吉宗&ぶーくん

フレンチブルドックの吉宗くんとその家来のぶーくんの日記

川崎市平和館

2019年03月16日 | ぶーくんの毎日
町の掲示板とか駅の掲示物をよくチェックするのですが
掲示板で気になるポスターがありまして



「私たちのまちに空襲があった」


どこでやってるんだろう?と場所を見てみると
公文書館の名前が

そういえば、よく行くラーメン屋さんの近くに公文書館があるのですが
敷居が高くて入ってみたことが無かった

せっかくなので行ってみる





実はとてもこじゃれた建物なのです。

意を決して入ってみると
1階には県や市が発行しているお知らせなどが置かれていて
開催中の展示についてのチラシも置かれていた

その中に先ほどの空襲のチラシがあり、よくよく見ると
会場は「川崎市平和館」と書いてあった

あれ?公文書館じゃなかった・・・

てか、川崎市平和館って初めて知りました。

公文書館も入ってい見ると、とても内部が素敵だった!!

ならば、二階にある蔵書もチェックしてみようということで




プラプラしてみたら!
市政報告書のほか、歴史書などがあり
市販されていないものとかだと貴重な写真がたくさん載っていてとても楽しい。

一時間ほど見てから
平和館に向かいます。


平和館をしらないので、カーナビにセットしてスタート!!!

公文書館からは車で10分ほどのところにありました。

旦那様は子供のころはこのあたりがホームグランドだったらしく

平和館の場所は昔、米軍基地があったと教えてくれました。





こちらもなかなか立派な建物でした。

こちらもなかなか立派な建物でした。



昭和20年4月15日に川崎大空襲というのがあって、かなりの被害をだしたとのこと
戦前戦中は川崎区から高津区まで大規模な軍需工場地帯だったそう。
私が知っているのは社会科でならった
京浜コンビナートやイタイイタイ病や光化学スモックくらいで
軍需工場が高津区までの大規模なものだとは知らなかったです。
そのため、アメリカからの第一級爆撃対象だったそうです。



高津区まで工業地帯であったのですが
多摩区、麻生区には疎開地があったというのもなんだか不思議な感じでした。
そして、ずっと登戸に細菌兵器などの研究をしていた帝国軍の研究所があったのが不思議でしたが
川崎が軍需に深くかかわっていたのならうなづけるな~と思った次第。





心が痛くなる展示ではありますが、
忘れてはいけないこと、知らなくてはいけないことだな~とつくづく思った次第。
防空壕体験の場所があって、暗くて怖かったので旦那と一緒に入りましたが
旦那の子供のころは、防空壕跡は普通にあったとのこと
私は北海道だったのでもちろん空爆はあったそうですが(祖母談)
内地ほどの被害はなかったのと
貝塚はあっても防空壕跡はなかったので
興味深い話と体験でした。
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2 コメント

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Unknown (たまりん)
2019-03-16 23:58:24
川崎 横浜の 大空襲は 小学生の 授業で 習い
市内の跡地に 社会科見学も あって 怖かったです
横浜 南区に 有る 外国人墓地で お弁当で
映画に 出てくるような 広い芝生墓地で
はしゃいで 怒られた記憶が………
(検索したら 正式には『英連邦戦没者墓地』
公園としても 素敵と 紹介されてます)

ほんとに 軍隊は 戦争では なく
平和の為の存在で あってほしいです

3・11後の 計画停電時に 隣の伯母が
『時間知らせてくれるから 戦争時よりマシ』と
飄々としてたのが 印象的でした
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たまりんさんへ (ぶーくん)
2019-03-17 11:44:53
北海道の方田舎だったので、戦争の話というのはちょっと遠くの話と言うか、
歴史として勉強はしますが、あまり現実味のない感じだったんですよね・・・
こういう展示を見るとあらためて考えさせられるというか
今の自分の年だから、素直に吸収して考えることが出来るのかもです。

計画停電、
実は会社はバンバン停電になりましたが(下手すると日に2度とかw)
我が家は重要な施設がちかくにあるからか
計画停電の区域から外れていたんですよ!
申し訳ないとおもいつつ、電気のありがたさを感じてました!
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