夜の天火駅。
無人の改札口を通り抜け、少女はベンチに浅く腰掛ける。行き先のはっきりしない片道切符を握り締めた掌に、行き場の無い身の上を思って涙が零れ落ちる。
昂ぶった心に浴びせるように、冷気が首筋から入り込み、ぶるりと身を震わせる。
いまだ夏の暑熱の名残を感じさせるこの時期、されど夜の空気と鈴虫の鳴き音、月の美しい輝きは秋の気配が深まっていることを証明している。
彼女は夜を侮って薄着のまま来たことを、かなり後悔した。
そういえば、大神邸を出たのは昼過ぎだったのに、あちこち尋ね歩いたせいか、
病室の外はすっかり夕暮れだった。
窓から流れる名残りの夕陽は、白く清潔な空間を淡く血の色に染めあげていた。
そのなかで大好きな親友が足の自由を奪われた様は、はなはだ痛ましかった。
臥せられていた面と向かい合ったときの、その悲しげな色の瞳。弱々しく打ちひしがれた姿。
抑揚のない声で、差し障りのない短く区切られた会話。
いつも自分を励ましてくれる元気な少女のそれではなかった。はじめて見た親友の沈んだ面持ち。
お見舞いの品も用意できず、ただ夢中で走ってドアを開けた。
心配する自分の存在を認めてくれただけで、いつもの強気をみせてくれると甘えていたのだ。彼女はきっと、夢を潰された悔し涙を人には見せたくなかったんだろう。そんな気遣いのできない自分も情けないと、姫子は今更ながらに反省した。
(わたし…わたしがマコちゃんをあんな顔にしたんだ……わたしの傍にいる人はいつも最後にあんな顔をする……もし、あれが千歌音ちゃんだったら…あの天使のような微笑みが奪われたら、わたし、生きていけない…だから、どこかに行かなきゃ…誰もわたしを知らない場所へ…)
うな垂れた襟元と、袖なしで付け根から外気に晒された姫子の両肩にかけて、ふわりと衣地の感触が宿る。
その上質なウールのコートの肌触りを肌に巻きつけるように、白い掌が肩をやさしく辷って、着具合を整えてくれる。
掌の温もり、そして重み――昼間に覚えたままの優しさの感触だった。
驚いて振り向いた姫子を、黒髪の少女の柔らかな微笑み顔が出迎えた。
「千歌音ちゃん…!」
「探したわ、姫子」
「わたし、帰れないよ…だって、わたしがいると皆に迷惑がかかるの。だから…行かなきゃ」
すでに終電時刻を過ぎたうら寂しい線路を見つめる。待ちぼうけをくらった視線を漂わせた。
姫子の瞳が辿っていくレールの消失点、その暗がりにありえるはずの無いわずかな煌きがほの見えた。
芥子粒ほどの光は、次第にその奥に潜む動く影から長く尾を引く光芒に変わってゆく。
無人の改札口を通り抜け、少女はベンチに浅く腰掛ける。行き先のはっきりしない片道切符を握り締めた掌に、行き場の無い身の上を思って涙が零れ落ちる。
昂ぶった心に浴びせるように、冷気が首筋から入り込み、ぶるりと身を震わせる。
いまだ夏の暑熱の名残を感じさせるこの時期、されど夜の空気と鈴虫の鳴き音、月の美しい輝きは秋の気配が深まっていることを証明している。
彼女は夜を侮って薄着のまま来たことを、かなり後悔した。
そういえば、大神邸を出たのは昼過ぎだったのに、あちこち尋ね歩いたせいか、
病室の外はすっかり夕暮れだった。
窓から流れる名残りの夕陽は、白く清潔な空間を淡く血の色に染めあげていた。
そのなかで大好きな親友が足の自由を奪われた様は、はなはだ痛ましかった。
臥せられていた面と向かい合ったときの、その悲しげな色の瞳。弱々しく打ちひしがれた姿。
抑揚のない声で、差し障りのない短く区切られた会話。
いつも自分を励ましてくれる元気な少女のそれではなかった。はじめて見た親友の沈んだ面持ち。
お見舞いの品も用意できず、ただ夢中で走ってドアを開けた。
心配する自分の存在を認めてくれただけで、いつもの強気をみせてくれると甘えていたのだ。彼女はきっと、夢を潰された悔し涙を人には見せたくなかったんだろう。そんな気遣いのできない自分も情けないと、姫子は今更ながらに反省した。
(わたし…わたしがマコちゃんをあんな顔にしたんだ……わたしの傍にいる人はいつも最後にあんな顔をする……もし、あれが千歌音ちゃんだったら…あの天使のような微笑みが奪われたら、わたし、生きていけない…だから、どこかに行かなきゃ…誰もわたしを知らない場所へ…)
うな垂れた襟元と、袖なしで付け根から外気に晒された姫子の両肩にかけて、ふわりと衣地の感触が宿る。
その上質なウールのコートの肌触りを肌に巻きつけるように、白い掌が肩をやさしく辷って、着具合を整えてくれる。
掌の温もり、そして重み――昼間に覚えたままの優しさの感触だった。
驚いて振り向いた姫子を、黒髪の少女の柔らかな微笑み顔が出迎えた。
「千歌音ちゃん…!」
「探したわ、姫子」
「わたし、帰れないよ…だって、わたしがいると皆に迷惑がかかるの。だから…行かなきゃ」
すでに終電時刻を過ぎたうら寂しい線路を見つめる。待ちぼうけをくらった視線を漂わせた。
姫子の瞳が辿っていくレールの消失点、その暗がりにありえるはずの無いわずかな煌きがほの見えた。
芥子粒ほどの光は、次第にその奥に潜む動く影から長く尾を引く光芒に変わってゆく。