後半部分の「新口村」(にのくちむら)は=こちら=です。
もとは、あの有名な「近松門左衛門(ちかまつ もんざえもん)」の作品です。
「もとは」というのは、いま上演されているのは近松の原作とはかなりニュアンスの違う舞台になってしまっているからです。
近松原作のタイトルは「冥途の飛脚」(めいどのひきゃく)といいます。
原型のほうが作品としてはおもしろいのですが、人物描写などがリアル、かつ繊細すぎるため、
善悪を単純化したほうがわかりやすい舞台上演には改作版の方が向いている、ことになっています。
台詞劇なので、聞き取れないとわかりにくいです。とくに前半。
近松なので使われているのが古い上方言葉なのもハードルを上げています。
なので設定説明と、今出ない序盤の部分の説明を書きます。
主人公の忠兵衛(ちゅうべえ)は「亀屋(かめや)」という飛脚屋の養子です。
「飛脚屋」というのは、主に江戸と京阪との間の手紙やちょっとした荷物の運搬をする商売です(大量運輸には船を使った)。
荷物の中で特に重要だったのは、江戸と京阪という大型経済圏の間での、お金のやりとりです。
江戸時代も後期になると完全に「為替決済システム」が完成するので、物理的な現ナマのやりとりはなくなります。
飛脚屋が運ぶのは、紙切れ=為替だけです。為替を両替屋(今の銀行に近い)に持っていくと現金が手に入るしくみです。
しかし近松の時代だと江戸も前半なので、まだ飛脚屋が現金を運んでいたのです。
自分のものではないけれど大金が無造作に目の前をウロウロする環境が、忠兵衛を狂わせたのです。
現行上演出ない事も多いですが、一応原作に即して飛脚屋、「亀屋」の場から書きます。
・「亀屋(かめや)店先」の場
忠兵衛は4年前に大和の田舎、新口村(にのくちむら)から亀屋に養子に来ました。
亀屋の主人はすでに死んでしまっておらず、養母の妙閑(みょうかん)さんが店をきりもりしつつ忠兵衛のめんどうを見ています。
忠兵衛も勉強して商売のこととかいろいろ覚えましたが、いろいろ覚えすぎて廓通いまで学習してしまいます。
最近は遊び歩いてばかりです。
今は、すっかり恋人同士になってしまった「梅川(うめがわ)」のところにいりびたりです。
でも妙閑さんの下、手代や番頭さんがしっかりしているのでお店は何とか回っています。
目下問題なのは、出入りのとあるお武家さまが、江戸からくるはずの三百両が来ないと言っていることです。
これは道中の川止めなどがあったせいで実際にまだ届いていないのですが、
公務でのお金が届かないとまずいので、亀屋でも困っています。
忠兵衛の友人でもある丹波屋八右衛門(たんばや はちえもん)さんのところの商売のお金もまだ届きません。
妙閑さんは心配しています。
忠兵衛が帰宅して、外から店の様子をうかがったりしているところで、八右衛門に鉢合わせします。
お金の事を聞かれて
「恋人の遊女、梅川(うめがわ)を身請けしたいので手付に使った」と謝ります。
正直に言って謝ったので八右衛門は許します。
そして一緒にお店に入り、妙閑さんにわからないように「鬢水入れ(びんみずいれ)」を紙に包みます。
「鬢水入れ(びんみずいれ)」というのは、水を入れて鏡のそばにおいておく小さい浅い容器です。髪の毛をちょっとなでつけるのに使いました。
楕円形で小さいものなので小判包みにカタチが似ています。
これを紙に包んでお金に見せかけて、妙閑さんの前で八右衛門に渡して、ごまかそうとしたのです。
八右衛門も受け取って、受取状と称して(妙関さんは字が読めないので)てきとうな文章を書いて渡します。
忠兵衛は目先のお金についてうまくごまかせたのでひと安心します。
ここまでは、友人同士のなれあいで片付く、悪ふざけの範囲です。
ここに江戸からの荷物がやっと届きます。お屋敷に届ける三百両も来ました。
勇んで三百両届けようと駆け出す忠兵衛。
現行上演ここから始まることが多いです。
ていうかわかりにくいのはここまでなので、何らかの方法で(ここで読んだりとか)ここまでの状況を把握してしまえば、
この後はわりと見やすいかと思います。
百両というのは、今の貨幣価値だと600万ちょっととお思いください。
このお芝居だと江戸も初期なので貨幣価値も高めです。700万近いです。
三百両だと1千万円前後ということになります。大金です。
=江戸時代の貨幣価値=
花道に向かう忠兵衛です。さっさとお屋敷にお金を届けなくては。
しかし、迷っています。梅川が心配です。ていうか会いたいです。
ここで言うセリフ
「会わずにいんではこの胸が…」
が、とても有名です。
この「いんで」は、文法分解すると、帰る、いなくなるを意味する動詞「いぬ」の連用形「いに」+「て」、「いにて」の音便です。
「(梅川に)会わないで帰っては、この胸が(切ない)」みたいな意味です。
今でも西日本だと「帰れ」「出て行け」の意味で「いね」って使うのでしょうか。10年くらい前だと聞いたことある気がします。
有名なセリフなので細かく書いてみました。
で、結局、梅川が待っているだろうからと会いに行くことにします。
俺ってば女にこんなに思われて、いい男だから困っちゃう、というわけで、
当時のモテ男の代表であった「梶原源太景季(かじわらげんた かげすえ)」を引き合いに出して
「梶原源太は 俺かしらん」といい気分になって、廓に向かいます。
ここで頭に手ぬぐいを乗せるのは、梶原源太が出る人気狂言「ひらかな盛衰記」の中、梅が枝に会いに行く梶原源太の様子を真似しているのです。
ついでに言うと、このお芝居の遊女の名前が「梅川(うめがわ)」なのは、
源太の恋人の遊女が「梅が枝(うめがえ)」なのを意識していると思います。
「梅川」の読みは「うめかわ」でなく「うめがわ」なのも、「うめがえ」に近い音にしているのでしょう。
・井筒屋(いづつや)裏口
井筒屋は遊女屋です。原作だと「越後屋」です(どうでもいい)。
下女の手引きで忍び込んだ忠兵衛と梅川との、他の客の来ない奥座敷での密談&色模様です。
近松の原作にはない、歌舞伎の入れ事です。
現行上演では、お芝居の前半部分がカットなので、身請けの問題も含めてここまでの事情を説明するための場面でもありますが、
たあいもない痴話喧嘩をしてラブラブなぶたりを見て楽しむシーンでもあります。
ここでも忠兵衛はかなり子供っぽく、今後のなりゆきが心配される雰囲気です。
そのまま越後屋の表座敷でのクライマックスの「封印切り」に続きます。
・井筒屋座敷
「封印切」の場面です。
この「封印」というのは何かといいますと、
忠兵衛は、武家屋敷に届けるはずの藩の御用金を持っています。江戸から送られてきたものです。
御用金は紙に包まれており、そこに「正式な御用金である」ことが明記されています。
この小判を包んだ紙には、勝手にはがされて中身がすり替えられないように、1個1個ハンコを押してあるのです。これが「封印」です。
「封印」された小判は、お金であると同時にその封印は公文書でもあります。
忠兵衛はこれをやぶってしまうのです。ヤバいです。重罪です。ぶっちゃけ死罪です。何が彼をそこまで追いつめたのか。みたいな場面です。
お友達の八右衛門さんがまず井筒屋のお座敷にやってきます。
近松の原作だと、八右衛門さんは完全に中立の立場です。忠兵衛のことも非常に冷静に見ていて、心配しています。
ついでに言うと梅川もかなりしっかりした女性に描かれており、忠兵衛にガンガン異見をします。
しかし現行上演だと、八右衛門さんは悪役です。そして梅川に横恋慕しています。
梅川は自己主張できない悲しいタイプの女です。あーいらいらする。
さて、八右衛門は、忠兵衛がまじめにお金を届けにお屋敷に行ったと思っています。
まさかここに来ているとは思っていません。
じっさいは忠兵衛は二階の座敷にいるのですが、八右衛門は知りません。
さて、八右衛門は前の幕での鬢水入れとニセ証文を取り出して、忠兵衛の悪口を言いはじめます。
あいつはお金に困っていてこんな見苦しい真似までする状態だ。かかわらないほうがいい。
もうあいつはもう出入り禁止にしたほうがいい、みたいな内容です。
原作だと友達を立ち直らせるための辛口異見なのですが、
現行上演では、梅川ちゃんを手に入れるために邪魔者を排除しようと画策している状態です。
あまりにひどい事を言われたので、二階にいた忠兵衛が怒って下りてきます。
ここでふたりの言い争いになります。
八右衛門は、忠兵衛を「イナカモノ」「養子」「貧乏」ともともとバカにしていたのです(現行上演設定)。
これでまたムキになって怒る忠兵衛も同じレベルなわけですが。
忠兵衛は自分の実家は田舎だけど金持ちだと主張します。
ちょうど今日、田舎の実家からお小遣いとしてお金が届いた。お金には困っていない、と言い、
お屋敷に届けるたずのお金を自分のものだと言い張って見栄を張ります。
はじめは袱紗(ふくさ お金を包んだ布)の上から見せるだけだったのですが、鬢水入れの前科があるので信じてもらえません。
火鉢にコツコツ当てて音を聞かせてもダメです。
ついに忠兵衛は「御用金」の封印を切って小判をばらまきます。
普通の精神状態ではできないことですが、 梅川をどうしても身請けしたかったというのと、
廓で「かっこいい自分」を演じていたのに、それを全否定されて、現実を受け入れられなかった。
そんなかんじだと思います。
上司に連れられて高級クラブに行った若い銀行マンがホステスに入れあげてサラ金地獄に。ついに会社の金に手を付けて。
みたいな図式を想像していただくとわかりやすいと思います。
原作だと、かなりはっきり「廓での遊女相手の見栄と現実の区別が付かなくなったバカ男」として忠兵衛は描かれます。
いつの時代にもバーチャルにはまって破滅する人はいるのです。
そして、黄金の色というものはやはり説得力があります。
華やかな廓の座敷に小判がバラまかれる絵面は、実際に行われている「公金横領」という重罪とのギャップもあって、
そら恐ろしい美しさです。
三百両の中から、梅川の身請け、今までの茶屋遊びのツケ、身請けの手数料として各方面へご祝儀と、お金をばらまく忠兵衛。
もういくらも残りません。
今夜中に出発したいからと言うのでみんなおおあわてで準備に走り去ります。
手続きして鑑札(身分証明書)を作らないと梅川は廓の大門の外に出られないのです。
何も知らずによろこぶ梅川に忠兵衛は真実を告げて「一緒に死んでくれ」と言います。
梅川も、驚きますが覚悟を決め、短い間でも夫婦でいられれば満足、と言います。
何も知らない廓のみんなに送られてふたりは旅立ちます。
八右衛門はこっそり封印の紙を拾っており、公金横領に気付いているのでした。
「新口村」(にのくちむら)に続きます。
=50音索引に戻る=
もとは、あの有名な「近松門左衛門(ちかまつ もんざえもん)」の作品です。
「もとは」というのは、いま上演されているのは近松の原作とはかなりニュアンスの違う舞台になってしまっているからです。
近松原作のタイトルは「冥途の飛脚」(めいどのひきゃく)といいます。
原型のほうが作品としてはおもしろいのですが、人物描写などがリアル、かつ繊細すぎるため、
善悪を単純化したほうがわかりやすい舞台上演には改作版の方が向いている、ことになっています。
台詞劇なので、聞き取れないとわかりにくいです。とくに前半。
近松なので使われているのが古い上方言葉なのもハードルを上げています。
なので設定説明と、今出ない序盤の部分の説明を書きます。
主人公の忠兵衛(ちゅうべえ)は「亀屋(かめや)」という飛脚屋の養子です。
「飛脚屋」というのは、主に江戸と京阪との間の手紙やちょっとした荷物の運搬をする商売です(大量運輸には船を使った)。
荷物の中で特に重要だったのは、江戸と京阪という大型経済圏の間での、お金のやりとりです。
江戸時代も後期になると完全に「為替決済システム」が完成するので、物理的な現ナマのやりとりはなくなります。
飛脚屋が運ぶのは、紙切れ=為替だけです。為替を両替屋(今の銀行に近い)に持っていくと現金が手に入るしくみです。
しかし近松の時代だと江戸も前半なので、まだ飛脚屋が現金を運んでいたのです。
自分のものではないけれど大金が無造作に目の前をウロウロする環境が、忠兵衛を狂わせたのです。
現行上演出ない事も多いですが、一応原作に即して飛脚屋、「亀屋」の場から書きます。
・「亀屋(かめや)店先」の場
忠兵衛は4年前に大和の田舎、新口村(にのくちむら)から亀屋に養子に来ました。
亀屋の主人はすでに死んでしまっておらず、養母の妙閑(みょうかん)さんが店をきりもりしつつ忠兵衛のめんどうを見ています。
忠兵衛も勉強して商売のこととかいろいろ覚えましたが、いろいろ覚えすぎて廓通いまで学習してしまいます。
最近は遊び歩いてばかりです。
今は、すっかり恋人同士になってしまった「梅川(うめがわ)」のところにいりびたりです。
でも妙閑さんの下、手代や番頭さんがしっかりしているのでお店は何とか回っています。
目下問題なのは、出入りのとあるお武家さまが、江戸からくるはずの三百両が来ないと言っていることです。
これは道中の川止めなどがあったせいで実際にまだ届いていないのですが、
公務でのお金が届かないとまずいので、亀屋でも困っています。
忠兵衛の友人でもある丹波屋八右衛門(たんばや はちえもん)さんのところの商売のお金もまだ届きません。
妙閑さんは心配しています。
忠兵衛が帰宅して、外から店の様子をうかがったりしているところで、八右衛門に鉢合わせします。
お金の事を聞かれて
「恋人の遊女、梅川(うめがわ)を身請けしたいので手付に使った」と謝ります。
正直に言って謝ったので八右衛門は許します。
そして一緒にお店に入り、妙閑さんにわからないように「鬢水入れ(びんみずいれ)」を紙に包みます。
「鬢水入れ(びんみずいれ)」というのは、水を入れて鏡のそばにおいておく小さい浅い容器です。髪の毛をちょっとなでつけるのに使いました。
楕円形で小さいものなので小判包みにカタチが似ています。
これを紙に包んでお金に見せかけて、妙閑さんの前で八右衛門に渡して、ごまかそうとしたのです。
八右衛門も受け取って、受取状と称して(妙関さんは字が読めないので)てきとうな文章を書いて渡します。
忠兵衛は目先のお金についてうまくごまかせたのでひと安心します。
ここまでは、友人同士のなれあいで片付く、悪ふざけの範囲です。
ここに江戸からの荷物がやっと届きます。お屋敷に届ける三百両も来ました。
勇んで三百両届けようと駆け出す忠兵衛。
現行上演ここから始まることが多いです。
ていうかわかりにくいのはここまでなので、何らかの方法で(ここで読んだりとか)ここまでの状況を把握してしまえば、
この後はわりと見やすいかと思います。
百両というのは、今の貨幣価値だと600万ちょっととお思いください。
このお芝居だと江戸も初期なので貨幣価値も高めです。700万近いです。
三百両だと1千万円前後ということになります。大金です。
=江戸時代の貨幣価値=
花道に向かう忠兵衛です。さっさとお屋敷にお金を届けなくては。
しかし、迷っています。梅川が心配です。ていうか会いたいです。
ここで言うセリフ
「会わずにいんではこの胸が…」
が、とても有名です。
この「いんで」は、文法分解すると、帰る、いなくなるを意味する動詞「いぬ」の連用形「いに」+「て」、「いにて」の音便です。
「(梅川に)会わないで帰っては、この胸が(切ない)」みたいな意味です。
今でも西日本だと「帰れ」「出て行け」の意味で「いね」って使うのでしょうか。10年くらい前だと聞いたことある気がします。
有名なセリフなので細かく書いてみました。
で、結局、梅川が待っているだろうからと会いに行くことにします。
俺ってば女にこんなに思われて、いい男だから困っちゃう、というわけで、
当時のモテ男の代表であった「梶原源太景季(かじわらげんた かげすえ)」を引き合いに出して
「梶原源太は 俺かしらん」といい気分になって、廓に向かいます。
ここで頭に手ぬぐいを乗せるのは、梶原源太が出る人気狂言「ひらかな盛衰記」の中、梅が枝に会いに行く梶原源太の様子を真似しているのです。
ついでに言うと、このお芝居の遊女の名前が「梅川(うめがわ)」なのは、
源太の恋人の遊女が「梅が枝(うめがえ)」なのを意識していると思います。
「梅川」の読みは「うめかわ」でなく「うめがわ」なのも、「うめがえ」に近い音にしているのでしょう。
・井筒屋(いづつや)裏口
井筒屋は遊女屋です。原作だと「越後屋」です(どうでもいい)。
下女の手引きで忍び込んだ忠兵衛と梅川との、他の客の来ない奥座敷での密談&色模様です。
近松の原作にはない、歌舞伎の入れ事です。
現行上演では、お芝居の前半部分がカットなので、身請けの問題も含めてここまでの事情を説明するための場面でもありますが、
たあいもない痴話喧嘩をしてラブラブなぶたりを見て楽しむシーンでもあります。
ここでも忠兵衛はかなり子供っぽく、今後のなりゆきが心配される雰囲気です。
そのまま越後屋の表座敷でのクライマックスの「封印切り」に続きます。
・井筒屋座敷
「封印切」の場面です。
この「封印」というのは何かといいますと、
忠兵衛は、武家屋敷に届けるはずの藩の御用金を持っています。江戸から送られてきたものです。
御用金は紙に包まれており、そこに「正式な御用金である」ことが明記されています。
この小判を包んだ紙には、勝手にはがされて中身がすり替えられないように、1個1個ハンコを押してあるのです。これが「封印」です。
「封印」された小判は、お金であると同時にその封印は公文書でもあります。
忠兵衛はこれをやぶってしまうのです。ヤバいです。重罪です。ぶっちゃけ死罪です。何が彼をそこまで追いつめたのか。みたいな場面です。
お友達の八右衛門さんがまず井筒屋のお座敷にやってきます。
近松の原作だと、八右衛門さんは完全に中立の立場です。忠兵衛のことも非常に冷静に見ていて、心配しています。
ついでに言うと梅川もかなりしっかりした女性に描かれており、忠兵衛にガンガン異見をします。
しかし現行上演だと、八右衛門さんは悪役です。そして梅川に横恋慕しています。
梅川は自己主張できない悲しいタイプの女です。あーいらいらする。
さて、八右衛門は、忠兵衛がまじめにお金を届けにお屋敷に行ったと思っています。
まさかここに来ているとは思っていません。
じっさいは忠兵衛は二階の座敷にいるのですが、八右衛門は知りません。
さて、八右衛門は前の幕での鬢水入れとニセ証文を取り出して、忠兵衛の悪口を言いはじめます。
あいつはお金に困っていてこんな見苦しい真似までする状態だ。かかわらないほうがいい。
もうあいつはもう出入り禁止にしたほうがいい、みたいな内容です。
原作だと友達を立ち直らせるための辛口異見なのですが、
現行上演では、梅川ちゃんを手に入れるために邪魔者を排除しようと画策している状態です。
あまりにひどい事を言われたので、二階にいた忠兵衛が怒って下りてきます。
ここでふたりの言い争いになります。
八右衛門は、忠兵衛を「イナカモノ」「養子」「貧乏」ともともとバカにしていたのです(現行上演設定)。
これでまたムキになって怒る忠兵衛も同じレベルなわけですが。
忠兵衛は自分の実家は田舎だけど金持ちだと主張します。
ちょうど今日、田舎の実家からお小遣いとしてお金が届いた。お金には困っていない、と言い、
お屋敷に届けるたずのお金を自分のものだと言い張って見栄を張ります。
はじめは袱紗(ふくさ お金を包んだ布)の上から見せるだけだったのですが、鬢水入れの前科があるので信じてもらえません。
火鉢にコツコツ当てて音を聞かせてもダメです。
ついに忠兵衛は「御用金」の封印を切って小判をばらまきます。
普通の精神状態ではできないことですが、 梅川をどうしても身請けしたかったというのと、
廓で「かっこいい自分」を演じていたのに、それを全否定されて、現実を受け入れられなかった。
そんなかんじだと思います。
上司に連れられて高級クラブに行った若い銀行マンがホステスに入れあげてサラ金地獄に。ついに会社の金に手を付けて。
みたいな図式を想像していただくとわかりやすいと思います。
原作だと、かなりはっきり「廓での遊女相手の見栄と現実の区別が付かなくなったバカ男」として忠兵衛は描かれます。
いつの時代にもバーチャルにはまって破滅する人はいるのです。
そして、黄金の色というものはやはり説得力があります。
華やかな廓の座敷に小判がバラまかれる絵面は、実際に行われている「公金横領」という重罪とのギャップもあって、
そら恐ろしい美しさです。
三百両の中から、梅川の身請け、今までの茶屋遊びのツケ、身請けの手数料として各方面へご祝儀と、お金をばらまく忠兵衛。
もういくらも残りません。
今夜中に出発したいからと言うのでみんなおおあわてで準備に走り去ります。
手続きして鑑札(身分証明書)を作らないと梅川は廓の大門の外に出られないのです。
何も知らずによろこぶ梅川に忠兵衛は真実を告げて「一緒に死んでくれ」と言います。
梅川も、驚きますが覚悟を決め、短い間でも夫婦でいられれば満足、と言います。
何も知らない廓のみんなに送られてふたりは旅立ちます。
八右衛門はこっそり封印の紙を拾っており、公金横領に気付いているのでした。
「新口村」(にのくちむら)に続きます。
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