プルサーマル計画を憂慮する有志の会

愛媛県伊方発電所3号機におけるプルサーマル発電の問題を考える有志の会です。

放射能汚染廃棄物の処分場

2011年05月02日 | 日記
 放射能汚染した廃棄物の処分場は、日本にはありません。福祉国家デンマークに、地下処分の為の候補地が世界で始めて決まりましたが(デンマーク方式)、これが上手くいくかは全く分かりません。日本でも、原発内の使用済燃料プールは一杯で、今後は間隔を狭めて倍の燃料棒を詰め込んでいこうとしていました。(それにしても、微量とはいえプルトニウムも含まれている使用済燃料が、あれほど大量に、それも原子炉圧力容器近くのすぐ上に鎮座していたとは知りませんでした・・・)再処理を行えば、さらに大量の放射性廃棄物が増産されるなか、こうした放射能汚染した廃棄物の処理が待ったなしの問題となっていたところだったのです。

 しかし現在、汚泥及び溶融スラグの処理と処理場の問題が喫緊の課題であり、また校庭における汚染土の問題も、早急に答えを出さなければならない問題として出てきています。
報道(『朝日新聞』)では、「文部科学省が設けた校庭の放射線基準値(年間20mSv)の見直しを求めて、・・・「子どもたちを放射能から守るネットワーク」が結成され、また「福山市や郡山市など5市1村の首長は1日、校庭の表土を除去した後の処理方法を早急に示すよう、高木義明文部科学相に要請」したそうです。

こうした動きは当然ですし、これに政府も迅速に対処していかなければならないと思います。ただ一つだけ、私がこうした(処分場や廃棄物の)問題に関して気になるのは、そこに必ず「差別(と排除)」の構造が、抜き差しがたく存在していることです。

例えば、この校庭の汚染土について言えば、校庭の放射能汚染された土を除去して欲しいと願う(当然です)親御さんたちは、この汚染された土が何処に捨てられるのか、そしてその後どのような汚染を来たし、どれだけの方が健康被害を起こすのかには考えをきたしていないと感じます。ましてや、その処分場の近くにも子供たちがおり、その子どもたちの身体にどのような放射能の被害が及ぶのかは、ご自分のお子さんのことで頭が一杯で、脳裏にも浮かんでいないように思うのです。(勿論、そのような方々ばかりではないと思いますが)それは、行政も同様で、汚染土を撤去しようと考えたところまでは良いのですが、既存の処分場の住民の方々が、どのように思われるのか、その地域の方々の健康にどのような影響を及ぼすのか、考えていなかった、いえ、考えたけれど、それを無視したと思われる点なのです。(それは明らかに「差別」です)

これは緊急時だから、或いはそこまで余裕がなかったからと思われるかもしれません。しかしながら、一度でも処分場問題に関わられた経験のある方ならば、一般の多くの市民の方々が、自分たちの捨てたゴミが何処にどのように処分されているか知らず、ましてやその処分場から様々に有害な重金属類がガスとして大気へ(有機水銀などは常温で気化します)、そして地下水から土壌へさらには海へと漏出し、深刻な健康被害をもたらしていることに殆ど関心を示さないことを知っています。自分の見えないところに廃棄物が行ってしまえば、自分たちに危害が及ばなければ、それほど関心はないのが現実です。

通常、処分場がある地域は、その県内でも貧しく人口が少ない町や村、地域が選ばれます。(実際、かつての、いえ現在も歴然とある「」だった地域が非常に多いのです)金持ちの町から、貧しい町へ、人口の多い町から過疎の町へ廃棄物は流れていきます。汚い物を、汚染された物を、見えない所へ、できるだけ遠くへ追いやりたいという誰にでもある気持ちが、いつの間にか「差別」を生み、自分より貧しい人間や地域を実質的に排除してしまっているのです。

処分場と同じように、原発も(基地も)同じ構造の中で、貧しい、田舎へ押しやられます(「沖縄ポジション」です)。危険なだけに、一層そうした力が働きます。一度受け入れれば(経済的な面でも、政治力学的な力関係からしても、受け入れざるを得ない場合が殆どです)、次から次へと受け入れるしかなくなります。(福島第1原発のように、1号機が6号機にまで増大してきます。福島第2原発もできてきます。所謂「金縛り」というものですか)「一旦汚染したら、同じじゃないの」みたいな観念が「差別」の固定化を促します。

私が汚染土の処分地を、福島第1原発の近くにしてはと書いたのも、この「差別」の最たる考え方の良い例です。もう高濃度に汚染しているのだし、非難して住民も殆どいないのだから、ここならいいんじゃないの!?という「考え」です。この案は、大多数の方がそれほど抵抗なく受け入れ易いと思います。「差別」(と「排除」)に基づいた考えは、人間本来の「我欲」に沿ったものですから、非常に受け入れ易いものなのです。私なども、すぐにそうした考えに流されます。そして現実には、そうした「差別(と「排除」)に基づいた構造(システム)が出来上がっていて、自然にその流れとなっていくのですが、ここに大きな落とし穴も待っているわけです。

差別(排除)する側、原発事故で言えば、宿泊拒否をしたり、汚染が移るといじめたり、野菜や牛乳を買わないようにしたり(勿論避けるべきなのですが)、スクリーニングを受けろと言ったりしている側にいつも居られれば良いのですが(良くはないですか)、これはいつ逆転するか分かりませんし、或いはさらに別の「他」から差別(排除)される(外国からの輸入禁止措置等)かも分かりません。(その意識すらなく)差別(排除)しているつもりが、他から差別(排除)されているという状況に陥らざるを得ないのがこの世なのであって、この「我欲」(煩悩)に基づいたこの世界の「利」のシステムなのです。福沢諭吉はこれを、「自他の壁を厚くする」という風に表現しました。哀しいかな生きていく(生き残る)為に、人間だけでなく、地域も、国もそういう「差別と排除」しているのです。その最たるものが、極致が「戦争」なのですが、やはり福沢が説いたように、戦時と平時に「差別」(しゃべつ)などなく、原発であろうと、企業活動であろうと、常に「殺し合い」の戦争状態が続いているのです・・・

 そしてこの「利」のシステムがある限り、もっと言えば我欲(煩悩)がある限り、「差別と排除」はなくならず、原発どころか、処分場も、基地もなくなることはないのです。(つまるところ、戦争も)逆にいうと、原発だけなくなっても、処分場がなくなっても、基地がなくても、やはりこの世界から「差別と排除」(戦争と殺し合い)がなくなることはないのです・・・

 それでも、余りに危険で、余りに犠牲(コスト)が大きいものは、やはり止めましょうと、(極悪人を自認する私でも)勇気を振り絞って言いたいと思うのです・・・

汚泥及びスラグから高濃度セシウム

2011年05月02日 | 日記
  「福島県郡山市にある下水処理施設の下水汚泥と、汚泥を燃やしてできる砂状の『溶融スラグ』から高濃度の放射セシウムが検出された」、「施設周辺の大気からは、市内の別の地点より高い放射線量が計測された」(1.8~3.4μSv/時)、「地表面の放射性物質が雨などによって流れ込み、下水処理の過程で濃縮された」とみられ、「汚泥は1日80トン発生し、70トンは施設内の溶融炉で燃やすことでスラグ2トンになる。残り10トンはセメントの材料としてセメント会社に送る」、「事故後、計約500トンの汚泥がセメント会社に搬出された」とのことです。

 郡山市は確か、第1原発からは50キロ以上離れているかと思いますが、原発事故後に降り積もっている放射性物質(検出されたのはセシウムだけですが、ストロンチウム他)の量はかなりな量となっているはずです。それが、降雨と焼却という自然と人為による作業を経て、高濃度に濃縮されたわけです。福島県は、他の22施設についても同様の調査をするそうですが(何故、国がしないのですか!環境省の役人は遊んでいるのですか?!)、福島県のみならず、飲料水が放射能汚染されていた東京及びその周辺県も、(濃度は多少低くても)同じ事態が起こっているはずです。

 1日80トンですか。他の22施設も同量と単純計算すると、1,760トンです。これだけの放射性廃棄物を何処に、どうやって処理すればいいのでしょうか?まだ指針すら決まってはいません。処理場も・・・校庭の僅かの(低濃度の)汚染土ですら処理できずに放置しているのです。非常に困った問題であり、放置すれば汚染汚泥の存在する周辺に放射能汚染が広がります。健康も勿論害されます。

 焼却すれば良いという方もおられるかもしれません。しかし、それはもっと問題です。確かに、燃やせば量は35分の1になります。ですからそれだけ放射性物質も濃縮されたわけです。しかし、あとの35分の34の中にも、放射性物質は含まれているのです。燃えた物質はなくなるわけではないのです。ガス化し大気中に放出されるのです。また細かな粉塵となって飛散していくのです。一旦集めたものを、溶融炉でわざわざ大気へ飛ばしているようなものです。これではマスクをしても呼吸とともに吸い込んでしまいます。(炉内にフィルターがありますが漏れでます。フィルターが高価なので余り代えませんからその機能を果たせません。それもこれは重金属類に対するもので、放射性物質は想定されていません)

 そもそも、汚泥を焼却すること自体が問題なのです。通常の汚泥にも、僅かながら様々な重金属類が含まれていますし、その焼却土はその重金属類が濃縮されます。それはどのように処理されているのでしょうか?(普通に処分場に埋められ、長い時間をかけて雨水等で流出し、魚介類でさらに濃縮され、私たちが食べているのです。癌が多いのも納得できます)或いはそのような汚泥をスラグとして利用し、セメントなどに混ぜて商品化しています。確かにエイジング(風雨に晒す)でPH(強アルカリ)はある程度落ちるでしょうが、重金属類がなくなるわけではありません。焼却で大気中に放出されているのです。焼却炉周辺で、流産や妊娠中毒症が多いと報告されています。また、焼却しなくても、通常の最終処分場周辺の住民には、(未だ調査は殆どなされていませんが)喘息や気管支の疾病、癌や脳腫瘍等が多くなっているのです。

日本は世界の9割の焼却炉があると言われています。他の国は燃やすという方針を止めています。(害があるからです)しかし日本には強力な焼却炉の、そして溶融炉の利権があります。原発と同じ利権構造が、日本国中に焼却炉を溶融炉を増殖させ、莫大な額の税金を吸い込み、有害な物質を撒き散らしてきたのです。健康被害は隠蔽され、調査されることもありません。放射性物質の問題が発火点となり、こうした問題にも焦点が当たることは悪いことではありませんが、ただでさえ処分場が満杯の日本において、これだけ量(今後も雨によって増加するでしょう)の放射性廃棄物をどう処理していくのか、非常に難しい課題が突き付けられているのです・・・