陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

モディリアーニ展 その2

2008-07-21 | 芸術・文化・科学・歴史
あなたがもし美術家であるとしよう。
この世の中に、一般にみとめられずに埋もれた美の追求者はゴマンといるに相違ない。
だが、自分の天分を生かしきれないスタイルを築いてしまい、暮らしのためにしょうことなく描いたものだけがヒットしてしまったとしたら。そして、死後もその売れ筋作風だけで印象づけられてしまうとしたら。
それもまた、美術家にとっては最大の不幸なのである。
自分の表現がただしく理解されないことは…。




アメデオ・モディリアーニ。
この名は日本人にとってはゴッホやピカソ、マティス、ルノワールと同様になじみ深いものであるといえるだろう。中学高校の美術の教科書にはかならず登場していた。キリンのように首の長い女性の肖像と、モディリアーニという日本語の語感にはなじみくい珍しい名前とのくみあわせは、幼い者の記憶に残るには十分なインパクトをもっていた。
お年を召された方ならば、彼の半生を材としたフィルム『モンパルナスの灯』(1958)をご存じであろう。(筆者はむかし深夜放送のこの映画をちらっと観たことがありますが、あまりに内容が淡々としていましたので途中で寝てしまった(爆))

学生時代、美術史の手ほどきをした教官がモディリアーニの海外研究本を翻訳されたことがあって。その著作を入手していたのが、読まずにいるうちに生活に窮した私はそれを売り払ってしまった。けっきょく、今日のきょうまで、この名にし負う芸術家の生涯なるものを露とも知らずに育ったのである。そもそも、私は芸術家の生き様には興味がなく、その表現過程に目を向けがちだったのだから無理もない。

アメデオ・モディリアーニ(b.1884 - d.1920)は、イタリア生まれで二十世紀初頭にパリのモンパルナスで活躍した美術家である。彼の画業からして、画家と評するにふさわしいが、彼の意を尊重してそうは言わない。とうしょは彫刻家を目指していたのに、意想外に手すさびに描いた油彩画のほうが評判がよく、パリの敏腕画商ポール・ギヨームや友人のすすめもあって、三〇代を過ぎて絵画制作に専念することになる。1917年には、生前唯一の個展を開催するが、波乱をよぶ。同年、裸婦モデルをしていた画学生ジャンヌ・エビュテルヌを妻とし、一女をもうける。
裸婦画撤退騒ぎのスキャンダルがあったとはいえ、話題性じゅうぶんのこの画家の未来は明るかったはずだ。しかし、度重なる貧困と持病の肺結核、大量の飲酒など不摂生に苦しみ、三五歳にして帰らぬ人となる。妻はその二日後に二人目の子どもをお腹に宿したまま、夫の後を追った。夫婦は十年後にようやく偕老同穴を許された。

生前のモディリアーニ伝説でしばしば誇張される、美術家の不遇はおそらくは、遺児ジャンヌおよび、そのバックボーンとなった悪名高き画商レオポルド・ズボロフスキーの手によるものだろう。モディリアーニはこの画商と専属契約をむすび絵をすべて買い上げられるかわりに画材を提供してもらっていたようである。いまでいうところの、出版社や制作スタジオの言いなりにされた漫画家やアニメクリエイターといったところか。
モディリアーニは、ズボロフスキーの肖像を黒塗りの不気味な瞳をした老け顔の男として描いているが、それは彼のモデルへの秘めたる陰鬱な感情を塗りこめたものとして解釈されてもよいだろう。

死後大量に出回って現在もなお鑑定家を苦しめるモディリアーニの贋作は、亡き父の真作を知らぬ娘ジャンヌがサインを与えたものである。(映画「モディリアーニ真実の愛」によれば、娘ジャンヌは生後まもなく母方の祖父の画策により修道院にあずけられ、パリの不健康な空気から離れて成長した。彼女はその後美術研究の道にすすみ、ドイツ表現主義やエコールド・パリの研究に従事することになる)非業の最期をとげた両親、その哀しみをのりこえ激動の二十世紀を生き抜いたしたたかさは、見習うべきものがあるだろう。ピカソや、ガートルード・スタインと同時代におなじパリで生き、それら天才画人より不当におとしめられている父への批判的研究を覆したい意欲が、彼女の人生にはあふれている。

美術館には周期をおいてかならず展示される美術家がいる。モディリアーニもそのひとりだといえるが、新たに展示する以上は、そこに最新の研究成果に照らした新しい解釈がなされなければならない。さもなくば、私たちはべつに、質のいい画集さえめくっていればいいのであるから。
モディリアーニ研究の第一人者は、ひとり娘のジャンヌであるといえそうだ。だとすればそうした特権をもたない研究者は、娘である故の血の濃さや情にうったえない高度に知的な展示を用意すべきであったのである。果たしてその試みは成功したのか。
次回に展示の詳細をたずね、その問題点を洗い出しておく。


【その3につづく】



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« モディリアーニ展 その1 | TOP | モディリアーニ展 その3 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 芸術・文化・科学・歴史