昭和29年の初演。
新作ですからわかりやすいです。
新作ですが、古体なかんじにおおらかで華やかな舞台です。
三島由紀夫の作品です。初演は演出も三島由紀夫だったと記憶しています。
キレイにハッピーエンドにまとまっているので、気楽に見てください。
主人公の「猿源氏(さるげんじ)」というのは妙な名前ですが、「猿」というのは「真似するもの」ですから
「源氏物語」の「光源氏」のイメージを真似た、しかしたいして似ていないキャラクター、という程度に
軽く考えておいていいと思います。
もとネタは、古典作品の「御伽草子(おとぎぞうし)」の中にある「猿源氏草子(さるげんじ そうし)」ですが、
原作中にも、注釈にも、とくにこの妙な名前の意味についての言及はありません。
猿源氏は、伊勢の国の鰯売りです。京の都で鰯を売ります。
都の美しい遊女の「蛍火(ほたるび)」に恋をします。
蛍火というのは、夜になると美しく輝く、ということで付いた名前です。
蛍火は高級遊女なので、社会的ステイタスのあるひとでないと、お金を持っていても、会うことすらできません。
猿源氏は、父親(義父)海老名の南弥陀仏(えびなの なあみだぶつ)といろいろ計画して、東国の大名に化けることにしました。
この「南阿弥陀仏」というのは、べつに仏様ではなく、隠居して出家したので仏門ぽい名を名乗っているだけです。
さて、うまいこと東国大名の「宇都宮(うつのみや)」氏になりすまして蛍火に会った猿源氏ですが、
江戸時代の高級遊女もそうなのですが、
彼女たちに会う最大の目的は、エッチではなく、その前の、豪華なお座敷での宴会です。
ここで教養や社会的素養がないのがバレるとたいへんです。
このお座敷で猿源氏は「軍物語(いくさものがたり)」をきかせてくれと言われます。
「軍物語」は、もちろん軍の様子を語るものですが、
この作品の時代設定は鎌倉初期なのです。
まあ、ファンタジーなのであまり厳密ではないのですが、そのころのイメージなのです。
ですので
「東国大名」というのは、江戸時代の幕藩体制確立後の「大名」というよりは、
平安末期から鎌倉にかけてたくさんいた、地方豪族たちのことです。
彼らはリアルタイムで源平の軍で戦っています。
ですので、当時の「軍物語」というのは、
実際に軍をした武将だけが語れる、実録体験談なのです。猿源氏には語れません。
困った猿源氏ですが、軍のことは知りませんが、魚には詳しいので、
「魚尽くし」のセリフで源平の軍の様子を語ります。
それが面白かったのでみなは大喜び。なんとかごまかせます。
そして首尾よく蛍火と一夜を共にした猿源氏ですが、
ついうっかり、寝言で、いつもの魚売りの文句を大声で言ってしまいます。
これで、じつはお大名ではなくて鰯売りであることがバレていまうのですが、
じつは、遊女の蛍火も前から猿源氏が好きだったというではないですか。
以降はセリフだけの説明なのですが、
遊女は、じつはお城のお姫様なのです。
猿源氏が鰯を売る呼び声がお城まで聞こえてきていて、その声にあこがれたお姫様はお城を抜け出し、
いろいろあって遊女になっていたのです。
ここの「お姫様」は「お城」は完全に江戸時代のイメージなのですが、
ファンタジーですので気にしないで見てください。
遊女の風俗も、当時なら十二単のはずですが、江戸の遊女風俗かもしれません。気にしないでください。
というわけで、じつは相思相愛だったった蛍火と猿源氏は幸せにくらすのでした。
おわりです。
もとネタは室町ごろに成立した古典作品、「御伽草子(おとぎぞうし)」にはいっている
「猿源氏草子(さるげんじ そうし)」です。
この原作ですと、猿源氏はお座敷は無難にやりすごすのですが、
やはり寝言で、鰯売りのセリフを言います。
ここまでは同じですが、むしろここからが見せ場で、
寝言で言った言葉について、宮中の連歌の会でいろいろ歌を考えていたからだと、
同じ音の出てくる和歌をいくつも引用してごまかします。
その際、古典のいろいろな歌やそれに関する知識をすらすらと引用します。
これを聞いた蛍火が、鰯売りだとは知りつつ、その教養の深さに感心して恋におち、
最期は一緒に伊勢に行って夫婦で富み栄える、という内容です。
似ているようで、ニュアンスがずいぶん違います。
「御伽草子」に多い主題なのですが、経済力をつけた庶民階級が、同時に教養を見に付け、
その教養で貴族たちと対等の力を得ていく、というのが原作のテーマだと思います。
歌舞伎のほうの「鰯売」は、
そういう意味ではあまり深く考えずに楽しむだけの、純粋なファンタジーだと思います。
三島由紀夫が「俺が作れば新作でもこんなに古歌舞伎っぽくなるんだぜ」と言いたげに作った作品です。
このかたの、まだツヅやハタチだった玉三郎を「椿説弓張月」に抜擢した罪は重い。
あそこで天狗にならず、もう少し若いウチにまじめに修行していたら今より「は」少し上手になったんじゃないでしょうかあのかた。
↑余談
=50音索引に戻る=
新作ですからわかりやすいです。
新作ですが、古体なかんじにおおらかで華やかな舞台です。
三島由紀夫の作品です。初演は演出も三島由紀夫だったと記憶しています。
キレイにハッピーエンドにまとまっているので、気楽に見てください。
主人公の「猿源氏(さるげんじ)」というのは妙な名前ですが、「猿」というのは「真似するもの」ですから
「源氏物語」の「光源氏」のイメージを真似た、しかしたいして似ていないキャラクター、という程度に
軽く考えておいていいと思います。
もとネタは、古典作品の「御伽草子(おとぎぞうし)」の中にある「猿源氏草子(さるげんじ そうし)」ですが、
原作中にも、注釈にも、とくにこの妙な名前の意味についての言及はありません。
猿源氏は、伊勢の国の鰯売りです。京の都で鰯を売ります。
都の美しい遊女の「蛍火(ほたるび)」に恋をします。
蛍火というのは、夜になると美しく輝く、ということで付いた名前です。
蛍火は高級遊女なので、社会的ステイタスのあるひとでないと、お金を持っていても、会うことすらできません。
猿源氏は、父親(義父)海老名の南弥陀仏(えびなの なあみだぶつ)といろいろ計画して、東国の大名に化けることにしました。
この「南阿弥陀仏」というのは、べつに仏様ではなく、隠居して出家したので仏門ぽい名を名乗っているだけです。
さて、うまいこと東国大名の「宇都宮(うつのみや)」氏になりすまして蛍火に会った猿源氏ですが、
江戸時代の高級遊女もそうなのですが、
彼女たちに会う最大の目的は、エッチではなく、その前の、豪華なお座敷での宴会です。
ここで教養や社会的素養がないのがバレるとたいへんです。
このお座敷で猿源氏は「軍物語(いくさものがたり)」をきかせてくれと言われます。
「軍物語」は、もちろん軍の様子を語るものですが、
この作品の時代設定は鎌倉初期なのです。
まあ、ファンタジーなのであまり厳密ではないのですが、そのころのイメージなのです。
ですので
「東国大名」というのは、江戸時代の幕藩体制確立後の「大名」というよりは、
平安末期から鎌倉にかけてたくさんいた、地方豪族たちのことです。
彼らはリアルタイムで源平の軍で戦っています。
ですので、当時の「軍物語」というのは、
実際に軍をした武将だけが語れる、実録体験談なのです。猿源氏には語れません。
困った猿源氏ですが、軍のことは知りませんが、魚には詳しいので、
「魚尽くし」のセリフで源平の軍の様子を語ります。
それが面白かったのでみなは大喜び。なんとかごまかせます。
そして首尾よく蛍火と一夜を共にした猿源氏ですが、
ついうっかり、寝言で、いつもの魚売りの文句を大声で言ってしまいます。
これで、じつはお大名ではなくて鰯売りであることがバレていまうのですが、
じつは、遊女の蛍火も前から猿源氏が好きだったというではないですか。
以降はセリフだけの説明なのですが、
遊女は、じつはお城のお姫様なのです。
猿源氏が鰯を売る呼び声がお城まで聞こえてきていて、その声にあこがれたお姫様はお城を抜け出し、
いろいろあって遊女になっていたのです。
ここの「お姫様」は「お城」は完全に江戸時代のイメージなのですが、
ファンタジーですので気にしないで見てください。
遊女の風俗も、当時なら十二単のはずですが、江戸の遊女風俗かもしれません。気にしないでください。
というわけで、じつは相思相愛だったった蛍火と猿源氏は幸せにくらすのでした。
おわりです。
もとネタは室町ごろに成立した古典作品、「御伽草子(おとぎぞうし)」にはいっている
「猿源氏草子(さるげんじ そうし)」です。
この原作ですと、猿源氏はお座敷は無難にやりすごすのですが、
やはり寝言で、鰯売りのセリフを言います。
ここまでは同じですが、むしろここからが見せ場で、
寝言で言った言葉について、宮中の連歌の会でいろいろ歌を考えていたからだと、
同じ音の出てくる和歌をいくつも引用してごまかします。
その際、古典のいろいろな歌やそれに関する知識をすらすらと引用します。
これを聞いた蛍火が、鰯売りだとは知りつつ、その教養の深さに感心して恋におち、
最期は一緒に伊勢に行って夫婦で富み栄える、という内容です。
似ているようで、ニュアンスがずいぶん違います。
「御伽草子」に多い主題なのですが、経済力をつけた庶民階級が、同時に教養を見に付け、
その教養で貴族たちと対等の力を得ていく、というのが原作のテーマだと思います。
歌舞伎のほうの「鰯売」は、
そういう意味ではあまり深く考えずに楽しむだけの、純粋なファンタジーだと思います。
三島由紀夫が「俺が作れば新作でもこんなに古歌舞伎っぽくなるんだぜ」と言いたげに作った作品です。
このかたの、まだツヅやハタチだった玉三郎を「椿説弓張月」に抜擢した罪は重い。
あそこで天狗にならず、もう少し若いウチにまじめに修行していたら今より「は」少し上手になったんじゃないでしょうかあのかた。
↑余談
=50音索引に戻る=
この文章は玉三郎が天狗になって、下手のまま今まで舞台にあがってきたと言っているのでしょうか?
それって、人を貶める様な発言ですよネ!