ヨッシーの道楽趣向-別冊-【yoshy's Garage】

【Welcome to yoshy's Garage ♪】

【TOURING ー Touring around the island ♪ 【後編】ー】

2020-11-11 | TOURING

Webーyoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

2020年秋ツーリング
"Touring around the island(島巡り)"
もラストステージに突入スル。
次に向かうは...
広島県尾道市と愛媛県今治市とを
結ぶ全長約60kmの道、
"しまなみ街道"を使い
瀬戸内海に浮かぶ島々を巡る♬

10月24日(土)am7:30ー
昨晩とは違う顔が見たくなり
再び今治城へ立寄る♬
【今治城】
関ヶ原の戦いでの戦功により
伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、
瀬戸内海に面した海岸に築いた
大規模な平城。
別名吹揚城(ふきあげじょう)ともいう。
慶長7(1602)年に築城を始め、
建造物も含めて完成したのは
同13年頃と推測される。
海水が引かれた広大な堀や、
城内の港として国内最大級の
船入を備えた日本屈指の海城でした。
寛永12(1635)年より
松平(久松)氏の居城となった。
明治維新後に
建造物のほとんどが取り壊され、
内堀と主郭部の石垣を残すのみとなった。
昭和28(1953)年に県指定史跡となり、
昭和55(1980)年以降、
主郭部跡に天守をはじめとする櫓、
門などの再建が進み、
雄大な城郭の姿を見せている。
ー 今治市文化振興課HPより ー

今治北ICより
"しまなみ街道"に入り
瀬戸内の島々を巡る♬
【亀老山展望公園 】
標高307.8mの亀老山展望公園は、
大島の南端に位置し、
瀬戸内海国立公園に指定されている。
パノラマ展望台ブリッジからは、
世界初三連吊橋「来島海峡大橋」と
日本三大急潮のひとつ「来島海峡」の潮流、
晴れた日には四国山脈の中に連なる
西日本最高峰「石鎚山」を眺めることができる
しまなみ街道随一の展望スポットである。
ー 広島観光ナビより ー

頂上には建築家、
隈研吾氏設計の近未来的な展望台がある。
これは地形の中に埋没させることにより
周囲の景観にダメージを与えず、
展望台からは外側の景色を
見ることができるように作られている。
ここからは360度のパノラマが開け、
南には今治市街、
天気がよければ南東に石鎚連峰、
そして北西の方向に
来島海峡大橋を見ることができる。
季節や時間帯によって
様々な美しさを見せてくれる
来島海峡と来島海峡大橋。
特に夕方から日没までの
刻々と変化する美しさは
まさにマジックアワーといえる。
ー しまなみ街道今治探訪より ー



【亀老山の由来 】
今から約1300年ほどまえ、
光輝く黄金色の観音像を背負った大亀を、
旅の風来僧がとある大島の海岸の
洞窟でみつけたそうじゃ。
早速その観音像を持って、
とある山に七堂伽藍を建立して崇拝し、
それ以後この山は
亀老山と名付けられたそうじゃ。
ー 亀老山の由来看板より ー

【 村上海賊ミュージアム 】
瀬戸内を制した戦国最強の村上海賊。
その村上海賊の本拠地の一つであり、
小説「村上海賊の娘」の舞台となった能島城。
史実に基づいた数々の戦国ロマンを
体感できるのが村上海賊ミュージアム。
能島村上家伝来の貴重な品々の展示、
鎧や小袖の着付け体験などのできる
日本唯一の水軍博物館。
※着付け体験はコロナ禍で休止中。


【日本最大の海賊、村上氏】
村上海賊(村上水軍)は、
14世紀中頃から瀬戸内海で
活躍した一族である。
後世には三島村上氏などと呼ばれ、
能島・来島・因島に本拠をおいた三家からなり、
連携と離反を繰り返しつつも、
互いに強い同族意識を持っていた。
彼らは、
海の難所である芸予諸島で育まれた
海上機動力を背景に、
戦国時代になると
瀬戸内海の広い海域を支配し、
国内の軍事・政治や
海運の動向をも左右した。

来島城を本拠とする来島村上氏は
伊予国守護の河野氏の重臣として活動し、
因島村上氏は周防国の大内氏に仕え、
のちに中国地方の覇権を握った毛利氏の
有力な海の勢力となった。
そして宮窪に本拠を構えた
能島村上氏が三家の中で
もっとも独立性が強いとされ、
特に村上武吉の時代には、
毛利氏・大友氏・三好氏・河野氏といった
周辺の戦国大名たちと、
時に友好関係、時に敵対・緊張関係と
なりながらも独自の姿勢を貫いた。
<村上武吉公像>

日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスは、
能島村上氏を"日本最大の海賊"と称した。
武吉および息子の元吉・景親の時代に
全盛を謳歌する能島村上氏は、
西は北部九州から
東は塩飽諸島に至る海上交通を掌握した。
平時には瀬戸内海の
水先案内、海上警固、海上運輸など、
海の安全や交易・流通を担う重要な役割を果たした。
戦時には小早船を巧みに操り、
「ほうろく火矢」など火薬を用いた
戦闘を得意とした。
<村上景親公像>

また茶や香を嗜み、
連歌を詠む文化人でもあった。
ところで昨今では、
彼らを"村上水軍"ではなく、
"村上海賊"と呼ぶことが多い。
水軍は、
江戸時代以降に用いられた呼称であり、
明治から昭和初期には、
近代海軍の前身と評価する見方が強かったため、
このように呼ばれていた。
しかし水軍では
彼らの多様な活動を表現できないため、
最近では当時の古文書などに見える
"海賊"と言う呼称を用いることが
多くなってきている。

一般に"海賊"と聞けば、
理不尽に船を襲い金品を略奪する無法者、
いわゆる"パイレーツ"が
イメージされるかもしれない。
しかし、展示室をめぐるとき、
海賊と呼ばれた人々が、
必ずしもマイナスイメージで
語られなかった時代があったことに
気づくだろう。
ー 村上海賊ミュージアムHPより ー


海賊ミュージアムを後にし
向かったのは...
am11:30ー
大山祇(おおやまづみ)神社 着♬
この神社は、
テレビ東京の
「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」
という番組で紹介され、
是非訪れたいと思っていた場所ダ♬

【日本総鎮守 大山祇神社】
伊豫國一之宮 大山祇神社は、
瀬戸内海のなかでも特に景勝の地である
芸予海峡の中央に位置して、
大小の島々に囲まれた国立公園大三島に、
日本最古の原始林社叢(しゃそう)の
楠群に覆われた境内に鎮座している。
※社叢(しゃそう)
神社において社殿や神社境内を
囲うように密生してる林のこと。

御祭神は大山積大神一座で
天照大神の兄神に当らせられる。
天孫瓊々杵尊御降臨の際、
大山積大神、
またの名を吾田国主事勝国勝長狭命
(大山積神の擬神体)は、
女木花開耶姫尊を瓊々杵尊の后妃とし、
国を奉られた
わが国建国の大神であらせれられるが、
同時に和多志大神と称せられ
地神・海神兼備の霊神であるので
日本民族の総氏神として
古来日本総鎮守と御社号を申し上げた。
ー 大山祇神社案内看板より ー
※天孫瓊々杵尊御降臨
(てんそんににぎのみことごこうりん)
日本神話で、
天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫
瓊々杵尊(ににぎのみこと)が、
天照大神の命を受けて
葦原の中つ国を治めるために
高天原(たかまがはら)から
日向(ひゅうが)国の高千穂峰に
天降(あまくだ)ったこと。

【乎千命御手植の楠 】
樹齢2600年ともいわれる
大山祇神社の御神木。
御神木を含む38本の楠が
"大山祇神社のクスノキ群"として
国の天然記念物に指定されている。
※乎千命(おちのみこと)
乎知命は大山祇神社の
祭神"大山積神"の子孫とされ、
神武東征(じんむとうせい)の先駆として
瀬戸内海の治安を司る際、
大三島に祖神を勧請したとされている。

"古事記や日本書記"に纏わる
難しい話しはアレとして...(笑)
幹周11.1m、根廻り20m、樹高約15.6mの
"乎千命御手植の楠"を
息をとめて3周すると願いが叶うというので
走ることにした♪
息が切れたがなんとか完走できたので、
願いごと叶うことを期待している♬



【生樹の御門 】
大山祇神社"奥の院(元神宮寺)"の
南方三十メートルにある
樹令三千年の老楠。
根廻り三十一メートルに及ぶ。
真中が自然の洞をなし、
奥の院参拝の通路となるもので
"生樹の門"と言われる。
ー 生樹の門案内看板より ー





生樹の御門を抜け
"奥の院"へと至ル。
こころ穏やかなる
時間(とき)を得ること叶う♬

島巡りの最後は...
"因島水軍城"に
足を向けることにシタ♬


【因島水軍城(城型資料館) 】
因島水軍城は、
因島村上氏が残した武具や遺品、
古文書など歴史資料を展示している資料館。
水軍のふるさと因島にふさわしいものをと
歴史家奈良本辰也氏監修により
昭和58(1983)年に建設された。
二の丸は展示室、
隅櫓は因島水軍まつりの写真を展示、
本丸は水軍資料館として公開されている。
水軍資料館には、
因島村上氏6代当主村上新蔵人吉充が
中国から持ち帰った釈迦の捏槃図や
小早川隆景より拝領された
甲冑など水軍ゆかりの品々が展示されてる。
ー 因島観光ナビ/因島水軍城より ー


資料館には、
因島水軍(因島村上氏)の
貴重な資料が展示されている♬



<太刀/銘備國前長船左近将監長光>

<因島水軍大将の兜>

<意匠性のたかい兜の数々>



因島・能島・来島に本拠地をおいた
村上海賊御三家...。
今回は二つの資料館を巡り、
その歴史を知ることがデキタ♬
因島水軍城に展示されていたパネルには
この様に書かれていた...。
この日本遺産には、
忍者「Ninja」や侍「SAMURAI」が
世界でも通じるように、
多様な顔をもつ日本独自の
海の民として「KAIZOKU」という言葉を
世界に発信していたきたという願いが
こめられている。

"しまなみ街道"を抜け、
散策と昼食をとるために
尾道に立寄ル♬
pm1:45ー千光寺公園に到着♪
【尾道観光における駐車場情報 】
尾道でオートバイを駐車しようとした場合、
本通り商店街にある
"ゆとり広場(バイク駐輪場)"に駐車するのが
お約束だろうと思う...。
されど高価な部品を付けたオートバイを
人通りが多く管理人も居ない場所に
長時間駐車しておくには
少々不安を感じる方も多いのではなかろうか。
その様な方には
"千光寺公園駐車場(山頂駐車場)"を
お薦めスル♬
この駐車場には、
駐車料金を徴収される方達の事務所前に
数台だがオートバイをとめる事ができるノダ。
特にオートバイ専任の
管理人さんが居るわけではないが、
駐車料金を徴収される方達が
常に居られる(常駐されている)ので、
盗難や悪戯にあう確率も
かなり低いのではないかと思われる。
尾道へ行きたいが車輌が心配という方は
ご一考されるのも良いと思う。
※車輌の防犯はどこまでいっても
自己責任であることはご理解下さい。

尾道散策の定番は...
千光寺公園山頂展望台から
美しい尾道の景観を楽しんだのち、
坂道を下りながら
"文学のこみち"を抜け
千光寺、安寧寺三重塔、
ねこの細道等々を散策しながら
尾道の商店街へと向かい、
帰路は千光寺山ロープウェイで
山頂まで戻る(登る)ルートが楽で良いダロウ♬
<千光寺山頂の"永遠の愛(ネコのオブジェ)">

...と紹介しておきながら、
昼食の時間が押したため
敢えて帰路は坂道を登ることにして、
千光寺ロープウェイで町(商店街)まで下る...。

尾道といえば...。
"尾道ラーメンでしょ!"
ということで、
常に尾道ラーメン人気ランキングの
上位をキープし続けている
"尾道ラーメン 壱番館"さんへと
向かうことにシタ♬

最近では
味のインパクトの強い
ラーメンも増えたので、
背脂が浮く尾道ラーメンも普通に思えるが
尾道ラーメンの人気に火が付いた
90年代にはかなりの
インパクトがあったことだろう。
尾道ラーメン...満足であった♬
【尾道ラーメン】
尾道から福山までの
広島県東部に広がるラーメンスタイル。
鶏ガラで取った
澄んだ醤油スープがベースだが、
表面に浮く液状の脂と、
背脂をミンチにした塊のせいで
こってり感も結構強い。
麺は中細ストレートで少加水。
さらりとしてるが
濃厚なスープを絡めすぎないが、
一体感は充分。
一般的な「尾道ラーメン」は
瀬戸内の小魚のダシを加える為に
独特の風味があるが、
尾道最ラーメンの礎となった朱華園(閉店)は、
鶏ガラにごくわずかの
豚骨をブレンドしたスープであった。
もともと「尾道ラーメン」というブランド名は、
福山市のおみやげラーメンメーカーが
おみやげラーメンにつけたものである。
ー 横浜ラーメン博物館HP/尾道ラーメンより ー

尾道ラーメンを満喫した後は、
腹ごなしを兼ねて"坂道を登ル"
少々後悔...スルも、
尾道の坂道は見どころ満載で
辛い思いをして登っても楽しいノダ♬
平山郁夫画伯のスケッチポイントで
同じ構図で写真を撮影してみる♬
ー 平山郁夫 ー
昭和5(1930)年6月15日、
広島県瀬戸田町(現・尾道市)生まれ
東京美術学校日本画科卒業。
昭和27(1952)年美術学校卒業と同時に
東京芸術大学に奉職、
平成7(1995)年に学長で退官。
平成13(2001)年から17(2005)年まで、
再度東京芸術大学長をつとめる。
昭和28(1953)年「家路」で院展初入選。
昭和39(1964)年日本美術院同人に。
現在日本美術院理事長
平成10年(1998)年に文化勲章を受章。
ほかに、
ユネスコ親善大使・世界遺産担当特別顧問、
東京国立博物館特任館長、
文化財赤十字活動を提唱する文化財保護
芸術研究助成財団の理事長などをつとめた。
平成21年12月2日永眠(満79歳)
ー 平山郁夫美術館HPより ー
<しまなみ街道五十三次スケッチポイント >




【尾道大宝山 千光寺】
開基は平安時代の始め大同元(806)年で、
後に源氏の名将 多田満仲の中興と伝えている。
本堂は貞享三(1686)年の建立で、
この地方には珍しい舞台造り、
堂内に置かれた須弥壇は
応永から永享(1394~1440)年頃の作で、
和様に唐様を加味した形式で、
ここに安置された本尊は
秘仏の千手観世音菩薩。
ー 千光寺HPより ー

この寺からの尾道の眺望は
我が国随一といわれる。
<本堂右方よりしまなみ街道(尾道大橋)を望む>

<本堂左方より尾道水道を望む>

三十三観音堂に近づくと、
参拝の際に木製の数珠を回す
"カチカチ"という音が聞えてくる...。
【三十三観音堂】
千光寺名物の一つ、
"カチカチ数珠"があるお堂。
関西一円の西国観音霊場の各札所の御本尊、
観世音菩薩33体が祀られ、
ここにお参りすると
西国観音霊場を巡拝したのと同じ
功徳があると伝えられています。
天井には勇壮な龍の絵が描かれている。

【鐘楼(しょうろう)】
この鐘は"時の鐘"として名高く、
元禄初年より時刻を近郷近海に報じ
近年はテレビ、ラジオを通じて
「除夜の鐘」としてひろく人々に親しまれ、
尾道の名物の一つにもなっている。
この鐘の特徴として
鐘の上部に百八個のイボ(乳)がなく、
梵字百字の真言と五智如来の種子が
浮彫りになっており、
この地方では珍しい曼荼羅の鐘である。
千光寺鐘楼「驚音楼の鐘」は
平成八年七月一日、
環境庁の選定した「日本の音風景百選」の
一つに選ばれました。
特にこの附近の情景は
文豪志賀直哉氏の小説『暗夜行路』にも
描写されています。


鐘楼から山頂へは
文学のこみちが続く♬
文学のこみちに刻まれているもので
私の好きなものを数点ご紹介スル。
【文学のこみち】
気候温暖で風光明媚な尾道は、
古来より天然の港として発達し、
その風向・文化を求め
多くの文人墨客が訪れ滞在した。
尾道ゆかりの25名の作家・詩人の
詩歌・小説の断片等を
千光寺山山頂から中腹にかけて
点在する自然石に刻み、
その静かな散歩道を
「文学のこみち」と名づけた。
彼らが愛した尾道の風景、
そこに住む人々の心が、
碑に刻まれた詩歌の中から
聞こえてきそうです。
ー 尾道市HPより ー
【十返舎一九】
日のかげは青海原を照らしつゝ
光る孔雀の尾の道の沖
※十返舎一九
(じっぺんしゃいっく)
弥次さん・喜多さんで有名な
東海道中膝栗毛の作者。

【志賀直哉】
六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。
ごーんとなると直ぐゴーンと反響が
一つ、又一つ、又一つ、
それが遠くから帰ってくる。
其頃から昼間は向島の山と山との間に
一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。
それがピカリと光って又消える。
造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す。
(暗夜行路より)
※志賀直哉
(しがなおや)
明治から昭和にかけて活躍した
日本の小説家。
白樺派を代表する小説家のひとり。
小説の神様と称せられ
多くの日本人作家に影響を与えた。
代表作に暗夜行路、和解、
小僧の神様などがある。

【正岡子規】
のどかさや
小山つづきに塔二つ
※正岡子規
(まさおかしき)
日本の近代文学に多大な影響を及ぼした
明治を代表する文学者の一人。
俳句、短歌、小説、随筆など
多方面にわたり創作活動を行った。

少々登り坂は辛いが、
ゆっくりと探訪しながら
山頂まで散策するのも良いだろう♬

この夜は、
尾道周辺でお宿を取ろうか...
と考えていたのだが、
オートバイを止めておく場所等々の
施設環境が合わず、
岡山まで移動しお宿を取ることにした。
宿泊したHOTELの1Fには、
岡山を中心に
50店舗以上の実店舗を展開する、
"岡山木村屋(キムラヤ)"さんが入る♬

キムラヤさんといえば
ロールパンだろう♬
と陳列棚を見ていると...
"ん!?"

"漬物3兄弟そろいぶみ!"
の中にどこかで見たことのある
パンがあるではないか!!
これと同様のパンを滋賀県で...(汗)
どちらの商品が
元祖だとか本家だとかと言う様な
下世話な話しは扨置(さてお)き、
岡山県でも滋賀県と同じ様な
食文化が育っているということを
知ることができたことが面白い♪
この"知る"ということもまた
旅(ツーリング)の醍醐味なのダ♬

10月25日(日)am9:30ー出発♪
駐車場に止めてある
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2に
荷物を積み込み、
部屋に戻り出立準備を整え
この旅最後のグルメを
"因島のはっさくゼリー"で締める♪
大きな"はっさくの実"がゴロリ...
口当たりも良く
フルーティーで美味い♬
...お土産でもっと買っておけばよかった
と少々後悔ス。


山陽自動車道==新名神高速道路と繋ぎ
宝塚北SA・土山SAで小休止を入れ...
pm2:40ー
"yoshy's garage"に無事帰還♬
<新名神高速宝塚北SAにて>

今回の旅(ツーリング)も、
これまでのものと変わらず
人との出逢いあり。
文化的・歴史的な学びあり。
目的とした
"Touring around the island(島巡り)"
...堪能♬
経済活動の活性化を目的とした
GoToトラベル活発なれど
未だコロナ禍であることは否めず、
様々な場面で
"制約や制限"を感じること多々あり。
不自由な中の
"自由"を勝ち得るための
感染リスクを減らした
旅の計画を練ることもまた、
この時勢を象徴する
"旅の姿(スタイル)"であると感じた。

"変えてはならぬもの、
変えねばならぬもの..."

"諸刃の剣を
如何に巧みに振るうか..."

これからも
自問自答を繰り返しながら
...我走る。

では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しを
お待ちしております♪

【関連資料】
【今治城】ー今治市文化振興課HPー
【ひろしま観光ナビ】ー公式HPー
【しまなみ街道今治探訪】ー公式HPー
【村上海賊ミュージアム】ー今治市文化振興課HPー
【大山祇神社】ー愛媛県神社庁HPー
【因島軍城水】ー因島観光ナビー
【横浜ラーメン博物館】ー公式HPー
【平山郁夫美術館】ー公式HPー
【尾道大宝山 千光寺】ー公式HPー
【キムラヤのパン】ー公式HPー


ヨッシーは走ることで日本を応援しています。






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2 コメント

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Unknown (イトー)
2020-11-14 15:16:56
お帰りなさい!
島巡りのツーリング(前・中・後編)楽しく読ませていただきました♪
小豆島行きKonpiraⅡなるフェリーは知りませんでした。
自分が小豆島にツーリングで訪問したのは、はや10年前となり、岡山に午前中に着いて出港時間まで時間を潰して渡たりました。
にゃんこフェリーだと早朝に上陸するから、初日に目一杯走りたい人には最適ですね^ ^
そして、醤油ソフトに「小豆島オリーブ公園」も懐かしい。確か、オリーブの原木がありましたよね。
四国入りは悪天候のようでしたが、「讃岐うどん」に「東洋のマチュピチュ」とグルメに観光もバッチリで、UFOラインなんてルートもあり、興味をそそられました。
今治の焼豚玉子飯も実に美味しそうで、次に四国に行った時は是非食べに行きたいですね。
そして、後編の「今治城」からの「しまなみ街道」「村上海賊ミュージアム」「因島水軍城」は、青空の下で巡っていて、気持ち良さげで羨ましいかぎりでした。
そういや、初めての「しまなみ街道」走破では、四国側から全島制覇のはずが、最後の1島をうっかりスルーしてしまうという失敗をしたのを思い出しました。(僕は先導していないですよ^^;)
自分にとっても思い出の地が沢山登場して、懐かしみながら楽しく読ませていただきました♪
コロナは依然として感染者数が増加していて、収束の気配は無いですね。
今年はバイクが調子が悪くならないよう、近隣を数時間走らせるだけで、バイク旅はまったくでした。
これからのツーリングは、マスク着用やソーシャルディスタンス、人数少なめなどの新しい様式で楽しむことになるかもですね(^^)
返信する
Re:イトーさんへ (ヨッシー)
2020-11-15 10:34:08
コメントありがとうございます♪

"Touring around the island(島巡り)"
全編お読み下さりありがとうございますm(_ _)m
ニャンコフェリー(深夜便)とGoToキャンペーンが
小豆島から四国へと渡ることになった切っ掛けになりました。
午前1時神戸港発であれば仕事を終えてからでも
充分間に合う時間ですからね(笑)
島にも早い時間に到着するので時間的なムダも少なくでき、
島を満喫できたのも良かったですよ♪
オリーブの原木よりもオリーブの大樹の方が感動したかな(笑)
マルキン醤油の外壁前にオートバイをとめて撮影できたのが
嬉しかったなぁ。...それかい!と突っ込まないで下さいね(汗)
讃岐うどんはやはり美味いですね♪
こちらでも讃岐うどん店をかかげたお店も増えましたが
やはり本場の迫力は違いました。
瓶ケ森林道(UFOライン)はCMやオートバイ誌などで紹介される
以前より狙っていたのですが、
ようやく行くこと叶いました♪
青空がでる瞬間まで1時間以上粘った甲斐ありましたよ(^^)
最後の"しまなみ街道"はやはり素晴らしい道でした♪

島国の日本...
半島や岬を巡る旅はツーリングの鉄板ですよね♪
コロナ禍で不自由なことが増えましたが、
可能な限り自由を求めて走りたいと思います。
これからは
多人数ではなく少人数のコンパクトさを活かした
ツーリングをするのが良いと考えています。
また機会が訪れましたらご一緒下さると幸いですm(_ _)m
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