ゆかりんご

沢田研二さん、ジュリーについてのブログです。GREEもどうぞ。
yukarin_004@yahoo.co.jp

横浜トークショー その4

2009-07-24 18:31:35 | 日々のできごと
ドームの続きです


不安の中でやった。ある程度見せ物的なとこも必要。でもゲスト呼ぶ気は全くなかった。あるとしたらタイガースやろ。
でもタイガースは最後の切り札。
原点に帰る。最後になんかやるならタイガース。だからもうちょっと先の話。先がなかったらいけないから気をつけないとね。

80曲歌えるんだろうかと思いながら、練習も一日じゃ終わらない。終わろうと思えばやれるけど、次の日ができなくなる。だから、ずっ~と全曲を少しずつ少しずつやってずーっとやって、区切りいいとこで終わって最後に1日だけ、いっぺんやってみようと言ってやった。
そしたら夜に喉がガラガラになった。やばいと思った。はっきり言って京セラはセーブして歌ってた。申し訳ない

リハーサルのとき、喉が枯れるんだけど、味わい、雑味がついて、自分ではいい感じと納得していた。
やったらやったで大変なこと。僕だけじゃない。メンバーが大変。メンバーは譜面なんて見ない。曲順とか自信がないのはアンチョコ作ってるかもしれないけど。
なんでゲストを入れなかったか
ゲストを入れたらゲストの人のお客さんが見に来て動員が増える、それはおかしい。ゲストの人ちょっとしか出ないのに。
僕がワイルドワンズの時に行った時、僕のファンは見に来るけど、動員の足しになるかもだけど、そんなことになってないと思う。
あくまでもワイルドワンズのお祝いに行くのが大前提。ゲストはゲスト。
そのかわり頼んだら今度はなんかせなあかん。ギブアンドテイクやから。
もちろんギャラはもらったけど、加瀬さんの言いなりのお金。その代わり内田裕也さんとやるときに、加瀬さんに演出と構成とアンコールから出てと頼んで、出てもらった。もちろんギャラは払ってるよ。

ゲストを呼ぶことでひとつ思ったこと、ここずーっと同じメンバーでやっている、僕はわがまま言う。音楽的なことや嗜好があっても僕が言うようにやって、と言っていた。スッとやってくれてヒット曲はレコードと同じにしてくれと。
イントロも僕が言うとおりにやってほしい、長くやってる良さは必ず出てくる。
ずーっと。気に入らんかったらやめてくれていいけど、僕からはやめろとは絶対言わない。
って言ってやってきた。なのにドームでやるからって、ギター井上たかゆきさんゲストって言って、気分いいわけがない。上手い下手の問題やない。ゲストは客席にいるべきや。
見に来てくれ、祝ってくれ、そしたらすごく嬉しい。
今までかかわったミュージシャンは呼んでる。でも、花のここ一番の時に外されるつらさは味あわせたらいかん

ピンだって10本用意したら10人いたら全部ゲストに当てないかん。
たかゆきさんに当て、吉田建に当て、としてたら、やっててやりがいを無くすと思う。どこでもできるやんと。
だから4人の音だけで歌うって、始まる前に決めていた。あるとしたら、ほんのワンコーナー。
サリーにベースを贈ったし。サリーはすごく練習してたらしい。役者仲間の方に、サリーがすごく練習してるって聞いた。沢田に誘われなかったらショックだって言ってるって聞いた。
だけど、僕が贈った意味は、いつかタイガースやるぞって意味。一徳さん売れっ子や、いつもどっか行ってる。

それでゲストを呼ばずにやって、いつものとおりにやって、どうやと言いたかった。
結果は、奇跡的で、いろんなとこでほめられてる。
新聞がステージ写真撮りに来たり、向こうの狙いは「我が窮状」を歌ってるとこを撮ること。唯一の大きなことは、コーラスを入れたこと。1000人。NHKのSONGSに出たときに100人入れてもらった。一番大きな101スタジオでちょこっとしかいない。えっ嘘やって思って、いちにさんし…いちにさんし…ってやって、100人や~
その時に1000人にするわ、と。それからまた大変。平日だし、学生さんたちは夕方まで授業あるし、これが大変。一般の人に声かけて、やっと集まった。これはよかった。こうしていろんなこと積み重ねてやってきた。
ドームをやって、そのあと客席の雰囲気が変わってきた、あと新幹線の駅や空港で、写メで撮られることが多くなった。一般ピープルに。

いわゆる人気がまた出てきた。業界的にはいいこと。今日だってまた増えた。去年はたぶんこの辺でやってた。
増えてるよ。去年は僕があそこのかがみに映ってた。映ってたらこんなことしてるもん。

トークショーでもコンサートでも。九州なんか全部立ち見が出た。ちょっと行ってみよかって。
理由はわからない。ドームをやって、あの人はすごい人やって、異常な人やと、世の中異常なこと好きだから。
だって僕が売れたころ、異常だったでしょ、人がやらないこと、化粧とかイヤリングつけるとか、いろんなこと言われた。ホントは男っぽいやつや、とか。男っぽいじゃなくて、僕は男です、と思ってた。女々しいと思われてもいい、僕は男だからと思ってやってた。


だんだんこれからのお話に 一度送ります。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜トークショー 番外編

2009-07-24 09:17:04 | 日々のできごと
膨大なメモ書き。

これは今まで書いた分
まだ半分まで来てないよ。
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜トークショーお料理 その3

2009-07-24 06:22:42 | 日々のできごと
お口直しのシャーベット〓

薔薇の香り、とお品書きに書いてありました。
すっきり爽やかなお味でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜トークショー その3

2009-07-23 22:31:50 | 日々のできごと
ほんとはね、60になったらね、もっと編成をちっちゃくして、ちっちゃいこのくらいの300とか400 くらいの会場でやかましくしないで歌がよく聞こえるように、言葉がよくわかるように、間違えたら間違えたってわかるくらいそういうコンサートをやろうと思ってた。ギター一人でいい、と思ってた。それは老後にとってある。今もう老後だけど。

ところが、60になろうとした時に、なんか静かに終わっていくのかなぁ、興味のある人以外の人で歌ってくださいね~って言うような人や、沢田研二っていったらああ~って思うような人たちが、このさき沢田研二はとうとう歌も歌わずに消えていったなぁと思われたら悔しい~と思い始めた。なんかやらないかんと思ったけど、渡辺プロみたいな大きな事務所にいるわけじゃない。ココロコーポレーションってわたし一人の会社。社員が(って指折り数える)4人。それをわたし一人で息つないでる。この事務所でできることは何か?
できること、ってコンサートしかない。映画や舞台はいろんな人が要る。それは難しい。
これから間口を狭くしてちっちゃくしていってフェイドアウトするように消えていくのが理想。
最後にぶちかましたれ、沢田やりよったな、と思われることをしたいと思った。
で、ドームでやろうと。京セラドームと東京ドームでやろうと。決めたけど、お客さんが入らんかったらやめるって言って、実質二人の人間にできるか?って聞いた。できへんかったらやめる、他の事務所の助けを求めるな、ココロだけでできるか?って、一世一代の仕事や、お客さん入らへんってことやったらやめる、できへんかったらただ、還暦ってだけでいつもと同じに、あいかわらずがいいことやと言って、やったらいいと思ってた。
そしたらできるって話になった。じゃ何万集めればいいのか、東京3万、大阪2万だと。なんで大阪は2万なの?大阪のほうがおっきいんだよ、なんで?って言ったら、それは動員力ですって。関西出身やのに。そりゃ関東に住んでからのほうが長いけど。
ま、とにかくもしかしたら3万来るかもしれんと思ってやりはじめた。
で、大阪はまぁ…あ、ちゃうちゃう。
途中で今までやってたイベンターが、リスクが大きすぎるって逃げたんです。その会社は民○、ってとこから独立してソ○○○っての作って大阪フェスティバルとかやるときはいつもそうだった。それがこの大事な時に、一番力になってくれると思ってた人たちが逃げて焦ったやばいと思った
そしたら文春に、たん○○さんって音楽評論家が、ジュリーがやっても同窓会みたいにじいちゃんばあちゃんの集まりじゃやる意味がないと言われた。人はそういうふうに考えるのか…。音楽は世代のものだからどうしても同じ年代になる。若い人たちが来ないとドームではできないという話を聞いて、そんなことないと。
やるのを決めた時に、人の言うこと「はい」って言ってるのとは違う、ココロになってから苦労して、現実を知って、無駄なものは全部省かなきゃ、贅沢したらだめと思った。
その一環がこのトークショー。なんにも費用かからない。お金だけもらって帰る。
でもみなさんが楽しんでもらえなかったら悪いけど、でも10年以上続いてる。もうダメですって言われたらすぐやめる、お金惜しいわけじゃないからね、
無駄を省いてやってきて、自分の思いを確かめながら去年は還暦記念コンサートで全国まわった。いつもない四国にも。
還暦で呼びやすい、ヒット曲もたくさん歌うやろ、と。
たくさん歌って3時間半くらいやった。もう終わるやろ、終わらない、ってみなさんご飯食べずに帰るってくらいやって、そうやらないと自分がやりたい歌も歌い、ヒット曲もやりたかったから。
喋りの中でいろんなこと言う、イペンターが逃げたとかね、そうすると捨てる神あれば拾う神ありや、僕のことやりたいと思ってるやつがいるはずやって。出てこなかったらやめてたかも。でもちゃんとディスクガレージってとこがやってくれた。
自分のおかれてる立場を冷静に読んで、CD作って売れるのは5000から10000、10000は確保できるとして30000入れようと思ったら20000入れないといけない。いくらファンが親戚や友達つれてきたって、そんなん来ませんよ、12000円ですよ。15時スタートですよ。6時半くらいまでやる、また6時半くらいからやる。のべ5時間以上や、一曲いくらや、ってエライ安いんですよ
80曲決めるにもツアーがスタートした時は決まってなくて喋りながらお客さんの反応を、ファン以外の人たちの、きょうもそういう人たちがいると思う。ちょっと行ってみよかっていう人。そういう人たちがいて、コンサートは成り立つ。
ファンの人なんてチョコチョコだけですよ、僕の名前は知ってるって人はもっといるはずや、20000どころやない。関東やったらもっとおるはず、その人たちが来てくれるかどうか。でも東京ドーム取れた日が平日や、しかも仏滅
しゃあないわ、くる人は来る、大阪も東京も来るかもわからん、九州住んでたって東京行かなって人はいる、北海道からも来てくれるやろ、60のご祝儀でもあるし、ここでみとかなみそこねるとかね、最初は単に60って思った。そしたら一晩かけて泉○し○○が60曲やった。おんなじことやるのはね…。
なんか語呂がよくて縁起がよくてとかんがえたのが88。88まで生きたいって言ってたし、米がすきやしね。
88ってのはめでたい、末広がりで人生どんどんよくなってくとかね、そしたら時間のことが出てきて、これ以上やったら追加料取られるって、これはもう、すぐやめ、すぐやめ、ってことで、じゃあどこまで減らせるか、これはやめ、これはやるって決めて計ってもらって、間にすきまが空く時間も計算して。これがギリギリですかねってやったのがちょうど休憩が20分で、次移るって。
ところが、東京ドームの楽屋はエレベーター乗って地下に降りて、行き帰りに10分かかる。正味10分の休憩で、なにかおなかに入れなきゃというんでお粥っぽいものを用意してくれてた。
こういう時こそ固いもの食べないかんとか言って固いもん食べた。


まだドームのお話は続きますが一度送ります。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜トークショーお料理 その2

2009-07-23 07:52:58 | 日々のできごと
2品め。サフラン風味の野菜スープ

お野菜がちょっと大きめでちょっと食べにくいエビも殻がちょっとむきにくい

チーズ味のスティックがおいしかった
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜トークショー その2

2009-07-23 02:23:35 | 日々のできごと
続きます


僕なんか「一人でやったほうがいい」とか言われてね、「見捨てるつもりですか」なんて、ひとりで出て行ってスマイリーおはらさんやダン池田さんの前でうとうてどーすんのかなわんわ、そんな歌歌えへんのや!って文句言いながらやってた。
「君をのせて」これはヤマハのポピュラーソングコンテストに出るって言われて、そこで賞を取ったら歌がうまいってこてになると言われて、宮川泰さん作曲で岩谷時子さん作詞の曲。またそれがねむの里であるんだけど、また舞台裏ですごい嘘八百が入り乱れて「どうもジュリーのやつがとるらしい」とか囁いてく人がいる。僕なんか単純やから「そうかも」と思って。そうなったらちゃんと歌っとかなあかんとか思ってね、めちゃめちゃ歌えない、井上さんたちはいないし、寄せ集めのすごいストリングスの人たちが集まってるすごい演奏で歌うんですよ。
僕なんか慣れてないからビビるわけ。後ろの人下手やなぁと思いながら弾いてるんとちゃうかなと思いながら、次のこと思いながら、でもちゃんと歌わなあかんと思いながら、とるかもしれんと言われてるからね。曲はいいいと思う。でももっといいのも他にあるけど、なんでやろと思いながら歌ったら結果はかすりもせずみたいな
それでよかったんだなと思って芸能界のこわさもちょっと知り、嘘八百をささやく人はいっぱいいるんだけど、こうしてソロになったけど、最初のうちはフルバンドで歌ってた、「君をのせて」はマネージャーが譜面を配って歌う、なんか嫌だなぁと思いながら歌ってた。そしたらマネージャーが「ロンドン行ってレコーディングしてこい」って言って、外国行ってハクつけてこいって感じ。その頃は行ってレコーディングでもしてきたらなんか受け入れられたって印象が残るような甘い芸能界だった。今はすぐ言うでしょ。おまえ売れてへんやんとかね、
行ったって現実は厳しいもんやったって言うでしょ。別に向こうで売り出すわけじゃなくて、日本で売るためのものを向こうで作るってこと、持ってかえってきて、どーせ売れへんで、ってね、「君をのせて」だって売れなかった。なんかこの曲がいいなって「許されない愛」を出した。どーせ売れへんわと思いながら歌ってたらこれがちょこっと売れたんですよ。ちょっと売れた時に僕なんかずるいから、フルバンドで歌うのイヤって言って、井上さんたちにいっしょにいてもらいたいとか言って、売れてきたらこっちのもん、テレビ局が欲しがってくれたりしたら、井上さんたちといっしょじゃないと行きませんって言い出す。
その頃から自分の意思を少しずつ出すようになってくる。
みんなに煙たがられるようなことばっかり言い出す。
そのうちホントに売れちゃった。
で、ちょっと飛ばしますけど、みなさん、その辺はだいたいご存知なんだろうと思うけど、80年代くらいはみんなよく知ってて、90年代からですよね、世の中から姿を消したのは。

ですからいろんなとこで「歌ってくださいね~」と言われる。
なんでテレビに出ないかというと、テレビってのは出たがる人が出てるけど、歌の場合は必ずしもそうじゃなくてテレビ局が望むものが出てる。自分たちが売れてた頃も自分たちは望まれて出て行ってた。そんなしぜんな形ならいいけど、今テレビに出るにはいろんな無理をしなきゃならない、いかに僕がすごい人だったかをテレビ局は言いたがる。テレビに出たときの説明はみんな「国民的な歌手」。ビバリー昼ズに年に一度出るでしょ、必ず国民的人気歌手って言う。僕だけじゃないよ、僕はまあそう言われてもいいけど、ってちょっと思うけど、なんでこんな人が言われるのって人まで言われてる。
ヒット曲を持ってる人はね、必ず説明しなきゃいけないのと、ヒット曲歌えって言われる。知ってる曲を歌ってくれないとあなたのことが説明できないんだ、と言われる。そんなんわざわざね、「勝手にしやがれ」だって「TOKIO」だって知らない人は知らないよ。それをなんでマスコミの人たちはわからないのかなぁと思う

実際に出てる人を見て、全部が全部同じ顔に見えると自分は思わないけどそう思う人もいる。なんで知らんの?って言えるのは興味があって見てる世代の人たちのルールで。それ以外の人たちには説明してあげても、あ、出てはるわ、ってことや。
紅白なんかまだ30%かそこらの数字取るでしょ。年末の恒例行事や。僕なんか、ま、ちょっと見てみよかって見る。どんな人たちがいるんだろう、とかね、どんな歌い方をするんだろうか、とかね、ホントに歌ってるんやろかとかね、いろんなこと思いながら見る。
紅白に関しては、あんな遅い時間にね、かといって早い時間に歌わされるとずっ~とまっとかないかん、遅い時間なんか今なんか目やにだらけになりますよ
かといっていいとこで歌わせてもらえるわけはないし、わざわざ出ていかんでも、困ってる人は出て行ったらええんや、困ってへん人は別にね、アレは必要な人が出てる。わたしには必要と思ってる人が出てる。はっきり言ってしがみついてる人が出てるんですよ。そんなもんどうってことない。紅白出たからってギャラが上がるわけでもなし。お客さん入るほうがよっぽどギャラが上がる。

最初はちょっとお澄ましジュリーもだんだん本音が出て来たなぁって後半はけっこうスゴいこと、言ってるよ
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜トークショーお料理その1

2009-07-22 18:33:35 | 日々のできごと
マグロが固めてあってハート型のホワイトソースがかかってました。
かわいい

お味はちょっとくどかったかな
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜トークショー その1

2009-07-22 16:40:33 | 日々のできごと
さて、きのうはの中、横浜ロイヤルパークで行われた沢田研二さんトークショーに行って参りました
会場に入っての第一印象、たくさん人がいる~ひろ~い ステージとお~い
わたしの席は、最果ての席、と思ってたらまだ端にひとテーブル。送られてきた座席表にはなかったから、あまりの盛況ぶりに付け足したのかな

さてさて、「探偵」の曲に合わせてジュリーが登場 衣装は探偵のまま。5月の帝国ホテルとおんなじ。
ちょっと残念


右に左に挨拶したあと、後ろを向いてポーズ


みなさん、今日はの中、にぎにぎしくお集まりいただきありがとうございます。420名です。

今年は奇跡元年ということで何をしゃべろうかなと…
最初のこの曲はまだ30代の時に、レコーディングした曲です。
そのときの声ですね、若々しいとき。あれからもう30年近くが過ぎてると思うと長くやってるなぁと思います。
世の中ではテレビに出ることが芸能人だと思われてるから、最近のわたしみたいにテレビに出てないからいろんなところで「たまには歌ってね」と言われたりして。そういう時は「はい」と答える。そういう人に説明してもあかんのやろな、と思うから。もしかしたらここにおいでの方でも歌はやめてこういうトークショーばっかやってると思われてる方もいるかもしれない。そう思うと世の中は不思議なものでございます。
元々60まで歌うなんて想像もしてなかったし、去年60になってもう1年が過ぎた。61になってしまったんですよ。
長く続けてるだけではダメなんだと思いながら、それでもコツコツと自分なりにやってきた。
元々自分で芸能界に憧れてたわけでもなく、ただ周りにそういう人間がいっぱいいた。
元々歌は好きだったけど、少年の頃はどうやったらテレビに出られるかって全然わからない人種だった。たとえば、ラジオ局に行くというようなことも思わないで、そんな世界に入る人間じゃないと思ってた。
ところが芸能界に無関係なうちでもなくて、わたしの父親は「地獄門」という映画でカンヌ映画祭のグランプリ、あ、グランプリってのは一番上の賞じゃない、もうひとつ上にある。その衣笠貞之助という監督さんの書生をしていた、うちには映画のフィルムが、決戦川中島みたいなやつとかが缶に入ってどんとおいてあったり、スナップ写真があって長谷川一夫さんのとか、そのころはまだ林ちょうじろうといってた頃だけど、そうようなことがあって映画スターを見たり父親は映画に連れていくことも時々あった。
でも憧れはしたけど自分で芸能界に入ってくことは思わなくて、でも高校の時に空手部にいた友だちが軽音楽が好きで、軽音楽部を見に行き、プロを見に行こうって言われて20年以上前になくなったけど、河原町三条にベラミっいうジャズ喫茶に行った。そこに尾藤いさおさんが出てらして、わっすごいと思った。
そしたら中学の同級生のお姉さんの彼氏がバンドをやってて遊びに行こうってことになって、おまえやったらええんちゃうか、って言われた。
その頃高校の勉強が、入ったとき多分ビリで入ったと思うけど、入ったら勉強難しくて難しいから勉強すると頭痛くなるでしょ、だからしない、すると学校行ってもわからないでしょ、わからないからサボるでしょ、そしたらますますわからないし、それを繰り返してほとんどサボってたんですね。そしたら空手部から赤点あるから部活ダメと言われて、学校行く意味ないから、友達のお姉さんの彼氏のバンドに誘われて、モンキーダンス踊ってたんです。ステージの端っこでね。ちっちゃいとこのこの辺で、(って真似)
そしたら背の高い男の人がふたりやってきて「ちょっと話がある」と言われて、曲と曲の間に言われて、河原町の凱旋門という喫茶店に呼び出されて、ケンカ強そうでもないし、呼び出されてどつかれるような覚えもないし、と思ってたら「いっしょにやらないか」って誘われた。それが森本太郎さんと岸部一徳さん。後にファニーズとなり、僕が入った時点ではファニーズになり、東京に行ってフジテレビのヒットパレードに出る前にタイガースという名前をすぎやまこういちさんというプロデューサーがファニーズじゃ弱いからタイガースにしようって。僕らはなんで阪神タイガースなんって言いながらね。そしたら売れちゃったんですよ。
大阪でやってたころ、僕らはルックスではどこにも負けてへんってみんな言うてた。ルックスだけや、僕は一番年下やったし、その頃のことを思い起こすとトークショーなんかやってることが想像もできなかったんですよ。だって森本太郎さんの日記にあるんだから、ある1日の僕との会話、「うん」「はい」しか言わない。1日ずっ~といっしょにいてそれしか言わない。っていう引っ込み思案だったし、明るくなくて陰気で自信がなくて、歌を歌えって言われておまえが必要やと言われて、でも楽器弾きながら歌うの難しいから歌専門のやつ入れようと話だった。で日本一になるって言うてたけど、サリー、タロー、ピー、トッポみんな言うてた。僕だけ「はい」って言いながら内心吹き出しが出てて、そんな世の中あまないでってずっ~と思ってた。でもほんとにそうなった。そうなってしまったらこれがずっ~と続くと思ってた。ところが、ある日、かつみが抜け、岸部シローが入ってきて、そしたらテクニック的にがた落ちになった。
だってシローくんはギターそんなに弾けないし、リードタンバリンをわたしが奪われて、わたし、リードタンバリンだったんだけど奪われて、わたしただ歌うだけになって、でもその頃にはまあ自分で言うのもなんやけどタイガースの中では一番人気もあったから自信も持ててタンバリンなくてもね。
そうこうしてるうちに、芸能界嫌いだとピーが辞めていき、サリーがこれ以上親戚とか友達とか入れて続けていくのはやめようと言ってね。僕なんか「え~っ」って…。別に誰か入れてやろうというのはひとつの方法だけど、そこでそういう決断をした4人がいた。
サリーは自分で辞める前にその頃岸部おさみって言うてた。本名しゅうぞうって言うんですよ、修学旅行の修に数の三ですよ。それをいなかくさいと言われて、おさみと読むようにしようってプロダクションの意向で。おさみさんは岸部おさみグループってのをやってたわけ。ちょっとハードロックじゃないけどロックロックしたものをやろうとしていた。
シローは、ブレッドandバターというグループとやろうと決めてたし、タローはスーパースターって最初はアルファベットか、もうグループ作ると決めてた。ピーはやめて新聞記者になるって芸能界のことをきちんと書くと言ってやめていった。僕だけですよ、どーすんのって言って、自分でなんか考えつくたちの人間じゃないから、心配で心配で、昭和46年の1月24日に武道館で解散したんだけど、その前後に渡辺プロの事務所行って、なんか暇があったらなんか声かけてくれないかなと思って、制作の人たちやマネージャー連中のお茶とか淹れたりしていた。
そういう人間だったんですよ。
そしたらマネージャーの人が来て、サリーがやろうとしていたグループがとてつもない話になってきた。スパイダースから井上たかゆき、大野克夫、テンプターズから萩原けんいち、大口ひろし、タイガースからはサリーとおまえが入ったらスーパーグループやと言われた。「入れて」そこでも自分の意思わなくてなんかふんふんふんという感じで、そうこうしてるうちに、人気だけはあるけど、いつも僕は歌が下手やと言われた。下手や下手やって。亡くなったブルーコメッツの井上大輔さんが週刊明星かなんかで、自分たちも入ってるのに実力採点みたいなコとをしてた。人気は5、実力3と書かれて、ボーカルの点数で僕なんか2と書かれてる。下手やって公共の場でもろに言われてた。僕なんか下手なのわかってるわ、言わんといてくれっみたいな。人気だけはまだあったけど、スーパーグループがスーパーグループにならなかった。掛け算ならいいけど、割り算になって、空中分解みたいになって、もめ事したわけじゃなくて、このグループがどこからも受け入れられへんかったってことですよね。スパイダースのファンの人たちからも、たかゆきさんのファンの
人たちからも受け入れられなくて。ショーケンやひろしのファンからも僕らは受け入れられず、そりゃ見に来るけど、なんか知らんけどいつも変な感じで、地方に行くと顕著で、お客さん入らへんって状態になって、そこで下手だと言われてる僕をソロにしようという空気が生まれてきた。


まだまだ続くけど、いちど送ります。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜トークショー速報

2009-07-21 23:30:44 | 日々のできごと
沢田研二さん横浜トークショー、ジュリーはしっかりいろ~んなこと話してくれました。
ジュリーの顔もろくに見ないで書いたメモ、整理しますが、わたしが印象に残ったお話を


いつかタイガース、最後にはタイガース、その時のためにサリーにギターを贈った


と言ってました。

あとはまたメモを整理して詳細書きます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シローさんのタンバリン

2009-07-21 05:54:50 | 日々のできごと
岸部シローさんの日記に、ジュリーの話題があったので、読んでみました。
1ヶ月くらい前の日記だし、タイガースファンの方ならとっくにご存知かもしれないのですが…。

シローさんは当時急遽呼び寄せられてタイガースに入ったから、楽器がまったくできなかったそうです。ギターを練習してはいたものの、ライブで弾けていないことがバレバレだったとか。
それでタンバリンになったらしいのですが、ジュリーの歌の邪魔にならないよう、タンバリンには音が出ないよう細工されてたんだって

シローさんが楽器を弾けなかったというのは聞いたことありましたけど、タンバリンにそんな細工がしてあったなんて初耳でした~

シローさんは、「なんといってもジュリーは別格だったから…」と書いておられます。

タイガースもいろいろ大変だったんですね
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする