プルサーマル計画を憂慮する有志の会

愛媛県伊方発電所3号機におけるプルサーマル発電の問題を考える有志の会です。

同じ「外交」的過ちを繰り返すのですか!?

2010年09月30日 | 日記
 妄想が現実化することほど恐ろしいものはありません。しかも、その妄想が決して実現しないように祈りながら妄想している場合には特に。日本政府はまたぞろ間違った一手を、それも再び戦略も無しに突き進もうとするのでしょうか?・・・

 9月30日付け『朝日新聞』では、「尖閣諸島事変」のビデオ映像公開を迫る動きが与野党から起こり、政府も公開に踏み切る方針だといいます。何ともまあ愚かな策を・・・当該ビデオは、事件直後に漁船長をすぐさま強制送還し、同時に日本の主張と立場を説明するために公開すべきものだったのであって、戦略も無しに始めた逮捕劇の、お粗末で「弱腰」外交の恥の上塗りをするために使う「カード」ではないのです。

 今頃、公開云々を言い出すのこそ、負け犬の遠吠えであって、百害あって一利なし、今回の問題の集束を図り、中国と、そしてロシア、アメリカといった列強とどのように付き合っていくのか、真剣に討議し、戦略を練るべき時のはずです。

 こうした動きとまるで連動するかのように、ロシアは中国との領土問題を数十年にわたる交渉で解決した後、27日には中ロ首脳が「戦略的パートナーシップ深化」の共同声明に署名、「中ロ両国は国家の主権や統一、領土保全など両国の核心的利益の問題で相互に支持することが戦略的協力の重要な内容」と明記したといいます。メドベージェフ首相の北方領土訪問(発表)に至っては、ロシア軍の北方領土駐留へ向けた象徴的な動きとさえ妄想されます。これはまさに、日清、日露戦争の勝利の過程で拡張した「尖閣諸島」及び「北方四島」を、今度はあれほどいがみ合っていた中ロが協同して奪い返しに来る図です。

 一方米国は、表向きは日本支持を表明し、中国にも冷静な対応を求めてはいますが、完全に「傍観」という名の日本デイッシング、日本排除の動きをしているように感じます。そもそも、黒船来航の時から、日本は米国に徹底してバッシングされ、反抗ののろしを上げた時には、原爆を始め科学の粋を集めたあらゆる「大量殺人兵器」によって、完膚無きまでに叩きのめされたのです。その後は一貫した占領政策、日本が従順だと見ると、基地を温存したまま対中国、対ロシアの防壁として利用し続けられてきたのです。(勿論日本も、「世界の工場」としての役割を与えられ、米軍に守られながら、経済成長を遂げたのですが)

 その最も信用できない相手である米国が、今何を考えているかといえば、自国の勢力をできうる限り保ちつつ、自分の後継者である「覇権国」に、自らの生存を保障してもらうことです。勿論、日本の「国益」など眼中にはありません。そして、米国の望む「覇権国」としての力(能力及び資格)があるのは、現在「中国」のみであって、米国は、中国と(表面的には対立しているかのように見えても)水面下で太い繋がりを持っていると考えるべきだと、某友人は教示してくれます。

 元来外交は水面下で交渉し、「声明」等とは異質の、「密約」のレベルで動くものです。最早発表されたものに引き摺られているようでは、外交の失敗、無策を露呈するようなものです。米国は、日本を人身御供として、中国に取り入る、既に取り入っている可能性があります。(証明のできない妄想でしかありませんが)となると、日本は現在、第二次世界大戦と同様の、米ロ中(英も含めて)という列強包囲網に取り囲まれていることになり、これほど危険で危うい状況はない、ということになります。

まさに中ロ米(英)の列強3国は、日本をまな板の上に載せて見ているところです。当然どのように料理する(される)のかは、日本政府ではなく、彼らの意思で決まります。下手に暴れたり足掻いたりするのは、下策なだけでなく、決定的に道を誤ってしまうことになります。今は「土下座外交」と揶揄されようが、「チキン」と罵倒されようが、忍耐し、日本の生き残る道を模索すべきなのです。それこそが真に、日本と日本人の誇りを示し、まさに賢者としての振る舞いとなることを、彼ら列強に強烈に印象付けることになります。これが日本と日本人の矜持ではないかと思うのです。

 某友人の言うように、「偏狭でないナショナリズムなど存在しない」のです。日本にも、中国にも、米国にも、ナショナリズムは存在し、それはメディアによって煽られ、政府によってコントロールされます。こうしたものに左右されてはいけません。そうではなく、力をもった諸外国の表面的な動きの水面下にある動き(潮流)を察知し、日本の「国益」を如何にすれば守れるのか、日本と日本人が生き残れるのか、考える必要があるのではないでしょうか・・・

P.S. 仲井真沖縄県知事が尖閣諸島視察に意欲を示されているとか、どうかお願いですからお止め下さい。日本の国益を大いに傷つけるだけでなく(その意図でお出でになるなら、私に止める資格はありませんが)、これではさらに沖縄は利用され、またぞろ人身御供にされるだけです。「文明」のなかの日本における、「野蛮」の立場という辛酸をさらに味わうことになるのですから・・・

ヨーガと呼吸

2010年09月29日 | 日記
 私は3年ほど前からヨーガを行じています。ほぼ毎日、短い時間でもするようにしています。(1日何時間もやって、坐骨神経痛になった時は数ヶ月自粛しましたが)ヨーガの真髄はまだ全く理解しておらず、ヨーガはあまりに深く私がご説明することなどできませんが、ごく入り口のところに、「呼吸法」(調気法、「プラーナーヤーマ」)があります。

 ヨーガが気に掛かり始めて、呼吸法を自習していた頃があります。自分の呼吸が、極めて浅く、荒いことに気付いたからです。当時の私は、それまで5年ほど、自律神経失調症の症状に苦しんでいました。息苦しさ、動悸、胸の痛み、喉を締め付けられるような感じ、そして抑鬱感、 ゲップが良く出るのですが、そのゲップも出そうで出なくなると、まさに深い海の底へずんずんと沈んでいく感じがするのです。

 症状は起きた瞬間からあります。本当に憂鬱な思いが1日中続きます。鬱の症状は若い頃からありましたが、自律神経失調症の症状は40代に入ってからです。男の更年期障害なのかもしれませんが、病名は何であっても、心と体のバランスが崩れ、精神的、そして社会的、そして日々の生活のストレスが永年に渡って蓄積して、調子を崩したものでしょう。

 別に死ぬわけではありませんから、こんなに苦しいんですよ、などと言えるわけでもなく、また見た目は全く正常な方と変わりませんから、病気と言うほどのことでもないのかもしれませんが、本人にとっては辛いものなのです。その症状が、独学の呼吸法で、一ヶ月もするとかなり消失し、苦しくなると呼吸法をすることで軽減したのです。

 その呼吸は、ただ鼻でゆっくりと深く吸って、無理しないようにできるだけ長く吐き出すだけです。私の場合は、喉を少し締めて、吸う量も吐く量もコントロ-ルしやすいようにしていました。ですから摩擦で自然に寝息を立てているような音がします。後で知ったのですが、ヨーガの呼吸法の一つで、「ウジャーイ」という呼吸法でした。吸う時はお腹、胸、肩と吸気が入っていくにしたがって広がりますし、吐く時はお腹が自然にへっこみます。それもあまり意識し過ぎると、しんどくなりますので、楽に呼吸するのが一番のようです。

 ヨーガの呼吸法は、場所要らず、時間も数分から時間の余裕があるだけ、その時々にできますし、勿論お金も要りません。呼吸が整うと気持ちが落ち着きます。私は座法(アーサナ)も行いますから、肩こりや腰痛も楽になりますし、何より気分がすっきりとし、清々しい気持ちになれます。心と体が繋がっているのが実感できます。

 ヨーガは私にとっては、自律神経失調症の自然薬ですから、食事や排泄と同様に必須なものです。ですから、これからもずっとヨーガを行じていくと思います。そしていつか、ヨーガ教室を開いて(たった一人でも、勿論無料で)、少しでも多くの方がヨーガを実践できるようになればと(瞑想ではなく)妄想しています・・・

「原子力政策大綱」の見直し

2010年09月27日 | 日記
 最近よく「国益」という言葉を使いますが、「国益」は政治家や政府の高官等が、大局的な見地から日本の利益を考えることで、私のような一市民、一国民が考えることではありません。しかしながら、多くの国民の利益(それぞれがまた違った利益を求めているのでしょうが)を、かりに「国民益」とした場合、「国益」と「国民益」とは必ずしも一致しない場合のほうが多いように思います。

 そしてその政策が、「国民益」どころか「国益」にも適わないとなると、その政策を転換するか、中止することになるのではないかと思います。その典型が、「プルサーマル計画」であり、「核燃料サイクル」であると私は思うのです。

 9月26日付『朝日新聞』には、「今年は原子力政策の基本方針である『原子力政策大綱』(05年策定)の改定期」、「前回の策定では・・・経済性や資源節約の点から、かなり本格的に比較した。その結果、全量を再処理するのは直接処分より割高で、発電コストを1割上げることがわかった。だが原子力委員会は『今から路線を変更すると過去の投資が無駄になり新たな研究も必要だ』」として、「『変更の必要なし』とした」とのことです。

 この発電コストにはバックエンドの費用は含まれてはいませんし、実際どのように使用済みMOX燃料を処理し、保管するのか決まってはいません。放射性廃棄物による放射能汚染の危険性が付きまとい、今後殆ど永久的な保管、その管理が必要となる「プルサーマル計画」、そして「核燃料サイクル」は、原型炉である高速増殖炉「もんじゅ」の実質的破綻、そして再処理を担う「再処理工場の」続出するトラブルと、全くその国策としての体を為していません。

 使用済みMOX燃料を再処理する「第2再処理工場」も、どれほどの費用が掛かるのか、検討すらつかない状況です。これを見直ししないならば、何を見直すというのでしょうか。我が国の「核燃料サイクル」には、「国民益」どころか、「国益」すら適わない、それどころか、大変な負荷を、損失を、それも半永久的に日本にもたらすものとなるように思えます。

 核不拡散の問題、プルトニウムの保持に関しては、外交により解決する、というのが私の考えです。その外交の不在が、こうした付け焼刃としての「プルサーマル計画」を生起させているとすれば、これほど我が国にとって不幸なことはないのではないかと思います。

 『大綱』見直しの判断は、来月半ばとのこと、今こそ思い切った政策の転換が求められているということを、民主党政権は熟考して頂きたいと思うのです・・・

P.S. 最近とても疲れるのですが、暑かった夏のせいだけではないように思います。今の日本はまさに「無政府状態」、「内患外憂」に立ち向かえる態勢ではありません。その不安感、焦燥感、そしてあきらめの気持ちが、この倦怠感をもたらしているのかもしれません・・・

世界の軍事・経済・政治システムの下で生きていくこと

2010年09月26日 | 日記
 この世界の軍事・経済・政治システムの下では、強い軍事力、強い経済、強い政治が幅を利かせ、強い者がこの世の「利」を貪ることができます。またそのように、システムが構築されているのであって、そのシステムを受け入れようとしない者は、弾かれ、このシステムの権益を阻害するものとして「悪(魔)」或は「テロ」の称号を得、徹底的に排除されます。

日本もかつては、このシステムに戦いを挑み、ファシズムという名で糾弾されました。武器も、戦法も全く同じ方法ながら、先輩である列強の方々の権益を侵そうとしたからです。國と國との争いは、この世界のシステムの中で、個々、それぞれの国益を担って行われます。有事であろうが、平時であろうが、その争いが絶えることはありません。それは福沢が、「平時は物を売買して互に利を争ひ、 事あれば武器を以て相殺すなり」と称した通りです。

こうした争いはまた、それぞれの國の国内においても同様に存在します。国内においても、「利」を求めて軍事的紛争が、或は経済的競争が、或は政治的闘争が行われるのです。これが、哀しいかな世界のシステムであり、その中で、私たちは生きている、生きていかざるを得ないのです。そして、好むと好まざるとに関わらず、このシステムの恩恵を受け、或はこのシステムの下支えとして、それぞれの置かれた立場に応じたコスト(犠牲)を払わなければならないのです。

この世界からは、誰も逃げ出すことはできず、また逃げ出していける場所もないのです。そのようなユートピアは、この世界には存在しません。あるとするならば、それは心の中に、例えば、マザーのような全てを放棄し、全てを捧げる、そして全てを得る生き方の中にしかあり得ないことでしょう。

しかしながら、この世界のシステムの中にあっても、僅かでも軸足をずらして生きていくことはできないだろうか、それが某友人の考えであって、私自身の思いでもあるのです。具体的に言うならば、自らが、自らと自らの家族、そして顔の見える友人の為に食物を作る。汗を流し、天と地の恵を得た物を、共に食する。そうした繋がりが、農業、漁業、林業と広がって、それぞれが得たものを、顔の見える範囲で譲り合い、繋がっていく。大工仕事でも、医療や教育活動でも、或はかつてのグラミン銀行のような金融活動でもいい、それぞれが提供できるもので地域に貢献し、その地域のとともに生きていくことを是とし、日常的な営為を行っていくのです。

このような共同体ができれば、我々は最早、他国から材木や食料、労働力や鉱物資源を求めずして、それは最低限の生活かもしれないけれど、豊に幸せに生きていけるのではないかと妄想するのです。しかしこのような共同体を作ることは、決して生半可なことで実現するものではありませんし、この世界の軍事・経済・政治システムの中に居ながら、その中でこうのように生きていくことは限りなく不可能なことなのかもしれません。(妄想だとお笑い下さい。しかし、そうした共同体をいつか創造できないかと夢見てしまうのです)

 この世界の現実は、私たちには余りにも厳しいものです。生きていくことは余りにも辛く、そして哀しいものです。他人の犠牲の上に生きるのも、他人の犠牲として生きるのも、過酷で悲惨なものです。その中で生き抜くことは、「苦」以外の何物でもないのかもしれません。「不惑」の齢(よわい)を過ぎても、私はまだまだ迷いのなかにいます。迷いつづけながら、それでもやはり、生きていく、生きていかなければならない、そう思うのです・・・

P.S. 日本政府の中国への対応を揶揄しましたが、やはり私にはその資格はないと痛感しました。(私も彼らと同罪なのだと)いずれにしても、これが日本の現実なのだと受け止めること、そこからまた考え始めたいと思います・・・

負けちまった悲しみに・・・

2010年09月25日 | 日記
 軍事衝突こそ避けることができましたが、これほど最悪の結末はありません。外交的には完全な敗北、否、外交などこの日本に存在しないことを世界に知らしめてしまいました。
 某評論家が言っていましたが、同じ釈放するにしても、国連の場等で証拠のビデオを公開し、日本の主張と立場を世界に訴えることはできたはずですが・・・

 中国からの実質的なレアアースの対日禁輸、中国河北省におけるフジタの社員の拘束と、これではまるで脅しに屈した日本の図、そのものです。「粛々」と手続を踏んだ結果がこれです。那覇地検検事に、「わが国民への影響と今後の日中関係を考慮すると、これ以上、身柄の拘束を継続して捜査を続けることは相当ではないと判断した」などと言わせるとは・・・

 これが「大局的な判断」ですか?仙石感冒長官!これが「粛々とした司法手続」ですか?前原害務大臣!、これが「冷静な対応」ですか?菅愁傷!最早日本に政府は存在しないのでしょうか!?

 日本が愚かな対応を繰り返しているうちに、中国は、否米国は、台湾への武器売却決定で中断していた米中軍事交流の再開へ向けて、ゲーツ国防長官は「粛々」と動き出しています。一方、クリントン国務長官に、「安保第5条」が尖閣に適用されると言われて、(結局は2国間で解決してね、と突き放されたにも関わらず)胸を張っている某外務大臣とは真逆の働きようです。

 今回の「尖閣諸島事変」と、その後の中国側の「強制」的対応によって、中国は日本に対して強制力(従わせる力)を持っていることを、世界に示しました。一方日本側は、日本がこうした「強制力」に対して、黙ってこれに従うことを世界に対して示してしまったのです。まさに、「敗戦」です。「第2次日中戦争」の完全敗北です。それにしてもです・・・

確かに現状は、軍事的にも、経済的にも中国には負けています。政治的な力でも中国を上回ることは難しいけれど、それでも政治的に、日本と日本人の気概だけは示すことができたはずですが、これでは完全に「負け」なのです。萩原朔太郎ではありませんが、「負けちまった、悲しみに・・・」です。本当に、本当にショックです。

 今回のことで、民主党政権は、有事において無力であることを証明しました。外交なき事を示しました。政(まつりごと)なき事を示してしまったのです。国民を「フロントライン」に放り出しておきながら、なんら自らは動かなかった、そんな政権であることが分かりました。これでは、日本は、本当に滅びてしまします。本当に征服されてしまいます。南無三宝・・・

「外国交際」に必要な英断は・・・

2010年09月23日 | 日記
 『朝日新聞』によると、「中国外務省・・・は・・・米ニューヨークでの国連総会に合わせた温家宝首相と菅首相との首脳会談を実施しないことを明らかにした」、また「北京市観光局が旅行業者に対し、訪日旅行の募集などの自粛を呼びかけた」とのこと、今回の「事件」は、確実に政治的、経済的な影響を日本に及ぼしています。

 このままでは、中国との関係は極めて深刻な危険水域にまで達してしまっており、戦争の前哨戦どころか、温家宝首相が、漁船長が釈放されなければ「さらなる対応をとる」との発言に至っては、今は軍事的実力行使にこそ及ばないが、政治的・経済的にはあらゆる措置を取る、という「宣戦布告」に等しき状態になっています。

 こうした状況に日本政府は、「大局的な政治判断をしつつ、国内法的な処理を進めていく」(仙石官房長官)などと自己撞着した、余りにも暢気な発言に終始しています。日中の政治・経済戦争が今まさに始まっていると言うのに、「大局的な政治判断」をすることなく、只単に国内法をのみ根拠にして自己の主張を正当化しようとしているのです。

 問題は、どちらが正しくて、どちらの言い分に理があるのかではなく、どちらにも言い分があり、またどちらにも理があるということ、また、正しきものの理が通る世の中でも、世界でもないという現実なのです。そしてその理が通るのは、通すことが出来るのは、政治的、経済的、軍事的力をもった側なのです。

かつて日本は、柳条湖事件他、様々な工作をして日中戦争を開戦し、日本の領土を拡張していきました。尖閣諸島の領有を主張したのは1895年であって、当時列強に食い潰されていた清王朝には最早、領有権を主張する力などありはしませんでした。逆に、現在の日本が尖閣諸島を守り切れる力があるのかどうか、冷静に判断しなければなりません。国境は二国間の力関係によって常に変化し、移動するものであるという歴史の大原則から逃れることなど出来はしません。(勿論、だからと言って尖閣諸島の領有権を放棄する必要など、あろうはずもありません)

尖閣諸島は明らかに「領土問題」であり、現在中国側が仕掛けてきているのは、明らかに「尖閣諸島」事件であって、ここから軍事的な紛争(戦争)が生じる可能性は極めて高い、ということです。(この認識は極めて重要です)中国はこれまで、ロシアに対しても、インドに対しても、また台湾に対しても(はたまた国内の民族運動に対しても)、国境線(領有権)に関する争いで軍事力を行使することを躊躇したことはありません。

一方日本は、敗戦後米軍の統治下にあり、一貫して米軍の駐留を認め(世界の中で、他国の軍隊がこれほど大規模に、そして長期に存在し続けてきた國は一国もありません)、米国との軍事同盟の下でこの国際社会の荒波を辛うじて乗り切ってきたのであって、最早軍事的な紛争に突入したり、戦争を行うことの出来る國ではないのです。(食料も燃料もありませんし)

しかも、米国が覇権の禅譲をもとにした「米中覇権連合」が現前に迫り、かつての悪夢のような日本包囲網が広がりつつある状況では、日本はこれら強大な中国を始めとする列強包囲網とたった一国で対峙しなければならないのです。

 私の心配が杞憂に過ぎないのであれば、唯の鬱病患者の戯言で済むのでしょうが、この問題(最早、「事変」です)によって、日本と日本人が巻き込まれるであろう災難と不幸に鑑みれば、一刻も早く「適切な処置」を取る必要があるのです。

 戦争を避けるために、戦争をしないために、講じなければならない「大局的な政治判断」(司法の判断などではなく)を、直ちに実行に移すように、日本政府に対してお願いしたいのです。
 中国の「宣戦布告」を見誤ってはいけません。彼らのメッセージを無視してはいけないのです。私は心から、日本と日本人を守るために必要な「英断」を祈っています・・・

P.S. 福沢の言う、憂うべき「外国交際」においては、譲歩しなければならない場面が多々でてきます。それは決して「負け」ではありません。戦争をせずに、「理」を尽くし、そして「利」(国益)を確保していく、それが「外交」というものでしょう。しかしながら、前原さんや、そして菅さんにそれを期待できないのが、この國の不幸ではないでしょうか。(子供や孫のことを考えれば、簡単に不幸などと言ってはおられないのですが・・・)

マザーの生き方

2010年09月22日 | 日記
 殺伐としたこの世界の中で、自国内においても、また國と國も熾烈な経済戦争、そして国境(領土)を巡るつばぜり合い、それに巻き込まれ多大な被害を被るのは、一般の市民であり社会的な弱者です。

 この世の「利」を完全に放棄して、またこの世の世界から一線を画して生きていく生き方を実践するのは容易なことではありませんが、世界の中には、このようにして生きている人がいる(いた)ということに、僅かばかりの慰めを得る毎日です。

そうした人々の中でもマザーは、極めて大きくそして温かな慈しみの言霊を、目の前の一人一人に対して掛けられました。

「誰からも見捨てられた人々が、せめて最後の時だけは大切にされ、愛されていると感じながら亡くなってほしい。彼らが、それまでの人生で味わえなかった愛を、最上の形で与えたい」
 死に瀕する病人ねの眼差しには、こうしたマザーの言霊が込められているのです。

 ノーベル平和賞の授賞式に、貧しいサリー姿で現われたマザーは、「聖フランシスコ」の平和の祈りを捧げます。この世界の、絶望に満ちた中でも、希望の言霊を発し続けたのです。

 マザーに批判的な人は、マザーの活動が広がらず、まだ多くの貧しく病に倒れていく人々がいることをもって責めましたが、マザーはその責めを真摯に受け止めながら(苦悩しながら、懊悩しながら、)こう語り続けたのです。

「私は、決して助けた人を数えたりしません。ただひとり、そしてまたひとり」、と。

 自分自身の手柄を吹聴する人間が、大手を振って歩くことの出来るこの世界で、マザーの生き方は、その言霊は、永遠の輝きを失うことはないでしょう・・・

外交なき國の最大不幸

2010年09月21日 | 日記
 漁船長の拘留延長が決まった19日、中国政府は、「日中間の閣僚級以上の交流の停止、航空路線増便をめぐる交渉の中止などの措置をと」り、また「『北京国際観光祭』で、日中青少年観光交流の訪中団など、日本からの参加団体の出演が急きょ取りやめと」した、さらに、「1千人規模の『日本青年上海万博訪問団』について、中国側が受け入れ延期を・・・通知」(『朝日新聞』)してきたとのことです。

 状況はますます悪化しています。何らかの対応を取るべきです。日本政府は、それこそ「冷静に粛々と」、漁船長を一刻も早く釈放すること、それ以外にはありません。最早、領有権を主張することすら危険です。中国と戦争を始めることはできないからです。

本日付の『朝日新聞』には、日中双方の識者の意見が掲載されていましたが、「中国政府が国民に・・・説明できる余地を残す」、「敏感な海域で発生した領土問題で、互いに譲歩し合わなければならない」とありました。外交とは主張と譲歩であり、相手側にも政治的な余地を確保させるという配慮がなければ、上手く乗り切ることは出来ないでしょう。

ましてや、日本は経済的にも中国に最も依存し、経済交流を絶たれてしまえば、最早それだけで一国の経済の息の根が止められてしまうかもしれないのが現状です。政治的、軍事的力関係に至っては、最早大人と子供以上に力の差は歴然としているのです。米国は、最早日本の味方ではありませんから(戦前・戦後と最も日本を苦しめてきたのが米国でありませんか)、日米同盟など屁のツッパリにもなりません。(親日派とかいう元米国務副長官が何か言っていましたが、信用しても口車に乗ってもいけません)

それにしても、前原外務大臣の、「だって検察の話ですから」には唖然、呆然、開いた口が塞がりませんでした。憤りを超えて怒りを感じます。三権不分立の日本において、このような極めて重大な外交問題を、検察に、司法に丸投げして、司法手続に則って粛々となどと馬鹿げたことを言っている場合ではないのです。

2004年には、尖閣列島に上陸した中国人が逮捕されましたが、当時の小泉首相は「政治判断」として、送検せずに身柄を中国へ強制送還しました。(国益を鑑みない小泉さんにしては上出来でした)その時以上に、日本の立場はさらに厳しい状況になっています。哀しいけれど、辛いけれど、中国なしで日本は生き残れないのです。中国との関係悪化が、どれほどの国益を失うか、政治家が、政府高官が考え行動しないならば、日本国は、日本人は最悪の事態を迎えることになるでしょう。

まだ、それでも間に合います。司法手続に則って不起訴とし、送還することも出来ます。起訴するなどと考える暇があるのなら、一秒でも早く漁船長を送還する、そのための、国を守るための「言い訳」を考えて欲しいのです・・・

P.S. 事件後一貫して頑なに国内法の執行を主張し続けてきた前原氏を、外務大臣にした菅首相は、「脱小沢」どころか、この国そのものを滅ぼそうとしているのでしょうか・・・

福島第1原発、プルサーマル起動

2010年09月20日 | 日記
『朝日新聞』によると、
「福島第一原発3号機(福島県大熊町)のプルサーマル発電で、東京電力は18日、原子炉を起動させる。プルサーマルは玄海原発(佐賀県)、伊方原発(愛媛県)に続き国内3基目で、東電では初めて。3号機のプルサーマルは1998年に福島県が計画を了承したが、東電の福島第一原発などでのトラブル隠しが発覚して2002年に白紙撤回された。8年間の中断を経ての実施となる。」

「福島第1の3号機は運転開始から34年経過しており、高経年化(老朽化)対策が施されている炉でプルサーマルが実施されるのは初めて」、また「使用するMOX燃料集合体は32体で、平成11年に燃料プールに搬入され10年以上保管されてきた。」(以上『産経ニュース』より)

伊方に引き続き3例目、最早プルサーマルの流れは止められない、止まらない(「関東軍」さながらの)様相を呈しています。しかしながら、この実質的に破綻した「核燃料サイクル」を無理やり推し進めるこの政策は、明らかに国益に反しており、日本にとっての「利」はないものと思われます。国民益にも、国益にも適わないものを、これ以上税金をつぎ込みながら継続させるのは余りにも下策、世界の潮流から外れた無謀な試みです。

プルサーマルの問題点は言い尽くされていますから、敢えてここで繰り返すことはしませんが、使用済みMOX燃料をどうするのかは、これまで何度も書かせて頂いておりますように、現在の使用済み燃料の比ではない、後世への余りにも多大なる負担を残すものであって、国家的な核廃棄物管理が必要なレベルのやっかいな問題なのです。

「もんじゅ」も再処理工場も、第2再処理工場も、未だ海のものとも山のものとも分からない状況で、これを最早「計画」と呼ぶことすら出来ない「破綻」計画です。止めましょう、と誰かが政府の中で言う必要があります。(無力な農民が一人でご公儀に直訴しても何になるでしょう・・・)

「電気事業連合会は、15年度までに全国の16~18基の原発でプルサーマルを実施する目標を掲げている」(『産経ニュース』)そうですが、こうした日本国内での流れ、最早裁判でも止まらない、後は「想定外」という名の過酷事故が起こりでもしない限り、プルサーマルという名の「関東軍」は暴走し続けるのでしょう・・・

P.S. 立命館大学の大島堅一教授の試算では、「1kWあたり原子力10・68円、火力9・90円、水力7・26円」、「今の再処理工場では処理しきれない使用済み燃料や、プルサーマルで使った燃料を扱う「第2再処理工場」にかかわる費用は情報がなく試算に盛り込めなかった」(『朝日新聞』)とのことです。こうしたバックエンドに係る莫大な費用には目をつぶって推し進めるこの「計画」の破綻の兆しは、この辺りに最初から現われていた(行政の「試算」と名のつくものが殆どこのような杜撰なものである)とも言えるのですが・・・

中国政府の揺さぶりと「政冷経冷」

2010年09月18日 | 日記
 9月18日付け『朝日新聞』によると、「日中が資源開発の権利を主張し、共同出資の条約締結交渉を進めている東シナ海ガス田「白樺」(中国名・春曉)の掘削施設に、中国の作業船が16日までに掘削作業用のドリルのような機材を運び込んだ」、「『中国は春曉ガス田に完全な主権と管轄権がある。中国の春曉での活動は完全に合法的なものだ』との談話を発表した」とのことです。

 さらに、「10月に1万人規模の日本旅行を予定していた中国の健康商品販売企業・・・が・・・旅行を取りやめると発表した」、「一行の訪日は日本政府観光局が誘致したもので、海外からの団体旅行としては最大規模。前原誠司・前国土交通相のトップセールスもあり、韓国に競り勝った経緯がある」、「観光庁の4~6月の消費動向調査によると、中国人が日本で消費した金額は推定503億円で、外国人全体の22%を占める」そうです。

 次々と揺さぶりを掛けてくる中国政府、政治と経済は別だとして、中国政府の対応を「遺憾」としか言えない日本政府の無策は、中国だけでなく、世界の日本を見る目を根本的に変えてしまうでしょう。

私自身は、中国漁船長の国内法に基いた手続きを早急に終えた上で、一日も早く中国へ返還する、しかしその際、尖閣諸島の領有権を明確に主張すべきだと思っています。中国に付け入る隙を見せないよう、中国から言われる前に、揺さぶられ続ける前に、先手を打って行うべきだったと思うのですが、その対応が余りにも遅過ぎるのです。

 国益を鑑みない小泉首相の時には「政冷経熱」と言われ、政治的な問題が直接的に経済を直撃することはありませんでした。それは、日本がまだ辛うじて経済的な優位性(殆どなかったと思います、良く見て対等)を保っていたからです。「遺憾」ながら、今や停滞どころか急速に衰退しつつある日本経済は、最大のお客様である中国なしでは生き残ることすらままならない状況なのです。

 お客様のご子息にいくら違法だからといって手錠をするなどということは、これまで最大のお客様だった米国に対してもしてはこなかったのです。その人身御供が沖縄だったのであり、沖縄の犠牲の下で、日本は米国の下で露命を繋いできたのです。今度は中国がそのお客様なのです。好き嫌い、良いか悪いかなどではありません。福沢が説いた「外国交際」は、今も深刻な憂うべき病なのです。

曰く、「我国は無事の日に非ず、然も其事は昔年に比して更に困難なりとは、正に外国交際の此困難病のことなり。一片の本心に於て私有をも生命をも抛つ可き場所とは、正に外国交際の此場所なり。然ば即ち今の日本人にして安ぞ気楽に日を消す可けんや、安ぞ無為に休息す可けんや」なのです。

 今や命を投げ打ってでも、難病である「外国交際」に立ち向かうべき時なのです。ただ、それが、かつての米国を始めとする列強と、それらの国々が利を得るところの世界の軍事・経済・政治システムに対して、日本が勝算もなく立ち向かったようなやり方ではなく、この世界の軍事・経済・政治システムとは一線を画した生き方が求められているように思います。

 それにしても、現在中国は日本の企業を買い、株を買い、森林を買っています。日本もこれまで、世界の森林を、そして食料を、鉱物資源を、現地の労働力を、そして性を買ってきましたが、今度はその立場が逆転してしまったようです。国土を、日本を、そして日本人を商品として売らなければならなくなってしまったのです。

 そして何より、「観光」という名で日本が、日本の自然と歴史が、そして日本の産物と性が売られようとしているのです。これが因果応報というものでしょうか。これが「外国交際」の難病たる所以でしょうか。日本と日本人を少しでも憂える者であれば、この状況に、「安ぞ気楽に日を消す可けんや、安ぞ無為に休息す可けんや」です。

 私たちの子供や孫、子々孫々に至るまで、今後日本はどのような立場に置かれ続けるのであろうかと、身を切られ、痛みを感じることなく日を過ごすことは出来ません。考えれば考えるほど、答えのない、閉塞状況に陥るばかりです。ほんとうに、危機的な状況なのです・・・