山のやまさんの 一日

早朝ウオーキングや野山の散策 その他日々の出来事で デジカメに収めたことを 書き留めます

福井が生んだ 幕末の偉人 その3

2010-10-31 10:28:37 | 偉人紹介
激動の幕末 福井が生んだ偉人に
 橋本左内がいます


橋本左内は 福井県生まれ、幕末の志士。父は福井藩医です。


大坂の緒方洪庵の適塾で医学を修得し、嘉永5年(1852)帰国。
安政元年(1854)江戸に遊学し、藤田東湖、西郷隆盛らとも交友した
帰国後、書院番・藩校明道館学監同様心得などに取り立てられ、
横井小楠を招くなど福井藩の藩政改革の中心となった

安政4年(1857)江戸に赴いて藩主松平慶永に仕え、
14代将軍に一橋慶喜を擁すべく奔走したが、
井伊直弼の大老就任により挫折。
安政の大獄により江戸で斬首
された人です


橋本左内が、数え年十五の時
偉人、豪傑の言行や精神を学び触発され、
自らを常に奮い立たせるために、
自己の行動規範を五項目に渡って記したものが
「啓発録」

単なる覚書のようなものではなく、この誓いこそが 橋本左内の一生の出発点であり、
後に傑出した先覚者となるための礎となりました。

読まれたことありますか?

概要は、
稚心を去る(去稚心) 
子どもじみた甘えを脱却せよ。

気を振う(振気) 
恥辱を知って、人に負けまいと強く決意せよ。

志を立つ(立志) 
自分の目標を揺ぎなく定め、ひたすら精進せよ。
 
学に勉む(勉学) 
優れた人物の立派な行いを見習い、実行せよ。
 
交友を択ぶ(択交友) 
自分の向上につながる友を択(えら)べ。


それぞれに詳しい文がありますが、それはまた後日 順次ご紹介したいと思います

みなさん ぜひ一度読んでみてください
講談社から 橋本左内:著 伴五十嗣郎:翻訳で「啓発録」という本が出ています
   ちなみに 924円  です

イチョウの実(銀杏)がいっぱい

2010-10-30 11:28:07 | 日記
台風14号の接近 福井ではほとんど影響ありません
まだ日本の近くにあるようです 
進路に当たる方はご注意くださいね

昨日の午前中 福井市の北西部にある
福井健康の森まで 行ってきました

春を楽しませてくれた 桜が紅葉していました
初夏にかわいい花を見せてくれた ハナミズキも
紅葉しています


対照的に イチョウ並木は 黄色に色づいています


イチョウの実 銀杏もたわわです 


下にもいっぱい落ちていました



食べるとおいしいのに 誰も拾わないのかな?

でも銀杏 この状態では 結構強烈な臭い 
しますよね

福井が生んだ 激動期の偉人(岡倉天心)

2010-10-28 11:10:42 | 偉人紹介
先日に引き続き 福井市中央公園にある像から
「福井が生んだ激動期の偉人」紹介のパート2です

日本美術院の創始者 岡倉天心 の像です
福井市中央公園の北西の角に建立されています


岡倉天心は 福井藩士の子。横浜生まれ。東大卒です。

文部省に出仕し、大学時代の師フェノロサらと国内外に出張。
東京美術学校開設準備にあたり、
明治23年(1890年)から同校校長を務めました。

8年後の明治31年天心36歳の時、
学内に天心排斥運動が起こり、
同校校長を辞任します

天心に殉じて学校教授を辞任したものは、
橋本雅邦、下村観山、寺崎広業、横山大観、菱田春草など
17名の多きに及んだということです  

天心は自分に殉じて辞職した者を中心に
「日本美術院」創設を計画、
同年10月15日には東京谷中で「日本美術院」の開所式が挙行されました

今年の新米 目減りが多いです

2010-10-27 15:54:18 | 日記
先日 街中に設置されている自動精米機で 
新米を精米したところ、精米されたお米がいつもより少ないような気がしました


思わず精米機の中に残っておるのでは?とか あちこち覗いてしまいました

いつもより精米されたコメの量が少なくなる原因が 今日わかりました

今日実家のコメの精米をしたのですが 
大野市内に設置されている自動精米機には 
張り紙がありました



(いつも行く 福井の自動精米機には張ってありませんでした)

普通 玄米は精米すると1割強量が減るそうです
当たり前ですよね 精米とは 
米ぬか部分を削るわけですからその分減りますよね

ところが、今年のお米 夏の猛暑の影響で 
高温障害を受けた米は、
2割強減ることもある ということです

粒か小さい、
胴割れしやすい 
乳白米等(お米の一部や端の方が白いお米)
混じっている等が

原因らしいです

猛暑で米の品質低下が顕著となり、
例年に比べて1等米の比率が低かったというニュースは
1週間程前にありましたが

玄米を買い、その都度必要量だけ精米する家庭も増えていると思いますが、
2割も量が減るとショックですよね

福井の生んだ 偉人 (その1)

2010-10-25 17:20:13 | 日記
今朝も 雨模様のスタートです

大降りではありませんが ウオーキング断念しました


一日中 降水確率は40%台のようです

外に出られないと 時間つぶしができません

困ったものです




デジカメの写真を整理していたら 

福井市中央公園に建立されている 

福井が生んだ偉人の像の写真が出てきました

何回かに分けて紹介します




江戸時代の福井城祉にあるのが福井県庁 
お城の跡地に県庁が建っているは

福井県庁だけらしいですね




その県庁の西 福井市役所の北にあるが 

福井市中央公園です




第一回目は 由利公正 を紹介します








幕末・明治期の財政家,政治家。福井藩出身。

横井小楠の影響を受け、財政を学ぶ。



福井藩の財政改革に手腕を発揮。

幕府の政事総裁職となった藩主松平慶永に重用される。



藩内の政争から、一時蟄居の身となるが、

明治維新を契機に参与として登用される。

新政府の財政・金融政策を担当し、

太政官札を発行

また福岡孝弟とともに
五箇条の誓文の原案作成にもたずさわった。

明治4年(1871)東京都知事。



今年のNHKの大河ドラマ  

竜馬伝の時代に生きていた人ですね

坂本竜馬は 福井に何度も訪れていますが 

慶応3年11月2日 福井城下の 煙草屋旅館で

坂本龍馬と会い、新政府の財政策を問うています




このころは 由利公正は 旧姓の三岡八郎と称していました