陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

葛飾北斎にみるアンチ・アンチエイジング

2010-09-25 | 芸術・文化・科学・歴史
いい年をした大人をなじるのに、よく「子どもっぽい」「年寄りくさい」と言う。
だが、これははたして、けなし言葉なのだろうか。子どもはひた向きに未来を信じられた年代であり、老人は無駄に争わず、経験則に基づいて一歩引いた発言ができる年代だ。現役世代というのは社会の牽引役だが、だからといって子どもや老人という弱者を人格卑下の言い分につかう風潮はいただけない。

かの葛飾北斎は、老齢にして筆勢衰えることを知らず、大作を残したのは七十歳を過ぎてから。九十歳で大往生をとげた画狂老人は、自分は百歳にして絵が完成すると宣言した。
葛飾北斎をはじめとした十九世紀日本の浮世絵は、のちに西欧に輸入され、ジャポニズムという現象をもたらした。音楽家ドビュッシーが感銘を受けて「海」を作曲したのは、北斎の『富嶽三十六景』を目にしてからだったという。
北斎がこれほどの長寿でなければ、日本の美術史どころか、世界の近代文化史も異なった様相を呈していたかもしれない。日本の老人力はあいかわず凄い。

見かけが若くて派手なだけより、年を重ね落ち着きのある顔だちをもった老いこそが美しい。
若さという特権は短い。年輩であることを誇るのもよくはないが、老いることを後ろめたく感じさせるような日本になってほしくはない。

と、言葉の上では老いを礼讃しても、長寿社会には、認知症や介護問題、地域での孤立化、高齢者をつけ狙った悪徳商法など、さまざまな問題が付きまとう。

老いを忌み嫌うのではなく、老いを迎えた人間、その老いを支える人間が暮らしやすい社会になってほしい。特に、医師と同程度ではないにせよ人の生命を預かる介護士や看護士という職業が、厳しい労働環境に置かれ、何かにつけ見下げられているのは、あまりにも歪んだ職業構造ではないか。一時期、介護福祉学科などが大学では多く新設されたが、現状を知ってか介護福祉業界に就職しない、もしくはすぐに離職してしまうケースが多い。介護福祉士の給与はあまりにも低く、豊かな生活は望めない。日本の老後を支える人たちの老後が危ぶまれるという、おかしな現象が生じている。この職業格差が偏見を生み、介護業から未来ある若者を遠ざけている。

政府が税金をつかって救済してほしい、社会保障を充実してほしいという声もあるが、ほんらい、国民に必須のサービスを提供するというのは、企業としての務めなのではないだろうか。ものづくりで大資本をもつ会社が、ひとづくりの介護事業に投資しないのは、老後という言葉に後ろめたさ、かっこ悪さを感じているからなのではないだろうか。企業は、その役員、社員だけでなく、利益をある程度、社会奉仕に還元する責任があるのではないか。形式的に海外での顔向けが立つ環境保護事業に貢献しているからといって、それでいいと思わないでほしい。

高機能な電化製品や、騒音がなさ過ぎてかえって恐いエコカーや、見栄を張るためのおしゃれなブランド品や、高級化粧品なんかよりも、私たちは穏やかで安心して暮らせる確かな老後が欲しい。政財界に発言力の大きい一部の輸出産業だけが潤って経済が持ち直したとしても、暮らし向きは一向に良くならないだろう。

老いが救えない現状で、老人に「若者はもっと働け、我慢しろ」などと言われても、負担感・疲弊感が増すばかり。親の介護があるために、子育てをあきらめる夫婦も珍しくはない。

老いを敬えないという風潮は、未来の自分が顧みられないという悲しさを予感させる。
若者が悲観的で元気がないのは、実は、自分の老後に希望が持てないからである。


(註:敬老の日あたりに掲載する予定でしたが、ツイッターの騒動で見合わせました。)


【画像】
葛飾北斎「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」(1831-33年頃)


【芸術評論記事一覧】


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本映画「彼岸花」 | TOP | 映画「バイオハザード」 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 芸術・文化・科学・歴史