さて、メンバーさんたちのインストゥルメンタルが終わり、ジュリーが登場
いつもの白い羽根かざりも健在
登場
した時間も町田より早く、普通どおり
そのキスがほしい
今回はちゃんと歌い出し成功
いくつかの場面
から続くスローな曲。
ジュリーが走り回らない曲になると、ちょっと安心してしまったりして
“大丈夫だよ、きっと
”と思う反面、“ジュリー、無理してるんじゃないだろうか
”なんて…。
睡蓮
さぁ、ここからアップテンポ
ジュリーが左右に走り回る
若干いつもよりスピードが遅いけど、大丈夫
緑色のKISS KISS KISS
あの変則手拍子もみなさんそろってる
わたしはいつも途中から勝手に踊ってます。
この頃にはジュリーの足腰の心配を忘れてたわたし
いえいえ、わたしが冷たいのではなく、心配する必要がなくなった、ということです
あなたに今夜はワインをふりかけ
ここのターンもわたしの注目ポイント
ってことでまたまたジュリーの様子を観察
2回目のターンで、ちょっと気になるかなってとこが
いつも普通にクルっと回るジュリーなのに、ちょっと反動つけて回ったの
でもちゃんと回ってたからちょっと安心
ふぅ
アンコールの拍手の嵐
そしてMCへ
ありがとう
ThankYou
ありがとう
ありがとうございました
ありがとうございました
元気ですか~
みなさんもその…ずーっと立ちっぱなしで、もう若くないんだからツライでしょう
え~…わたしももう疲れてしまいました
はっきり言って、きょうはちょっと涼しいですけど、客席の熱気と照明を一身に浴びておりますから、すべてがわたしに集まっておりますので、もう暑くて暑くて…。汗タラタラ



これで1キロでも痩せたらいいんですが
(場内、拍手
)
きょうもまたたくさんのみなさんに来ていただきまして、去年ちょうどわたしも還暦を迎えまして、めでたいなと思ったら1年以上過ぎてしまいました。もう61歳ですけど、着々と後期高齢者への道に一歩一歩確実に歩いているわけでございます。それからもう年金生活へとあと4年です
(ちょっとニンマリするジュリー
)
え~…そんなこと言ってますとね、あと何年できるんだろうかと思いながら、毎日務めておるんですが(また、がんばって~の声)、まぁ長く見積もっても80まででしょうな。
まぁなんとかね、いってみたいな、と思ってるんですけどね、よっぽど楽していかないとね。
楽していかないと、きょうみたいに走らんでもいいのに走ってたりするんで、はっきり言って、80になったらできないと思うんですけど、79で止まってしまうかも…ふふ…あとね、9年くらいは惰性でいくんじゃないかなぁという感じもしとるんですけどね、わたしもデビューしてから43年目ですけどね、ちゅ~と半端なね…、ま、去年還暦といって、まあちょうど区切りだな、よぅ考えたら60になって歌ってるなんて想像してなかったな、と思うと、やっぱり60は祝うべきだな、と思ってやってみたわけでございます。
ま、おかげさまで京セラドームは2まん~…ちょっとかな…え~…、東京ドームは3万ちょっとね、いわゆるわたしのファン以外の浮動票の方たちが、多く駆けつけてくれまして…。音楽ファンの方たちが駆けつけてくださった、ということだと思うんですね。
まぁわたしも早くに売れちゃってしまっちゃったわけですから、ザ・タイガースというグループで4年間、そのあとPYGというグループで約半年、そしてソロになって1曲めはパッとしませんでしたが、2曲めで、また売れてしまいました。ですから1960年代後半から80年代いっぱいくらいまではまあね、大目にみてね、温かい目で見てね、ま、それまでは人気があったんですよ。
ところが、(ここで、今もあるよ~っと大声
)90年代に入りますと、もう新聞紙上だけで人気歌手と言われるそういう存在になってしまいましてですね、だからわたしの場合は、ヒット曲からも見放されて、そういう状態で、テレビに出てもしょうがない、というね、コンサートをライブ活動を中心に、またお芝居にも手を染め、やってきたわけでございます。とにかく、“ライブの沢田”っていうことで。そんな中で、還暦のジュリー祭りってことで、京セラドームと東京ドームでやって、これがまぁ、人がやらないようなことをやっちまったわけですね。80曲も覚えられるのかって、でも80曲歌ってしまいましてね。メンバーはそれ以上ですよ。
Overture
に着替えのときのインストゥルメンタル、82曲もやったんですから
(場内、大拍手
)
わたしは途中着替えの時に、うがいもできるんですけど、みなさんはずーっともうね、演奏しっぱなしでね。
そんなことで今年に入ってから、あの~、正月コンサートを毎日…毎日…いや、毎年やってるんですけど、東京、大阪、名古屋と…C.C.レモンホールでやりました。年明けたらその一回目のステージのときは、すごいことになったんですよ。もうすごい興奮状態で、いつもと雰囲気が違う…もう…だいたいわたしのコンサート、ご存じのように、別にBGMが、入ってもらったときに流れてるわけでもなんでもないし、しらけさせてるわけですよ。
しゃべってたら聞こえるみたいな…あんた、いつ来たん
とか言うてるのが楽屋にいたら聞こえる…なにやってんの、あんた
とか、そんな状態なんですよ。興奮状態になって客席はすごいことになってるんですよ。
ですから、いわゆるまたファンじゃない人たちが いっぱいみえてて、こりゃ見ないかん、っていう…東京ドーム見のがした、見ないかん、東京ドーム見たから1月は見ないかん…ってそんな感じで。
また人気が出てきた…これがね、なんでまた人気が出たかがわからない…よくよく考えてごらんなさいよ。そんなもん、12月に二ヵ所も80曲歌ってるんですよ、160曲うとうてたらもう疲れ果ててるやん、もうスタミナなく なってるはずやん、そんなん、もう出がらしやん、それやのに見にきはる…なんも変わったこと1つもしぃへんよ、もう東京ドームでやったことで、新しいことなんかなんにもないんやで。で、東京ドームは80曲なんよ、ところが、C.C.レモンホールは24曲なのよ、それなのに、お客さんがが~っときて、人気が出てきたもんだから…。
わたしはもう出がらしになってね、もう…懐メロ歌手でええねん、“思い出のメロディー”にも出ていこやないか、ね、東京12チャンネルにも出て、昔の歌、うとうてくれ、言うたら出てもええかな、とかね、これからは 細々と暮らしていこうと思っていたのに、また人気が出てきたんよ。もう…またがんばらなあかんがな、かなわんがな…。もうね、61にもなってまた人気が出てきてごらんなさいよ、もうね、天狗になりますよ
低い鼻がもう高くなりますよ
(2階席あたりからお客さんが何か叫んでた
さっきから同じ人だと思う)なってしまいますけどね、ま、とにかくね、ま、なにしろ健康でいてね、そして80までは歌っていたいな、できれば1日も長く歌っていたいと思っているわけでございますが、わたし自身の健康管理はわたし自身がするべきことでございますが、みなさんの健康管理までわたしがするわけにはまいりません。
どうかみなさんはみなさんで、おのおのの健康管理をしてくださって、とりあえずぜひ、わたしの70越えを見届けていただくことを、強く強く希望いたしまして、はなはだ簡単ではございますが、本日のわたしのご挨拶にかえさせていただきます。きょうはホントにありがとうございました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
そしてメンバーさん紹介へ
MCはちょっと短めだったかな

いつもの白い羽根かざりも健在

登場




今回はちゃんと歌い出し成功



ジュリーが走り回らない曲になると、ちょっと安心してしまったりして





さぁ、ここからアップテンポ





あの変則手拍子もみなさんそろってる

わたしはいつも途中から勝手に踊ってます。
この頃にはジュリーの足腰の心配を忘れてたわたし




ここのターンもわたしの注目ポイント


2回目のターンで、ちょっと気になるかなってとこが



ふぅ

アンコールの拍手の嵐

そしてMCへ

ありがとう



ありがとうございました


元気ですか~

みなさんもその…ずーっと立ちっぱなしで、もう若くないんだからツライでしょう

え~…わたしももう疲れてしまいました





これで1キロでも痩せたらいいんですが

(場内、拍手

きょうもまたたくさんのみなさんに来ていただきまして、去年ちょうどわたしも還暦を迎えまして、めでたいなと思ったら1年以上過ぎてしまいました。もう61歳ですけど、着々と後期高齢者への道に一歩一歩確実に歩いているわけでございます。それからもう年金生活へとあと4年です

(ちょっとニンマリするジュリー

え~…そんなこと言ってますとね、あと何年できるんだろうかと思いながら、毎日務めておるんですが(また、がんばって~の声)、まぁ長く見積もっても80まででしょうな。
まぁなんとかね、いってみたいな、と思ってるんですけどね、よっぽど楽していかないとね。
楽していかないと、きょうみたいに走らんでもいいのに走ってたりするんで、はっきり言って、80になったらできないと思うんですけど、79で止まってしまうかも…ふふ…あとね、9年くらいは惰性でいくんじゃないかなぁという感じもしとるんですけどね、わたしもデビューしてから43年目ですけどね、ちゅ~と半端なね…、ま、去年還暦といって、まあちょうど区切りだな、よぅ考えたら60になって歌ってるなんて想像してなかったな、と思うと、やっぱり60は祝うべきだな、と思ってやってみたわけでございます。
ま、おかげさまで京セラドームは2まん~…ちょっとかな…え~…、東京ドームは3万ちょっとね、いわゆるわたしのファン以外の浮動票の方たちが、多く駆けつけてくれまして…。音楽ファンの方たちが駆けつけてくださった、ということだと思うんですね。
まぁわたしも早くに売れちゃってしまっちゃったわけですから、ザ・タイガースというグループで4年間、そのあとPYGというグループで約半年、そしてソロになって1曲めはパッとしませんでしたが、2曲めで、また売れてしまいました。ですから1960年代後半から80年代いっぱいくらいまではまあね、大目にみてね、温かい目で見てね、ま、それまでは人気があったんですよ。
ところが、(ここで、今もあるよ~っと大声




(場内、大拍手

わたしは途中着替えの時に、うがいもできるんですけど、みなさんはずーっともうね、演奏しっぱなしでね。
そんなことで今年に入ってから、あの~、正月コンサートを毎日…毎日…いや、毎年やってるんですけど、東京、大阪、名古屋と…C.C.レモンホールでやりました。年明けたらその一回目のステージのときは、すごいことになったんですよ。もうすごい興奮状態で、いつもと雰囲気が違う…もう…だいたいわたしのコンサート、ご存じのように、別にBGMが、入ってもらったときに流れてるわけでもなんでもないし、しらけさせてるわけですよ。
しゃべってたら聞こえるみたいな…あんた、いつ来たん


ですから、いわゆるまたファンじゃない人たちが いっぱいみえてて、こりゃ見ないかん、っていう…東京ドーム見のがした、見ないかん、東京ドーム見たから1月は見ないかん…ってそんな感じで。
また人気が出てきた…これがね、なんでまた人気が出たかがわからない…よくよく考えてごらんなさいよ。そんなもん、12月に二ヵ所も80曲歌ってるんですよ、160曲うとうてたらもう疲れ果ててるやん、もうスタミナなく なってるはずやん、そんなん、もう出がらしやん、それやのに見にきはる…なんも変わったこと1つもしぃへんよ、もう東京ドームでやったことで、新しいことなんかなんにもないんやで。で、東京ドームは80曲なんよ、ところが、C.C.レモンホールは24曲なのよ、それなのに、お客さんがが~っときて、人気が出てきたもんだから…。
わたしはもう出がらしになってね、もう…懐メロ歌手でええねん、“思い出のメロディー”にも出ていこやないか、ね、東京12チャンネルにも出て、昔の歌、うとうてくれ、言うたら出てもええかな、とかね、これからは 細々と暮らしていこうと思っていたのに、また人気が出てきたんよ。もう…またがんばらなあかんがな、かなわんがな…。もうね、61にもなってまた人気が出てきてごらんなさいよ、もうね、天狗になりますよ

低い鼻がもう高くなりますよ

(2階席あたりからお客さんが何か叫んでた

どうかみなさんはみなさんで、おのおのの健康管理をしてくださって、とりあえずぜひ、わたしの70越えを見届けていただくことを、強く強く希望いたしまして、はなはだ簡単ではございますが、本日のわたしのご挨拶にかえさせていただきます。きょうはホントにありがとうございました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。


MCはちょっと短めだったかな
