陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

神無月の巫女二次創作小説「夜の狽(おおかみ)」(二十一)

2009-10-10 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

邪神ヤマタノオロチの復活が近い。八の首がすぐそばに迫っている。
そんな重大な事実をさらっと、こんな甘い夜のあとで言ってしまえるなんて。そんなのずるい。私はまだまだこの余韻に浸っていたいというのに。噛みしめられた痛さもわからぬほど、千歌音の下唇はへこんでいた。

「わたしと千歌音はいっしょにいなければいけないわ」

知っている、そんなことは。
三の首戦での鐘の中に囚われた時の心細かったこと。姫庫(ひめぐら)に閉じ込められていた時の闇よりも、何倍も何万倍もすえ恐ろしかった。孤独だからではない。姫子がたったひとりで戦ってくれていたことが、怖かったのだ。もしその鐘が開いたときに、目にしたものが愛する者の元気な姿ではないのだとしたら、光りさす世界に戻れたとしてもどんな喜びがあるというのか。もう、この世界にひとりだけ取り残されるのはごめんだった。

「ひとりだけの巫女ではあれは倒せない。わたしたちは、太陽と月。ふたりでひとつの存在、唯一無二の光り。どちらが欠けても、この世界は守れっこない。だから…ね?」

千歌音がちらりと瞳をあげる。瞳がうるみ、瞼が赤く腫れている。
姫子と目がかちあっても、たちまちまた伏せてしまう。代わりに両手の指をすべりこませて、むぎゅうと握ったり、緩ませたりをくりかえす。姫子はたまに虫の目のように、どこを見ているのかわからないまなざしをする。その瞳の中に自分の像が生まれているのか、千歌音はときに不安になるのだ。

わかっていたのに、こんな楽しいひとときは、そんなに長くは続かないことは。
ここが人気のない禁忌の場所だからこそ、できる秘めごと。もしこれが陽のあたる場所ならば…。息がとても荒い。心臓が早鐘のように鳴り響く。喉もとからなにかがこみ上げそうだ。もしや、また、あの発作がぶり返してきた――?!

「一秒後、あなたの心臓はおさまる。一分後、あなたは涙をとめる。一時間後、あなたはわたしと静かな月光のなかで甘やかな眠りに落ちる。一日後、あなたは朝陽を背にして、凛として立ちあがる。ひと月後、あなたはわたしと素敵な新しい人生を晴れやかに歩む。百年も千年もたてば、わたしたち巫女は伝説になる――さあ、千歌音、息を整えて。これを数えるの」

姫子が指さしたのは、自分の柔肌に桃いろづいた花びらの痕だった。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いくつでも。首筋にも、頬にも、額にも、胸の下にも、腰にも、太ももにも。自分のからだにも、幾重に花びらは刻まれていた。姫子の唇が通った後は、すべて千歌音のからだに淡くも熱い花の嵐が生まれたのだ。

私たちは剣の巫女、お互いに愛の証を刻む。喜びの経(たて)糸と苦みの緯(よこ)糸とで、刻んで時間を紡ぎあげていく。裏からみれば複雑な織物のような美しい時間を、ただひたすらに。
姫子の体に熱い夜のしるしをつけられるのは、この私だけ。私のからだにそれを許せるのも、姫子だけ。私たちはふたつでひとつ。どちらかが欠ければ、ひとりでは歩けぬ半端ものの狽(おおかみ)になるだろう。

接吻の数を百まで数えたときには、すでに千歌音の胸に生まれた野獣のごとき暴れん坊の気持ちはふいと吹き飛んでしまったのだった。数えているあいだにも、姫子ときたら千歌音の口をふさいで、くすぐったい花びらの数を増やしてしまった。

しばらくして、千歌音がようやくこぼした言葉は──。

「私、巫女をやめても姫子とはずっと離れない。永遠に貴女とともに生きていくの。姫子といっしょに一日ずつ明日をつないでいく」

貴女がどこへ迷い込んでも、黄泉比良坂みたいな獄(くりや)に囚われたのだとしても、私は必ず姫子を追いかけて会いに行く。姫子を独りになんかしやしないわ。そして、堂々とふたりがふたりだけの世界のために、愛しあえると言える世界をつくってみせること。もう、なにも喪うことのない世界、悲しむことのない世界を――それは、この切なさ抱えた夜の千歌音の誓いだった。その花びらを互いに降らせた夜の、ふたりだけの美しい約定だった。

目の粗い麻布を透かした朝日を浴びるように、千歌音は自分の気持ちをそろりそろおりと取り戻していく。
もう、逃げない。ひとつ、ふたつ、みっつ。よっつも、いつつも、みぃんな、手に入れる。ぜんぶ、きれいに文句なしの人生をつくりあげる。絶対に誰にも渡さない幸せを。姫子の熱に触れながら。その美しさを雲がかりにして月影に潜めながら。月の巫女の胸は、ゆるぎない決意が徐々に満ちてゆく。

それが千歌音のやりかたなのだから。姫子は姉のように、そのときをじっくりと待っている。
なんていとおしい。お嬢さまの千歌音はすこぶる欲ばりだ。なんといじらしくも尊いのだろう。絹のようななめらかな肌をしているのに、その心映えに孔がないわけではない。貴女の嚢(ふくろ)のなかを押したりつついたりすれば、虹色にこぼれる感情が無限に詰まっている。

きっと、彼女ならば、花鎮めの舞を見事にやりとげてくれるだろう。
千歌音ならば、みごとに美しく舞ってくれるだろう。わたしの最後の願いのために。そう、これが修練だってことを、あなたは気づいているのかしら? 陽(いつはり)の巫女のわたしが、落日のように、日がな夜には死ぬ練習をしていることを。

きっとあなたはそのとき、涙を流しながら、悲しみに怒り、苦しみ崩れ、それでもたちあがって、それをやり遂げるでしょうね。なぜなら、人としての誇りがそうさせるのだから。人すべてへの愛がそう駆り立てるのだから。
わたしを慈しみ育てたあの月の大巫女の孫娘で、わたしたちは血を分けぬ、からだは二つで、心はわけあった二枚貝の存在。魂ではひとつの、この世で裏と表の巫女たちなのだから。わたしはその尊ぶべき瞬間のためにこそ、美しく強いあなたを愛したのだから。だから、わたしは貴女が、千歌音が好き──姫子の抱擁はいちだんと激しくなった。



【十七の章へ続く】



【神無月の巫女二次創作小説「夜顔」シリーズ (目次)】




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