3月11日の東北大震災も、早や8年前のこととなりました。
五輪招致会議で、「原発事故はアンダーコントロールされている」とほざいた御仁がおりました。
しかしながら、未だに故郷に帰れない多くの人々がおり、原発の後始末も全く進んでいないのが現状です。
3月11日の大震災の陰で全く風化しまったのが、3月10日の東京大空襲のことです。
その当時、私は学童疎開で山形県湯野浜温泉に居たので、空襲は体験していませんでしたが、実家は丸焼けになってしまいました。
幸い家族は近くの川に避難して無事でした。若しも家族が全滅していたら、上野地下道の浮浪児になっていたかも知れません。
その時、道楽者だった父親が昭和初期から趣味にしていたスキー靴とアノラックを着て避難していました。
私の初スキーは、親父の形見だったスキー靴とアノラックを利用しての岩原スキー場でした。
それ以来、私のスキー狂いも65年間続いています。
人生とは、斯様にほんの僅かな行き違いで左右されるものだと、つくづく感じさせられます!
焦土と化した東京下町(Wikipediaより引用)
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