今日の夕刊にはももえいづみさん(クリエーター)の快適くらし予報というコラムが掲載されています。その中でなるほどと思ったのは「文章を上達する一番の早道は、上手だな、すてきだなと思う一流の人の文章を、ただそのまま何度も書き写すこと」だとか。これは文章にも限らないようで、日本の美術館では認められていないけど、ルーブルとかでは美術館内で模写をすることが許されているとか聞きます。巨匠のタッチ、色の出し具合を美術本からではなく、本物の絵より勉強するのは絵画を極める一番の早道のようですし、芸術に限らず太平洋戦争では不時着したゼロ戦をアメリカ側では徹底分析したとか、日本の電気製品、工業製品も欧米の真似から始まったと言うしね。
ちょっと、横道に逸れたので元に戻すけど、書く修行としてはお経を写す、写経があります。そして詩の場合はどうだろうか?上手だな、素敵だなと思う(コラムによるとここが肝心なようです)著名な詩人の詩を徹底的に真似してみる。もしくは、この詩人だったら、こう表現するだろうなと咀嚼して詩を書いてみる。そんなことは基本というか、自分のスタイルを確立する、見直してみるには必要な手順からも知れません。
ももえいづみさんのコラムでは「楽しい文章を選んで書き写す」行為の効能について詳しくは言及はしていないのだけど、写す(真似する)ことは、心を映す、心を移すに繋がっていくようです。
ちょっと、横道に逸れたので元に戻すけど、書く修行としてはお経を写す、写経があります。そして詩の場合はどうだろうか?上手だな、素敵だなと思う(コラムによるとここが肝心なようです)著名な詩人の詩を徹底的に真似してみる。もしくは、この詩人だったら、こう表現するだろうなと咀嚼して詩を書いてみる。そんなことは基本というか、自分のスタイルを確立する、見直してみるには必要な手順からも知れません。
ももえいづみさんのコラムでは「楽しい文章を選んで書き写す」行為の効能について詳しくは言及はしていないのだけど、写す(真似する)ことは、心を映す、心を移すに繋がっていくようです。