神に生かされた人生!

日々の生活の中に出来事や、アフリエリトを紹介します。

避難呼びかけ犠牲 南三陸町職員の遠藤さんが教材に

2012-01-27 22:33:27 | 日記

http://youtu.be/M-neskB4FOc

避難呼び掛け犠牲 南三陸町職員の遠藤さんが教材に

河北新報 1月27日(金)6時10分配信
 宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった町職員遠藤未希さん=当時(24)=が埼玉県の公立学校で4月から使われる道徳の教材に載ることが26日、分かった。
 埼玉県教育局によると、教材は東日本大震災を受けて同県が独自に作成。公立の小中高約1250校で使われる。
 遠藤さんを紹介する文章は「天使の声」というタイトル。遠藤さんが上司の男性と一緒に「早く、早く、早く高台に逃げてください」などと必死で叫び続ける様子が描かれ、「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた」と語る町民の声を紹介している。
 教材ではほかにも、埼玉県深谷市出身で津波に流される車から市民を救出した釜石市の男性職員の話などが掲載される予定。
 同教育局生徒指導課の浅見哲也指導主事は「遠藤さんの使命感や責任感には素晴らしいものがある。人への思いやりや社会へ貢献する心を伝えたい」としている。
 遠藤さんの父清喜さん(57)は「娘が生きた証しになる」と話し、母美恵子さん(53)は「娘は自分より人のことを考える子だった。子どもたちにも思いやりの心や命の大切さが伝わればいい」と涙を流した。
 遠藤さんが防災無線で避難を呼び掛け続けた南三陸町の防災対策庁舎では、遠藤さんを含む町職員ら39人が犠牲となった。佐藤仁町長が津波被害の象徴として保存の意向を示したが、遺族の強い反発を受けて解体が決まっている。

◎「天使の声」教材の要旨

遠藤未希さんを紹介した教材の要旨は次の通り。
 天使の声
 誰にも気さくに接し、職場の仲間からは「未希さん」と慕われていた遠藤未希さん。その名には、未来に希望をもって生きてほしいと親の願いが込められていた。
 未希さんは、地元で就職を望む両親の思いをくみ、4年前に今の職場に就いた。(昨年)9月には結婚式を挙げる予定であった。
 突然、ドドーンという地響きとともに庁舎の天井が右に左に大きく揺れ始め、棚の書類が一斉に落ちた。
 「地震だ!」
 誰もが飛ばされまいと必死に机にしがみついた。かつて誰も経験したことのない強い揺れであった。未希さんは、「すぐ放送を」と思った。
 はやる気持ちを抑え、未希さんは2階にある放送室に駆け込んだ。防災対策庁舎の危機管理課で防災無線を担当していた。
 「大津波警報が発令されました。町民の皆さんは早く、早く高台に避難してください」。未希さんは、同僚の三浦さんと交代しながら祈る思いで放送をし続けた。
 地震が発生して20分、すでに屋上には30人ほどの職員が上がっていた。すると突然かん高い声がした。
 「潮が引き始めたぞぉー」
 午後3時15分、屋上から「津波が来たぞぉー」という叫び声が聞こえた。未希さんは両手でマイクを握りしめて立ち上がった。そして、必死の思いで言い続けた。「大きい津波がきています。早く、早く、早く高台に逃げてください。早く高台に逃げてください」。重なり合う2人の声が絶叫の声と変わっていた。
 津波はみるみるうちに黒くその姿を変え、グウォーンと不気味な音を立てながら、すさまじい勢いで防潮水門を軽々超えてきた。容赦なく町をのみ込んでいく。信じられない光景であった。
 未希さんをはじめ、職員は一斉に席を立ち、屋上に続く外階段を駆け上がった。その時、「きたぞぉー、絶対に手を離すな」という野太い声が聞こえてきた。津波は、庁舎の屋上をも一気に襲いかかってきた。それは一瞬の出来事であった。
 「おーい、大丈夫かぁー」「あぁー、あー…」。力のない声が聞こえた。30人ほどいた職員の数は、わずか10人であった。しかしそこに未希さんの姿は消えていた。
 それを伝え知った母親の美恵子さんは、いつ娘が帰ってきてもいいようにと未希さんの部屋を片づけ、待ち続けていた。
 未希さんの遺体が見つかったのは、それから43日目の4月23日のことであった。
 町民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いをした。
 5月4日、しめやかに葬儀が行われた。会場に駆けつけた町民は口々に「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた。あの放送がなければ今ごろは自分は生きていなかっただろう」と、涙を流しながら写真に手を合わせた。
 変わり果てた娘を前に両親は、無念さを押し殺しながら「生きていてほしかった。本当にご苦労様。ありがとう」とつぶやいた。
 出棺の時、雨も降っていないのに、西の空にひとすじの虹が出た。未希さんの声は「天使の声」として町民の心に深く刻まれている。
最終更新:1月27日(金)6時10分

意欲を引き出す教育とは   100歳、私の証

2012-01-24 23:06:11 | 日記
戦争中、小学生だった、現在75歳くらいの人は、「アメリカ人は、敵国として、教育されている。」なので、戦後、どんなにアメリカ人がお金持ちで、ちからがあっても、別にうらやましいとか思わず、日本人としてのプライドをもっていたようだ。
私は民生委員として、高齢者とお会いして、いろいろお話をする機会がある。
戦後生まれの私は、アメリカ人にたいして、うらやましいとか、ああなりたいとかのあこがれがあったものだ。
しかし、現在75歳くらいから、上の人は、別にそんな気持ちを持つこともなく、この戦後をのりきってきたようだ。
とても、大切な、事だと思う。
日本人として生まれ、今は、学校でも国家を歌ったり、日の丸を掲げたりする習慣がなくなっている。
私たちが、まだ、小学校のころは、祝日だと、家の前には、必ず、日の丸の旗がたなびいていた。
私の祖父は、いつも、国旗を掲げるときは、ほこらしげに、手順をふんで、国旗を玄関に掲げたものだ。
皆で、国旗をかって、祝日に玄関にかかげてみませんか。
我が家でも、まだ、日の丸は、かってありませんが。
国が亡びるかどうかの崖っぷちなのですから、本当の意味で、建国何千年の自分の国をまもりたいですね

戦前生まれは、「アメリカは、敵国」というイメージが、戦後を乗り切ってきた。

2012-01-21 22:45:39 | 日記

戦争中、小学生だった、現在75歳くらいの人は、「アメリカ人は、敵国として、教育されている。」なので、戦後、どんなにアメリカ人がお金持ちで、ちからがあっても、別にうらやましいとか思わず、日本人としてのプライドをもっていたようだ。
私は民生委員として、高齢者とお会いして、いろいろお話をする機会がある。
戦後生まれの私は、アメリカ人にたいして、うらやましいとか、ああなりたいとかのあこがれがあったものだ。
しかし、現在75歳くらいから、上の人は、別にそんな気持ちを持つこともなく、この戦後をのりきってきたようだ。
とても、大切な、事だと思う。
日本人として生まれ、今は、学校でも国家を歌ったり、日の丸を掲げたりする習慣がなくなっている。
私たちが、まだ、小学校のころは、祝日だと、家の前には、必ず、日の丸の旗がたなびいていた。
私の祖父は、いつも、国旗を掲げるときは、ほこらしげに、手順をふんで、国旗を玄関に掲げたものだ。
皆で、国旗をかって、祝日に玄関にかかげてみませんか。
我が家でも、まだ、日の丸は、かってありませんが。
国が亡びるかどうかの崖っぷちなのですから、本当の意味

不公平(ちから誌 ボヤキ牧師の甘辛説教)

2012-01-20 12:28:06 | 日記

神様は不幸平だとおもわれたことがありませんか。自分を他人と比較して悩んだり、失望したりしたりすることは意外に多いものです。

 神様を信じたら、なんでもうまくいくと思って信仰に入った人が、その逆であったというような話も聞きます。
人間というものはなかなか、自分の生活に満足ができず、いつも他人と比較して、落胆したり、不平をいったりしやすいものです。
 ほかの人が純風万班の生活をしているのを見て、率直に喜べない。不摂生な生活をしている人が、病気もせずに元気にすごしている。それに引き替え、まじめに生活をしている自分や家族が病気になったり、経済的に生き詰まったりしていると、神様に愚痴の一つもいいたくなるのがふつうではないでしょうか。
 聖書の詩編73編は、そのような人の為に特別な箇所だと思います。
「しかし、私自身は、この足がたわみそうです。私の歩みは、すベルばかりだった。それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者が栄えるのを見たからです。
 彼らの死には、苦痛がなく、彼らの体は、あぶらぎっているのだからだ。人々が苦労するとき、彼らはそうでなく、ほかの人のように打たれない。それ故、高慢がかれらの首飾りとなり、暴虐の着物が彼らを覆っている。
 見よ、悪者とは、このようなものだ。彼らはいつまでも安らかで、富を増している。確かに私は、むなしく心を清め、手を洗って、きよくしたのだ。
 私は一日中うたれどうしで、朝ごとに責められた。
 私は、これを知ろうと思いめぐらしたが、それは、私の目には苦役であった。私は、神の聖上に入り、ついに彼らの最後を悟った。」
 この詩編を書いた人はアサフという人ですが、神様を信じて生きる自分に不幸が訪れ、自分勝手な生き方している人が健康で豊かなせいかつをしているとはどういうことだろうと疑問を持ちました。
 アサフは目の前の事だけを見て、人々が栄えているのをうらやましく思い、自分を見て、がっかりしていたのです。
神様は、アサフの目を物事の終わりに向けさせてくださいました。その結果、アサフは神様に従って生きる生き方が決して無意味なことではないことに気が付きました。え
 神様と共に生きることは、神様の目で物事を見ることです。
神様と共に生きるという事は、神様のお考えで物事を考え、行動することです。
 いつも、隣人と比べて生きているのは不愉快なものです。
神様と共に生きる事で、隣人との比較や、不平不満から解放され、毎日を充実して過ごすことができるのです

引きこもりからの脱出

2012-01-20 12:22:32 | 日記
引きこもってしまった、子供は、今27さいになった。
 
最初は、どうしてこうなったのだと、思い悩んだ。
 
しかし、どんな状態になったとしても、同じ家にいて、ドアひとつで、彼女のいる部屋がある。
 
そのドアの外から「大好きだよ。史子は宝物だよ「」と何回も声掛けした。
 
引きこもりの相談にいった。
 
「必ず、動き始めるときがあります。エネルギーをためているのです。まってあげましょう。」
 
と言われた。
 
毎日祈った。どうぞ、史子に今、親として、何ができるか、教えてください。
 
聖書の御言葉があたえられる。
 
何事も思い煩うな。あなたのなすことを主にゆだねよ。主に信頼せよ。主がなしとげてくださる。
 
今まで、この御言葉にささえられる。不安がくると、この御言葉に立った。
 
今年の1月4日。突然、私がいる居間に史子が入ってきた。
 
2年前から、コミュニュケーションは、メモで、お互いに伝えあっていた。
 
あんな、親と顔をあわせるのを、嫌がっていた子供が、震えながら言った。
 
「日本っていい国だったんだね。この国が壊されるかもしれない。tppの参加で、製造業がつぶれる。」
 
前にきいたことがある。
 
史子は自分の事がすきですか。
 
私は自分のことが大好きだよ。
 
これからの、将来について、引きこもっていても、インターネットから情報がはいってきて、心配がおしよせてくる
 
ようだ。