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肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

イレッサ治療開始

2011-09-21 15:50:18 | 今までの経緯

網膜剥離で入院して2週間。
毎日、診察を受けて10日で安定し3カ月で固定して6カ月で安心出来るそうです。
月に一度診て貰い2,3種類の目薬の毎日でしたが今は1種類になりました。

12月初めに受けていたMRIの結果で脳の転移が見つかりました。
その時に母はまだ入院していて代理で結果を聞きに行ったのに伝える事が私には出来ませんでした。
その為に先生から父に話して貰う事にし父は母に病室で伝えたのです。
私は家に帰っていましたので様子は分かりませんでしたが相当ショックだったと思います。
父はその日病院に泊っていました。
個室の部屋は心細くなったと思います。

退院してすぐにがんの方で治療が始まるので病院にまた入院。
肺がんが発見された時にCEAは500ほどありました。
抗がん剤の点滴は余り効いていなかった様で数値は600超えになりました。
転移のせいで上がったようです。

12月22日からイレッサを飲み2週間の入院です。
1週間目には副作用なし、レントゲン採血で異常が無かったのでお正月は家に2泊3日で帰宅しました。
お正月はみんなで揃えて良かったのですが母はまだ斜め下までしか見てはいけなくて不自由そうでした。
その後は一カ月に1度の診察になりました。
イレッサの遺伝子変異があったので効き目に期待を持って治療にむかいました。

メンタルの診察日

2011-09-20 17:33:35 | 今までの経緯

今日は母のメンタルの診察日でした。
2.3か月前から不安で眠れず食べれずマイナスな事ばかり考えていて
生きていたってみんなの迷惑にると言ったりしていました。
その為にがんの担当医に安定剤をお願いしていたのですが余り良くならず
つい2週間前に専門のクリニックを紹介して頂きました。
とても優しい先生でいつも診察が終わると目を真っ赤にして出てきます。
いっぱい話を聞いて貰え温かく関わってくれるようです。
がんの方は私も同席するのですがメンタルの方は私が居ると話づらい事も
あるかもしれないと思い外で待っています。
今はかなり変わってきたと思います。
レスリンやデパス、他にも2種類ほど毎週量を調節しながら飲んでいます。
診察室から出てくる安心した母の顔は本当にうれしいです。

突然の網膜剥離

2011-09-19 20:12:04 | 今までの経緯

点滴治療が終わり3カ月ほどの休薬期間がありました。
不安でしたが何も治療が出来ませんので仕方無く過ごしていたのですが
12月4日にお休みだったので子供とたまにはランチでも食べに行こうと歩いている時に母に電話しました。
すると、駅前の眼科に居るとの事。
じゃぁ今から行くから終わったら出かけましょうって迎えにいきました。
視界に黒い影が見えるらしく診察に行った様ですがすぐに違う病院に行って診て貰って下さいと言われ
そのまま電車に一緒に乗りました。
次の病院も眼科専門でしたがもの凄く混んでいて2.3時間待ったかも。。
診察の結果、今度は大学病院に紹介されました。
とにかく急ぎだそうで次の日に受診。
結果は網膜剥離でした。その日に入院を言われすぐに手術をしないと視力がなくなるそうです。
家族に緊張が走りました。
あぁ、なんでこんな事に。多分みんなそう思ったと思います。がんになって心安らぐ事がなかったのに
また違う病気。
でもとても有名な先生らしく手術は沢山の予約でいっぱいらしく緊急で入れられた母の手術は
夜中だったらしですが安心して手術を受けました。
が、網膜剥離の術後とはとても大変でした。
2週間はずっとうつ伏せでいないといけませんし立ったとしても真下しか見てはいけません。
横向きで寝てもいけなかったのでストレスがたまったと思います。
歩くのは手すりが無いと無理で病棟では床に色の付いたラインがあり行き先が示してあります。
まっすぐも見れないのは本当に苦痛でしょうし目薬も何種類もあり2時間おきなど尋常ではないスケジュールです。
数日すると看護婦さんがしてくれていた目薬も自分で慣れるようにとしてくれません。
勿論、片目ですので距離感など無く何度やっても目では無い所に目薬が落ちてしまいます。
真っ暗闇の様な毎日の視界、うつ伏せの毎日で母の気持ちはどんどん落ちて行きました。
最上階にある病棟も見えない目にはただ苦痛にしかなりませんでした。
一人ぼっちの病室は以前に抗がん剤で入院していた仲間の様な語り合う人もいません。
多分、一人で辛い夜を2週間過ごしていたのかと思います。

初めての治療

2011-09-17 21:17:52 | 今までの経緯

母の治療が始まるまでに検査など色々あり結局2カ月弱掛かったかもしれないです。
ゴールデンウィークが入ったりで気持ちにかなり焦りがありました。
ファーストラインとして選ばれたのは放射線とシスプラチンとビノレルビンの点滴でした。
それを4クールです。
母の場合の副作用はもともと低めの白血球がかなり減った事。
勿論、気持ち悪くもなったし多少の脱毛、食欲もなくなったしで大変でした。
豆腐やゼリーやフルーツ、スープなどを好んでいました。
その為に1クールは残念ながら出来ませんでした。
それでも周りの方も同じ病気が多く励ましあったり経験談を話したりと少しは気晴らしが出来たと思います。
たまに週末に白血球が増えると外泊を許されました。
近くのスーパーには車で待っていたりマスクをして早めに済ましたりと人混みは細心の注意をしていて
買い物など好きな母は辛かったと思います。
そして9月末にファーストラインが済みました。

肺がんを知るきっかけ

2011-09-16 10:11:53 | 今までの経緯

もう何年も前から、多分5.6年前からドライマウスになり色々な所に治療しに行き
最後は大学病院でもしたが結果は治らず。。
その後は痰などが喉に残る様になり先生には鼻から口に行かず喉に流れる為に違和感があるようになりました。
去年の2月頃から風邪っぽくだるくなかなか治らず4月に血痰が出て再び病院に。
試しにレントゲンでも撮る?と言われ10年ぶり位に撮ったそうです。
その結果は肺の右上辺りに影があり大きい病院で細かく検査。
肺腺がん、縦隔に転移あり手術は不可能。
ステージは3a。
仕事をしていてその頃は検診をしていて定年になってからは地域の検診をキチンとしていました。
でも肺だけはしていなかったそうです。
本当に後悔とショックだったと思います。
私もたばこも吸わず健康に気を使っていた母が肺がんになるとは思ってもいませんでした。
なってから女性もすごくなりやすいのだと聞きびっくりしたのを覚えています。
知っていたら検診していたのに。。知っていたら検診勧めていたのに。。
本当に現実の事なのか分からなくなりました。