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【御父】東日本大震災から4年/ 復興の道半ばで急逝 米軍の教会奉仕リーダー
2015-03-13 10:44:08 | 今日の御言葉
▼涙見せず生きていく 2015.3.12
子供たちよ、
わたしがあなたがたに書いているのは、
あなたがたが御父を
知っているからである。
わたしがあなたがたに書いているのは、
あなたがたが御父を
知っているからである。
父たちよ、
わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが、
初めから存在なさる方を
知っているからである。
若者たちよ、
わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが強く、
神の言葉が
あなたがたの内にいつもあり、
あなたがたがあなたがたの内にいつもあり、
悪い者に打ち勝ったからである。
ヨハネの手紙一/ 02章 14節
新約聖書 新共同訳
天下後世、必ず私の志を継いで、
これをなし遂げてくれる人があろう。天下後世、必ず私の志を継いで、
これこそ、聖人の志と学問である。
自分の栄誉恥辱、困窮栄達、
悪口や褒め言葉や得失などは、
全て天命である。
私が問題とするところではない。
(吉田松陰 『講孟余話』巻の一)
先づ一心を正し、人倫の重きを思い、
皇国の尊きを思い、夷秋の禍を思い、
事に就き類に触れ、相共に切磋講究し、
死に至る迄まで他念なく、
片言隻語も是れを離るることなくんば、
縦令ひ(たとひ)幽囚に死すと雖も、
天下後世、必ず吾が
志を継ぎ成す者あらん。悪口や褒め言葉や得失などは、
全て天命である。
私が問題とするところではない。
(吉田松陰 『講孟余話』巻の一)
先づ一心を正し、人倫の重きを思い、
皇国の尊きを思い、夷秋の禍を思い、
事に就き類に触れ、相共に切磋講究し、
死に至る迄まで他念なく、
片言隻語も是れを離るることなくんば、
縦令ひ(たとひ)幽囚に死すと雖も、
天下後世、必ず吾が
是れ、聖人の志と学となり。
其の他の栄辱窮達、
毀誉得喪に至りては、
命のみ、天のみ、
吾(わ)が顧りみる所に非ざるなり。
(吉田松陰 『講孟余話』巻の一)
★【3・11特集】其の他の栄辱窮達、
毀誉得喪に至りては、
命のみ、天のみ、
吾(わ)が顧りみる所に非ざるなり。
(吉田松陰 『講孟余話』巻の一)
震災から4年、岩手の教会から見た変化と課題 大塚史明 : 教会
◆クリスチャントゥデイ 2015年3月11日>
はじめに
「あの日」から丸4年となる2015年3月11日。あの日、被災地では地の根幹が揺らされると同時に、それまで築き上げてきた人々の生活や、描いていた将来をも揺るがし、愛する家族や友、家や財産といったかけがえのない宝が根こそぎ奪われていった。三陸の人々は、震災から今日に至るまで痛みを抱えつつも、その地に住み続けている。岩手の教会は、震災直後から県外、国内外の教会や宣教団体、個人を通して多大な支援をいただき、今に至るまで活動を続けている。この機会に、支援を通して見てきた岩手のこれまでの変化と、これからの課題について共有させていただきたい。
4年間での変化
1. 人々の変化
▲在宅避難地区の人々への訪問と御用聞き、配達をするボランティア1. 人々の変化
家が被災した人の大半は避難所、仮設住宅での生活を経験している。仮設住宅は今も現在進行形で、復興住宅に移り住んだ人、自力再建した人は全体の10%にも満たない。また被災した家を修繕しながら住まう在宅避難者も多くいる。被災地での教会の働きは戸別訪問をし、必要に応えることから始められた。ボランティアが週替りで活動するが、あいさつは「教会から来ました」「クリスチャンです」と言うにとどめ、あとはひたすら被災者の話を伺うことに終始した。
そのうち、人々の方からお茶や食事をしていかないかと家の中へ迎えてくれるようになり、あるお宅はボランティアの宿泊場ともなっている。震災によって、三陸の人々は日常的にクリスチャンと関わる時間が増えている。またその関係も継続的なもので、今は集会、訪問、病院や買い物への付き添い、子どもの学習や受験勉強の手伝いなど、多岐にわたって密接な時間を過ごすようになっている。
▲被災した旅館の台所用品を洗う、各地から集まったボランティア
2. 福音への関心、応答の変化
活動を通して、三陸の人々は「なぜ、毎回来てくれるの?」「クリスチャンって何を信じているの?」「私も教会に行ってもいいの?」と福音への関心を持つように変化してきた。この変化の現れは、聖書や文書のみの伝道ではなく、顔と顔を合わせ、共に時間を過ごすことによって寄り添い、仕える姿勢が一つの大きな要因となっている。
3. 教会自身の変化
私自身は岩手の内陸部、盛岡市で開拓教会の牧師をしているが、震災前まで同じ岩手県であっても沿岸部を訪れることは観光以外では皆無であり、まして宣教地として見ることはなかった。それが、震災以来、三陸での宣教を具体的に考え、活動し、ビジョンを抱くようになった。震災は、宣教の姿勢や視点において、教会自身に大きな変化をもたらした。また、教団・教派、国内外の枠を超えて、教会が宣教のために互いに協力する、という実際の変化をもたらした。
▲学童クラブ支援の一コマ。被災後、特に子どもたちには、一緒に遊んでくれる、安心して飛びつける大人の存在が必要だった。3. 教会自身の変化
私自身は岩手の内陸部、盛岡市で開拓教会の牧師をしているが、震災前まで同じ岩手県であっても沿岸部を訪れることは観光以外では皆無であり、まして宣教地として見ることはなかった。それが、震災以来、三陸での宣教を具体的に考え、活動し、ビジョンを抱くようになった。震災は、宣教の姿勢や視点において、教会自身に大きな変化をもたらした。また、教団・教派、国内外の枠を超えて、教会が宣教のために互いに協力する、という実際の変化をもたらした。
未解決の課題
1. 住環境、過疎地での将来図、孤独死
被災地で仮設住宅が完全になくなるのには、あと4年かかる見通しだ。復興住宅の建設が進んでいるが、その計画段階でも土地売買や道路計画など、住民の理解や一致を得るためには困難なハードルが立ちはだかっている。また、完成する復興住宅は鉄筋10階建てのマンションなど、それまで住み慣れた町の趣をなくすものともなっており、人々はそれについても寂しさを覚えている。
とかく、仮設住宅は近隣の物音や生活の様子が筒抜けで、精神的な負担も大きいと同時に、運動不足になるなど身体的な問題も数多く指摘されている。生活の基盤を失い、良い将来図を描けない人々の中には、持病のケアを怠り、アルコールやギャンブルに依存する人も少なくない。また、仮設住宅に住む高齢者の孤独死も後を絶たない。そういった人々と出会い、支え続ける息の長い働きが求められている。1. 住環境、過疎地での将来図、孤独死
被災地で仮設住宅が完全になくなるのには、あと4年かかる見通しだ。復興住宅の建設が進んでいるが、その計画段階でも土地売買や道路計画など、住民の理解や一致を得るためには困難なハードルが立ちはだかっている。また、完成する復興住宅は鉄筋10階建てのマンションなど、それまで住み慣れた町の趣をなくすものともなっており、人々はそれについても寂しさを覚えている。
2. 震災前からの課題がのしかかっている
また、被災地で人と関わることで顕著なのは、人々の抱えている問題は震災そのものがもたらしたものではなく、それ以前からの問題であるということだ。たとえば、夫婦や家族間など人間関係の問題、借金、持病、進学や職探し、将来設計に関する悩みなどである。それらに解決の光をもたらすのは、福音であり、全ての人々に神との出会いが必要である。
結び
主イエスは、ご自身のからだである教会をこの地上に立てられた。人々の問題に必要なのは福音であり、真の解決をもたらすのは地域教会である。岩手三陸は明治初期から、ニコライをはじめ、ロシア正教が着実な宣教を続け、その実を結んでいった土地でもある。また、これまで海外から来た多くの宣教師が土地を耕し、種まきをし、そして日本の教会も宣教に励んでいる地である。その三陸の宣教を、震災の経験を通して教えられた包括的な福音と教会同士の良い協力関係のもと、地道に続けていくことが大切だと考える。また、被災地で人と関わることで顕著なのは、人々の抱えている問題は震災そのものがもたらしたものではなく、それ以前からの問題であるということだ。たとえば、夫婦や家族間など人間関係の問題、借金、持病、進学や職探し、将来設計に関する悩みなどである。それらに解決の光をもたらすのは、福音であり、全ての人々に神との出会いが必要である。
結び
(文・大塚史明=盛岡みなみ教会牧師、3・11いわて教会ネットワーク)
★復興の道半ばで急逝 米軍の教会奉仕リーダー
◆河北新報オンラインニュース 2015年3月8日
▲ジェームズさんの思い出を語り合う、木村さん(右端)とストレイカーさん(左から2番目)ら石巻クリスチャンセンターの関係者=2月24日、石巻市渡波
東日本大震災で被災した石巻市に、神奈川県の米軍座間基地からボランティアで支援に訪れていたジェームズ・コーネリアスセンさんが昨年12月、41歳の若さで急逝した。基地内の教会奉仕リーダーだった。被災地再生に力を注いだその存在は、キリスト教関係者にとどまらず、石巻の人々の心に刻まれている。
石巻を支援に訪れるキリスト教関係者の活動の拠点、渡波地区の「石巻クリスチャンセンター」で、センターのスタッフらと被災した住民が、ジェームズさんの思い出を語り合う。
「情が厚くてとても思いやりがある方だった。再生を願い行動する志の半ばで、さぞ無念だっただろう」。被災者の木村信子さん(55)が、早過ぎる死を惜しんだ。津波の跡に残った陶器のかけらなどでアクセサリーを作る活動を通じて知り合った。
木村さんはクリスチャンではない。同じ人として、自然体で心は通い合っていたという。
ジェームズさんは座間基地の知人や家族を十数人から20人ほど率いて、震災後約15回石巻を訪ねた。毎回1週間ぐらい滞在し、がれき撤去やカキの殻むきの手伝いをした。石巻を支援に訪れるキリスト教関係者の活動の拠点、渡波地区の「石巻クリスチャンセンター」で、センターのスタッフらと被災した住民が、ジェームズさんの思い出を語り合う。
「情が厚くてとても思いやりがある方だった。再生を願い行動する志の半ばで、さぞ無念だっただろう」。被災者の木村信子さん(55)が、早過ぎる死を惜しんだ。津波の跡に残った陶器のかけらなどでアクセサリーを作る活動を通じて知り合った。
木村さんはクリスチャンではない。同じ人として、自然体で心は通い合っていたという。
若い米国人には、被災地の痛みをいつもしっかりと伝えようとした。昨年12月15日、基地内で散歩中に体調が悪くなって倒れ、帰らぬ人となった。原因ははっきりしないが、病死だった。
「彼の心の中には、常に石巻があった」と語るのは、震災後に米国人の夫と石巻に移り住んで支援に取り組むクリスチャンのストレイカー慶子さん(39)。
「クリスチャンセンターのスタッフにも細かく目配りしてくれた」と振り返る。
ストレイカーさんは旧約聖書の一節を思う。「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」。石巻に情愛をささげたジェームズさんの死も「その時」だったのか-。思いをかみしめ、志を受け継ぎ再生を後押しする決意を新たにする。「彼の心の中には、常に石巻があった」と語るのは、震災後に米国人の夫と石巻に移り住んで支援に取り組むクリスチャンのストレイカー慶子さん(39)。
「クリスチャンセンターのスタッフにも細かく目配りしてくれた」と振り返る。
(2015年03月08日日曜日)
★大震災4年:米NYで追悼式典 400人が参加 - 毎日新聞
◆毎日新聞 2015年03月09日 11時00分
▲東日本大震災の追悼式典でピアノを演奏する音楽家の秦万里子さん(中央)と合唱団=米ニューヨーク市内の教会で8日、草野和彦撮影
【ニューヨーク草野和彦】東日本大震災から4年となるのを前に、米ニューヨーク市内の教会で8日、追悼式典が催された。在留邦人らで組織する支援グループが毎年開いており、約400人が参加。ビデオレターなどで被災者の復興への取り組みや心の苦しみを知り、支援への思いを新たにした。
式典でスピーチした宮城県塩釜市の主婦、高橋匡美(きょうみ)さん(49)は、同県石巻市の実家が津波に襲われ、両親を亡くした喪失感から「何度も死のうと考えた」という。だが今では、「はいつくばってでも生きていかねばならないと思っている」と語り、大きな拍手を受けていた。
主催者代表のシンガー・ソングライター、AK(アケミ・カキハラ)さんは被災地訪問の経験を踏まえ、「遠く離れたニューヨークから『忘れていない』というメッセージを伝えたい。それが被災者の心の支えになっている」とあいさつした。
ピアノを弾きながら歌う人気音楽家、秦万里子さんは、合唱団と共に日本から参加。海外からの支援に感謝する歌「HEROES 2011,JAPAN」を披露した。式典でスピーチした宮城県塩釜市の主婦、高橋匡美(きょうみ)さん(49)は、同県石巻市の実家が津波に襲われ、両親を亡くした喪失感から「何度も死のうと考えた」という。だが今では、「はいつくばってでも生きていかねばならないと思っている」と語り、大きな拍手を受けていた。
主催者代表のシンガー・ソングライター、AK(アケミ・カキハラ)さんは被災地訪問の経験を踏まえ、「遠く離れたニューヨークから『忘れていない』というメッセージを伝えたい。それが被災者の心の支えになっている」とあいさつした。
(最終更新 03月09日 11時05分)