肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

外泊説明と外泊

2011-12-30 22:18:52 | ホスピス

昨日は結局、父からの電話で母が帰ってくる夕飯を一緒に食べる為に買い物に行く事ホスピスには行けませんでした。
でも母のリクエストは美味しいステーキと美味しいスープでした。
デパートに行って一番美味しい物を買ってきてくれと父に言われ実家に届けた後に家に帰りおせちの用意です。

今日になり父を迎えに行って母の元に向かいました。
外泊の説明を先生からお話があるからと父から水曜の午後にと電話を貰ったのですが私は夫の母と
息子とのクリスマスのプレゼントと食事が毎年の恒例であった為に行けませんでした。
その為に先生からは直接お話しが聞けなくて本当に気になっていました。
その前の日も行けなくて2日会えなかったのです。

今日、父と車の中で話して聞いたのは私が行けなかった一昨日に母は歩けなくてフラフラしていたそうです。
お昼になったらいつもは歩けるはずですがその日は無理だったようで母も気になっていたみたいです。
先生は父からその話を聞いていて心配をしていた様で外泊説明の時にちょっと気になる言い方をしました。
今の落ち着いたうちに家に帰った方が良いような言い方をしたそうです。
そしてこのふらつきは筋力からの物では無く脳からの転移による物の方が強い様なので余り無理をして歩かせる事は
しない方が良いと言ったそうです。
母は次の日には歩けたそうで父は昨日のフラフラの話をしたから先生がそう言ったのだと思ったようです。

でも今日、2日ぶりに会った母を見て私は今まで楽観的に考えていたのかもしれないと思いました。
ふらつきは酷くすぐ近くにあるエレベーターに行くまでも膝が曲がって伸びきれず普通には歩けません。
たまにガクッと膝から力が抜けてしまいます。
ベットで座っていても足が絡まっていて立つ時もそのままで立とうとするので立てません。
リハビリの先生にも足を開いて立たないと立ち上がれないのだと教えて貰ったのですがなかなか頭で考えるのとは
違い思うように下半身が動かないので足組みをした様に足首の辺りで絡まっているので立てません。
それでも頑張って立ったり歩こうとする母の姿とその母を両手で支えて歩く父を見ると胸の中が苦しくなりました。
私は沢山の荷物を持つ事しか出来ないで居るんだというむなしさと無力さと母は実は悪くなっているのかもという思いで
苦しく空っぽな感じがしました。
その時に父から聞いた先生の元気なうちに家に。。の言葉がぐるぐると頭の中をめぐっていました。

母を実家に送り一度おせちを作りに家に戻りました。
夕方にもう一度家族で実家に行きました。
珍しく兄も居て叔母も呼びうちも家族三人でしたので一年に一度位の確率での集まりでした。
美味しいステーキを奮発してくれたおかげで皆もですが母も完食でご飯もおかわりしました。
皆がびっくりする位に食べてくれて楽しい食事になりました。
あぁ、こんな楽しい食事の時間が全員が集まってまた食べれればどんなに楽しい事か。
残念ながら兄はお正月から仕事でお休みは4日です。
母は4日に戻ってしまいます。
だから今日が今年で初めて全員が集まったのでした。
なのに料理の準備や楽しさで写真もビデオも撮り忘れてしまいがっかりです。
ただ父の写真好きがあったので後日に写真を貰って楽しむつもりです。
せめてお正月は絶対に忘れない様にビデオは持ってお祝に行きたいです。
多分、母の笑顔が見れるお正月はその時だけかもしれませんから。

母の前でも先生はなんとでもなるし、するからねとずっと励ましてくれていました。
でも父からの話を聞いてしまったので実は余命を考えずにはいられなくなりました。
すっかり忘れていた自分にも呆れますが余りに現実と向き合うには辛すぎて素知らぬふりをしてしまいます。
久しぶりにあった夫は何も言わなかったですが変わった母の姿を見て何か感じたとは思います。
私がその話を振ると夫は思ったより元気で安心したよと言っていましたがちゃきちゃきと動き周って居た姿を
知っているので本心では無かったのかもしれませんね。
私は夫の父とは折り合いがとても悪いので夫には感謝しています。

お正月に兄はいませんが話をしてプレゼントを用意する事になりました。
兄は父にスニーカーを私は母にパジャマを用意しています。
元旦には叔母がくるのでその前で渡すのは悪いので31日に野菜を届けるのと同時に兄と渡す予定にしました。
叔母には感謝を込めて改めて何か用意をする予定です。
お正月にはビデオと写真を忘れずに記憶と記念を残さないと!!