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米最高裁判事公聴会の感想

2018年09月28日 | 日記

35年前の性的暴行告発をした女性と告発された判事の公聴会
多くの人が視聴したのではないだろうか。

そして大方の感想はデイリーメールのピアス・モーガンの記事のようなものでは
ないだろうか。ここ

女性フォード氏の証言を終えた段階で、多分、彼女の証言は信用できると
思ったのではないだろうか。
私はそう思った。これで決まり?

カバノー判事はいずれにしても否認するしかない。
どうなるのだろうと?

終えた瞬間に「生き残った」ようだと感じた。
即トランプのツイッターをみた。

  
多分トランプも安心したのではないだろうか。

ただ、問題は両者の主張が両立することはないので、どちらかが嘘を言っていることになる。
意識しているかどうかは別にして。
女性の場合、噓発見器のテストも受けたということだが、だからと言って真実でないとは
限らない。本人が思い込んでいることがあるからだ。
男性の場合は、思い違いということはないように思うので、うまくだましたかどうかという
ことになる。
が、こういうことは普段の生活に現れるものである。たとえばビル・クリントンのように。
クリントンの場合は、公然の秘密のようなものという。
ガバノー判事にはそのような噂は出ていない?

真実は神のみぞ知るである。

ただ、そうなると、どう投票するかである。
これ以上引き伸ばす理由はない。金曜日に採決予定という。
結局は、その政治的信条(政治の場であるから)あるいは本人の良心に従うことになる。
スッキリしないが割り切るしかない。

 

そうなると、両者ともに傷がついた。おそらく回復しがたいと思う。
ここまでする必要があったのかである。
政治的に利用されたことは事実のようである。

そうすると、根本に遡って、そもそもかかる手続きが相応しいかどうかである。
議員(委員)の質問を聞くと、質問などではなく、いずれも自己の政治的主張、
政治的アピールでしかないことは見え見えである。
民主党トップのファインステイン氏の何か月も寝かしてあったことについての
弁解も白々しい。
しかし、そういうことがあったことでカバノー判事の証言の信用性にプラスになった
ようにも思う。
政治家には茶番のようでもある。政治ショーである。

 

それにしても性犯罪専門の元検察官の役割って何だったんですかね。
公聴会は良くも悪くも政治ショーである。
やはり政治家に任せた方が良かった可能性はある。
(カバノー判事の質問も彼女がする予定だったらしい・・政治家が乗っ取ったようだ
が正解だった。最後のまとめの質問も良くできていた)
政治家にとっては自らの政治生命がかかる死活の問題なので、フォード氏についても
うまく質問出来ていた可能性はある。

世紀の政治ショー?

さて、どのような裁決になるのか?