
今日は2月28日。いわば日本の「国民の祝日」に当たる日です。台湾では土日以外の休日というのがあまりないので(というか日本が異常に多いんですけど
)ちょっとうれしい。でも、この日は「二二八事件」という大事件があった日で、多くの台湾の人々にとって感慨深い日です。知らない方もいるかも、と紹介することにしました。



「二二八事件」とは:
1947年2月27日、台北の街角で闇タバコを売っていた女性が取り締まりの役人にひどい暴力を受け、さらにそれを見て抗議した一般民衆に対して役人が暴行をふるったこと(この二十歳の青年は翌日死亡)から、台湾民衆の怒りが爆発。翌日は台北全域でストライキと抗議デモが行われる。この抗議運動は全国的に広がって行くが、これを鎮圧するために当時総統だった蒋介石が発砲命令を出したため、各地の一般市民が軍や警察に射殺され、台湾至上最も悲惨な大虐殺と言われる事件に発展した。この事件で殺害・処刑された人は十万人以上(!)と言われ、多くの人の財産も没収された。
この背景には、1945年に日本軍が引き揚げ、中国大陸からやって来た国民党政府と中国人(「外省人」)に対する積もり積もった不満があったといわれる。終戦当初、多くの台湾人は「日本軍がやっといなくなり、『祖国』に復帰した」と喜んでいたものの、国民党政府による政権においては、官僚(ほとんどが外省人)の腐敗が甚だしく、台湾の物価は高騰し、インフレによって企業は倒産という苦しい日々が始まる。つまり、二二八事件は、優遇措置を受け暴利を得ていた外省人と一般の台湾市民(本省人)の間の抗争だった。
約9ヶ月間を経て、二二八事件は集結したが、国民党政権にとっては「汚点」であり、この事件について語ることは長い間タブーとされていた。1980年代に民主化が進んでやっと二二八事件の真相を語ろうという気運が高まり、さらに総統李登輝が1995年に初めて政府を代表して事件の被害者に謝罪(この間約50年かかったわけです)。1996年に2月28日が「二二八記念日」という休日に制定された。



やれやれ、ちょっと長くなってしまいましたが、とにかくこの事件は台湾において今でも根強く残る「外省人と本省人の微妙な仲の悪さ」と「官僚・警察などに対する不信感」の象徴で、また「台湾独立」の兆しが生まれたきっかけでもあります。
こんなに大勢の犠牲者を出した事件が長い間語ることをタブーとされ、ある意味黙殺されていた(だって二二八事件が学校の教科書に載るようになったのは1990年以降ですよ)というのは本当にびっくりです。
日本でもカルト的な人気がある『悲情城市』(1989)はこの二二八事件を題材とした作品で、まだ事件を語ることがタブーだった当時こういう映画を撮ることはかなりの挑戦だったはず。
今日はこの映画をじっくり見直してみようかな~と思っています。
また、今年は来月に総統選挙を控えているので、国民党を相手に戦う民進党の候補は今日、大々的なデモを行い「二二八を忘れるな」という感じです。公に語られるようになった今、逆に利用されるようになった感もなきにしもあらず、ですかね。




「二二八事件」とは:
1947年2月27日、台北の街角で闇タバコを売っていた女性が取り締まりの役人にひどい暴力を受け、さらにそれを見て抗議した一般民衆に対して役人が暴行をふるったこと(この二十歳の青年は翌日死亡)から、台湾民衆の怒りが爆発。翌日は台北全域でストライキと抗議デモが行われる。この抗議運動は全国的に広がって行くが、これを鎮圧するために当時総統だった蒋介石が発砲命令を出したため、各地の一般市民が軍や警察に射殺され、台湾至上最も悲惨な大虐殺と言われる事件に発展した。この事件で殺害・処刑された人は十万人以上(!)と言われ、多くの人の財産も没収された。
この背景には、1945年に日本軍が引き揚げ、中国大陸からやって来た国民党政府と中国人(「外省人」)に対する積もり積もった不満があったといわれる。終戦当初、多くの台湾人は「日本軍がやっといなくなり、『祖国』に復帰した」と喜んでいたものの、国民党政府による政権においては、官僚(ほとんどが外省人)の腐敗が甚だしく、台湾の物価は高騰し、インフレによって企業は倒産という苦しい日々が始まる。つまり、二二八事件は、優遇措置を受け暴利を得ていた外省人と一般の台湾市民(本省人)の間の抗争だった。
約9ヶ月間を経て、二二八事件は集結したが、国民党政権にとっては「汚点」であり、この事件について語ることは長い間タブーとされていた。1980年代に民主化が進んでやっと二二八事件の真相を語ろうという気運が高まり、さらに総統李登輝が1995年に初めて政府を代表して事件の被害者に謝罪(この間約50年かかったわけです)。1996年に2月28日が「二二八記念日」という休日に制定された。



やれやれ、ちょっと長くなってしまいましたが、とにかくこの事件は台湾において今でも根強く残る「外省人と本省人の微妙な仲の悪さ」と「官僚・警察などに対する不信感」の象徴で、また「台湾独立」の兆しが生まれたきっかけでもあります。
こんなに大勢の犠牲者を出した事件が長い間語ることをタブーとされ、ある意味黙殺されていた(だって二二八事件が学校の教科書に載るようになったのは1990年以降ですよ)というのは本当にびっくりです。
日本でもカルト的な人気がある『悲情城市』(1989)はこの二二八事件を題材とした作品で、まだ事件を語ることがタブーだった当時こういう映画を撮ることはかなりの挑戦だったはず。
今日はこの映画をじっくり見直してみようかな~と思っています。
また、今年は来月に総統選挙を控えているので、国民党を相手に戦う民進党の候補は今日、大々的なデモを行い「二二八を忘れるな」という感じです。公に語られるようになった今、逆に利用されるようになった感もなきにしもあらず、ですかね。
以前に訪台した際,旧総督府でも見に行こうかとブラブラと散歩していたら「228和平公園」に入り込み,センスのよい建物の228記念館に入ってみたら,その「おどろおどろしさに」びっくりした経験があります.今でも印象に残っているのは「白色テロ」という言い回しかな(あれっ,北京語ではなんと表現するのだろう?)
228記念館
http://228.culture.gov.tw/web/index.asp
えーと、Taropanさんが建築物のことを指して言っているのはわかっていますが、それでも「旧総督府」という言い方はコンテクストによってはあまりpolitically correctではないかも
「白色テロ」は、北京語では「白色恐怖」です。でも、台湾の場合、いわば戒厳令の時代(1949-1987)はずっと「白色恐怖」の時代だったわけですよね。中でもよくいわれるのは1950年代のひどさですが。