陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

行動する建築家・黒川紀章 その2

2007-10-30 | 芸術・文化・科学・歴史

以下は先日いただいたコメントに対するレスですが、あまりに長くなったのと、いち個人様にというよりは、多くの方にお目通し願いたいことでありますので、別記事として作成しました。
ただし、以下の文面がいささか楽感的で具体性に欠けるということは承知しております。


>石原都知事より彼の方が都知事になった良かった気がします

私は、黒川紀章氏が芸術家のままで終わってくれてよかったです。スキャンダルにまみれて、彼の思想や名高い建築物を穢すようなことはしないでもらいたい。職業としての芸術家は社会的影響力をもつべきですが、権力とは異なる力を、あくまで作品というかたちにおいて公使すべきと考えています。作品化できない主張は芸術ではないのです。ちなみに、この作品がなにかということを言い出すと、話が大幅にずれるのでここでは言いません。

現知事はたしかにいろいろ問題言動が多い方みたいですが。
しかし一国の首相が変わったからといって、すぐさま、いち個人の生活に影響がでるわけじゃないですし。弱者にやさしくない政治をする人間と、弱者だから貰うことばかり考えている人間と、果たしてどちらが正しいのだろうかなと思います。

たしかに彼の発言は国際問題や世代間軋轢、性差別、自殺者・精神薄弱者への無理解を生じていて目に余るものがありますし、芸術支援事業の私物化などは、もっての他。ただ、いち私人としてみた場合、慎太郎氏のあの親ばかぶり(?)と弟想いなところは、微笑ましいというべきでしょうか(微苦笑)彼の若年者に対する批判は、自身の青春時代の放蕩生活からかえりみた、若者の自立をうながす辛辣なアジテーションではないかと。そう思えるのです。

選挙状況を知らなかったのですし、彼の人柄を肌で感じたことはないのであいまいなことしか言えません。が、黒川氏はもともと石原氏と懇意であったようですし、どこまで本気で都政を動かす気があったのかは疑問です。死期を悟っての自身のアイデアを表明するためのパフォーマンス、やはりそう受け取れます。磯崎新氏は同じ学府で机を並べたよしみから彼のマニフェストをたたえていますし、私も彼の作品からうけた印象から彼の理想は支持したいところですが。じっさいのところ、それがすべて今の政治システムで、実行できるのかは、はなはだ疑わしいです。

なにより、私は文化人が権力を握ることをよしとしません。
なぜならそれは、文化の制限にほかならないからです。個人の嗜好によって、声の大きい者によって、文化の善し悪しが決められる、それはおそろしいことです。歴史をぬりかえた革命的な支配者、国家の統治者がしばしば、過去の文化遺産の破壊者であることは周知の事実です。英雄ナポレオンは、ロゼッタストーンを強奪した犯罪者といえなくもない。(ただし、それはさらに英国艦隊によって奪われ、そのおかげで古代文字の研究が躍進した。学術的業績は大きかったわけですが)

私は黒川氏の描いた図面が、ほんとうに政策に反映されたり、堅実な構築物として存在できるとは思っていません。机上の空論だから、と批判しているのではなく。彼の抱いたポリシーは、ひとりの為政者の号令の元によって、そしてなにか人目を引くような箱もの事業として、かたちにされるようなものではない。自身の建築にできないものだからこそ、構想を著作にしあげ、そしてこの世の終わりに遺そうとした。

黒川氏の代表的作品をみればその答えが浮かびそうな気がします。
複数のユニットをくみあわせたカプセルホテル。それは世界が個人単位に分解できること意味している。つまり、世界を構成する人間ひとりひとりの存在の明確化なのであるということです。
黒川氏のマニフェストを実現する「誰か」とは、ほかならぬ私たち自身のことではないかと、そう思えます。たとえば自分のこころのなかに、他者の考えをうけいるれるゆとりのスペースをつくる、そんな柔らかな気構えがあれば彼のいう「共生」は果たされたようなものです。政治家が愚かな発言をして日本のイメージを損なったと嘆くより先に、ひとりひとりが国の顔として、言葉の違う客人を友好的にもてなし理解する態度をみにつけたほうがいい。日本の文化を愛してくれる外国(とつくに)びとは、一部の狭い料簡の政治家の失言になんて耳を貸さない、そう思います。

黒川氏の掲げたマニフェストのうち、いくつかは個人レヴェルで実現可能なものです。
「格差の是正」と「教育」。このふたつは不即不離に結びついています。経済力の差は学力の差を生じ、学力の差がさらに貧富の差をひろげている。その負のスパイラルが今後ますますひどくなると言われています。しかし、だからといって教育にお金をかければいいものではないし、学ぶという姿勢はなにも、学校に通わなくてできるはずです。ほんとうに自分の生活を豊かにしようと考えるひとは、誰かに言われるまでもなく自分に必要なものだけを選びとっていけるでしょうし。だいじなことは、高い教材やテキストには書かれていないものなのです。経験に勝る学習なしといいますが、まさにそのとおりだと思います。

「命を守る安全な日本づくり」は、警察武力の増力ではないです。それではいわゆる夜警国家になってしまいます。安全な日本にするためには、身を守る術を得ることももちろんですが、なにより犯罪者をうみださない人間関係づくりになります。ひとを傷つけること、苦しめることをしない。ひとの恨みを買うようなまねをしない。
いつの時代であっても、どこの国であっても、全てのひとに、誰かがつねにいま最高の暮らしをプレゼントしてくれるわけではありません。だからといって、その不幸を他へ泥玉を投げつけるようにして慰めていいわけでもない。その批判の矢の的がどんなに大悪人であっても。いまより物やイメージが溢れていなくても、こころ豊かに生きたひとはたくさんいます。
ひとりはひとりでも、自分にできる範囲で社会をよくする、ひとを幸せにすることはできます。
あの素敵な物語のヒロインが教えてくれたように。
「貴女は貴女らしく、自分のできることをゆっくりとやればいい」


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4 Comments

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きしょう! (ムラーノ)
2007-10-31 00:17:57
万葉樹さん!コメントありがとうございました!
それにしても黒川紀章さん、お亡くなりに
なりましたが、あれだけの日本を代表する
建築課なのに、かなり前のオーム真理教
みたいな都知事選への選挙活動と出馬は
確かに違和感がありました!
あんだけ社会的地位があるんだから、
なにも無理して出なくてもと思いましたが、
建築家として全てを手に入れてしまうと、
また他の事がしたくなるのでしょうか?(^^)
返信する
人は城、人は石垣、人は掘 (万葉樹)
2007-10-31 06:15:21


ごきげんよう、ムラーノ男爵先生。男爵様の歴史談義を毎回心待ちにしております、万葉樹であります。

黒川氏の出馬の真意はわかりませんが、上の記事でも書いたように話題づくりor慎太郎政権に対する異議申し立てであったのかなという気がします。
偏見かもしれないですが、私はあまりタレントとかが知名度を売りにして国や地方自治体の権限を握るのは好きではないです。にわか仕込みで政治を学んだものが安易に国を動かせるのなら、専門に政治を学び議員生活も長いキャリアのある政治屋さんたちの存在意義ってなんだろうって思いますし。
石原氏に不満を述べる人のなかにも、最初の当選時に石原氏に一票入れたひとは多くいると思うのですが。なにか問題があると政治家は叩かれますが、そういうひとに票を投じた責任もあるとは思うのですけどね。私も身に覚えがありますが、選挙ってだいたいが知人からの頼まれ投票が多いですし。

>かなり前のオーム真理教みたいな都知事選への選挙活動と出馬は確かに違和感がありました!

たしかに、哲学や芸術思想って一種の宗教に近いですよね。

>建築家として全てを手に入れてしまうと、また他の事がしたくなるのでしょうか?(^^)

自分の箔付けのためというよりは、思想の流布のためと信じたいのですが。早くから憂国の士であったようですし。過去いくつか著作をあらわしていますが、自分の理想の集大成というものをやはり、広めたかったのでしょう。いくらご立派な本を書いたって、現代人とくに若い人は活字音痴で敬遠されるに違いないですから。メディア露出をはかり、自分のイメージと思想とを結びつけることで、浸透させたかったと。
自分の身勝手な厭世思想から「文化人が政治権力を握るのをよしとしない」と書いてしまいましたが。じつのところ、すぐれた思想や芸術作品はしばしば権力を嵩にしなければ芽吹かず、繁栄しないものですよね。孔子の思想だって支配者に重用されなければ、山奥に埋もれていたでしょう。しかし、ある時代の一国を動かした思想は、それが価値あるものならば時や場所を隔てても伝播してゆくはずですので(儒学が朱子学として再構築して日本化され、江戸幕府の基本思想となったように)、黒川氏の思想も今後日本の政治システムに生かされるかもしれませんね。

黒川氏は都知事になっても給料は一円とか気っぷのいいことをおっしゃっていたようで、そこらへんは好感がもてるのですが。
いまはメディアがおそろしく発達しすぎていて、首相がノイローゼで入院したり、大臣が命絶ったりできる世の中ですからね。ひじょうにメディアを操るのに長けた黒川氏でも、足をすくわれてしまうんじゃないかなと思います。

ところで、私が黒川氏の建築からみてとった「世界を構成する人間ひとりひとりの存在の明確化」とはべつに珍しい考え方ではありませんが、武田信玄の名言「人は城、人は石垣、人は堀。なさけは味方。あだは敵なり」といっかな通ずるものがありますね。安土城なんか典型例だと思いますが、建築は構築に莫大な人力がかかるので、政治の差配をうけやすいですし、また前近代の為政者の趣味が反映されやすい。城らしい城を居住地として築かなかった信玄は、かなりモダニスト的感覚、すなわち市民による国づくり意識にすぐれた革命的政治家であったといえますね。歴史の専門家ではないのであいまいなことを申し上げるのですが。中央集権体制が瓦解し群雄割拠した日本の戦国時代というのは、君主と農民の位置がちかく、十七世紀からはじまる西欧の市民革命になおさきがけて、世界の東端で実現していた近代国家の萌芽だったのではないかと思えます。いまもなお戦国時代がもてはやされるのは、単に男性諸氏のロマンをかきたてるような武勇伝のためのみではなくて、その多国家的支配体系が、地方分権が叫ばれる現在の政治システムや中小企業の経営にあたって、理想モデルとなるからではないかと推察します。
偶然にもこの記事の草稿をしたためていましたおりに、男爵様の秀逸なる戦国最強大名=武田信虎説を聞き及び、ひじょうにタイムリーであったと実感してます。

では、コメントありがとうございました。

返信する
勝手な想像 (建築家h.o)
2007-11-02 00:35:36
なぜ都知事選に出たか?

石原知事が安藤忠雄(建築家)さんに色々計画を頼んだり

していたので、その辺りではないかと考えられます。

これは、h.oの個人的な意見ですが。
返信する
貴重なご意見をありがとうございます。 (万葉樹)
2007-11-02 19:46:18


はじめまして、建築家h.o.先生。まさか専門家に、しかも黒川氏に縁のある方(ブログに書かれていましたが)からお言葉をいただけるとは思いませんでしたので、かなり驚いている管理人です。

>なぜ都知事選に出たか?石原知事が安藤忠雄(建築家)さんに色々計画を頼んだり
していたので、その辺りではないかと考えられます。

そういう実情があったとは知りませんでした。ただその見解ですと、なんとなく建築界の巨匠の勢力争いみたいに感じられますね。出馬の真相はさだかではありませんが。もし黒川氏が都知事になって、自分好みのデザインの建築物を建てたり、都市整備をすすめることに終始しだしたら、それこそ、アートキュレイターに据えたご子息はじめ縁故者起用がはなはだしいトーキョーワンダーサイト(東京都芸術家支援事業)の二の舞になりかねないですし。私は意味のない、観る者になにも生じさせない、かたちだけ、イズムだけ、どこかで見聞きしたようなものを借りた造形のよわい類の現代アートは好きではありません。

建築業界に身をおいたことがないので判らないですが、こういった水面下での利権争いがからんでいるのかもしれません。コンペに通るのも並大抵ではないですし、死活問題でしょうから。でも、そんな私情で政治も芸術も食い物にはしてほしくはないです。

安藤忠雄氏の作品でじかに訪れたものは、サントリーミュージアム天保山や、京都府立陶板名画の庭、兵庫県立美術館芸術の館ぐらいです。空間を区切る思い切りのいいグリッドな構造は、私の好むところです。彼の発案したコンクリート打ちっぱなしや中庭の設定は、民間住宅の設計に浸透していますし、おそらく黒川氏よりは若手の建築家に人気がるのではないかなと思います。
アカデミックな教育を受けずに独学で建築デザインを習得したという彼の生き方じたい惚れ込みますし、どこかしら高尚な思考をを要請するようなポストモダニズム建築をまねたような黒川氏の造形よりは、庶民的で親しみやすいのだといえます。
ただ住吉の長屋がいい例ですが、動線を不都合にして独自の美学を追求する安藤氏のやり方は、やはりいただけないですね。当時の機能性重視の建築界への異議申し立てであって、世界的にはたかく評価されてはいますが、日本人から批難を集めるのも当然だと思います。コンクリートの建物はじっさい住んでみると、(その年の気候にもよるでしょうが)五月になっても暖房が必要なほどかなり寒いですし、メンテナンスもたいへんで。あの殺伐とした表情は、眺めるぶんにはいいですが、暮らすには不自由です。
彼の社会的弱者に配慮しない家づくりの姿勢は、どこか問題発言をする都知事と似ているのかもしれません。

デザインとは美と機能とがすぐれた均衡でむすびついたものです。美の専横が許されない芸術領域です。生み出されただけでなく、使いこなされて生活者の人生にくみこまれてゆくものです。この他人の未来の暮らしを考えて家や物づくりをする作業はすごく、頭をつかうものだと思います。二次元のものを三次元におきかえる能力もさることながら、安心の生活を提供できる建築家の仕事は、きわめて社会的つながりを重くみる点で、すぐれたコミュニケーション力ももつ現代芸術に近くあります。

世界に名をとどろかせなくても、無冠であっても、住み手のことを第一に考えるすぐれた民間の建築家はたくさんいます。
しばしばアーティストが、大規模なスケールの作品を公共スペースにうちたてて、市民の生活をおびやかすことが物議をかもしているのですが、これについても今後機会があれば(一面的な否定ではなく)考えてみたく思っております。

愛知は三,四度ほど訪れたことがありますが、芸術文化の先進県ですね。大学の図書館にもひけをとらない蔵書数をほこる芸術文化センターのような施設が、あるのがうらやましいです。現代舞踊やサウンドアートなどの企画開催がさかんなのも。
黒川氏もどうせなら都知事でなく、郷里の愛知の知事になればよかったのにと単純にかんがえてしまうのですが。

それから、デザイナーズウィークin名古屋のレポをはじめ、建築家h.o.様のブログには、ひじょうに刺激的な記事がありまして。こちらとしましても通うのが楽しみです。プロの方の製作姿勢が身近に感じられるのは、ほんとうに貴重な体験です。
では、コメントありがとうございました。

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