陸上競技男子三段跳びの元世界記録保持者で、日本陸上競技連盟や日本オリンピック委員会(JOC)の副会長を務めた小掛照二(こがけ・てるじ)さんが9日、肝不全のため死去した。77歳だった。葬儀は未定。喪主は妻泰子(たいこ)さん。
広島県出身。県立上下高、早大から跳躍選手として活躍。1956年メルボルン五輪前に16メートル48の世界記録を樹立したが、約1カ月後の五輪本番では、右足首の故障もあって8位に終わった。
現役引退後は、日本陸連で主に選手強化部門に携わった。五輪のマラソン選考をめぐっては88年ソウル大会男子代表に実績重視で瀬古利彦選手を選び、強化本部長時代の92年バルセロナ大会女子代表では有森裕子選手を選んだが、松野明美選手との選考が議論を巻き起こした。
日本体育協会からJOCの分離独立にも尽力した。98年バンコク、2002年釜山の両アジア大会では日本選手団長を務めた。(YAHOOニュースより)
知らなかったなぁ。
日本人で三段跳びの世界記録を出した選手がいたんですねぇ。
あのての競技は古くから日本はまるっきりダメなもんだと決めつけていました。
広島県出身。県立上下高、早大から跳躍選手として活躍。1956年メルボルン五輪前に16メートル48の世界記録を樹立したが、約1カ月後の五輪本番では、右足首の故障もあって8位に終わった。
現役引退後は、日本陸連で主に選手強化部門に携わった。五輪のマラソン選考をめぐっては88年ソウル大会男子代表に実績重視で瀬古利彦選手を選び、強化本部長時代の92年バルセロナ大会女子代表では有森裕子選手を選んだが、松野明美選手との選考が議論を巻き起こした。
日本体育協会からJOCの分離独立にも尽力した。98年バンコク、2002年釜山の両アジア大会では日本選手団長を務めた。(YAHOOニュースより)
知らなかったなぁ。
日本人で三段跳びの世界記録を出した選手がいたんですねぇ。
あのての競技は古くから日本はまるっきりダメなもんだと決めつけていました。