「二月堂」という別称のほうが有名かもしれません。
雰囲気が昔風なのと、題材が「母子の対面」というこれまた古めかしいネタなのとで、古いお芝居のように思ってしまいがちですが、
じつは新作です、明治の作品です。
というわけで、あまりストーリーも複雑ではありませんし、見ていてわかりやすいと思います。
台詞劇ですので、聞き取れないとさすがに困るかもしれないので、
だいたいの設定とかを書きます。
舞台は奈良東大寺の二月堂です。リアルなセットが組まれて豪華です。
主人公は東大寺の若き大僧正、良弁(ろうべん)和尚です。
良弁は子供の頃ワシにさらわれて、二月堂の前の杉の木にひっかかっていたのを、先代の大僧正に助けられました。
そしてお寺で育ちます。
良弁は一生懸命勉強して今は大僧正になったのですが、
両親が誰かわからないのをずっと気にしています。
出生のヒミツが知りたいという気持ちというよりは、
昔の倫理観や美意識では、我が身を捨てても親に孝を尽くす、みたいのがとても大事でしたので、
人の手本となるべき僧正の身でありながら、両親がわからないためにそれができないのが
たいへんもどかしいのです。
親が生きているならいっしょうけんめい孝行したいですし、
死んでいるなら一生懸命お経をあげて死後の幸福を願わなくてはなりません。
というわけで、人望もあるりっぱな僧正さま、毎日春日大社に参詣し、
その帰りに自分が拾われた杉の木に立ち寄り、「親に会えますように」とお祈りしています。
さて、その日、杉の木になんだかお手紙が貼ってありましたよ。
昔ワシにさらわれた子供を捜しているみたいです。
なんだか自分の身の上と似ています。良弁は手紙の主を捜すようにお付きのヒトたちに言います。
出てきたのはみすぼらしい老婆です。
老婆は身の上話をはじめます。
あとはまあ、セリフ聞き取れなくても雰囲気でわかるんじゃないかと思いますが。
一応細かい事を書いておくと、
良弁はもとは京の都の「水無瀬左近(みなせ さこん)」という貴族の坊ちゃまでした。
いまは乞食(こつじき)になってしまったこの母親は、もとは渚の方(なぎさの かた)といいう貴族の奥様でした。
渚の方はいなくなった息子を捜して半狂乱で旅をしているうちにこのようにおちぶれてしまったのです。
身元確認の決め手は良弁が持っていたお守りです。
家宝の小さい仏像が入っています。渚の方が自分で袋を縫いました。
というかんじです。
お互い母に、子に会えて大喜びのふたり、
良弁僧正は、みすぼらしい身なりの母親を、自分が乗るりっぱな輿(こし)に乗せて、お寺につれて行きます。
よかったよかった。
おわりです。
お芝居は新作ですが、元になるストーリーは、「今昔物語」や「日本霊異記」などに類話が多い有名な説話です。
子供がワシにさらわれて遠い土地に運ばれて、偶然命が助かってそこで育つ。
たまたま旅をしてきた親と偶然出会う。
キホン部分はこれだけで、細かい設定は違うことが多いです。
ここにいつの間にか東大寺の実在の名僧であった良弁僧正の伝説が加わり、このお芝居ができあがりました。
昔は「良弁僧正物語」という絵本もあったようです。
ところで、
母親のセリフで「水無瀬家は菅原道真さま(かんしょうじょうさま、と言うかも)の家来で」と言っていますが、
菅原道真は、平安時代のかたです。
良弁は天平のころの実在の僧ですから、奈良時代のかたです。
ええ時代が合いません。
ていうか良弁僧正は実在の人物で、
東大寺の建立に尽力した方です。
良弁が大人になってから東大寺を作ったのです。
…じつは子供の頃には東大寺も二月堂もありません。
まじめに歴史との整合性を語りだすといろいろと矛盾が多い作品です。
まあ細かい事は気にしないで(書くな)、
美しい袈裟を着たりっぱなお坊さんの、母親への情愛や孝心に涙して下さい。
ていねいに出すと子供がワシにさらわれるシーンの「志賀の里」、半狂乱の母親がさまよう「物狂い」が前に付きますが、
後でセリフで言うことをあらかじめ見るというかんじですから、ここを先に見てしまうと
後のセリフが少々タイクツになるのが欠点です。
とはいえ、良家の母子が郊外に遊ぶ品のある様子、鷲にさらわれるスペクタクル。
子供を探してさまよう母の悲嘆と、見れば楽しい部分ではあります。
というわけなので、前半部分については、10年に一度くらい出ます。
そしてそのときの、さらわれる子役は、だいたい大きい名跡の役者さんの息子さんです。
つまり、
30年くらいたつとリアルタイムで成長。良弁僧正をなさいます。
すかさずそのとき見に行って、
「この良弁さまがワシにさらわれるのを見たよ」とネタにして隣の客に自慢する、
というのが前半部分の最大の楽しみ方です(違います)。
=50音索引に戻る=
雰囲気が昔風なのと、題材が「母子の対面」というこれまた古めかしいネタなのとで、古いお芝居のように思ってしまいがちですが、
じつは新作です、明治の作品です。
というわけで、あまりストーリーも複雑ではありませんし、見ていてわかりやすいと思います。
台詞劇ですので、聞き取れないとさすがに困るかもしれないので、
だいたいの設定とかを書きます。
舞台は奈良東大寺の二月堂です。リアルなセットが組まれて豪華です。
主人公は東大寺の若き大僧正、良弁(ろうべん)和尚です。
良弁は子供の頃ワシにさらわれて、二月堂の前の杉の木にひっかかっていたのを、先代の大僧正に助けられました。
そしてお寺で育ちます。
良弁は一生懸命勉強して今は大僧正になったのですが、
両親が誰かわからないのをずっと気にしています。
出生のヒミツが知りたいという気持ちというよりは、
昔の倫理観や美意識では、我が身を捨てても親に孝を尽くす、みたいのがとても大事でしたので、
人の手本となるべき僧正の身でありながら、両親がわからないためにそれができないのが
たいへんもどかしいのです。
親が生きているならいっしょうけんめい孝行したいですし、
死んでいるなら一生懸命お経をあげて死後の幸福を願わなくてはなりません。
というわけで、人望もあるりっぱな僧正さま、毎日春日大社に参詣し、
その帰りに自分が拾われた杉の木に立ち寄り、「親に会えますように」とお祈りしています。
さて、その日、杉の木になんだかお手紙が貼ってありましたよ。
昔ワシにさらわれた子供を捜しているみたいです。
なんだか自分の身の上と似ています。良弁は手紙の主を捜すようにお付きのヒトたちに言います。
出てきたのはみすぼらしい老婆です。
老婆は身の上話をはじめます。
あとはまあ、セリフ聞き取れなくても雰囲気でわかるんじゃないかと思いますが。
一応細かい事を書いておくと、
良弁はもとは京の都の「水無瀬左近(みなせ さこん)」という貴族の坊ちゃまでした。
いまは乞食(こつじき)になってしまったこの母親は、もとは渚の方(なぎさの かた)といいう貴族の奥様でした。
渚の方はいなくなった息子を捜して半狂乱で旅をしているうちにこのようにおちぶれてしまったのです。
身元確認の決め手は良弁が持っていたお守りです。
家宝の小さい仏像が入っています。渚の方が自分で袋を縫いました。
というかんじです。
お互い母に、子に会えて大喜びのふたり、
良弁僧正は、みすぼらしい身なりの母親を、自分が乗るりっぱな輿(こし)に乗せて、お寺につれて行きます。
よかったよかった。
おわりです。
お芝居は新作ですが、元になるストーリーは、「今昔物語」や「日本霊異記」などに類話が多い有名な説話です。
子供がワシにさらわれて遠い土地に運ばれて、偶然命が助かってそこで育つ。
たまたま旅をしてきた親と偶然出会う。
キホン部分はこれだけで、細かい設定は違うことが多いです。
ここにいつの間にか東大寺の実在の名僧であった良弁僧正の伝説が加わり、このお芝居ができあがりました。
昔は「良弁僧正物語」という絵本もあったようです。
ところで、
母親のセリフで「水無瀬家は菅原道真さま(かんしょうじょうさま、と言うかも)の家来で」と言っていますが、
菅原道真は、平安時代のかたです。
良弁は天平のころの実在の僧ですから、奈良時代のかたです。
ええ時代が合いません。
ていうか良弁僧正は実在の人物で、
東大寺の建立に尽力した方です。
良弁が大人になってから東大寺を作ったのです。
…じつは子供の頃には東大寺も二月堂もありません。
まじめに歴史との整合性を語りだすといろいろと矛盾が多い作品です。
まあ細かい事は気にしないで(書くな)、
美しい袈裟を着たりっぱなお坊さんの、母親への情愛や孝心に涙して下さい。
ていねいに出すと子供がワシにさらわれるシーンの「志賀の里」、半狂乱の母親がさまよう「物狂い」が前に付きますが、
後でセリフで言うことをあらかじめ見るというかんじですから、ここを先に見てしまうと
後のセリフが少々タイクツになるのが欠点です。
とはいえ、良家の母子が郊外に遊ぶ品のある様子、鷲にさらわれるスペクタクル。
子供を探してさまよう母の悲嘆と、見れば楽しい部分ではあります。
というわけなので、前半部分については、10年に一度くらい出ます。
そしてそのときの、さらわれる子役は、だいたい大きい名跡の役者さんの息子さんです。
つまり、
30年くらいたつとリアルタイムで成長。良弁僧正をなさいます。
すかさずそのとき見に行って、
「この良弁さまがワシにさらわれるのを見たよ」とネタにして隣の客に自慢する、
というのが前半部分の最大の楽しみ方です(違います)。
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