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河野外相、拉致問題を韓国外相に訴え?

2018年04月12日 | 日記

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こういうニュースを見るたびに、失望する。
南北朝鮮も米北も、関心は北の核のはず。
拉致問題は残念だが、テーブルにはないと見るべき。
本題の核について、解決の選択肢が色々あるはず。
会談の成り行きによって取捨選択することになるはず。
合格ラインを突破できるかどうか、多分今のところ見通しが立っていないと思う。
何らかの成果が得られるかどうかさえ不透明である。

そのような会談にメインテーブルにはないテーマを取り上げることができるかどうか、考えてみるとよい。特に、一方当事者が認めていないことを。
恐らく、両当事者ともに知力の限りを尽くすと思う。何らかの合意に達するときには(達したとして)恐らく疲労困憊のはず。

では、どういう場合なら、可能かを考えてみることだ。
多分、拉致問題を何としても解決したいと思う関係者の同席ではないか。
つまり、言い出しっぺである。
会談や話合いは生き物である。緊張しきった後の弛緩状態の時には、何が起こるかわからないからだ。
こういう場合は一気呵成に進めることである。
決まった後の手続きを即提示できることである。あらゆる場合を想定しておく必要がある。

それでも、実際は、難しい。なぜなら、まず、相手が行動を起こさない限り、動かないからだ。
では、相手が行動を起こす何か誘因を与えられるかである。
それも考えておく必要がある。
すべて、無駄になる覚悟でである。

それでも可能性はないに等しい。

・・・・・・

それでも外相のように訴えだけはしておく。それしかないのだから。そして、北朝鮮の核問題に展望が見えてくると、拉致問題にも明るさが見えてこないとも限らない。
絶対に見捨てはしないことを示すために。
それは理解できるし、必要とは思う。
ただ、国家としては、最悪に備える必要がある。
憲法改正に真剣に取り組むことだ。自国民は自国の力で護る覚悟をすることである。