陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「タスク・イン・ザ・ライブラリー」(十)

2011-04-02 | 感想・二次創作──マリア様がみてる



時刻は午後三時を十分過ぎたところだった。
築山司書の鶴のひと声で、三人は事務室の隅にもうけられた休憩スペースにて、午後のティータイムを過ごすことになった。簡素な応接セットの長いソファに身をもたせかけ、景は早記と並んでティーカップを啜っていた。築山司書直々のご用達で、この休憩室では上質なアールグレイを切らしたことがない。ただし、早記のカップの中身は彼女が魔法瓶で持参している、中国産の烏龍茶なのである。

本日のおやつの主役は、コージさんこと中小路が差し入れてくれた、帝国ホテルの詰め合わせクッキーだった。
さすが乙女心がわかっていらっしゃる。すばらしい焼き菓子は缶の蓋を開けたときほのかに漂う風味からして違うのだ。安物の市販のクッキーにありがちな、油脂が分離したようなもったりした匂いがしない。その横には買い置きで出されるビスケットが大皿に取り並べられていたのだが、もっぱらそれを片づけるのは景のように慎み深い新人バイトだけだった。

築山司書は一人用のソファに腰かけて、五大紙と呼ばれる大手新聞社の朝刊に隈無く目を通していた。
各紙が競って新刊の読書欄を充実させる日曜の翌日に、閲覧コーナーから引き下げた当日分の新聞をチェックするのが、築山司書のつねづねの日課であった。家では時間がないために、一面の社会記事の見出しを確認するぐらいで済ますという。本に関してはすこぶるアナログ偏愛主義の築山嬢だが、速報性をなによりも重んじるニュースにあっては、インターネットのニュースサイトの方を多く利用していると憚ることなくおっしゃる。時事通信社から記事を流用しているニュースなどは各紙であまり際だった差異は見られないが、名だたる識者がレヴューする書評については、新聞に絶大なる信頼を置くほかはない、というのが彼女の持論なのであった。

新聞といえば、大掃除のガラス拭きか割れた陶器の覆いに活躍するぐらい、たまに気になるテレビ番組の時間帯の確認のために開くのが関の山という景には、築山司書の一字一句おろそかにしない執念深い読み方は恐れに近いものがあった。その読書を邪魔だてすまいという気づかいからか、密談を持ちかけているわけではあるまいに、景の声はおのずと潜めがちになってしまう。しかし、あいもかわらず、早記の声だけは静けさが身上であるこの空間でもよく通るのだった。

「なぁなぁ、カトちゃん知っとった? 四階の資料室のふしぎの話」
「資料室のふしぎ?」
「うわぁ、やっぱ、知らんかったんや。そやろねぇ。働きはじめたばっかやもんねぇ」

もったいぶったように含み笑いをしながら、早記は言いたくてたまらないといったふうに、目元をひくつかせ、めくれあがった上唇をさらに尖らせてみせた。
人間はどうしたって人よりわずかでも多くを知り得ていると、さかんに言いふらしたくなるものなのだ。それが他人の恐怖心を煽るか、笑いを誘ってやまないか、同情心を招くかするものならば、なおさらのこと。

「あくまで噂でな、うちも見たことはないんやけど。毎年な、この時期になると出るらしいわ」
「出るって、まさか…」

景のやや青ざめた顔から云わんとしたことを掴んだのか、早記が心得たとばかり身を乗り出した。
しっかりと残り一つとなった絶品のココナッツクッキーを掴みながら。箱にわずか四枚しか詰められていないのに、早記ときたらそれを二枚も自分のものにしていた。

「そうなんや。資料室の奥の薄暗い影にある椅子に座ってな、じぃっとこちらを窺ってんねん。一説には、単位落とされて卒業できへんかった女子大生の怨霊らしいわ」

そのとき景の想像力がつくりあげた幽霊の顔とは、まさに恨めしげな顔してこちらを伺っているあの友人に他ならなかった。
そして、その横にいたのはまぎれもなく浅生メイ。まだここで働きはじめる前のことであるが、景は確かに、あの二人を図書館で目撃したことがあるのだ。正確にいえば、図書館にいた景が外にいた二人を目撃したということになろうが。



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