鳥居をくぐって石段を登る。
いつもの癖で石段の数を数え始めてしまう。
まず60段。
扁額には〈妙見尊〉となっているので、以後この名称を使用する。
平らな場所に出ると少し先にまた石段がある。
その手前には鳥居がふたつ。
最初の鳥居は両脇にコンクリートの柱が立ち、
それを繋ぐように鉄のパイプが通されている。
パイプには縄がかけられ
先端に結び目のある細い縄がいくつも垂れ下がる。
同じように吊り下げられた木札には
廣目天王、増長天王、持国天王、
多聞天王の四天王の文字。
次の鳥居の扁額には中央に〈北辰妙見尊〉の文字。
それを取り囲むように亀と龍がもつれ合った姿。
亀は妙見神が乗る想像上の神獣〈玄武〉だろう。
この地方に残された話としては、
妙見神は妙見山頂に〈青龍〉に乗って現れたとある。
妙見神が乗るのは〈玄武〉ではなかったろうか?
とすると、鳥居の扁額に描かれているのは
玄武と青龍ということか?
鳥居の左の社には布袋と福禄寿が祀られる。
その横の二十三夜塔の前に置かれているのは、
縄で作られた蛇(龍のように見える)の頭である。
これは妙見尊で毎年8月7日に行われている
〈蛇より〉の萱でよられた蛇の頭部。
100m以上ある身体は、
この先の石段に沿って置かれている。
蛇の身体は石段のへりを延びていく。
石段の途中にあった稲荷社。干からびた餠が備えられているが、祭られているのはなんだろうか。
妙見寺が文政5(1822)年に刊行した〈北辰妙見尊略縁記〉には次のように記されている。
〈寛文二年の春、諸国に疫病が流行した折、妙見宮の神木に大注連を張って北辰四天を祭り、また茅で三百間に及ぶ大蛇の如き大綱をつくって郷境の道の傍に置き、村内への疫病侵入を防いだことに始まり、一時中止の時期もあったが再開後は毎年茅の大蛇をつくって疫病を防ぐ祈願を行った〉
萱(略縁記では茅)の刈り取りを行うのは
北斗七星になぞらえた旧村民の7人。
萱を刈るのは旧村民の7人。以下の写真はこの行事を紹介する妙見寺他のHPより。
この萱を、奉賛会会員が集まって
長さ100から150m程の大蛇の形に撚り上げ、
妙見尊下の鳥居から石段に沿って安置する。
より上げられた蛇の頭部。
1822年に始まったこの行事は、
一時途絶えたものの、現在まで続いている。
〈続く〉