(この記事は、癌患者の方を貶める意図で書かれたものではありません)
最近の政治ニュース、ほんとに何が話題かもうわかりませんね。
なんとか学園の問題とかごちゃごちゃ泡立っている裏で、介護保険の値上げとか、さらっと重要法案が成立しているし、天皇退位法も成立したので平成リセット!と思っているふしがあるけれど、昭和64年の年末を迎えられなかったけれど、とくに何も変わらなかったな、と知っているので、元号変わっても、何も変わらないのでしょう。
いまさら数箇月も前のニュースで恐縮ですが。
大臣のお一人が「学芸員は癌」と発言した問題、ありましたよね。この失言の意図は、日本の文科系博物館・美術館は、英語以外の外国語の表記が充実していないので、観光立国を目指している国の方針に反している、けしからん!一掃してしまえ!というわけらしいです。
あとで激しい批判を浴びて、前言撤回したらしいですけれど。
「癌」だの「一掃」だのは若干行き過ぎたもの言いですが、90年代前後に全国で競うように建てられたミュージアム、いわゆるハコモノ施設が財政負担になっていることは、隠せない事実。中国含めたアジア圏の観光客激増に備えて、パネル展示の翻訳が不十分ということらしい。
学芸員に経営観念がない、客層を見積もっていない、といえばそれまでなのですが。
現場からは、そもそも日本の文科系学芸員は「雑芸員」と揶揄されるぐらい、本来の職分でない雑務が多すぎて、配慮ができないという声も。美術館学芸員で、英語どころか、独語、仏語、伊語に長けていて、自分でカタログを翻訳し、論文書ける人もいるでしょう。でも、さすがに中国語や韓国語となると、それ専門の分野を学んでいないと難しいのでは? 歴史系では古文書は解読できても、英語で論文発表したことない人すらいるかもそれない。文系博士号取得者だけど、日本語でしか執筆できない人だっている日本人の高学歴。そもそも、自然科学や社会学の概念と違って、歴史民俗や芸術文化は、その発祥の地の言語と結びついているもので、異国の言葉に置き換えて伝えるのは難しいものです。外大出た人が美術書を訳したりすると、とんでもない誤訳があったりしますから。
とはいえ、日本はミュージアム大国。
博物館法に則った登録博物館・美術館が900を超え、文学館や水族館など「博物館類似施設」を加えると6000近くも。狭い国土にこれだけのミュージアム、数だけとってみれば世界一。バブル末期にわんさか建設ブームだった地方の公立美術館には、地元画壇の大御所押しのけて、難解きわまる現代美術が顔を並べ、しばしば、地方議員たちに苦情が持ち込まれたのだとか。アートシーンを知る者にとっての重要人物であっても、一般人は知らない「傑作」が税金つかって展示される状況に歯噛みする人もいないではない。
美術品や文化遺産の価値をわかりやすく数字に置きかえて訴えるには、市場に流さねばなりません。ミュージアムに収蔵すること自体が、すでにして、経済の流れから遮断されてしまうことですから。数億円で購入した一枚の名画が、コスト回収できるには、さて、どれだけの観客を動員すればよろしいのでしょうか。おそらく、学芸員はそんな計算はしません。芸術品を商品だとは思っていないからです。彼らが願うことは、世に知られていない美の精髄を語ることだけ。
博物館や図書館などの文化施設を金食い虫だとして統廃合に乗り出した、旗振り役は思い起こせば、大阪府知事時代の橋本徹氏でした。将来的に見れば、減少していく人口に見合わないミュージアムの数々。ここ数年のあいまの震災で被害に遭った標本や収蔵品の修復、それに維持費が馬鹿にならないこと。遺産が生み出すものは崇高だけれども、それを支えるために痛みは分かち合えるでしょうか? 自分が払う税金、保育施設か介護施設か、博物館か、どこへ行き場がふさわしいかと言われたら、やはり趣味を声高に主張するのも気が引ける。
そもそも文化の支え手は、政財界の大物たちのはずでした。
開かれた作品ではなく、限られた者のための鑑賞と保護とを望んだのも、彼ら。ラスコーの洞窟で最初の絵画が生まれたのは祈願のため。エジプトの絵文字も、ミイラのきらびやかな装飾品も王侯貴族のため。時代が古いものほど残っているのは、特別なひとの暮らしや考えや嗜好が分かるものばかりです。文化は、そもそも大衆に開かれたもののためにできておらず、もし異国の文化を理解する旅人がいれば、彼らは世界共通言語たる英語ぐらいは理解しているだろう、というのが大学で教育を受けた教養ある人間の思い込みでした。
観光マインドがない、国や地方の経済発展のために学芸員が尽くしていないと攻撃する政治家も、さてはたして、どれだけ国民を豊かにするために努力してくれたのかと疑わざるを得ません。赤字のミュージアムが多いのは事実だろうけれど、だからといって、ギャンブル中毒を増やすようなカジノ誘致は大手を振って招いてよいものでしょうか。
多くの人目に触れすぎたことで保存状態が悪くなり、かつ、価値が捻じ曲げられてしまった文化財もあります。適切な知識をもった一部の人間が一時的に独占して研究しないと解明できない謎もあります。文化財を扱う人間が、金にならない無駄なことをしていると揶揄されるのは道理ですが、しかし、国を滅ぼす「癌」とまで弾劾されねばならない理由は、ことさらないように思えますが。
文化のほとんどは、人類の歩みのなかで必要悪というものばかり。文化は不要無用の癌ですが、心を癒す美しい腫れものであったりもするのです。ただ、社会保障の充実よりも、学問や芸術文化の振興に税金を使いだしたら、やはりそれは批難を免れないでしょうね。
最近の政治ニュース、ほんとに何が話題かもうわかりませんね。
なんとか学園の問題とかごちゃごちゃ泡立っている裏で、介護保険の値上げとか、さらっと重要法案が成立しているし、天皇退位法も成立したので平成リセット!と思っているふしがあるけれど、昭和64年の年末を迎えられなかったけれど、とくに何も変わらなかったな、と知っているので、元号変わっても、何も変わらないのでしょう。
いまさら数箇月も前のニュースで恐縮ですが。
大臣のお一人が「学芸員は癌」と発言した問題、ありましたよね。この失言の意図は、日本の文科系博物館・美術館は、英語以外の外国語の表記が充実していないので、観光立国を目指している国の方針に反している、けしからん!一掃してしまえ!というわけらしいです。
あとで激しい批判を浴びて、前言撤回したらしいですけれど。
「癌」だの「一掃」だのは若干行き過ぎたもの言いですが、90年代前後に全国で競うように建てられたミュージアム、いわゆるハコモノ施設が財政負担になっていることは、隠せない事実。中国含めたアジア圏の観光客激増に備えて、パネル展示の翻訳が不十分ということらしい。
学芸員に経営観念がない、客層を見積もっていない、といえばそれまでなのですが。
現場からは、そもそも日本の文科系学芸員は「雑芸員」と揶揄されるぐらい、本来の職分でない雑務が多すぎて、配慮ができないという声も。美術館学芸員で、英語どころか、独語、仏語、伊語に長けていて、自分でカタログを翻訳し、論文書ける人もいるでしょう。でも、さすがに中国語や韓国語となると、それ専門の分野を学んでいないと難しいのでは? 歴史系では古文書は解読できても、英語で論文発表したことない人すらいるかもそれない。文系博士号取得者だけど、日本語でしか執筆できない人だっている日本人の高学歴。そもそも、自然科学や社会学の概念と違って、歴史民俗や芸術文化は、その発祥の地の言語と結びついているもので、異国の言葉に置き換えて伝えるのは難しいものです。外大出た人が美術書を訳したりすると、とんでもない誤訳があったりしますから。
とはいえ、日本はミュージアム大国。
博物館法に則った登録博物館・美術館が900を超え、文学館や水族館など「博物館類似施設」を加えると6000近くも。狭い国土にこれだけのミュージアム、数だけとってみれば世界一。バブル末期にわんさか建設ブームだった地方の公立美術館には、地元画壇の大御所押しのけて、難解きわまる現代美術が顔を並べ、しばしば、地方議員たちに苦情が持ち込まれたのだとか。アートシーンを知る者にとっての重要人物であっても、一般人は知らない「傑作」が税金つかって展示される状況に歯噛みする人もいないではない。
美術品や文化遺産の価値をわかりやすく数字に置きかえて訴えるには、市場に流さねばなりません。ミュージアムに収蔵すること自体が、すでにして、経済の流れから遮断されてしまうことですから。数億円で購入した一枚の名画が、コスト回収できるには、さて、どれだけの観客を動員すればよろしいのでしょうか。おそらく、学芸員はそんな計算はしません。芸術品を商品だとは思っていないからです。彼らが願うことは、世に知られていない美の精髄を語ることだけ。
博物館や図書館などの文化施設を金食い虫だとして統廃合に乗り出した、旗振り役は思い起こせば、大阪府知事時代の橋本徹氏でした。将来的に見れば、減少していく人口に見合わないミュージアムの数々。ここ数年のあいまの震災で被害に遭った標本や収蔵品の修復、それに維持費が馬鹿にならないこと。遺産が生み出すものは崇高だけれども、それを支えるために痛みは分かち合えるでしょうか? 自分が払う税金、保育施設か介護施設か、博物館か、どこへ行き場がふさわしいかと言われたら、やはり趣味を声高に主張するのも気が引ける。
そもそも文化の支え手は、政財界の大物たちのはずでした。
開かれた作品ではなく、限られた者のための鑑賞と保護とを望んだのも、彼ら。ラスコーの洞窟で最初の絵画が生まれたのは祈願のため。エジプトの絵文字も、ミイラのきらびやかな装飾品も王侯貴族のため。時代が古いものほど残っているのは、特別なひとの暮らしや考えや嗜好が分かるものばかりです。文化は、そもそも大衆に開かれたもののためにできておらず、もし異国の文化を理解する旅人がいれば、彼らは世界共通言語たる英語ぐらいは理解しているだろう、というのが大学で教育を受けた教養ある人間の思い込みでした。
観光マインドがない、国や地方の経済発展のために学芸員が尽くしていないと攻撃する政治家も、さてはたして、どれだけ国民を豊かにするために努力してくれたのかと疑わざるを得ません。赤字のミュージアムが多いのは事実だろうけれど、だからといって、ギャンブル中毒を増やすようなカジノ誘致は大手を振って招いてよいものでしょうか。
多くの人目に触れすぎたことで保存状態が悪くなり、かつ、価値が捻じ曲げられてしまった文化財もあります。適切な知識をもった一部の人間が一時的に独占して研究しないと解明できない謎もあります。文化財を扱う人間が、金にならない無駄なことをしていると揶揄されるのは道理ですが、しかし、国を滅ぼす「癌」とまで弾劾されねばならない理由は、ことさらないように思えますが。
文化のほとんどは、人類の歩みのなかで必要悪というものばかり。文化は不要無用の癌ですが、心を癒す美しい腫れものであったりもするのです。ただ、社会保障の充実よりも、学問や芸術文化の振興に税金を使いだしたら、やはりそれは批難を免れないでしょうね。