(旧)yoyo的日記

台湾での生活について、シェルターから受け入れた黒猫姉妹について、台湾で暮らして10年のyoyoが書いています。

The Namesake

2007-11-15 | 小説・映画・音楽
インド人の女性監督、ミラ・ナイール(Mira Nair)の作品『The Namesake』を見ました。

台湾は以前書いた通り、ハリウッド大作天国なので(日本もかなりそうですが、でも人口が多い分だけ、マイナー映画の需要市場もそこそこありますよね)、たぶんこの映画も映画館での上映はされなかったと思います(私が見逃しただけかもしれませんが)。
でも私は以前偶然見たテレビの番組でこの映画の紹介を見て、ぜひとも見たい!と思っていたので、レンタルショップで見つけたときには小躍りして喜びました

内容は、インド人の新婚夫婦がアメリカに移住してからの25年間の物語。お見合いで結婚した二人が、アメリカにやって来てから愛を育み、そして二人の子供を育てていきますが、その後、物語の焦点はその長男に。

タイトルの"namesake"は、「~にちなんだ名前」というような意味ですが、父親が有名な(しかし変人の)ロシア人作家にちなんでつけた彼の名前がアメリカ人のクラスメートにさんざんからかわれるため、彼はその名前を使わないことに決めます。しかし、本当はその名前には父親のさまざまな思いと記憶が込められていた、というもの。

テイストはかなり違いますが、見ていて『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』を思い出しました。二作品とも、異国(アメリカ)の中で異民族(インドorギリシャ)として生活している家族の話です。重要なのは、彼らの焦点がどちらも移民の二世代目にあたっていること。

人類学の理論では、"liminal"という言葉があり、これは簡単にいうとある種の儀礼等の入り口~途中で「どっちつかずの過渡期」にあたる状態を指します。移民して来た両親たちは、基本的に母国の生活習慣をそのまま異国に持ち込んでいますから、アイデンティティももちろん揺るぎなく母国とつながっています。これが三世代目にまでなると、多くの人は祖父母の母語をほとんど話せなくなり、ほぼ完全な「アメリカ人」として育っていくので、アメリカ人としてのアイデンティティを絶対的に多く持ちます。ところが、移民二世というのは、両親の「アメリカになじんでほしいけど、でも母国の文化を忘れてはいけない」という思いに強い影響を受けて育ち、まさに「liminal」な状態でジレンマを感じる存在になるのです。

ミラ・ナイールは、インタビューの中で「この映画は家族生活の中の『必要』(the needs)と『責務』(the commitments)から成り立っている」と語っています。
ミラ・ナイールは女性らしい細やかな感性で、NYとカルカッタ二つの都市を描き、温度や匂いまでも伝わって来るような気がするほどでした。

私としては、特にインド人女性の描き方に感銘を受けました。
インドの女性といえば、民族衣装のサリーを身体に巻き付け、大家族で暮らし、優雅なものごしで、なんだか保守的なイメージだったのですが、この映画に出てくるインド女性はみな聡明で自分のしたいことがはっきりとわかっている人たちです。
映画の中では最も「伝統的なインド女性」である母親でさえも、最後には自分ひとりで歩く道を見つけ出して行くことになります。

これは女性監督ならではなのでしょうか?そういえば、『マイ・ビッグ・~』も主演女優のニア・ヴァルダロスが製作した映画でしたね。