ふしょうなブログ

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八重洲朗読会

2005年11月24日 22時05分34秒 | 日記のようなもの
  今日は八重洲ブックセンター本店8階ギャラリーで開催された「第9回・八重洲朗読会」に参加してきました(聴いてきましたかな(^^))
  この会の主催はNPO日本朗読文化協会(名誉会長 瀬戸内寂聴さん)で、八重洲ブックセンター協賛により行われているものだそうです。
  8階ギャラリーの設けられた簡単なステージと並べられたパイプ椅子にはご婦人の方々が多く、何時もの紫煙とアルコールの匂いのするイベントとは大違いです。ちらほらと近所の勤め帰りの方も見受けられました。

  朗読された演目は次のとおりです

  1.ねむの木のはなし 「一つの花」より 今西祐行 作 
    朗読 秋山雅子 クラリネット 越智光輝
  2.荒涼たる帰宅 「智恵子飛ぶ」より  津村節子 作
    朗読 井汲春江
  3.葉っぱのフレディ-いのちの旅- レオ・パスカーリア 作
    みらいなな 訳 朗読 有賀康子

  いずれも、詩でなく1.と3.は童話、そして2.は、切り絵に類稀な才能を発揮する智恵子と、不治の病に冒されながら輝きを失わない智恵子を尊敬し、いとおしむ高村光太郎の物語です。1.の童話は、ねむの木となった儚い舞姫の物語、そして3.の童話は、葉っぱのフレディの春から晩秋までの短い生涯を通して、命は決して尽きる事無く自然界を巡り巡るという物語でした。

  詩と違ってストーリーを追いやすい散文、とりわけ童話でしたので、物語のイメージを頭に浮かべやすく、感情移入も容易でした。朗読された方々はNPOの会員さんだと思いますが、切々と朗読される姿に心を打たれてしまい、特に3.のお話では、目頭に熱いものが思わず込み上げてしまいました。(涙もろいなあ(~_~;))

  考えてみれば、詩にしても物語にしても、もともとは語り部により伝承されたもので、楽しみ方、触れ方も紙に書かれた文字を読むのは一般的ではなく、声として発せられたものを聴いて楽しむものだったようですし、就寝前に母の読んでくれた童話、絵本が、「言葉」と親しむ原点だったのかなと考えます。

  難しい方法論は抜きして楽しめれば、何かひとつでも感じられれば良いのかなと考えます。


NPO日本朗読文化協会
http://www.rodoku.org/



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