(旧)yoyo的日記

台湾での生活について、シェルターから受け入れた黒猫姉妹について、台湾で暮らして10年のyoyoが書いています。

日本と台湾のtattoo文化について その2

2008-03-22 | 台湾事情
前回書きかけでしたが、日本で私たち(あるいはもっと祖父母や両親の世代)が習った「身体髪膚これを父母に受く・・・」というあれは、孝経の教えで中国の経書の一つです。ですから、もちろん中国から来ていて、台湾の人たちもこの教えは知っているし、大事なものだと思っています。

ただ、感覚的にどうやら「ピアス、tattooなどの身体変工」はそれほどこの教えに違反することではなく、むしろ例えば自殺するとかそういうことを指して戒めている教えとして受け入れているようです。本家の中国大陸のほうではどういう解釈なのか、気になるところです

前置きはこれくらいにして、今月の頭に友人がいよいよ初めてのtattooを入れました。彼が初めてのtattooを入れる様子をビデオに撮って残しておきたいと言っていたので、私が撮影係としてついて行きました。
ちなみに、「なぜライオン?」という理由は彼のプライベートなことなので、割愛します。別に特に台湾でこの図柄が流行り、というわけではありません

日本では伝統的な手彫りという方法が今でも多少残っていますが、台湾ではたぶん全部機械彫りになっています。機械彫りのほうが手彫りより浅いので、痛さは少ないようです。(ただ、手彫りの方が色が長い間褪せないといわれていますが)

ここのtattooを施した彫り師がいうには、最近台湾のケーブルテレビで放映されている『Miami Ink』というテレビ番組の影響はかなり大きいそうです。日本でも見たことのある人がいるかもしれませんが、これはアメリカ・マイアミにあるとあるtattoo shopの番組で、毎週さまざまなお客さんがこのお店を訪れ、彼らがなぜtattooを彫りたいのか(「死んだ父(or母、兄弟)の面影を残したい」「死んだ恋人のために」などなど)を聞き、実際にそれをいかにうまく彫っていくのか、というプロセスを撮影したものです。ちなみに、このtattoo shopにはYojiという日本人スタッフもいて、なんだかいい味を出しています。




この『Miami Ink』の影響で、台湾の若者たちの間で、tattooがより身近に、あるいはアートなものとして認識されるようになった、ということですが、それでもやはりこの番組以前にそういう意識を受け入れる土壌がすでにあったということでしょう。

さすがにtattooにはまだ躊躇している私ですが、この記事を書いたせいか、なんとなく思い立って耳に二個目のピアスを開けました

日本と台湾のtattoo文化について

2008-03-20 | 台湾事情
総統選挙までいよいよあと二日!政治関係の事件やニュースが過熱気味の台湾ですが、今日はちょっとサブカルチャー「tattoo」について触れてみようと思います。

日本語においては、tattooは「入れ墨」(あるいは「刺青」)と「タトゥー」という言葉で、それぞれ裏家業のみなさんのそれと、ファッションのそれとを区別しているような気がします。最近では、特に若い人の世代では、ファッションとしてのワンポイントのタトゥーを入れる人が増えているようですが、それでも日本という国においてはそれは決して大多数ではありません。例えば、私の日本人の友達でタトゥーを入れている人、と考えてみてもたぶん皆無だと思いますし、私自身、日本にいるときにはtattooを入れてみようかと考えてみたことは一度もなかったような気がします。

谷崎の『刺青』はもちろん、吉本ばななの『とかげ』にしてもそうですが、日本におけるtattooはアメリカのようなあっけらかんとしたものではなく、なんとなくじめっとした「秘密」な感じがあります。

人類学において、tattooというのはなじみのテーマで、そもそもこの言葉も本来英語ではありません。tattooは、タヒチ語のtatuが英語に定着したものです。この「皮膚に刃物で傷を付けて色料を刷り込み、身体に永久的な刻印ないし文様を描く装飾技法」(『文化人類学事典』の「入れ墨」より)は、何千年も前から世界各地の民族によって行われていたもので、多くは通過儀礼として行われる行為でした。

台湾の先住民、タイヤル族はtattooの伝統があり、さらにそれを顔に施していたため特に有名です。タイヤル族の男性にとって、tattooは初めて首狩りを成就したときになされるいわば「勇猛な青年であることのシンボル」でした。また例えば階級社会のパイワン族のtattooは、その範囲や模様によって「平民・貴族・頭目」などの身分を表す役目もあったそうです。ただ、日本統治時代に、このtattooの習慣は首狩りなどの習俗とともに「野蛮さを表すもの」として禁止されました。
現在、特にタイヤル族において伝統的な模様のtattooをする人が増えているように思いますが、これは通過儀礼というよりはむしろ「自分の属する集団に対するアイデンティティ」の証のようです。下の写真は、台湾で女性としては初めて「伝統的な民族的tattooを復活させた」タイヤル族のtattooです。

(写真は「大紀元」の報道より。http://www.epochtimes.com/b5/8/3/3/n2030916.htm)

しかし、台湾において少しびっくりするのは、別に先住民ではなくても一般の人たちにtattooをする人がものすごく多いことです。日本においては、今はめったに考えることはないかもしれませんが、やはり特に私たちの親の世代では「身体髪膚これを父母に受く 敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」という観念はまだ残っているでしょう。さらに「入れ墨」が刑罰として始まったこと、また一昔前まである特殊な職業のシンボルとして機能していたことから、ピアス(これも民族学の分類においてはtattooと同じ、身体変工の一つです。昔の中国の纏足なんかもこれの一種ですね)に比べて受け入れ度が低いように感じます。

台湾の人たちはこういう「親にもらった身体を傷つけるな」という考えがないのでしょうか?本当は、親しい友達がtattooを入れたことからそれを書こうと思ったのですが、前置きが激長くなり、力尽きました
続きはまた次便で・・・