北野中学の同級生で、なぜかピーの節目節目に立ち会ってしまった」
とご挨拶。
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この、坂田さんというかた、別に芸能人じゃないだろうに、すごい司会が上手なの。びっくり。
次に、大阪から森ますみさんが登場
このかたはわたし、お名前だけは存じてますが、大阪でビートルズのファンクラブを立ち上げた方だそうで、ピーたちがビートルズを見るのにチケットを用意したり、ファニーズのファンクラブを発足させた方だそうです。
森さんは、ビートルズのファンということでピーと知り合い、その後、ファニーズができて、最初に演奏を聴いたときに、すごいと思った、そのうち、ナベプロがスカウトにきて、あれよあれよとスターに。
タイガース解散後はピーが姿を消してしまったので、全然消息がわからなかった。その後、ピーが本を出すときに出版パーティーに。
40年ぶりに会ったピーは若々しくてびっくりした。
というようなことをお話になりました。
次は、「老虎再来」を出版した会社の方が登場
うしろのスクリーンには、ピーが山積みの本の前にいる写真が。
これに全部サインしたってことみたい。すごいね~
ここで、ふたたびピーが登場
つぎは「東京よもやま話」。
今回はタイガースを解散し、京都に帰り、ふたたび上京したときからのお話。
大学のとき、住んでいたアパートで盗撮されてた。
写真の雑誌に載ったりしたけど、「医学部を目指してる」みたいなむちゃくちゃな記事だった。
青酸コーラ事件が起こったのが近くで、アリバイ聞かれたりしたことも。
教師時代、偏差値の高い子たちは反応が速いし、個性豊かでおもしろかった。
それから、うなぎやさんや、キャンティの写真が。
今回40年ぶりだそうですが、前回行ったのは大学のときで、行ったらかつみがいた。で、ある作曲家のことでケンカになり、取っ組み合いになりそうになった
それから40年ぶり(?)にかつみに会ったら、最初はかつみだとわからなかったって。変なおっさんがいるな~と思ってたら、向こうから声かけてきて気づいた。
それから、かつみとは、おととしの1月5日、このときはその前の12月にかつみ以外のみんなと会ったときに、かつみが難色を示しているらしいときいて、自分が1月5日に会うから話す、ということで、かつみと帝国ホテルの喫茶室で会って、5時間話したんだけど、最後は「僕やめとくよ」で終わり、どーっと疲れた
でも、こんどは虫のいどころがよかったようです。
それから、松本楼の写真が出てきました。このときはジュリー以外のみんなが集まって、もうほとんどやることを確信していたそうです。
そこから、有楽町のガード下の写真が。ここから、ピーが京都に帰ったそうです。
坂田さんがその場に立ち会ったそうでふたたび坂田さんがそのときの思い出を。
タイガース解散コンサートのあと、打ち上げでちゃんこ屋に行き、そこでピーが帰ることになり、家財道具を積んだトラックに乗って帰った。寒い、という記憶しかないそうです。
まだまだいろいろありましたが、続きはまた。