陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

歯の用心、陽の用心、負の用心(後)

2014-06-06 | 医療・健康・食品衛生・福祉
☆負の用心☆

栄養価の高いものを好む一方で、なぜか、毒素の強いものを敢えて求める傾向もありますよね。押しちゃいけないと念押しされたボタンをわざと押してしまような、そんなマイナスへの誘惑が。「悪いと知りつつもやってしまった」は犯罪者の常套句です。

食中毒はこれからが本番と思われがちですが、意外や意外、春先や冬にも多いもの。2011年のユッケ集団食中毒事件が起きたのは4月でした。安かろう早かろうで出店攻勢をかけた大型飲食チェーン事業の残した傷痕は労働問題だけではないわけですが、口から入るものの安全性については、言いすぎても言いすぎることはないくらいです。

その事件を契機として、食中毒事件を起こした企業は、営業停止処分や刑事罰をくらうことも可能になったわけですが、はて、ではもっと心身の健康を害する働かせ方をするブラック企業への懲罰はいかに、と思わないこともありません。労働者に不満があれば、いずれそれはサービスの品質に落ち、被害は消費者へと向かう。もう忘れ去られた感がありますが、冷凍食品の農薬混入事件も、待遇の悪さが根底にありました。ほんのちょっとの人件費を削ったばかりに、安全を怠ったばかりに、信用失墜した会社。衛生観念と職業倫理を放棄してしまった労働者。責任はどちらにもあります。労働者の生活をまもるためのコストが商品価格に反映されていくというのならば、消費者わたちしたちも負担を分かちあわねばならなくなります。

世の中、しばしば、こころが腐るという体験がありますが、人をいくらもぎとっても捨ててもだいじょうぶ、という実のようなものだと考えているうちに、幹そのもの、根っこから駄目になっているということがあります。組織もそうですし、ひと自体もそうですよね。

複雑な有機体は一箇所の傷に対する修復プログラムはすごい発達してますけども、おなじくらい、痛みを全身にはりつめて伝えるシステムも優れすぎています。だから、歯を引っこ抜くように、肌を張りなおすという具合に、うまい案配にこころをつけかえるというのは無理なことです。iPS細胞のおかげで臓器は入れかえ、移し替えできるかもしれませんが、こころってのは、いちど壊れると修復が困難です。

自分がなにに悩まされているか原因を明らかにして、それにこだわるのをやめなさい、というような諦観の自己啓発本もありますが、神経を抜いてしまった歯が知らず朽ちてしまうように、あまりにこころを鈍磨させるのは危険なことこのうえない。どうせ言ってもしかたがない、と諦めるのを待っているずるい人もいます。こころで負けないようにする、というのは難しいことですね。

日本はわりあいサブカルチャーの質が優れていますし、欧米ほど宗教が抑圧的でもないので、こころのメンテナンスをする機会に恵まれているといえます。より早く、より強く、より厳しく、という価値観がゆっくりと崩れていくのかもしれませんし、これからの人たちはとくにそれを望んでいるのではないかな、という気がします。

現在は情報過多で、調べすぎることによって、さらに不安を煽りやすくストレスになっているそうです。几帳面な人ほど知識に惑わされて、ストレスを受けやすい。日常のなかでいいところ探しをしたり、しあわせ巡りをしたりするケアが、不可欠なんでしょう。暑さでいらいらしがちな季節だからこそ、こころのメンテナンスを大事にしたいものですね。


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この夏は健康いちばん。食べるもの、触れるもの、見聞きするものに注意しましょう。

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